HKS魚拓

1929年に英国貴族院議員が書いた2029年の話  by 気まぐれです。

「気まぐれです。」というサイトの魚拓の転載
(https://web.archive.org/web/20140610063642/http://bilininfojp.blogspot.jp/2013/10/blog-post_11.html)

アラン・ワット
http://cuttingthroughthematrix.com/transcripts/Alan_Watt_Blurb_Nothing_New_Under_the_Sun_July182007.html より抜粋(原文著作権はアラン・ワットに属します)




【アラン・ワットの長めな前置き】

今日、人々は情報と偽情報とデータの量に圧倒されている。何がなんだか全然わからない。空想の世界に意味を探ろうとするなど、出発した地点よりもひどい混乱にゆきつくことも多い。人間精神、個々の人間にはロジックがある。それは、すぐそばの環境と、もっと広域の環境を把握するために、入ってくるデータに依拠している。昆虫、いやアメーバから上のすべての生き物は、すぐそばの環境を変えようとする。生き残るために変えなければならない。それは自然なことだ。サバイバルのために、我々はすぐそばの環境がどうなってるか知る必要がある。これは大衆についての科学やデータを集めてきた者たちによって常に理解されてきた。


このコンセプトを理解できると、権力があればそこに介入できる。一番下にいる個々人が、すぐそばの環境ばかり気にかけるように助長することができる。そのエリア。家、地域、周辺の人々、町。日々のサバイバルに必要なもの。それを助長し、もっと大きな現実からは人々を断ち切っておく。世界や国についての大きな視点に関する偽データを流す。データはこちらで持っておき、トリビアを助長する。


ほとんどのテレビはそれをやっている。それが仕事である。(中略)

我々は非常に長いこと続いているビジネスプラン、非常に古い計画の中を生きている。テクニックはまったく変わっていない。情報を伝える技術だけが変わった。しかしこれらの技術でも同じテクニックが使われている。はるか昔に、全世界を完全にコントロールすることが決定された。それは各個人に対する完全なコントロールである。すべての人が完全に予測可能である必要がある。つまり完璧な性格判定と、全個人のデータを日々収集するということだ。これはいったいどうやって達成されたのだろうか?監視されずには売り買いできないテクニック、収入の監視、生産高の監視、そういうものを我々に与えるということを彼らは知っていた。計画は一度も手放されていない。

フランシス・ベーコンの「ニュー・アトランティス」は1500年代に書かれ、1602年に出版されたフィクションで、西側に本部を持つ未来の社会についての話だ。もちろん、それはアメリカのことだ。ベーコンはそこを「ソロモンの島」と呼び、徳virtueにもとづき、偉い知識人や科学者によって構成される一つの秘密結社がすべてを統治する、とした。

太陽の光を取り出して動力源にする社会をベーコンが想像できたはずはない。非常に馴染み深い話だ。原子力発電か? 人々は「ありえない。そんなことを想像できたはずがない」と言う。想像できたはずがない。確かに。風で走る帆船、馬車、ろうそくで物を書く時代に、あなたにそんなことが絶対想像できたはずはないし、ベーコンにも想像できなかった。

でも原子力エネルギーは何千年も前にあれこれ思索されていた。古代ギリシャのアトミスト団体の書いた物にある。これらの「知識人」たちには他に何もすることがなく、白衣を着て、とりとめもなくおしゃべりをし、そしてくるくる廻るこの微小なパーティクルについて、ああだこうだ考えていた。

ちなみに、世界の中の世界、マイクロコズムのことは ATOMSと呼ばれる。それは「アダム」の言葉遊びに過ぎない。 この大きな冗談の中で、全てが相互に繋がっている。

すべての時代において、トリックは、本当の高次の科学を大衆には秘密にしておくことだ。いつの時代でも必ず専門班が高次の科学を調査している。究極的なコントロールを手にして、支配的でありたいなら、すべての高次の知識をすべて共有することなど絶対にできない。なぜならパワーの共有は権力を失うことを意味するからだ。。

しかし、フランシス・ベーコンの本が当時出版されたことは間違いない。エイリアンとか、そういうものが混ぜられたアップデート版のことではない。 エイリアンはエリートが私たちをもっと混乱させるためにプロモートした、ニューエイジのスピンである。「こちらより優秀なエイリアンが全世界を支配しているし、常に支配してきたのだ、勝ち目がない」の方がはるかに信じやすいからだ。それは「心理戦」と呼ばれる。目的は何も始まらない前から諦めさせることである。

