HKS魚拓

ロックフェラー、優生学、メンタルヘルス、教育、WHO (年表)  by 気まぐれです。

「気まぐれです。」というサイトの魚拓から転載
(https://web.archive.org/web/20140313135005/http://bilininfojp.blogspot.jp/2013_08_01_archive.html)

原文 http://www.crossroad.to/Excerpts/chronologies/mind-control.htm


1909. クリフォード・ビヤーズが、原始的な「気狂い病院」から解放されてから5年後に「精神衛生のための全米委員会」を結成。世界中に精神衛生社会のネットワークを作ろうと呼びかけた。


1910. NYのコールドスプリングハーバーに優生記録局にカーネギー財団が資金援助。その三年後には、ロックフェラー財団が資金援助。「ロックフェラー財団は、ナチスのエルンスト・ルーディン博士によるベルリンのカイザー・ヴィルヘルム脳研究所における優生学研究にも資金供与」。


1916. 「民主主義と教育」誌にてジョン・デューウィー氏 「個人の独立性が増すと、個人の社会的能力が減少する危険が常にある。より自己依存型にさせれば、より自己充足型にもなりうる...自分は独立して一匹狼で動けるのだという幻想を発達するほどまで他者との関係に鈍感な個人を作ってしまうことがしばしばだ。 -- それは、世界の苦しみの大部分に対して責任のある、名のない狂気の一形態である」。




1918. 「権力の科学」誌にてベンジャミン・キッド氏 「あれらの奥深くに潜っている相違が、民族・国籍・階級間の分裂を生み、最強な形の集団の努力を妨害したり台 無しにしたりするが...組織化された人類の共通目標に対する従属の理想を若者に強要するという意志を文明が示せば、すべて一掃できるだろう。だからその 強要は未来の教育の主要な目標となった。 ... 我々に若者を与えてくれれば、一世代の間に新たな精神と新たな地球を作る」。

さらにキッドはカルボナーリ(イタリアの秘密結社)の指導者だったフリーメイソンのジュゼッペ・マッツィーニ(1805-1872)の言葉を引用。「お前たちのタスクはユニバーサルな家族の形成だ.... 教育、これは我々の教義全体を要約する偉大な言葉である」[マッツィーニの『人間の義務』より]。 デニス・カディーによれば、キッドは「教育は、若者に対して感情を通じて倫理的認識を、指導を通じて知的認識を扱う」「力の中心は感情にある」というマッツィーニのメッセージを強調。




1919. コモンウェルス基金とロックフェラー財団からの資金提供を受けたクリフォード・ビヤーズが、「WFMH[世界精神衛生連盟]の前身である、国際精神衛生委 員会(ICMH)を結成。その他の支持者には、カナダ医学協会のクラーレンス・ヒンクス医師、 ジョンス・ホプキンス大学のアドルフ・メイヤー医師、ハーバードの心理学者ウィリアム・ジェームズがいた。ウィリアム・ジェームズ、 ジョン・デューウィーら社会主義の理想家たちは、聖書の真実を否定し、真実を相対的なものとして見て、その確実性を実際的で計測可能な影響で試す実用主義の哲学を広めた。


注 : この社会革命の公けのステップはすべて、真の危機に焦点を当てていたので大衆の賛同と受容を勝ち取っていた。しかし、その心地よい響きの「解決策」は、社会主義者の変革工作員の手の中で、際限なく拡大する蜘蛛の巣のようなコントロールへの踏み石に変わった。




1920.ジョン・ロウリングス・リーズ准将の指示の下、タヴィストック医学心理学研究所(TIMP)が心理戦の研究を切り拓く。そこでは英軍の心理戦闘局が、紛争と心理的ショックを人間の大集団の操作と管理にどのように利用できるか突き止めるために、英軍兵士に対する重篤なストレスと砲弾ショック(戦争神経症)の影響を研究し、人は「どこまでいったら壊れるか」の限界を調べた。 (気まぐれです:トラウマを与えて社会や個人をコントロール/プログラミングする手法の開発)


