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電通の天皇感

電通トップは天皇と呼ばれて喜んでいる時代錯誤者

tenno_sense_of_dentsu, 2016/01/03



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電通トップは天皇と呼ばれて喜んでいる時代錯誤者

日本のトップは誰か

電通トップは天皇と呼ばれて喜んでいる時代錯誤者

在日勢力、創価学会は宮内庁長官などを務めており、天皇を影から支配することで日本を支配しようなどと、本気で考えているような人間の集まりです。電通のトップ、成田豊は中学3年まで、韓国ソウルで育てられ反日教育や韓国文化を植えつけられているそうです。電通では最高権力者であるトップの人間を、電通の天皇と呼んでいるそうです。

日本人は組織のトップを天皇とは呼びません。日本が天皇主権であったのは戦前、太平洋戦争のころの数十年という短い期間だけで、それ以前は何百年も天皇は主権者というほどの権力は持っていまでした。このことは日本の歴史をみればあきらかであり、日本人であれば、誰も天皇が日本の頂点だなどとは思っていません。電通はなぜトップを天皇と呼んで喜んでいるのでしょうか。

これはおそらく韓国や海外文化の影響でしょう。英語では昭和天皇のことを、エンペラーヒロヒトと呼びます。天皇は英語ではエンペラー、皇帝と訳されているのです。これは現在も変わりません。第二次世界大戦の戦犯の2トップは、世界的には、ヒトラーとヒロヒトということになっています。この天皇は、エンペラー、つまり皇帝にあたると信じているのが、韓国で反日教育を受けた電通トップの考え方なのではないでしょうか。

日本語の皇帝という言葉は、中国の始皇帝などに由来し、その後、英語のエンペラーの意味が付け加えられたのでしょう。日本文化では天皇は皇帝には含まれません。なぜ、この程度のことも理解できないのでしょうか。電通トップの天皇感も日本感も的外れで、到底、現実を理解できているとは考えられません。単なる外国人旅行客などと大差はありません。

日本のトップは誰か

天皇がトップでないとしたら、なんと呼ぶのが正しいのでしょうか。征夷大将軍、将軍様などと呼べばよいのか、と考えると、それも日本人の感覚には合わないでしょう。強いて言うなら、日本にトップはいない、その時々に政治的リーダーは存在しましたが、この役職が日本のトップである、というような肩書きは存在しないのが日本人の考える日本という国のあり方なのではないでしょうか。

かつて戦国時代に天下を制した豊臣秀吉ですが、彼の死後、まだ天下を統一していないにもかかわらず、徳川家康は、朝廷、つまり天皇側から、征夷大将軍という肩書きを得ています。日本文化は、肩書き自体よりも、実質に重きを置くような文化とみてもよいかもしれません。

それでも政治権力に近い関係者であれば、肩書きを重視していたことでしょうが、それ以外の人々はそれほど価値を感じていなかったのかもしれません。第二次世界大戦のときのように天皇を神とあがめて国威を高揚させていたこともありますが、今ではすっかり民主化されています。

この政治システムの変更によって簡単に変わってしまった日本国民の意識をみると、はじめから被支配意識、誰かに依存しているような意識は、日本人はあまり持っていなかったのではないかという見方もできるのではないでしょうか。ルールが変わったらそれに従うだけ、といった牧歌的な印象があります。

この牧歌的印象は日本だけでなく、世界的に、庶民というものはには、往々にして政治にこの程度の印象しか持っていないという共通点があるのではないでしょうか。世界を支配しているなどと誤解しているのは、ときの権力者だけで、庶民は何とも思っていないということは、よくあることでしょう。(2016/01/26)

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