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目次 > 自説と諸説 >
自衛とは悪人へ対処するということ
It_s_said_that_they_handle_a_bad_person_with_self-defense, 2016.9.17
理想論ではなく性悪説に基づく犯罪対策のようなもの
自衛の意味を誤解している人もいるかと思いますので、改めて自衛という言葉の意味について説明しておきます。
自衛、つまり身を守るということは、そもそも善人相手ではなく、悪人相手の対策です。よい人は他人の財産や権利を侵害することはありません。よい人が間違って他人の財産や権利を侵害することがあっても、落ち着いて話し合えば両者が納得できるかたちで解決できるものです。
このように自衛というのは、集団から善人を除いて残った悪人だけを想定した考え方なのです。
悪人を想定する訳ですから、反戦や反核などという理想論ではなく、性悪説に基づく、悪人・犯罪者対策と考えるべきです。悪人に対処するには、具体的な実力による抑止力や反撃力の強化が必要となります。
他人の財産や権利を侵害する悪人の考え方や行動は、相手から反撃を受けないなど、相手が怖くないということがその前提となっています。相手が怖くない、悪いことをしても見つからない、逃げられるといったことが悪いことをする前提条件となっています。
例えば、子供のけんかでも、力の強い子供が力の弱い子供へ、子供社会における不正行為となる嫌がらせを行っています。大人の世界でも同じで、力の強いものが弱いものへ嫌がらせを行います。このときの力となるのが、政治権力、経済力、軍事力などとなります。
大人も子供も自分が怖いと思う相手には嫌がらせをしません。報復や仕返しされるのを恐れているからです。
人には本能的に競争意識というものがありますので、人の住む世の中から争いごとそのものをなくすことはできないでしょう。だからといって世界中の国々が過剰な軍事力を持つ必要はありませんが、この世の中に悪人がいて危険がある以上は、自衛のために実力をつけることは仕方のないことです。
仕返しされないのをよいことに不正を働く悪人へ対処するには、誰かが助けてくれるのを待って我慢するよりも、対抗できる実力を身につけるのが一番確実な方法となるでしょう。多少遠回りになりますが、不正を許さないルール、法令を作るというのも有効です。公正なルールはより多くの被害者を救うことになるでしょう
被害者こそがこのような努力をすべき主役である、というのが被害改善責任論の趣旨でもあります。2016.9.3, 2016.9.17