1920年代. 優生学 運動(人種的純粋性の探求)が西側諸国に広がる。


1925. エルンスト・ルーディン博士が所長を務めるミュンヘンのカイザー・ヴィルヘルム精神医学研究所にロックフェラー財団が資金提供。更にハリマン家、ウォーバーグ家、英王室も資金提供。ロックフェラーは第2次世界大戦中、ずっと同研究所とナチス指導部への資金提供を続けた。


1925. ロックフェラー財団の助成金で国際教育ビューローが誕生。


1930. 国際精神衛生委員会 ICMHの 第一回精神衛生国際会議がワシントンDCで開催され、4000人以上の参加者を集めた。


1932. ロックフェラー財団マックス・メイソン理事長が「社会科学(複数形)は社会のコントロール、人間の行動のコントロールの合理化に関わっていくだろう」と信託者たちに告げた。


1932. (ロックフェラーが資金提供する)カイザー・ヴィルヘルム精神医学研究所のナチ所長エルンスト・ルーディン博士が、世界優生学連盟理事長に任命された。


1933.ジュリアン・ハクスリーが論文「優生学の致命的な重要性」を発表(気まぐれですより)

1934 (2月). ロックフェラーの(ある部門の幹部による)「進捗報告書」に「我々が将来、優秀な人間を殖やすことができるようになるような、見事で広範な優生学を開発できるだろうか?」との問いかけ。


1930-33. ヒットラーが権力を掌握。「人種的に不純」と考えられる人々の断種もしくは死を呼びかけた人種衛生協会を、ルーディンに主導させた。ルーディンらナチの優生学者たちによる、優生学的に正しい住民の人類学的調査にロックフェラー財団が資金提供。


1933. (カナダ)ブリティッシュ・コロンビアの性的断種法が成立。1970年代にその法律の無効化を助けた元保健大臣デニス・コックいわく「一つの職業が一人の人間を人間以外の存在と判定できるというのはおぞましいことだと、私と同様、多くの人々が考えた」。


1937. ICMHの第2回精神衛生国際会議 開催。


1937. 「ドイツ、ヴァーデンベルグで裁判所が親から子どもを引き離した。理由は親が子ど もにナチスの教義を教えるのを拒んでいたため。その両親は絶対平和主義者で、国際聖書研究会というキリスト教の一派のメンバーだった。裁判所は子どもが「国家の敵」として育つ環境を作っているとして両親を非難した。子供たちは国家福祉の下に移送された。裁判官の出した長文の声明の一部は「法律が人種的・国家的な装置としてドイツの親に子の教育を託すのは、国家が期待するやり方で子を教育するという、特定の条件下のみである」。 (クリフトン・ダニエル編集 Chronicle of the 20th Centuryに引用されている1937年11月29日の新聞記事)


気まぐれですより:2013年8月現在、アメリカのオクラホマ州では親から引き離された子ども78人が失踪中だが当局は子どものせいにしているという記事がありました。http://intellihub.com/2013/08/13/78-children-under-government-protection-disappear-in-oklahoma-agency-blames-the-children/ 同様に、「ゆりかごから墓場まで」の福祉制度の国イギリスも国家による子さらいが報道されない大大大問題のようです(よね)。

1939. ロックフェラー財団が学校保健コーディネートサービス」の発足を助ける。

1940年代. 「オトマー・フェルシューアーとアシスタントのヨゼフ・メンゲレ博士が特別裁判所向け報告書を共同執筆。それにより、アーリア人と非アーリア人の違法な同居を禁ずるルーディンの人種純粋法が施行された。1940年代初頭、スタンダード・オイル社とIGファルビン社の特許を活用して強制収容所の奴隷労働で石炭からガソリンを作るため、アウシュヴィッツに巨大な工場が建設された。
SSはユダヤ人その他の囚人を警護し、奴隷労働に適さない者たちを殺すために選抜した。