フランシス・ベーコンの「ニュー・アトランティス」は、モアらの理想郷についての本と同じ線に沿って書かれている。知識人=とんでもない知的パワーで残りの者たちを支配する権利がある連中 によって支配されるエリートの理想社会、である。


これはすべて1600年代の薔薇十字会ともつながっている。彼らは最終的に他の組織に分かれて行った。修道僧のようにピラミッドの仕組みになっているからだ。時が経つにつれ、特定の目的のための修道会が設立されるようになり、そこからさらに別の特定の目的のための修道会が設立されていった。それはピラミッドである。歴史を通じてずっと同じテクニックが使われてきた。それから図書館。いつも、図書館と特別なグループが、すべての科学を調査してきた。誰かが未来についての驚異的な発言をすると大衆が仰天するのはそのせいだ。時としてHGウェルズのような作家も使われる。

こんにち、連中が総動員で我々に予測プログラミングを与えてくる。我々が無意識でそのアイデアを受け入れれば、連中は可能性に次ぐ可能性でこちらを導くことができる、そしてそれが現実になったら、こちらは自然な進化だと考える、という発想だ。でも自然な進化なんて何もない。事前に設計されている。それは予測プログラミングである。



英国のエリート、"The Establishment"と呼ばれる、非常に、非常に古いエリートは、国会の壇上でどの党が誰と怒鳴りあっていようとも、何も関係なくそこにいる。そのエリートは、何がなされるべきかを決定する。トップ政治家を選ぶ。その下にいる人々は関係ない。彼らは一般人の財布から出る金で、競争しあい、名誉と栄光を得て、ロビイストに天下りするときは一流の契約先を得る。トップの政治家は常に事前に選ばれ、 一般大衆が名前を聞きもしないうちから仕込まれる。トップ内閣が王立協会に所属している限り、すべて最高だ。


【ここから】
これから読むのは、1920年代にある雑誌に載った記事である。考えてみてほしい。雑誌の名前と、どこで探せるかは最後にお伝えする。表紙には、まちがいなく22歳以下に見える若い英国貴族が長い編んだカツラをつけた姿で載っている。貴族院では、世襲制の議員たちはこういう長いカツラをつけ、オコジョの毛皮のガウンを着ていた。1700年代さながらの装いをしている。

誰一人としてこの特定のカツラの目的を説明しないのだが、段々になったカールの数を数えると、位階がわかるのである。彼は若く傲慢な顔をしている。連中はみんなそうだ。おごそかで傲慢で厳格で全て知ってるぜ風である。バークンヘッド卿だ。高次の科学界隈に入ることを許されていたから、これら全てを書けたのである。当時すでに、こういう科学の基礎は少なくとも分かっていた。バークンヘッドは「知っている者」に迎え入れられた。一番下の一般大衆が聞かされるのは、「目下研究中」という話だ。大昔に上の連中が突き止めた内容を一般大衆は知らない。




これは1929年2月に書かれたものである。




赤ん坊は研究所の化学者によって作られるだろう。




2029年の話である。






結婚の仕組み全体が変えられる。
我々は皆150歳まで生きる。
一日2時間以上働く必要のある者は誰もいない。
趣味的なものを除いて、農業は撲滅されるだろう。そして食品はすべて合成的に製造されるだろう。
人間は世界の地理や気候を変えられるようになるだろう。

炭鉱産業は終わるだろう。
地軸の回転を遅らせることにより、一日が48時間になるだろう。
我々は、自宅にいながら、全世界の出来事を見聞きするようになるだろう。



1929年。
覚えておいてほしいが、彼は水晶玉を持って座っているのではない。チャネリングしているのではない。隣に霊媒が座っていて、ゼータ・レティキュリ星とか、そういう遠い場所からチャネリングしてるのではない。


一世紀の間には、過去100年間のそれと少なくとも同じ程度には科学的発見のアプリケーションが人間生活の条件を変えるであろうように見える。

1892年に生まれた子供は 蒸気エンジンを利用し始めたばかりの世界に到着した。そこでは電気は数人の教授の不便なおもちゃだったし、抗生物質や麻酔は知られざるものだった。

