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他人を支配したがる人たち

他人を支配したがる人たち

文庫 他人を支配したがる人たち (草思社文庫)
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第9章 人を操り支配する戦略と手法


・矮小化

矮小化という手口は、後述する「合理化」とともに用いられる彼ら特有の否認の方法だ。攻撃性パーソナリティが矮小化を行うとき、本人は自分の行動は人から言われるほど悪意のあるものでも無責任な行為でもないと言い張る。つまり、自分のやったことなど取るに足らないものに見せかけようとするのだ。

・虚言

嘘を口にされてもそれが嘘とはなかなか見抜けない。だが、よくしたもので状況が嘘を支え切れず、やがてその嘘にもほころびが生じて真実が露見することがある。もっとも、それと気がついたときにはすでに手遅れという場合も少なくはない。

マニピュレーターの嘘から逃れる方法のひとつとして覚えてほしいのは、どのようなタイプであれ、攻撃性パーソナリティーは目的のためならどんな手段も辞さないので、相手はかならず嘘をつく、かならずこちらをあざむくものと考えておくのだ。さらに、マニピュレーター、すなわち潜在的攻撃性パーソナリティーにはその本性として、嘘と判別しがたい巧妙な虚言を口にする傾向がある。

・否認

ここで言う「否認」とは、悪意から人を害し、あるいは傷つけるような行為におよんだのが明らかにもかかわらず、攻撃した本人がその事実を認めるのを拒むのを意味する。この「否認」とは、攻撃的な意図をどうあざむくのか(それは他者と同時に自分にも向けられている)というその方法なのだ。

・選択的不注意(あるいは選択的注意)

「選択的不注意」とは、相手の警告や申し立て、願いをわざと無視することであり、自分の目的の妨げになる部分、あるいはそのようなものすべてに対して注意を払うことを拒むことをいう。「そんな話は聞きたくもない」というそぶりを見せても、拒否している当の本人は相手が自分にどうしてほしいのかは十分に理解している。だが、こうしてほしいと請われても、この「選択的不注意」を使えば、こちらに注意を向けろという命令にしたがう必要はなくなり、他人がどうにかしてほしいと願う自分の行動を慎む必要もなくなる。

・合理化

攻撃者が不適切、あるいは人に害をなすと自分でもそう考える行為を行う場合、その口実のために用いられる手法が「合理化」だ。理屈にさとい良心的な人でさえ、相手が唱える説明や正当性にたやすくだまされてしまうほど効果的な戦術だ。
合理化にそれほどの効果があるのは、これによって攻撃者自身が内心で感じている抵抗感が除かれ(もしも良心があれば、いかなる良心も黙らせる)、相手の口出しも封じることができるからである。何をやろうとその正しさを相手が納得していてくれれば、邪魔されることもなく、より自由に自分の目的を推し進めて行ける。

・話題転換

動く標的にねらいを定めるのは簡単ではない。マニピュレーターを問い詰め、相手の好ましからざる一面や行為について話し合おうにも、相手は話題をすり替え、問題をはぐらかすなど、こちらの不意を突くことにかけて達人なのである。

古くからマジシャンたちに知られているように、相手の注意をうまくそらせたら、そのポケットに何かをすべりこませたり、抜き取ったりするのは思いのままだ。マニピュレータも、「話題転換」と「注意拡散」という手を使い、人の目を自分の行動から遠ざけたり、相手の注意をそらしたりして身勝手な策略にふけっている。その手口は本当に巧妙をきわめている。大切な問題で正面から向かい合っていても、気がついたら肝心な話題に話がおよばないのはどうしてなのかと頭をひねるばかりだ。

・はぐらかし

手口は「話題転換」にきわめてよく似ている。ずばりの質問に的外れや不適切な返事で応じた際など、答えたマニピュレーターが窮地に追い詰められるのを避けたり、問題を意図的に回避したりしようとする場合に使われる。

さり気なく、しかも効果的なのが、わざと曖昧にするという方法だ。潜在的攻撃性パーソナリティーが得意としており、単刀直入な質問にも漠然とした返事を返して寄こす。こちらは聞き耳をたてなければならないが、曖昧にするために意図的に口をつぐんだ言葉も少なからずあり、実際は口にしていないにもかかわらず、そう答えたと相手が思い込んでしまう場合もある。

・暗黙の威嚇

攻撃性パーソナリティーは相手に対して頻繁にゆさぶりをかけ、気をもませて不安をあおり、犠牲者を一段低い地位にとどめ、支配したままにしておこうとする。「ああ言えば、こう言う」弁舌にたけているので、熱弁を駆使して難なく相手を追い詰めることにも慣れている。また、微妙でもってまわった、それとははっきりとわからない脅しをおもに用いて威嚇するので、あからさまな増悪や脅しだと悟られないまま相手を守勢に追い込むことができるのだ。