戦後のニュルンベルグ裁判で、スタンダード・オイル社とドイツ大統領エミール・ハイルフェックは、スタンダードオイルの資金がアウシュヴィッツのSS警備員の賃金支払いを助けた、と証言した。ロックフェラー財団は、自分たちの第2次大戦中のナチスへの資金援助は精神医学研究のみに限定されていたと主張して自己弁護している」。


1941 (秋): 「精神科医のG.ルーディンとG.ブロック・チズホルムの下、カナダ軍に”個人選抜部門”が設立された。国際的な精神衛生運動[優生学] 再興の前兆だった。その役割の中で、彼(チズホルム?)は米国の精神科医ハリー・スタック・サリヴァンの親友となり、 米国選抜局のコンサルタントとなった。両人とも、戦後どのように市民軍を選抜するか、またどういった公共の精神保健リソースが必要かに関心を抱いていた。

1943. ロックフェラー財団がモントリオールのマクギル大学アレン記念研究所に資金提供。カナダ軍やOffice of Strategic Services(OSS。1947年にCIAとなった)で働いていた(イーウェン・)キャメロン博士は、さまざまなマインドコントロールテクニックを極めるため、拷問の人体実験をした。その洗脳手法には、強制的な拷問、精神外科手術、麻薬、催眠術、「短期間におこなう 30ー60回の電気ショック」が含まれていた。同時に不安をコントロールするための強力な精神安定剤も使われた。
キャメロンの言い訳は、彼の患者たちは「共産主義下の囚人と同じように抵抗しがちなので、ブレイクダウンさせなければならなかった」。1989年の本 『狂気への旅路:CIAの秘密マインドコントロールと医学的虐待の真実』Journey Into Madness: The True Story of Secret CIA Mind Control and Medical Abuse を参照。


1943. ヨゼフ・メンゲレがアウシュヴィッツ強制収容所の医学司令官に任命される。
(戦後は英米諜報機関の「ペーパークリップ計画」で西側に移送され、マインドコントロール研究を続けた)


1945. 「精神医学」ジャーナルの創設者である米軍のハリー・スタック・サリヴァン大将は、個人間の関係についての自分の視点が未来の国家間の紛争と戦争リスク回避に寄与できると考えた。彼はカナダ人の精神科医でのちの世界保健機構(WHO)会長、ブロック・チズホルム博士と協同して、これらのアイデアを実現に移 した。そうして世界精神保健連盟が誕生した.... 。人間としてのサリヴァンについての一部の情報は事実、一部は逸話、一部は噂である。彼はホモセクシュアルだったということ、金の使い道が荒く(同僚から 借金をし、1930年代に2度破産)、特に若いころは常に嘘をついていたということが広く疑われている」。



1945. サリヴァン博士は広島への原爆投下の直後、 当時カナダ軍医療サービス局長だったチズホルムをウィリアム・アランソン・ホワイト財団での講演に招いた。 チズホルムは「持続する平和と社会的進歩のための精神医学」と題した2度の講演で、精神医学と心理学は人間たちに戦争を手放させ「世界市民」とさせること ができる規律であるという持論を述べた。 チズホルムとサリヴァンはすでに「人民の精神医学」という観点から思考していた」。


1946.ユネスコ初代事務局長ジュリアン・ハクスリー、ユネスコの主要目標は教育改革に加えて人口コントロールと「優生学的問題」とほざく。人間の知性は生まれつき平等にはできていないので「改善された教育から利益を得る能力のない人々がかなりいる」。教育の機会均等の原則は、「素質の限界内での機会均等」と読めるように訂正すべきだ、他。(気まぐれですより)

1946. 米国がUNESCOに加盟。C・Iserbyによると、「この法案と共にハリー・トルーマン大統領の驚くべき発言があった。”教育は人類の倫理的連帯を打ち立てなければならない”。このトルーマンのすすめはソ連工作員アルジャー・ヒスの友人であるブロック・チズホルム将軍から支持された。チズホルムは”持続する平和と社会的進歩のための精神医学”という論文を提出した」。

"必要とされる人間の行動の変化を記録する責任は、明らかにその分野の科学に帰する。心理学者、社会学者、経済学者、政治家はこの責任に向き合わなければならない....