1929年を振り返る2029年の子供は、今日の子供たちにとって1829年がそう見えるように、原始的で古くさいと思うだろう。次の100年間で、前にもそうだったように、移動手段、富の源泉、医薬品、そして我々の発想までもが、劇的に変わるだろう。

(中略)



最高の科学者たちの意見では、物理学者は2029年までに際限なき量の安価な動力を世界に供給する問題を解決できている。

現在の我々は、産業の車輪を回すエネルギーを石炭と石油から引き出している。これらの物質はどちらも多額の資金と筋力を使って自然からとられたものである。どちらも枯渇しないわけではない。一番効率的な手法を使っても、石炭一ポンドからは一時間一馬力しか引き出すことができない。

しかし、一ポンドの水を構成する原子の中に閉じ込められているエネルギーの量は、1000万馬力に相当する。この莫大なエネルギー源が存在していることには疑いの余地もない。しかし物理学者はまだそれをどのように放出できるか、または放出できたとしても実用化する方法を知らない。

この問題は2029年までには解決されているだろう。現在ゆりかごに入っているか、まだ生まれていない誰かが、この花火を点火するマッチ、またはこの凄い爆発を引き起こすのに必要な起爆剤を発見してくれるだろう。

そのような途方もない安価なエネルギー源を利用できれば、ほぼ無限大の影響があろう。歴史上初めて人間は宇宙規模のオペレーションをおこなうのに充分なパワーを備えていられるだろう。 人間が世界の地理や気候を劇的に変える道が開けるだろう。巨大な定期船に匹敵する5万トンの水を利用すれば、アイルランドを除去して大西洋の深部にもっていくこともできるだろう。同量の水から入手可能な熱は、極地域を1000年の間サハラ砂漠の気温と同じに保つのに充分だろう。




考えてもみてよ・・・


このエネルギーの解放はもちろん旅行と移動を革命化するだろう。一馬力一オンスの重さのエンジンが実用的な可能性になる。そして600馬力の発電所は1000時間分の燃料を持つが、そのタンクは噴水の池より大きくないだろう。

そのようなエンジンが動力を供給する乗り物の性質は、まだ予知できない。乗客は高速の飛行機でじゃんじゃん旅するだろう。それは2029年までには垂直に上下しているだろう。 陸路や海路で物品が安く運ばれるだろう。そのモーターの燃料費はほぼゼロだろう。

この新しいエネルギーには明らかに急激な社会問題が伴うだろう。それが産業に採用されることで、たとえば、炭鉱は最終的に絶滅する。しかし、すべての製造業のコストは莫大に削減できるのだから、政府はそれによって作られる新しい富を用いて、それによって生活を破壊される数百万人を適切に食べさせていける希望がある。

権威ある科学者の一部は、これらの線に沿って動力の問題が解決できるとは信じていない。彼らは、風や波からエネルギーを引き出すことが強いられると考えている。水力は地球表面上であまりに不均一に分布しており、あまりに季節による変動に影響されているので、世界の主要なエネルギー源にはなれない。しかし、風は絶対に静止することがないし、波は変動しない正確性を持って満ち引きしている。

もし風が解き放たれれば、安い動力をありあまるほど作れるだろう。嵐の時にその余剰エネルギーを様々な方法で貯蔵し、静かな時に使うようにできる。

ちょっとここで一言言わせてもらうが、この貴族キャラは未来についての決定を知ることを許されていたのである。ビジネスプランへのアクセスを得られる世襲制の議員、貴族だったから。そして連中は絶対に計画を変えやしない。


波のエネルギーの利用は、まだ未解決の困難を提示する。しかしこれらの困難は、原則ではなくテクニックの問題である。世界中の資金と真剣なエンジニアリングの関心が10年間その問題に集中すれば、 それを乗り越えられるであろうことに疑いの余地はない。ファンディー湾の波だけで、北米全体に電気を供給できるだろう。

我々は波のエネルギーをいずれかの大きな規模で利用することにより、地球の回転速度を減少させるべきである。そのままでは、波は地球の回転へのブレーキとして作用している。

それは本当だ。回転すると波が追いかけに追いかけてようとして 輪止めのようになる。すべてのアクションには、同等のアクションと逆のアクションがある。それは古い理論だ




さらに続けて:

