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加害勢力の目的は警察国家実現のための法整備《作成中》
防犯・安全保障を建前に警察・自衛隊権限を強化
The-purpose-is-legislation-for-police-state-realization, 2019.3.3, 評価(B)
加害勢力が集団ストーカーという馬鹿げた犯罪と実験を行う最大の理由は、防犯や安全保障を建前にした警察・自衛隊権限の強化です。法整備でもこれが主な目的となるなるはずです。これはつまり警察国家や監視国家を目指した動きで、戦時中に天皇の警察を名乗っていた特高警察のように、強制逮捕からの獄中死という強烈なおどして私たち市民を恐怖支配しようというものです。 2019.3.3
集団ストーカーを規制する法整備を考える前に、加害者が何を考えているかというのをページトップで説明しています。
もう少し説明すると、集スト被害者や加害者となっている防犯活動参加者たちは、警察国家につなげるための下準備として実験データを取られているという部分があります。
加害者側としても、警察・自衛隊が市民の強制逮捕できるようにする法令を整えるのはかなり難しいと考えて、逮捕しなくても私たちを支配できるような方向で犯罪と実験を続けているのでしょう。
ですが、加害者側の目的が警察国家化・監視国家化であることは明らかです。加害者側もそれを目標に日々の犯罪や実験を続けているはずです。
こういう現状ですから、被害者が善意で法制化したはずの法令が不当な解釈をされ、犯罪やその正当化に悪用されてしまう恐れもあります。
加害勢力が、警察国家や監視国家を実現しようという最悪の事態が訪れたときは、集団ストーカー被害者が大量に逮捕され、私たちの受けた犯罪の記録が警察や自衛隊の防犯・安全保障活動の実績として高らかに主張され、国会で関連法案が可決されていくことになるだろうと思います。
マスコミでは女子アナが「一見、普通に見える人たちの中にこんなにも犯罪者がいたんですね。これでは私たちの安全のために政府が国民を監視対象とすることもしかたありません。また警察や自衛隊が監視をしても犯罪性がなければ市民の生活を妨害するようなことはないので心配はありません。」いった感じのことを言い出すはずです。実際にはその裏で不当な強制逮捕劇が繰り返されるはずです。
日本の警察は容疑者を逮捕すると、実質的に監禁して持久戦に持ち込み、警察の決めた罪を認めるまで解放しないという、前近代的なシステムで犯罪捜査を行っています。捜査ではなく犯罪の強要です。監禁のことを拘留といいますが、理由は逃亡と証拠隠滅の恐れがあるということで、どの容疑者にも常に当てはまる理屈となっていて、無限に延長できます。拘留延長については一応裁判所が判断することになっていますが、裁判所が警察の申し出を断ることはまずありません。
そのようなことにならないためにも、私たち集団ストーカー被害者は暴発などせずに、自分たちの正当性と政府の防犯活動の犯罪性を周知していかなければなりません。
繰り返しになりますが、政府や警察は最後には自分たちの命令に従わない一般人こそが犯罪者なのだ、といった極端な主張をしてくるはずです。この支配思想を国民に受け入れさせるための社会制度が警察国家であり監視国家なのです。
今のところの被害者側の法整備の基本路線としては、集ストを規制しながら、同時に悪用させないような法令を目指すべきだ、ということになります。
残念なことに、現行の迷惑防止条例や名誉毀損など判断は、加害者ではなく被害者を裁く口実に悪用されています。加害者は基本的には法令の解釈を変えることで都合がいいように使っています。
その準備としてあらかじめ例外や矛盾した法令を作られているともいえます。できれば、互いに矛盾した法令も改正していきたいところです。矛盾を容認する法体系を根本的に否定して、矛盾を認めない公正な法体系にどこまで近付けるかがポイントとなります。
なかなか難しい問題ですが、警察や裁判所、あるいはマスコミなどに悪用されないような法整備を進めることが理想となります。
さらにいうと、本当は法律の問題よりも、法的判断や解釈を変えることで勝手な運用ができてしまうところに問題があります。どんなに公正な法令があっても、誰も守らないのでは意味がありません。
これはシオン長老の議定書に載っているシオニズムのひとつで代表的な支配層戦略のひとつでもあります。これはいわゆる恣意的な法解釈というものですが、海外では国民からの非難が殺到して、支配層が勝手なことをするのを止めたりすることもあります。
ですが、日本では集ストや村八分のような政官民一体の集団的圧力でにぎりつぶされているのが現状です。日本の集団的圧力の原型は学校社会のイジメにあって、日本人は小さいころから集団的圧力には勝てないという文化を植えつけられているようです。
もちろんこれも社会的に仕組まれた支配層戦略となっています。つまり、支配層がわざとそういう状態を作って人々の支配に悪用しているのです。
それでは私たち市民に勝ち目はないのか、というと、そんなことはありません。人は社会的な生き物で、生まれもって悪事を続けることができないようなっている生き物だからです。
シオン長老の議定書にも“同類の者を殺すことは悟りの境地への道を妨げるので奴らは決して高い境地にはたどり着けない。”といったくだりがあります。この意味は仲間の命を奪うことだけを戒めているのではなくて、人間には破ってはいけない普遍的なルールがあって、それを破る者は高い知性や幸福は手に入らないといった意味合いではないかと思います。
そしてこれが人間にとっての真実だと言いたいのではないかと思います。
それではどうやって悪いことをすればいいのかというと、自分ではなく他人にやらせろといったことを教えています。ユダヤ人はホロコースト含めて歴史上何十回も弾圧されてきましたので、それを恐れているのか、合法的に悪事を行うことを心がけているようです。
集ストでは少し防犯チラシを配っただけでも、加害者が明らかに減ることが知られています。全部ではありませんが、加害に協力していた一般の人たちが一斉に手を引いたのだろうと見られています。
そもそも加害行為には防犯などの正義を主張して一般の人をだますという手法が使われています。悪いことをするために悪いことをさせているのではなくて、悪いことを良いことだとだましてやらせているだけです。
なぜそういうことになっているかというと、人は基本的には悪いことをしないからです。集スト犯罪者には集ストを犯罪だと理解しながら部落やカルト組織などの仲間のために、あえて悪いことをしている人間もいますが、その数は思いのほか少ないようです。
ここに犯罪を解決するチャンスがあります。基本的には集ストが犯罪だと加害者に理解させていけば、参加者や協力者はどんどん減っていくはずなので、犯罪は続けられなくなるはずです。犯罪だと分かってもやめられないほど強い洗脳や社会的な隷従を強要されている加害者もいるのですが、それはまた別の対処法を考える必要があります。
犯罪の周知や、もっと直接的に加害者に犯罪性を自覚さえることは、地味な活動のように思われているかもしれませんが、最初から最後まで続けていく必要のある重要な活動といえます。 2019.3.3
関連
法の支配洗脳詐欺
参考
集スト廻しの日常性 府中市近隣騒音トラブル事件② 2015/12/4 2019.3.3