"戦争が起きる理由を特定できるだろうか?我々の多くは、それを簡単に挙げることができる。偏見、孤立主義、理性的でないことを感情的に無批判に信じる能力....


"これらの乱用を生み出す唯一の心理的な力は、倫理、正しいことと悪いことというコンセプトである... 何世代にも渡り、我々は(道徳上の)罪の確信に対してひれふしてきた。我々は親、日曜学校、学校から与えられる毒のある確実さを飲み込んできた....

"...長い間、両親には無防備な子供たちにどんな視点でも嘘でも恐怖でも迷信でも偏見でも嫌悪でも信仰でも植え付ける完璧な権利があるということが一般的に認められてきた。しかしこれらは神経症、行動異常、感情障害、民主主義国の市民にふさわしい感情的に成熟した状態に発達できないなどの起因となっており、その特定の知識が確立されたのはつい最近に過ぎない。....

"家と学校での子供たちの訓練は、少なくとも子ども自身の保護のためのワクチン投与と同程度の重大な公的懸念の対象であるべきだ。...感情的に不安定で、罪の意識、恐怖、劣等感を持っている個人は、その嫌悪を他者にも投影することが確実である。... 彼らは真の脅威だ。...どんなコストがかかろうとも、我々は世界中のすべての人々と友好と平和のうちに生きることを学ばなければならない。...."

"言わなければならないことが存在している...できれば我々の長老たちの誤解に基づく旧式な方法をそっと脇に押しやって。もしそっとできないのなら、荒々しく、暴力的にすらやらなければならないかもしれない。....

"そのような再教育プログラムをチャーターできるだろうか?"


1946. 米国の精神科医で軍人のサリヴァン博士が自分の「精神医学」ジャーナルに上記のブロック・チズホルムの論文を出版。"共産主義者のスパイでInternational Conciliation の出版者だったアルジャー・ヒスも、友人チズホルム博士の同じ論文を自身のジャーナルに出版。当時カーネギー平和財団の会長だったヒスは、チズホルムの論文への前書きを書いた”


1946/1947. 「第2次大戦中に開発された社会精神医学が市民社会に関連性があるのではないかという関心を抱いた」ロックフェラー財団の助成金で、独立した非営利組織と してタヴィストック人間関係研究所が設立される。 ロックフェラーはそのジャーナル「人間関係」を所有する。「中年危機を初めて特定したのはカナダ生まれの心理学者で社会分析家のエリオット・ジャックだっ た。ジャックはタヴィストック研究所の設立メンバーだった」。




1947. 世界精神保健連盟アソシエートのための論文が執筆される。 リーズ (タヴィストック) がすでに多くの国々で準備グループを設立していた。米国の参加者には、ウィリアム・メニンジャー大将率いる「精神医学進歩のためのグループ」(GAP)の会員たちが含まれていた。 彼らはこの新組織の目的の定義に敏感だった。「すべての民族と国々の間に可能な限り高いレベルの精神保健を促進させる...それは最も幅広い生物的・医学的・教育的・社会的要素において...」


世界精神保健連盟の公式サイト にはビジョンが書かれている。「精神保健がすべての人々にとっての最優先事項となる世界。公共政策およびプログラムには個人、家庭、共同体、世界の政治的経済的安定性における、精神保健の致命的重要性が反映されること」。


1948 (7月/8月) "サリヴァンの提案により国際委員会が開催された。カナダ人社会心理学者オットー・クリネバーグらに、チズホルムや、マーガレット・ミード(世界精神保健連盟2人目の米国人会長)のような社会科学者が加わった。連盟の設立文書「精神保健と世界市民権」が生まれた。