そのままでは、波は地球の回転へのブレーキとして作用している。波の摩擦は主としてアラスカとシベリアを分割するベーリング海で起きる。現在は、一世紀で一秒未満、日を長くするだけの影響しかないため、無視できる。 もし波から充分なエネルギーを抽出し、想像可能な人間事業の未来の進歩全てに充てるとしても、このブレーキ効果が大きく増大することはない。一日が現在の一週間ほどに長くなるまでには何百万年もかかるだろう。5000年前といえば、記録されている人間の歴史の夜明けである。

これは嘘をついている。彼はもっと古いことをよく知っているはずだ。


100万年の1/10ですら我々の想像は到達できないのだから、波を解放することによってあまりにも地球の回転を遅らせてしまい、もっとも遠い子孫を恥ずかしがらせるのではないかと我々が警戒する必要はない。しかし、一日48時間は、遠い未来における一つの可能性である。

次の数百年間で、応用物理によって、ワイヤレスの電話やテレビが今日の我々の最大の期待をはるかに越えて確実に発展するだろう。2029年までには、誰でも、どれほど遠くのイベントであろうと自宅にいながら「同席」できるようになるはずだ。ステレオスコピックのテレビは…

一般大衆がモノクロテレビすら持ってなかった時代だが。


… 完全に自然な色になるだろう。そして完璧なワイヤレス電話によって、その人はどんな出来事でも見聞きできるようになる。それは発信器の隣にいるかのように効果的に流されるだろう。

そのような進歩は未来の政治に影響を与えるに違いない。その力を借りれば古代ギリシャの都市国家で花開いた民主主義の形態を蘇らせることができよう。

各政党の選ばれたスポークスマンは、2029年までには、現在国会でやっているのと同じぐらい効果的にすべての有権者の前で話せるようになるだろう。だから代表ではなく有権者自身がそれぞれの致命的に重要な政治問題について決定できるようになるだろう

ケーキの上には砂糖の飾りをつけて、信じさせ、「このケーキ食べてみたいな」と思わせないといけないのである。

各政党の各スポークスマンが主張し終えた後は、電話交換機の中にインストールされたメカニズムによって、全国の投票を記録・カウントできるだろう。最後の演説から20分以内に、どんなテーマについてでも、国の判定を確認・発表できるだろう。

コンピュータ投票の話をしている。

応用化学は物理学の研究がもたした変化と比べられるほど人間の生命に影響を与えていない。一般人に関するところでいえば、化学が便利になるのは、望まれるような新物質、または、自然に作られるよりも安価に物質を合成する手段が発見されたときだけである。

化学者たちはこれまで、新しい金属、染料、薬物、爆発物、その他、産業や私生活の中で便利な物質によって、人類の資源をより豊かなものとしてきた。2029年までには何千もの新物質ができるだろう。アルミニウムは今日の銑鉄より安くなるだろう。 うちのばしが出来て割れないガラスは家庭生活の中で当たり前になるだろう。

やはり提案されているのは、化学のリサーチを、生理学的に快適な新物質の発見に向けることである。 現在の文明化された人類は、そのような物質を3つしか発見・採用できていない。タバコ、アルコール、カフェイン(茶と珈琲)。これらは間違いなく、存在の快適さを大きく増した。化学者は人間の愉しみに対するそのような付加をもっともっと真剣に検討すべきであるとJ.B.S. ホルデイン博士が提案した。

ほとんどの化学物質は生理学的効果の面では不愉快ないしは危険であるが、しかしごく少数の、1000もいかないほどのものは、医学的に価値がある。次の数百年間の化学が、タバコのように快適で無害だが、消費する者にそれぞれ異なる影響を与えるような物質を何十も発見できれば、世界の働き者の男女すべてから感謝を勝ち取れるだろう。

連中は、私たちをラリらせるのが大好きだ。

人間の存在の偶発的な事を変える以上の物理と化学の進歩が2029年までに起きるとは予測されない。しかし生物学では、今日のような生活の性質を一変させる変化が予測される。

最低限しか知らない人でも、医薬品と手術における近い将来の驚異的な進歩を期待している。その期待は裏切られないだろう。2029年までには疫病は撲滅されるし、ガンや肺炎の治療法も見つかるとみて間違いない。

その通り。連中はすべての治療法を持っている。ただ一般大衆がそれを目にすることは絶対にないというだけ。


完全で長い麻酔が実用可されるだろう。だから手術は痛みを伴わないだけでなく、患者はその後も手術による痛みを感じないだろう。そのような進歩により、完全に痛くない出産も可能になるだろう。

