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『静かなる戦争のための沈黙の兵器』より4(転載の続き)

A-silent-weapon-for-quiet-war4, 2017/8/12, 評価(A)
調査中につき一時転載しておきます。いずれ整理します。

『静かなる戦争のための沈黙の兵器』より

『静かなる戦争のための沈黙の兵器』の続き

●自由や平等は人間の本性にある破壊的な原理である
[われらの王国を築いた暁には]われわれは明白にする、自由とは放縦ではないこと
を、人間の品位とか力とかには自堕落が含まれていない以上に自由とは抑制の利かな
い権利は含まないことを、良心の自由や平等その他これに類するものは人間の本性に
ある破壊的な原理であることを万人に公表し、個人の自由とは決して無秩序な群集の
前で言語同断な言説を弄して煽動することではないことを。真実の自由とは、社会の
法律には敬虔に厳しく従う人の不可侵性にあること、人間の尊厳とは権利意織に包ま
れてはいるが同時にいかなる権利意織ももたぬものであること、そして自分勝手な空
想を実現しようとすることは決して許されないことを。<二十二>

●自由の権利は人間性に拷問をかける
われわれは最もはっきりとした口調で、ゴイム政府が犯した過ちを描いてみせるで
あろう。われわれがかれらに対する嫌悪の情をそそるので、人民は、かの自由を振り
回す権利などよりも、農奴制のような状態でよいから安穏の方を好む。自由の権利は、
人間性に拷問をかけ、まさに人間存在の根源を疲弊させ、人民は自分が何をしている
のか解っていない一群のこすからい山師たちの餌食となったのである。<十四>

●飲酒や性的堕落はわれわれが手ほどきしたものである
飲酒で馬鹿になりアルコール漬けになった動物どもを見よ。自由がかれらに節度な
き飲酒の権利をもたらしたのである。それはわれわれやわれわれ一族の歩む道ではな
い。ゴイム々はアルコール飲料に酔いしれ、かれらの若者たちは因習陋習とごく若い
うちから性的堕落に痴呆状態となって成長する。その性的堕落は、われわれの特別な
代理人・・富豪の邸宅の家庭教師、下男、女性家庭教師によって、書記その他によっ
て、しばしばゴイムの娯楽場にいるわれらの女性たちによって手ほどきされた。かれ
ら代理人の最後に、私は、頽廃と奢侈に他の者たちを引き込む尖兵である、いわゆる
「社交界の貴婦人たち」も入れておく。<一>

●権力に対する悪口雑言はすべての制度を転覆させる最後の一太刀となる
あとからあとから出てくるおしゃべり屋たちが、議場と行政会議の場を討論会場に
変えてしまった。向う見ずなジャーナリストと破廉恥なパンフレット屋が毎日のよう
に政府当局を攻撃する。権力に対する悪口雑言はすべての制度を転覆させる最後の一
太刀となり、ことごとくが狂乱した群集のめった打ちに会って空中に吹き飛ばされる
であろう。<三>

●自由思想の使い方を知らなければならない
政治的自由は単なる思想であっていささかも事実ではない。が、政権をもっている
党派を粉砕すべく、この思想を餌として人民大衆を自陣に引きつける必要があれば、
その撒き方や使い方を知っていなければならない。その際、相手方が自由思想、いわ
ゆるリベラリズムに感染していれば、そして、思想のためになら喜んで全力を投げう
つつもりがあるならば、仕事はさらにやりやすくなる。<一>

●われわれの政府が承認されると自由主義者や空想論者の役割は終る
われわれの政府が承認されると、自由主義者、空想論者の役割は最終的に終る。そ
の時まで、かれらはたっぷりとわれわれに奉仕し続けてくれる。そのために、われわ
れはかれらの頭をあらゆる種類の空疎な内容の空想的理論、今では進歩的と呼ばれる
理論の方に引っ張り続けている。<十三>

●「自由、平等、友愛」はわれわれの王国では標語としては使わせない
リベラルな言葉、われらがメーソンの標語として効果の高い「自由、平等、友愛」
は、われわれの王国が到来した暁には、もはや標語としては使わせず、「自由の権利、
平等の義務、友愛の理想」というふうに単なる理想主義を表現したものに変える。こ
れがわれわれのやり方・・牛は角を捕えよ・・なのである。<九>

●〝自由〟とは法律で許されたことをする権利である
〝自由〟という言葉には、いろいろの解釈があるが、われわれは次のように定義する
・・自由とは法律で許されたことをする権利である。この定義は通常はわれわれだけ
に役立つ定義である。なぜならば、法律というものが前に述べた計画に従って、われ
われが思いのままに作ったり廃止したりできるものであるから、およそ自由と名の付
くものはすべてわれわれの手中にある。<十二>