1948. 「B.F.スキナーとアルフレッド・C・キンゼイ両教授がWalden TwoおよびSexual Behavior in the Human Maleという著書をそれぞれ出版。スキナーの小説Walden Twoは、こう勧めていた。「子どもたちは国家に育てられるべきだ。望ましい特性と行動だけを示すようになるよう、生まれたときから訓練すべきだ」。

1948. (8月21日) 第3回国際精神衛生会議 がロンドンで開催された。ここで国際精神衛生委員会が国際精神保健連盟(WFMH)へと代わり、「いくつかの国連機関および国別グループとの協議的関係をもつ」こととなった。 設立文書「精神保健と世界市民権」が採択された。
「いかなる社会においても、世界市民権の構想が認められない限り、精神保健の原則をきちんと前進させることは不可能だ」。 精神保健の究極的な目標は、「一つの世界で仲間と暮らす」ように人々を助けること。 "あなたの精神保健のための国連の計画"を参照。






1948. 世界保健機構がブロック・チズホルムを初代会長として設立される。 「キンゼイは、分類学者として、米国と世界をエ リート科学者達が”新生物学”で夢見たような優生学的な未来に向けて動かすという大計画を前進させるために、 人間のセクシュアリティを愛と結婚の制限から解き放とうとした」... (気まぐれですメモ:1960年代のセックス解放運動、マーガレット・ミード)

「1953年、スキナー教授が”科学と人間の行動”を出版。”彫刻家が粘土の塊を形づくるように、操作的な条件付けは行動を形づくる」

「キンゼイとブルームは、科学者として、人間を行動ユニットへとブレイクダウン(分類)することに関与した。行動学者としてのスキナーが、その手法と変化を特定できた。このブレイクダウン/"人間の脱構築"の狙いは、人間を天性の、自由なアイデンティティから分離させることにあった。 これは人間および社会のコントロール手法への扉を開けた」。




1948. 精神科医ロバート・フェリックス博士のリーダーシップの下で、国立精神保健研究所が設立された。フェリックス医師は「麻薬中毒になったアフリカ系米国人の囚人に対するLSD実験をしたケンタッキー州レクシントンの麻薬中毒センター所長でもあった。実験ではLSDの他、あらゆる種類の幻覚剤、マリファナ、毒物が使われた」。  




1950. (9月):フリーメイソンの機関誌「ニューエイジ」に出版されたC.ウィリアム・スミスの「米国での神の計画」に次の文章が入っていた。 「我々の王である偉大な神は、米国の新しい人種、新しい宗教、新しい文明のための道を切り拓くために、偉大なる米国の公立学校をお選びにになった。 精神の自由や魂の自由を奪う母親、父親、保護者は地球最低の犯罪者である。世界のニューエイジの夜明けに向けた神の計画に加わる神聖な権利を、その子どもから奪っているからである」







1953. バートランド・ラッセル『科学が社会に与える影響』「最大の政治的な重要性を持つ主題は、大衆心理学だと考える。. . . . 現代のプロパガンダの手法によってその重要性は莫大に増した。そのうち最も影響力が強いのが、”教育”と呼ばれているものである。宗教にも、減少しつつあるとはいえど一つの役割がある。報道、映画、そしてラジオの役割が増している . . .そのうち誰でも、対象者を幼い時に捕まえることができ、国から金と装置の提供があれば、誰に対してでも、何でも説得できるようになることが期待される。このような政治家の楽園を作るのに成功した国はまだ一つしかない」。


1955. 「米国下院が国内の精神疾患への対処策を推奨する委員会の任命を義務付ける精神保健研究法を通過させた。この法案を作った精神科医たちの熱狂ぶりはいくら大げさに言っても言いきれない。 彼らの多幸感は正しかった。その法律はけっきょく、米国政府の主な義務を個人の自由と財産権の保護・促進から市民と共同体全体の精神保健の保護・促進へと移行させ、政府の性質そのものを書き換えたからだ」