2029年までに生物学者たちは人体の生きる化学の秘密を学んでいるだろう。少なくとも驚異的な結果を達成できるぐらいには学んでいるだろう。若返りは普通のことになり、適切な間隔を開けて注射をいくつか打つだけで済むだろう。
彼らはこの注射をいつ使っていたのだろうか?絶対、あなたのためではない。


(中略)

2029年までに、生物学者たちは人間の遺伝の神秘の一部を解決しているだろう。遺伝は、特定の「遺伝子」(単位)によって決定される。それに関して既に科学で多くのことがわかっている。それらは最小の体である。もし雌鳥の卵が世界の大きさに拡大されたとしたら、その中の遺伝子の一つは良い大きさのダイニングテーブルの上に載るほど小さい。生物学者がこれらをコントロールできれば、遺伝をコントロールできる。

これは1929年で、また沢山のことが発見される前だ。

おそらく2029年までには、若く利口な男性は、結婚をプロポーズする前にフィアンセの遺伝的様相を考慮するようになるだろう…

優生学のことを言っている。

…そして若い女性は、子供を喧嘩っ早くしむける遺伝子を父親から受け継いでいるその男を拒絶したりするだろう。

人間の態度の話をしている。 身体的な障害には触れていないのは興味深い。この人たち優生思想の持ち主である。しゃべっているのはエリートだ。

適性な遺伝子を知的に組み合わせることによって、結婚から本当に素晴らしい子供たちが生まれる可能性をリーズナブルな確かさで予測できるようになるだろう。

それは今日「遺伝的強化」とよばれている。当時からその用語はあったのだが、私たちは知らなかった。私たちは暗闇の中にキープされている。彼は飛行船と複葉機の時代にこんなことを言っていた。「悪い」遺伝子を取り出す話をしている。ほら、偉い人に喧嘩をしたり反抗したりするような、劣ったタイプだ。 彼が言っているのはそういうこと。この男が生まれる前からすべて議論されていたことである。


しかし、2029年までに、人間の遺伝と優生学の問題はすべて体外出産の展望に飲み込まれるだろう。

つまり、母親の体外で受精された細胞から子供を発達させるのである。研究所のベンチの上にある、リンパ液?で満たされたガラスの入れ物の中で。そのような展開は驚異的でもないし、遠い先の話でもない。

リサーチ結果から示されているのだが、母親とその成長中の子供の関係は、純粋にケミカルなものだ。ある日、生物学者たちがそのケミカルな関係を研究所の中で完全に模倣できないと考えない理由はない。




つまり、生まれたらすぐにガーガー鳴いて、母親の代わりにペトリ皿やベンチに抱きつけばいい。なぜならこの愛の結合はすべてナンセンスだから。純粋にケミカルなのだから、というわけだ。こちらは1960年代以降、おニューであるかのようにいろいろな話を聞かされたが、はるか昔に全部決められていた。この男は1929年に書いていた。彼も自分で思いついたのではない。「知る者たち」の仲間に入れてもらったのだ。すべて1800年代に決められていた。


体外出産の子供たちという可能性は、むろん、最高に激しい反対に遭うだろう。いくつもの宗教団体とその信者が、そのように根本的な生物学的発明と戦おうとするだろう。 事実、その可能性に触れただけでも、根拠なしにひどいと感じる読者も多いかもしれない。 しかし、それは可能である。可能なのだから、科学者たちの追求は何をもってしても妨げられないだろう。
一般大衆の反応はすべて事前に予見されており、連中が発表をした時には乗り越えることができる。こちらにはひとことも言わないうちから、すべての議論や問題が議論され尽くしており、乗り越えられている。そして発表したあとにも再び、あれは新しかったのだと念押しする。

体外出産が人間社会の中の確固たる一部になることがあれば、その結果は破砕的だろう。まずそれは生殖を結婚から切り離すので、結婚制度は完全に変わるだろう。さらに、未来のいかなる国家でも、住民の性格は、その時たまたま権力の座にある政府によって決定されうる。

こいつは1930年代に「素晴らしい新世界」を書いたオルダス・ハクスリーと同じ年齢層である。連中は「知ってる派」に入れてもらっていたので、こういうことを知っていた。ここで連中がうだうだ言ってる話は全部はるか昔にこっそり実行されている。

