精神医療の判断基準となる元となる医学の問題

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精神医学は疑似科学

精神医学は疾患を定義をさけつつ精神障害の定義を増やし続けることで病気の概念を捏造し続け、製薬会社に暴利をむさぼらせています。

どこが悪いのか、どうしてこうなっているのかを分かりやすく説明します。 2021.2.1

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medical-problem-to-contribute-to-become-the-criterion-of-the-mind-medical-care, 2021.1.31, 評価(C)

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精神医学は疾患を定義しない疑似科学

向精神薬の過剰投与に悪用されるあいまいな診断基準



関連・参考


精神医学は疾患を定義しない疑似科学

まず第一の問題は精神医学が病気の客観的な定義ができない疑似科学であるという点にあります。

医者が「よく分からなくても患者がいるのだから診察しなければならない」と考えてれば実に人道的な名医の意見のようにも思えます。

ですが、実際には客観的な根拠がない状態なので、何が病気か分からない状態で診察を続けています。

一応は脳の機能障害という扱いにはなっているのですがドーパミン仮説などはすでに否定されているので、やはり疾患(病気)であるという根拠のないまま対応しているのが精神医療の現状です。

精神科医は原因もよく分からないまま世界的な精神病の定義を信じて、「統合失調症ではないか?」、「うつ病の症状ではないか?」などと予想して診断しています。

そもそもDSMなどの定義では精神病は障害や症状のことであり、疾患として定義されていません。

DSMは精神的な病気の定義ではなく障害や症状の分類にすぎないのです。

日本では特に病気とは定義されないまま症状が精神病という疾病(病気)として格上げされて大げさに扱われています。

ここに根拠のない飛躍があり、症状を疾病にすり替えることで精神医学や医療が正当化されている状態にあります。

疾患とはいわゆる病気のことですが、疾患の定義には客観的に判断できる条件が必要になります。

そのため脳のどの部分がどうなっているかといった客観的な判断のできない障害あるいは症状だけで疾病と判断することはできません。

それなのに症状を疾患とすり替えるという根拠のない過大評価が精神医学・医療の世界では堂々とまかり通っています。

さらに問題なのが精神病の判断は精神科医が行うことになっており、そのとき診察した医師のさじ加減ひとつで病名が変わってしまいます。

医師の判断能力を確かめる実験で同じ患者を複数の医師に診察させるという実験が行われたことがありました。

そのときの結果では同じ患者に対して複数の医師がそれぞれ違う病名を上げました。

精神病を判断する専門家の医師ですら意見が分かれ、それがどの精神病なのか判断することができなかったのです。

精神病の定義があいまいなのだから、正しい病名など特定できるはずがありません。

初めからよく分からない判断基準の元、あいまいな診断がなされているのが精神医療の現実です。

イタリアには精神病院がないという話が有名になりつつありますが、特定できないのであれば単に疑われる状態にあるというだけですから、まだ病気だと決めつけるには証拠が不足しています。

イタリアのように精神病の診断をしないほうが正しい選択肢に近いと言えるでしょう。


向精神薬の過剰投与に悪用されるあいまいな診断基準

たとえば「DSM」(精神疾患の診断と統計マニュアル)というアメリカの精神科診療基準に関しては、製薬会社と癒着の深い精神科医が、多数決やその日の気分で診断基準を決めた、というエピソードが残っているくらいである。

引用:内海聡著『精神科医は今日も、やりたい放題 医者が教える、過激ながらも大切な話』PHP文庫

診断基準の決定は他にもワインを飲みながら多数決で決めたなどのエピソードが残っており、いかにいい加減に決めらたものかがうかがわれます。

ギリシャ時代のサミットはお酒を飲みながら話し合う宴会だったそうですが、2千年前のサミットさながらのいい加減さです。

さらにDSM第四版で編集委員長を務めたアレン・フランエス医学博士は、次のDSM第五版について次のように述べています。

「『DSM(第五版)』は(中略)とんでもない処方にもつながりかねない未検証の新たな診断の導入である。こうしたレッテルを貼られた(しかも多くの場合、誤ったレッテルが貼られているのだが)子どもたちに、抗精神病薬が何らかの利益をもたらすという証拠は、どこにも存在しない。

引用:内海聡著『精神科医は今日も、やりたい放題 医者が教える、過激ながらも大切な話』PHP文庫

DSMが第四版から第五版に刷新されるときもかなりのあいまいな精神病名がふやされたということです。

DSMは現在認められつつある同性愛すら精神病として定義していたほどその診断基準はあいまいなものです。

診断基準となる以上は明確な基準を定義すべきであり、それが定義できないのであれば「可能性がある」といった程度の予測の範囲の診断に留めておくべきです。

科学とはいつどこでも誰にでも起こるような客観的な基準のみを基準とすべきであり、それができない精神医療は科学とは言えません。

そのときの医師個人の判断に任されるような診断はまったく科学的ではなく、政治や宗教の世界のようなものです。

客観的な判断基準を持たない以上は精神医学を科学に分類することはできません。

科学のふりをした偽物、疑似科学と言わざるをえません。

客観的な診断基準もないまま科学的な診断のふりをして効果があるかどうか分からない薬を向精神薬と称して投与し続けるなど狂気の沙汰としか思えません。 2021.2.4



参考

※資料1:内海聡著『精神科医は今日も、やりたい放題 医者が教える、過激ながらも大切な話』PHP文庫



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