1959. (3月): フリーメイソンの機関誌「ニューエイジ」に出版されたジェームズ・D・カーター博士による記事「なぜ何もせずに立っている?」では「大衆の技術的・社会的教育という両方の目的のために、幼少期の早いうちから国家の資金によっておこなう公立教育のシステムを設立することにより”新秩序”を現実のものにした”フリーメイソンの哲学”について述べられていた」


1960. 元外科医でカリフォルニア医学協会の会長、ルイス・エイルセン博士いわく「精神保健プログラムの提唱者たちは、一連の法制化提案を素早く作成した。.... これは集団主義者お馴染みのごまかしである。経済的、社会的、政治的を問わず、何の問題に対しても、集団主義者の唯一の解決策とは、新たな法律の通過、新たな税制の施行、新たな役所の設立なのである」  




1963. 「コミュニティ精神保健センタープログラム」が設立された。 

1977. タヴィストック人間関係研究所のシニア研究員フレッド・エメリー著『我々の未来』が出版される。 デニス・カディー博士によれば、「エメリーは”社会不穏”の理論を開発した。多くの人は一連の危機に直面するとそれに適応したり、ついには心理的に後退することによって、緊張をなくそうとするというもので、これは社会的崩壊につながり得る」。(気まぐれです:社会を再編成するために、自然発生と見せかけた危機をわざと起こして「崩壊」させたり・・・・・ )

エメリーはその前に執筆した『変化の子供たち』で、テレビが子供たちにどのように影響を与えるかを示した。子どもは情報を分析するより吸収しがちなので、「意識的な機能が損なわれ」、無関心になる。「人」というより「羊のように」。「言い換えれば、テレビは催眠術師の技術版としても見ることができる」。 1959年8月の「人間関係」誌でエメリーは書いた。「テレビの心理的な事後効果は、社会エンジニアにとっては強い関心事項だろう」。


1979. ロックフェラー財団に支援され、全米教育研究所と米国教育省から「グローバル時代のための学校教育」が出版された。ジョン・グッドラッドが前書きにこう書 いた。「現在の世界的な行動を要求する状況に向き合うためには、啓発された社会エンジニアリングが必要だ。教育は長期的解決策だ。.... 両親と一般大衆にも手が届いていなければならない。... そうでないと、グローバルなつくりのプログラムに入る子どもと若者は、それらが家の価値観と衝突することに気づくかもしれないからだ。また、教育機関は頻繁に評価にかけられ、抑えられていなければならない」。

1987. グローバル教育研究委員会の著名メンバーにはビル・クリントン州知事(当時)、AFT会長アルバート・シャンカー、ジョン・グッドラッド教授、 CFAT(教育前進のためのカーネギー財団)会長アーンスト・ボイヤー、全州教育委員会理事長フランク・ニューマンがいた。彼らは共同で「米国は未来に備える:教育におけるグローバルな視点」という報告書をまとめた。これにはロックフェラー、フォード、エクソン財団が資金援助していた。「世界秩序への3度目の挑戦」の著者でニューエイジャーのハーラン・クリーヴランド はその前文に「12年前にはグローバルな視点からの指導と学びという教義はまだ奇抜なものだった。それは未だに米国の市民権を米国の歴史、地理、生活様式、発想の混合物として考えていた者たちの通説を脅かしていた。.... 今では米国の市民権を国際的な相互依存および地球環境と同じ文脈で語ることはほとんど当たり前になった感がある」と書いた。

※これ以降「精神保健」ではなく「メンタルヘルス」と訳します。

1998 : デービッド・サッチャー軍医総監が全米健康人コンソーティアムで講演。「私たちには明白な青写真があります。 ... 現在、47の州が積極的に”健康人2000”に関わっています。”健康な都市と健康なコミュニティ”イニシアチブも全国で進んでいます。何百という全国団体が”2000年”目標を評価・採択しました」。「メンタルヘルスほど関心と熱狂を作り出した優先課題は他にありません」。「我々の努力の焦点は、グローバルな健康監視システムの維持に当てられるでしょう。”健康人2000”は、WHOから世界中の国々に対して発せられた、すべての人への健康に尽くせとい う呼びかけに対する米国の貢献です」


