「戦後の1951年に日本は西側連合国との間に「サンフランシスコ講和条約」を結びました。
この条約において日本は、第二次世界大戦前に領土としていた台湾や朝鮮、南樺太、千島列島の放棄を認めます。
当時の日本の代表だった吉田首相は「歯舞、色丹は千島ではない」と説明し、択捉島と国後島に関しては「前から日本の領土」とするに留めました。
方や当時の外務省の見解は、1951年10月に「放棄した千島列島に国後島、択捉島も含まれる」と答えるなど一貫していない状況があり、日本の中でも「千島列島」の定義に齟齬が生じていました。」
引用元:条約に見る北方領土・プーチン外交でロシアの勝利か? 2018/11/19 2019.3.5
「その後の1956年に「日ソ共同宣言」が発表しました。
これによってようやくソ連と日本の戦争の状態が終ったこととなり、国交も回復されることになりました。
このとき北方領土については、ソ連は歯舞群島、色丹島の「二島返還」のみを主張、日本は「四島返還」を求め平行線でした。
そこで政治的な妥協として、「ソ連は歯舞群島及び色丹島を日本へ返還することに同意するが、それは平和条約の締結の後とする」という表現となりました。」
引用元:条約に見る北方領土・プーチン外交でロシアの勝利か? 2018/11/19 2019.3.5