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ゲーム至高遊戯について

about_computer_game_expert_playing, 2016.10.15, 評価(D)
至高遊戯とは何か、ゲームをどう楽しむべきか。 2020.1.25

更新履歴

趣味としてゲームを楽しむ意義 追加 2020.1.25


目次

どうせ遊ぶなら

ひとつのことしかしないのは返って効率が悪い

プロゲーマーやプロ批評家など

趣味としてゲームの利点


どうせ遊ぶなら

人生とは遠泳のルーティンワーク、生きてる限り終わらない繰り返し作業のように思えることもあります。しかし、いたるとこのに変化や発見があり、試行錯誤を繰り返していくというのもまた人生のひとつの側面です。

たかがゲームとはいえ、どうせやるのであれば、その時間はよりよく楽しんだほうがいいです。ここでは、ゲームの感想やプレイ日記、ネットなどゲームをとりまく周辺環境などを通じて、ゲームのよりよい楽しみ方を考えていこうと思います。 2016.10.15, 2020.1.25


ひとつのことしかしないのは返って効率が悪い

このサイトではゲームはあくまで趣味のひとつ、余暇の過ごし方のひとつとして扱っています。とりたててゲーム自体を推奨している訳ではありません。

趣味や娯楽というのは何でもよいのですが、人生で何かひとつのことだけに打ち込み、それ以外のことをまったくしないというのは、返って効率が悪くなります。

たいていの場合、人生というものは自分の思い通りにはならないものです。人生のすべてをかけて何かひとつのことに集中してしまうと、挫折や失敗したときに、大きく判断を誤ってしまうことがあります。

人は何かひとつうまくいかないことやできないことがある度に、こんなこともできないのではこれ以上続けても意味がない、何のためにやっているのか分からないなどと、ついあきらめるための言い訳を考えてしまうものです。

それまではすべての努力をそのことに費やしていたのに、逆にすべてを否定しまうような極端な行動をとってしまったり、うまくいかない現実を前にすべて投げ出してあきらめてしまうような判断をしてしまいがちです。

このような否定的な判断に傾いてしまった自分を、いったん冷静な状態に戻すためには、時間を置いたり、何かきっかけがあると冷静になりやすくなります。

私たちは自分の人生として、夢や特定の職業などを目標にかかげ、努力するようになる訳ですが、それらの目的が実現する保障はありません。

目標を実現するため努力するということは、初めから絶対に勝てるとは限らない勝負を挑んでいるということでもあります。うまくいかないというのは、ありきたりなことです。

あきらめるのは簡単ですが、あきらめるタイミングや判断は難しいです。本当にあきらめるべきなのかどうかという将来に関わる判断は未知数なものが多いからです。

うまくいくような方法を見つけたり、そのための実力を身につけるというのが、目標をかかげる人のやるべきことなのです。

人生の目的を実現するため頑張っている人が、あきらめたり投げ出したりしないで目的に近づけるよう、趣味や娯楽で自分に戻る時間を持つことをおすすめします。

そのひとつとしてゲームという選択肢について考察するというのが、ここで扱っているゲーム至高遊戯の本質です。

< 参考 >
生きる意味や目的が分からないときに、心と人生を整理できる考え方 - NO LOVE, NO TEAM


プロゲーマーやプロ批評家など

息抜きとしてのゲームプレイとは逆に、ゲームプレイに人生のすべてをかける、という人もいるかもしれません。

ゲームメーカーや、最近ではプロゲーマーのような職種もあるようですが、そういったすでにある職種についている人は例外ですが、一般の人がゲームにすべてをかけた人生を送るというのは、あまりおすすめできません。

しかし、止めはしません。それもまたひとつの人生のかたちなのかもしれません。そういった自由も私たちには認められています。

メディアではプロゲーマーという職種が紹介されています。多くはスポーツのように賞金をかけて戦うかたちになっています。実際に観てみるとスポーツ観戦のような印象で、かなりスポーツに近いものでした。

プロゲーマーのプレイの説明は解説者が行いますので、解説・実況あたりもプロ化・職業化しているのかもしれません。職業ユーチューバーとしてゲーム実況で生計を立てている方もいるようなので意外と道は開けているのかもしれません。

何事も極めていき頂点に近付けば、社会的な価値が生まれ経済的にも特別な価値が出てくるものです。ゲームビジネスがより広まっていくにつれて、ゲーム評論のような分野でも利益率が高まってくるはずです。

文章力や話術・トーク力なども高めないといけないでしょうが、「あの人のゲーム評論はすごく信頼できる」、といったような評価が高まれば、雑誌の編集者などにならなくても職業として成立する日がこないとも限りません。

今ある職種としては、ゲーム雑誌の編集者や作家がこれに近いですが、彼らは基本的には宣伝目的で記事を書いていますので、ゲームメーカーなどの販売側から、ある程度独立した評価組織の需要自体は存在するだろうと思います。

インターネットではゲーム実況動画やプレイ動画が大量に公開されています。これらのなかの娯楽性、エンターテイメント性が高い、いわゆる面白い実況者やプレーヤーたちのなかにも、今後のビジネスチャンスは秘められていることでしょう。 2016.10.15, 2020.1.25

< 参考 >

趣味や余暇の過ごし方としてのゲームのすすめ
休息は必要、単一活動のみの継続は安定性に欠ける

FF12至高遊戯
リマスター記念、改善案と所感


趣味としてゲームの利点

人は大人になると自分ができないことをやるという機会が減ってきます。大人の社会ではできないことを引き受けた挙句に失敗しては大問題になってしまいます。

できないかもしれないなら、その旨をちゃんと説明しておかないといけません。そうしないと大人の通信簿的な社会的な評価や信用がガタ落ちしてしまいます。

失敗してもいい何かにチャレンジしつつ楽しむことができるという点でゲームは優れていると思います。ゲームも日々進化を続け遊びの幅も広がっていますので、今後更なる普及が見込まれます。

そういう状況で程よくゲームと関わっていくことは現代人のライフスタイルのひとつとして認められ普及していくのではないかと思います。

現代は増税・悪政で庶民は貧困時代に突入しています。値段の割には長く遊べるゲームや無料ゲームなどをうまく活用できるようになっておくと人生の豊かさも変わってくるだろうと思います。

趣味というのは生活のメインにすべきものではなく、あくまで生活の隙間を埋める緩衝材のようなものだと思います。

趣味としてのゲームは手軽ですし、ひとりでも複数人でもできて遊びの幅も広いので将来有望な趣味のひとつとして認知されていくだろうと思います。

一般的にはゲームとしてひとつのもののように扱われていますが、コンピューターの作り出す映像や音声、それが存在する世界は無限の可能性を秘めたヴァーチャル空間になっています。

人間が見聞きするものの大半はコンピューターで再現できるだろうと思います。まさに無限の可能性を秘めています。IOT化が進めば物の動きや通信を利用し、レジャー施設のアトラクションが自宅で体験できるようになったりするだろうと思います。

従来型のゲームでも普段の単調な生活では味わえない緊張感や駆け引き、手軽さやリスクの小ささ、全体としての達成感などが味わえます。この点だけでもゲームは他の趣味よりもかなり優れていると思います。 2020.1.25



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