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即効性の高い対処法《作成中》

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(2016/02/15)

カルト信者・防犯集スト犯は証拠が残ることを特に恐れている

集スト犯はバレなければ犯罪にはならないと本気で信じている

監視や嫌がらせ・虐待・拷問犯罪の司令塔となるような主犯格の集団ストーカー犯罪者・強制尾行犯罪者は、自分たちが行っていることが犯罪であることを理解していますので、そもそも人前に姿を現しません。しかし、実行犯は姿を現していることが多いです。

実行犯となる加害者は、自分が犯罪に加担していることを理解していないことすらあります。しかし、多くの加害者は、犯罪行為に加担しているという現実をそれなりに理解しているようです。実行犯は、犯罪行為や社会的不正行為であるということある程度まで理解しているにもかかわらず、それらを理解した上で、それでも犯罪に加担することをやめないという事実には、被害者からすると理解に苦しむ部分があります。

なぜ悪いことをしていると知りながらも、加害者は犯行を続けるのでしょうか。全体としては、真の犯罪者である主犯格の犯罪者が、うまくだまして加害者を利用できる状態を作り上げているということになります。そのだまし方は、非常に巧妙なもので、利益や報酬を与えたり、逆に犯罪に加担したことを弱みとしておどすようなことをしています。

それらの首謀者が加害者を利用する仕組みのなかで、加害者を最も安心させているものが、見つからなければ犯罪にならない、バレなければ大丈夫だという信仰のようなものです。多少悪いことではあっても、見つからないので、逮捕もされなければ、責任を問われることもない、そもそも非難すらされないのだから、加害行為である監視や嫌がらせを続けても問題は起こらないのだ、と信じ込ませているのです。

証拠の確保 … バレないという集スト安全神話の崩壊

この集スト犯罪を成立させる説得法を破綻させることが、加害者への監視や嫌がらせ・虐待・拷問犯罪防止に効果があります。それが証拠を残すことです。

公安や警察などは特に写真を撮られることを恐れています。それ以外のカルト学会員も証拠を取られることは恐れています。いくら言い逃れをしても、ごまかしようのない証拠として、写真は恐れられています。安全な犯罪だから手伝っているのであって、安全でなくなった、単なる犯罪としかいえないような行為の手伝いをするのは、いくら加害者でも断るようになります。

写真や映像を撮られることは、公安らしき人間の隠れ工作ブログなどを見てもあきらかです。写真や映像をとらないように、何度もしくこく主張しています。公安らしく人物の主張では、ノイズキャンペーンや思考送信などは、電磁波技術などで遠距離から行っているので、被害者の近くには犯人はいない、そのため写真や映像を残しても無駄だといった論法になっていました。必死の主張から、写真や映像証拠を恐れていることが伺われます。

本当に公安の隠れ工作ブログなのかという点は、確証はありません。しかし、ブログ内で繰り返し行われている主張が、最終的に公安などの強制尾行犯や集スト犯に利益をもたらす、「証拠をとるな」、となっていることから、被害者を守るためのもブログというより、犯罪者の安全を確保するためのブログであることが予想されます。書き手の人が、公安に所属していようが、ほかの組織の人間であろうが、目的が犯罪者保護を含んでいますから、犯罪者側の人間であることには変わりないことでしょう。

証拠を残す具体的な方法

証拠を残す具体的な方法ですが、所かまわずカメラを向けるような極端な方法をとると、さすがに加害者側も、撮影禁止であるとか、プライバシーの保護などと主張してくることがありますので、携帯電話やスマホでかまいませんので、少しずつ写真を撮る素振りを見せていき、たまに接近した状態で写真をとるなどしていくとよいでしょう。

デジカメがあるなら、外出じには首にぶら下げるようなこともよいでしょう。

最も強力なのは、映像を録画できるハンディカムのような携帯ビデオレコーダーや自動車内から常時撮影するドライブレコーダーなどの録画機器です。店内などでは、さすがに撮影許可をとる必要があるかもしれませんが、屋外であれば、通常は撮影許可は必要ありません。過度にプライバシーを侵害するような場合を除けば、ほとんど問題とはならないでしょう。文句を言ってくるのは、集スト犯くらいのものでしょう。