・罪悪感を抱かせる

相手に罪悪感を抱かせるというこの策略は、次に説明する「羞恥心を刺激する」と並んで潜在的攻撃性パーソナリティーが好んで用いる手口だ。これは特殊な威嚇法と言っていいだろう。

攻撃性パーソナリティーは、自分とはちがうタイプの人間、とくに神経症タイプは自分とまったく異なる良心をもっており、そして健全な良心の持ち主のあきらかな特質とは、罪悪感と羞恥心を感じ取れる能力だということを知っている。犠牲者が良心的に優れていればいるほど、その良心につけこんで相手の自信や不安をゆさぶり、自分の意に従わせておく手口にたけているのだ。相手が良心的であるほど、相手に罪悪感を抱かせるというこの手口はさらに効果を発揮する。

・羞恥心を刺激する

これはさり気ない皮肉やあてこすりで相手の不安をかきたて、その自信にゆさぶりをかけていくという策略だ。この方法で犠牲者が自分の能力や価値観に疑問をもつようにしむけ、自分の意にしたがわせようとする。相手の劣等感をあおるには効果的な戦術なので、攻撃をしかけた者は支配する側にとどまっていることが可能となる。

・被害者を演じる

相手の同情を得ようと、意図して不運な人間や人に傷つけられた被害者を演じ、それによって相手の感情をかきたて、目的とするものを手中におさめようという策略である。温和で優しいタイプほど、困っている人を前にじっとしていられないのを潜在的攻撃性パーソナリティーはよく知っていて、彼らはそれを利用している。だから、手口としてはシンプルなものだろう。苦しんでいると人にそう思わせれば、相手はなんとかしようとしてくれる。良心に勝り、感情が豊かで心優しき人たちの弱点とは、たやすくその同情心につけこまれてしまう点にあるのだ。

・犠牲者を中傷する

この手口は「被害者を演じる」といっしょに使われることが少なくない。攻撃する側はこの策略によって、被害を受けているのは自分で、自分を守るためにはからず闘いに応じるしかなかったと見せかけることができる。その結果、本当の被害者をさらに守勢に追い込んでいけるのだ。

・忠実なるしもべを演じる

この手口を使えば、自分勝手な目的をあたかも崇高な理念に奉じているかのように取り繕うことができる。手口としてはありきたりだが、それを見抜くのはなかなか容易ではない。他人のために一心不乱に働いていると見せかけることで、ひそかに抱いている力への渇望や野心、他者を支配する地位を手にしたいという潜在的攻撃性パーソナリティーならではの下心を隠蔽することができるのだ。

・人をそそのかす

潜在的攻撃性パーソナリティーは人を称賛して誉めそやし、有頂天にさせるのが本当にうまい。お世辞やこれ見よがしに援助の手を差し伸べる術にも長じているが、それもこれも相手の警戒心を解き、その信頼や忠誠心を自分に差し出させるためにほかならない。

・責任を転嫁する(他人のせいにする)

激しい攻撃性を帯びた人格は、自分に向けられた非難を転嫁できる先をつねに探し求めている。潜在的攻撃性パーソナリティーはこうしたスケープゴートを見つけ出すのに秀でているばかりか、しかもじつに巧妙に行っているので、そのたくらみを見抜くのは容易なことではない。

・無実を装う

加えた攻撃について、それはわざとではないと相手に信じ込ませ、避難されるような行為はしていないと被害者を納得させるときに用いるのが「無実を装う」という手口だ。被害者が自分の判断を疑い、正しく判断したかどうか疑問を覚えるようにしくまれている。問題に直面したとき、驚きや怒りの表情といった、極めて微妙でささいなしぐさで行われる場合もある。目配せひとつだけで相手をたじろかせ、被害者に非難する正当性が本当にあるのかどうか考え直させてしまう。

・無知を装う、混乱を装う

「無実を装う」と非常によく似ているが、こちらは「無実」を装うのではなく、相手が話す内容について無知を装ったり、自分の注意をうながそうと躍起になっている相手に対して困惑したようすを装ったりすることをいう。”しらばっくれる”ことによって、自分に向けられた相手の詰問の正当性を疑うようにしむけたマニピュレーターならではのやり口だ。

・これ見よがしに威嚇する

「怒りの表明」をマニピュレーターが用いる有力な手口として列挙するのは、いささか見当ちがいであり、また不適当な印象を与えるかもしれない。怒りとは、他者への攻撃に先だって生じる無意識の感情的な反応だと考えられ、一般にアンガーマネジメントもこうした考えのもとに行われている。

しかし、私の研究や他の研究者の調査では、怒りを意図的に現す行為は入念に練られた計算にもとづいており、人を威嚇して支配するという点では、人間関係を操作する手段としてこれ以上ない方法であることがわかっている。さらに言えば、攻撃性パーソナリティーを理解するうえで、怒りの表明はかならず攻撃に先だっていると考えるのは誤りにほかならない。

(引用終わり)


コメント:

人を操り支配する戦略と手法は、集団ストーカーにも使われています。
この本は、面白かったです。皆さんも読んでみてください。


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