●平等思想が一番下の思想であることは動かない
平等思想は自然法則にもとるものであって、平等思想が一段下の思想であることは
動かないところなのである。

●進歩思想は限度というものを弁えなかった
進歩思想は、あらゆる種類の解放運動を激励してきたが、限度ということを弁えな
かったのである……いわゆる自由主義者は、実際はともかくとしても思想に関しては
例外なく無政府主義者である。自由主義者のどの一人も自由のお化けを追い求め、ま
っしぐらに放縦に、すなわち、反対のための反対という無政府主義に陥っている。
<十二>

●人々は階級と身分に分かれなければならない
人々は階級と身分に分かれなければならない……人間活動の実際にはさまざまな差
異があって、平等などというものはありえず、なんらかの行為で階級全体に累を及ぼ
す者と、自分自身の名誉を傷つけるだけの者とは、法律の前では平等の責任を負うは
ずがないということは、万人が心得ておくことが肝要である。<三>

●真理は一つでありそこには〝進歩〟が入り込む余地はない
われわれはゴイムの空っぽ頭を進歩転換させることに成功したことはなかった。ゴ
イムの中には、物質的発明の問題ではない所で進歩を追い求めたところで真理からは
遠ざかるばかりだということが判る人間はいないのである。なぜなら、真理は一つで
あり、そこには進歩が入り込む余地はないのである。進歩、それは誤った推論に基く
思想のようなものであり、神の選民であり、真理の保管人であるわれわれの外には何
びとも知らない真理を覆い隠すのに役立つ。<十三>

●権利にはなんら具体性はない
われわれの権利は力の中に横たわる。〝権利〟なる言葉は抽象的な思考であって、
なんら具体性はない。その言葉は次のことを意味するに過ぎない・・わが欲するもの
を我に与えよ。我が汝らよりも強きことを証せんがために。権利はどこから始まるか?
どこで権利は終るか? 権威の仕組が薄弱で法律が空疎であり、リベラリズムの乱用
により権利を乱発し支配者たちが脆弱となった国家ならどんな国でも、私は新たなる
権利を行使できる・・強者の権利によって打撃を与え、既存の秩序と法規の一切を粉
砕し、すべての機構を再構築し、リベラリズムの中で放棄されてわれわれに残された
かれらの権威ある権利を継ぐ王者となる。<一>

●憲法に書き込んだ大衆に関する権利は虚構である
なべての人民は、奴隷や農奴として縛り付けられていたかつての時代よりもきびし
く、貧困なるがゆえに重い労働の鎖につながれている。なんとかしてかれらはこの束
縛から逃れようとするかも知れないが、この重荷を取り除くことはできず、決して貧
困からは脱却できない。われわれが憲法に書き込んだ大衆に関する権利というような
ものは、虚構であって実際に使える権利などではない。いわゆる「人民の権利」なる
ものは、単なる観念、実際生活では決して実現されるはずのない観念としてのみ存在
することができる。<三>

●信仰心を奪い権利思想を植えつける
人民が王は神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には、なんの不平不満も
鳴らさずに王の専制権力に従った。だが、人民には権利というものがあるという考え
をわれわれがかれらの心に植えつけてからは、かれらは王座に座る者を単に普通の人
間とみなし始めた。〝神権による王〟の聖油は人民が見ている前で王たちの額から消
えうせてしまい、われわれが人民から信仰心を奪った時に、権力の強力な力は飛び散
って公共の所有権となり、われわれがそれを押収したのである。<五>

   ゴイム(非ユダヤ人)

●〝科学が説くところでは〟をゴイムに信じ込ませておこう
かれら[ゴイム]には、われわれが〝科学が説くところでは〟(学説)と吹きこん
だことを後生大事にいつまでも守らせておこうではないか。われわれが一貫して、新
聞を通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させているのは、そのことが目的であ
る。ゴイムの知識人たちはかれらの知識にいい気になり、論理的検証を行なうことな
く科学から得た知識すべてを信じこむだろう。その知識たるや、われらの代理人団た
る専門家が、ゴイムの心魂を手なづけてわれわれが望む方向におもむかせんがために、
巧みに断片を寄せ集めたものなのである。<二>

●われわれはダーウィン主義、マルクス主義、ニーチエ主義を仕掛けた
ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えないでいただ
きたい。われわれが仕掛けたダーウィン主義、マルクス主義、ニーチエ主義が、いか
に功を奏しているかに注目していただきたい。われらユダヤ人にとっては、少なくと
も、これらの指導者たちがゴイムの心魂に及ぼしたことどもを直視すれば、事は明白
であるはずである。<二>