撮影全般の注意ですが、多少焦点が合っていないピンボケ写真でも、逆光で移りが悪くても、暗くて何も見えなくても、撮影された側の犯罪者にとっては、自分の顔がはっきり映った証拠写真をとられたかもしれないという強い危機感を与えることができます。いずれ裁判で使うときに役に立つように気を付けるよりは、撮影の質はあまり気にせず、とにかく怪しいものはすべてカメラに収めるようなつもりでとりまくってしまったほうが効果的でしょう。

嫌がらせ・虐待・拷問犯罪の凶悪化を防いだ後は、犯罪者の健全化

被害者が写真や映像の記録機器を持ち歩くことは、加害者からすると防犯カメラが歩いているような強力なストレスを与えることができます。実際には、カメラを持ち歩くと、かなり早い段階から、加害者は被害者の前に姿を現さなくなります。あまりにもあからさまな嫌がらせ・虐待・拷問犯罪を行う犯罪者がいる場合は、犯罪者の目に付くようにカメラやビデオを持ち歩くことで、犯罪者を被害者から見えない場所へ追いやることができるでしょう。嫌がらせ・虐待・拷問犯罪自体は、被害者から見えない場所から行うようになりますので、すぐに被害がなくなる訳ではありませんが、目に余るような犯罪が行われていた状態からくらべれば改善したと判断してよいでしょう。

あまりにもひどい嫌がらせが行われるという危険を回避した後は、次の対処法へ移行すべきでしょう。次は、犯罪者が犯罪を行わないよう健全化を試みるべきでしょう。

集スト犯罪では、すべての物音をノイズキャンペーンであるかのように、あるいはすべての人の行動がほのめかしなどの嫌がらせと感じるように、心理的に仕向けるような心理誘導を長期的に行っています。それぞれの嫌がらせには、合法的というとおおげさですが、単なる笑い声や咳払いなども悪用されますので、それらのすべてを行わせないようにするには限界があります。結論からいうと、ノイズキャンペーンやほのめかしを完全に防ぐことはできません。巨大な富と権力を手に入れて、無人島に自分だけの楽園を作るようなことをしない限りは、偶発的に発生する音や人の声をなくすことはできないでしょう。

それではどうすべきかというと、犯罪者には監視や嫌がらせ・虐待・拷問犯罪を行わないような健全化策、相談や対話、和平交渉、人権教育のようなもの行い、被害者はすべての物音や声を嫌がらせ・虐待・拷問犯罪であると誤解しないよう努力し、自らを鍛えるべきでしょう。

集スト犯や強制尾行犯のことを、被害者は犯罪者扱いしていますが、彼らは自分たちのことをまともな人間だと考えていることが多いです。悪いことを、悪いことであると理解して行っているとは限りません。話し合いのできる可能性があるのであれば、話し合うことで、お互いの妥協点を探り、お互いが発展するような未来を選択できることも期待できます。

犯罪や殺人、戦争などにもルールがあるように、集スト犯にも従っているルールというものがあります。それは必ずしも極悪非道なルールという訳でもありません。被害者と加害者は、集団ストーカー問題をきっかけに敵と味方に分かれてしまいましたが、もともとは同じ人間です。同じ家族、同じ組織、同じ地域、同じ社会に属していれば、敵味方に分かれることもなかったことでしょう。人間には生まれながらにして持っている、人類共通の普遍的な価値観というものがあります。人間であれば誰でも、根本的な発想や感じ方は共通していますので、理解しあえる可能性は十分あります。

ISのテロ主導者は「和平交渉に応じるな」と言い、北朝鮮は「他国からのデマを信じるな」と国民に教えてます。創価学会もマスコミのデマを信用するなと信者に教えています。これらのことが行われるのは、話し合いや正しい情報によって、組織の嘘が発覚することを恐れているからです。彼らのような人間であっても、人類が持つ共通の普遍的価値観が存在することを知っていて、それを知られることを恐れているのです。特殊な思想統制やマインドコントロールを受けた人間であっても、正しい情報を知ることで、間違いを正すことはできます。

話し合いは世界中で日常的に行われている、人類にとって必要不可欠の行為となっていますが、集団ストーカーの解決にも重要な役割をはたすことでしょう。集団ストーカーの最終的な解決は、天才科学者が電磁波攻撃を完全に防御する方法を発明するような、技術的な方法ではなく、話し合いによる相互理解によって実現することでしょう。(2016/02/15)

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