WHOのへんなロゴ


1999. (日付不明) "メンタルヘルスを願う国々” 「政府はメンタルヘルス政策の立案、実施、監視、評価において支援を得るだろう...」「これらの政策では、メンタルヘルスが乱れたり、心理的バランスの崩れたすべての人々が、各人のニーズに見合うサービスを受けられるようになっていなければならない。そして、国民のメンタルヘルスの最上の進展を促進しなければならない」。

2001 世界メンタルヘルス "...WHO世界保健機構が、4月7日の世界保健デーはメンタルヘルス問題の唱導に捧げられる日とすると宣言」。

2001 (7月22ー27日). バンクーバーで第26回世界精神保健連盟会議と合わせて「メンタルヘルスのための世界会議」が開催される。ピアッコ・ラーティが(2002年にプレストン・ガリソンが任命されるまでの間)WFMHの事務総長/CEOに任命される。

カナダの保健大臣アラン・ロックいわく「世界保健機構WHOは、世界保健デー2001と年次報告書の両方をメンタルヘルスに捧げた。社会的排除はバリアーを作りだし、私たち全員をはばみ、計り知れない犠牲を引き起こしている。 .......メンタルヘルスへのアプローチにおいて繰り返し現れるテーマがある-それは国民の健康の原則へのコミットメントだ – 健康な市民を育成するための幅広い要因を見る必要がある。特にメンタルヘルスは多面的である。その決定要因はあまりに多岐に渡っているし、そのプロモー ションは伝統的な医療システムを越えたところの変数に多分に依存する。そのため異なる規律同士の対話が必要不可欠である。...また時として、我々の前にたちはだかる最大の障害物は我々が直面する態度だ。教育はこれらの態度を変えるための鍵である。だがメンタルヘルスに寄与する要因の完全なる評価もそうである」

2001. (9月) ベイルートで開かれたWFMHの会議でのピアッコ・ラーティ事務総長の発言 「メンタルヘルスはただの精神医学ではない。経済、社会、心理、医学、環境に関わる要素も含まれている。私がいま理事長として動いている世界精神保健連盟には、世界130ヶ国が加盟している。9つの地域支部があり、それぞれに副理事長または地域理事長がいる。世界精神保健連盟は国連、世界保健機構WHO、UNESCO、国際労働機関ILOと共同で動いている」

2002 (4月29日):ジョージ・W・ブッシュ大統領も「メンタルヘルスに関する大統領の新自由委員会」という題の大統領令に署名し、この巨大なネットワークへの支援を表明。それにより「メンタルヘルスケアの望ましい結果:それぞれの人の雇用、セルフケア、人間関係、共同体への参加を最大級に」という共通の目標に米国の保健、ヒューマンサービス、教育、労働各省を義務付ける委員会が設立された。



悪魔崇拝者サイコパスの例


2002 (10月10日) 世界メンタルヘルスデー。「感情・行動問題を持つ子どもたちを特定し、治療し、防止する」ことに焦点が当てられる。世界保健機構(WHO)の目標は「可能な限り最高級の健康をすべての人々に」だ。健康とはWHO憲章の定義では「単に疾患のない状態ではなく、肉体的・精神的・社会的に完全に良好な状態のこと」だという。

2003 (3月): メンタルヘルス財団ニュージーランド支部長 「...財団はクリフォード・ビヤーズ財団CEOで国際メンタルヘルスプロモーションジャーナル編集長のマイケル・マレイをお招きした。同氏は、ニュージーランド、オークランドで開かれた”メンタルに健康な職場”というフォーラムの基調講演者を務める。カナダと英国で職場での健康プログラムに関わってこられた。この重要なメンタルヘルスプロモーションの場で価値ある情報を提示してくださる。.... 世界精神保健会議、クリフォード・ビヤーズ財団、カーター・センター、メンタルヘルス財団が共催するこの会議は、オセアニアで初の開催となる」
(以降翻訳省略)
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