●ゴイムは偏見なく歴史的観察を実際に適用することがない
諸氏もご存知のように、これらわれらの専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現
実の出来事の観察から、われらの政治計画に必要とする知識を体得しているのである。
ゴイムは偏見なく歴史的観察を実際に適用することなく、一連の結果に厳しい批判を
加えることなく空理空論に走る。ゆえに、われわれはかれらに一顧も与える必要もな
い・・時が一撃をくらわせるまで楽しませてやろうではないか。過去の栄光に新しい
形を与える希望に生きさせてやろうではないか。古き良き思い出にひたらせてやろう
ではないか。<二>

●ゴイムが明きめくらだからわれわれの成果が約束されている
こんなにもわれわれがかれらを明きめくらにさせられるというのは、ゴイムの頭が
われわれと比較してお粗末である証拠、それも明々白々の証拠ではないだろうか。わ
れわれの成果が約束されているのは、主にこのためである。<十五>

●ゴイムの底無しの無気力さがわれわれの今日をあらしめた
今日われわれは多国家にまたがる勢力として無敵である……ゴイム人民の底無しの
無気力さ、権力の前には腹這いになって這いつくばるが弱者には無慈悲、他人の過失
には厳しく罪悪には寛容、自由社会制度の矛盾は認めようとしないが思い切った専制
者の強圧に対しては殉教者のように耐える・・われわれの今日をあらしめたのは、
[ゴイムの]それらの特徴に助けられたところが多い。

●ゴイムの生きがいは金を集めることである
かれらの生きがいは唯一、利益、すなわち金を集めることである。かれらは金があ
れば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく拝金教徒と化すだろう。次いで時至
れば、高尚な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただただ特権
ゴイム憎しのために、ゴイムの下層階級は権力をめぐるわれらの競争相手、ゴイムの
知識人たちに逆らってわれらの指導に従うであろう。<四>

●ゴイムはやたらと自説に固執し自説の一時的満足にしか頭が回らない
ゴイムは、通常、かれらの考えを実行する際に、やたらと自分の説に固執し、自説
の一時的満足にしか頭が回らない。しかも、その自説たるや、われわれがかれらに吹
き込んだものであって、本当に自分が考え出したものではないことに気が付きもしな
い。<十五>

●ゴイムは成功さえできれば計画はどうなっても構わないと考えている
際立ってわれわれは計画を実行さえできれば成功不成功を問わないのに、際立って
ゴイは成功さえすれば計画はどうなっても構わない。このようなかれらの心理のおか
げで、われわれは大いにやすやすと思うがままにかれらを操れる。かれらは見た目に
は虎だが中味は羊であって、風が通り抜けて行く頭の持主なのである。<十五>

●われわれの大盤振舞いはゴイムの鼻持ちならぬ自惚れを利用するためである
ゴイムは、物好きからか、あるいは、大きなパイに一口あずかる手段としてメーソ
ンに入ってくる。中には、実現不可能な根も葉もない夢想を実現させるために、耳よ
りな情報を仕入れようとして入ってくる者もいる。かれらは成功と拍手喝采に飢えて
いるが、その成功や拍手喝采こそは、われわれが気前よく振る舞ってやつているので
ある。われわれがそういう大盤振舞いをするのは、かれらが持っている鼻持ちならぬ
自惚れを利用するためである。<十五>

●ゴイムに考えたり留意観察したりする暇を与えてはならない
ゴイムに考えたり留意観察したりする暇を与えないためには、かれらの気持を工業
や商業に向き放しにさせなければならない。そうしてこそ、国民という国民が利益追
求に没頭し、そのあげくにかれらの共同の敵に気をとめなくなるだろう。<四>

   力と偽善

●フランス革命を「大革命」と名付けたのはわれわれであった
フランス革命を想起していただきたい。それを「大革命」と名付けたのはわれわれ
であった。その準備が秘密裡に行われたことを、われわれは熟知している。あの革命
は全面的にわれらの手で遂行した一大事業であったのである。

●国家滅亡の時こそわれらの出番である
国家が内乱によって消耗するか、内部不一致のために外敵の手中に落ちるかでは・
・どのみち、その国は回復できず滅亡するほかはない。その時こそ、われらの出番で
ある。完全にわれわれの手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべる
と、否応なくかれらはそれに縋りつかなければならない。拒めば・・底に沈むのであ
る。<一>

●われわれの到達目標
軍事力増大と警察力強化・・この二つを欠いては、前述の計画を完成させることは
全くできない。われわれの到達目標は、われわれを除いては、世界のすべての国家に
は、プロレタリアート群集とわれわれの利益に奉仕する少数の百万長者と、警察官と
兵隊たちだけがいればよろしい。<七>

●われわれはあと数歩で目標に到達せんとしている
今日、われわれはあと数歩で目標に到達せんとしていると言ってよい。横切るべき
空間はあとわずかを残すのみであり、われわれが歩んできた長い道のりは、今まさに
象徴の蛇の輪を閉じようとしている。その蛇は、わが民を象徴している。この輪が閉
じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は強力な万力によって締め上げられるので
ある。<三>

●われわれの合い言葉は力と偽善である
われわれの合い言葉は・・力と偽善である。……力のみが政治的諸問題を克服する。
暴力は原則でなければならず、新権力の代理人の足もとに王冠を置こうとしない政府
に対しては欺瞞と偽善が鉄則でなければならない。この悪は終局である善に達するた
めの手段にすぎない。それゆえに、われわれは、目的達成のために役立つときは、贈
収賄、詐欺、裏切りをためらってはならない。政治の上では、支配権を握って屈伏さ
せるためならば、躊躇なく他人の財産を奪い取る方法を知っていなければならない。
<一>

●われわれの義務としても暴力と偽善による計画を保持する
平和的な征服の道を進んでいるわれわれの国家は、盲目的な服従を強いるために恐
怖を維持する必要から、目につかないけれども効果のある死刑宣告をもって戦争の恐
怖にとって代える権利をもっている。仮借ない厳しさだけが、国家の強さを見せつけ
る最大の力である。単に利益を得るためのみならずわれわれの義務としても、また、
勝利のためにも、われわれは暴力と偽善による計画を保持し続けなければならない。
<一>

●報復は厳格な教義である
報復主義は使われる手段と同じく、有無を言わさず強力である。それは手段そのも
のであるというよりも、われわれが勝利し、すべての政府をわれらの超政府にひざま
づかせる厳格な教義なのである。われわれは容赦なく不服従というものを根絶するこ
とを、十二分に思い知らせる。<一>

●善とか道徳にはこだわらない
すべての形態の権力が動揺している現在、われわれの権力は、他のいかなる権力に
もまして目に見えないであろう。いかなる狡猾な者もくつがえせない強さに到達する
瞬間まで、われわれの権力は表面には現われないからである。われわれが目下用いざ
るをえない一時的な悪から、確固たる支配という善が顕現する。この善は、自由思想
によって形無しにされた国民生活の仕組を平常の状態に修復するだろう。結果は手段
を正当化する。しかしながら、われわれの計画においては、必要と有効なこと以上に
は、善とか道徳とかにはこだわらないことに留意しようではないか。<一>

●道徳で統治する支配者は練達の政治家ではない
政治は、道徳とは全く関係がない。道徳で統治する支配者は練達の政治家ではない
から、彼の王座は動揺する。支配したいと思う者は・・われわれが所有する新聞に感
謝する・・気付かれぬように欺瞞と偽善との双方を用いなければならない。率直とか
正直とかのような、偉大な国民資質と称されるものは、政治にとっては悪徳である。
それらは支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの、最も強力な敵よりも確実
な破壊力をもつものなのである。そのような資質は、ゴイムの王国の属性でなければ
ならないが、われわれは決してかれらの轍を踏んではならない。<一>

●盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむ
満足すべき行動を練りあげるためには、群集の狡猾さ、だらしなさ、情緒不安定、
かれらの理解力の欠如を考慮に入れ、かれら自身の生活状況、あるいはかれら自身の
福利を顧慮する必要がある。群集の力は、盲目的であり、愚かしく、何かからの暗示
にかけられるがままに動き、道理をわきまえないということを理解しなければならな
い。盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむのは必然である。群集の何人かが天才的な賢
者であったとしても成上がり者であり、政治を理解することはできず、指導者として
前を進めば全国民を滅亡の淵に落としこむのは必然である。<一>

●群集の解決というものは偶然の結果か表向きの多数決によるものである
群衆の解決というのはどれも偶然の結果か、表向きの多数決によるものであり、政
治の裏を知らずに管理の中にアナーキーの種子を蒔くという奇妙な解決を出航させる。
<一>

●人民の政治は自滅するのが関の山である
人民が人民に任せれば、すなわち人民の中から出た成上り者に任せれば、権力と名
誉を追うあまり党派間の軋轢とそこから生ずる無秩序状態に自滅するのが関の山であ
る。人民群集がおだやかに、つまらぬ嫉妬を交えた非難を言いたてずに、個々人の関
心をごちゃまぜにしている国の諸問題を処理することが可能だろうか? 外敵に対し
て自分自身を守ることが可能だろうか? それは考えられない。群集の頭数と同じだ
けバラバラになった計画が、一切の同質性を失って理解を絶し、実行不能となるから
である。<一>

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