さらに、未来のいかなる国家でも、住民の性格は、その時たまたま権力の座にある政府によって決定されうる・・・

もう一回。

…未来のいかなる国家でも、住民の性格は、その時たまたま権力の座にある政府によって決定されうる。次の世代の体外受精両親が採る選択を規制すれば、未来の内閣は、産業的な阿呆の国を交配で作ることができる。または人口5000人の無責任な壁画作家ですら作れる。

これは上流階級がくすくす冗談を言っているのだ。

体外受精の別な影響として、社会はたまたま生まれてしまった不適切なタイプ全部の吸収を強要される代わりに一番必要とするタイプの人間を作ることを許されるべきだという懇願があるだろう。。

またしても優生学と、計画された社会。それははるか昔、あなたやあなたの両親が生まれる前からアレンジされていた。

強くて健康で、複雑で面倒なタスクを行える知性を備えていながら、すべての野望に欠けたような品種を交配で作れるとしたら、その誘惑に抵抗する支配階級などどこにあるだろうか?


そのような場合、奴隷制に反対する主張はすべて力を失うことになる。未来の体外受精で生まれる奴隷たちは、鎖を感じないからだ。普通の人間が持っている、奴隷制を屈辱的で退屈なものとさせる衝動は、すべて精神機能から除去されるだろう。

彼は気にしないだろうがね!

彼の唯一の楽しみは、そのタスクになる。彼は働き蜂の人間版そのものになるだろう。
(中略)

人間生活が依拠する基本的産業としての農業の終焉が暗示されるだろう。

化学と同盟を組む生物学がおそらく農業を終わらせる。安い製造によって、世界中の工場で週10時間労働が当たり前になるよりも先だろう。

2029年までに農業は撲滅されなくとも衰退する。少なくとも文明化された土地では。




連中は当時から、その遥か前から、知っていた。

農業終焉に向けた最初のステップは、すべての植生に必要不可欠な大気中の窒素を「修復する」能力を持った、良いバクテリアの製造になるだろう。

そのようなバクテリアは絶対に自然界では発達しない。それらの祖先の多くも、研究所の完全に人工的な条件下でなければ生きられないだろう。しかし、アクティブな窒素修復バクテリアが農地で増殖できるようになれば、スーパー効率的な堆肥として作用する即効性があるだろう。それらの力を借りれば、現在1本の小麦が育つところで5ー10本育つようになるし、10頭の家畜に食べさせる牧場は50頭に食べさせるようになるだろう。もちろんそのような進歩をすべての政府は不安の眼で見守るだろう。食料価格は暴騰し、世界中で何百万人もの労働者の生活は消えるだろう。

この進歩にすぐ続いて、合成食品の完成が来るだろう。

現在、我々はおもしろいほど無駄でおおざっぱな方式により栄養を得ている。太陽のエネルギーは植物によって吸収され、その組織の中におもにセルロースの形で貯蔵されている。人体はセルロースを消化できないのでその栄養を抽出できない。しかし多くの動物は、バクテリアの力を借りて、これをやってのけている。そして我々は羊、牛、豚などの群れをキープしている。皆、セルロースを消化するタスクにたずさわっており、それを我々が生きるための肉や牛乳に変えている。

消化できないセルロースを消化できる形に転換させるのは、すでに可能だ。しかしそのオペレーションのコストが実験以外での実施を阻んでいる。こういったプロセスは確実にさらに調査・開発されるだろう。そして2029年までに、炭水化物と糖(我々のもっとも価値ある食物のうちの2つ)はこんにちの砂やおがくずと同じぐらい安くなるだろう。

もう一つのもっとも重要な人間の食物、たんぱく質に関しては、2つの可能性が存在する。それもやはり合成的に製造することもできるし、または、ビーフステーキや鶏のもも肉など、もっと賞賛されている種類の動物性食品は、研究所の適切な媒体の中で育てられるだろう。

好みのやわらかさを持つ「親」ステーキから、望みどおりの大きさやジューシーさのステーキを育てることが可能だろう。親に正しい化学的栄養が供給されているかぎり、それは無限に、そしてひょっとすると永遠に成長し続けるだろう。そこから数ポンド、充分な大きさを切り取って、いつでも市場に送り出すことができるだろう。

合成食物と、胎内での動物の組織の製造は、地球資源からでは子供たちが食べられなくなる日を予測していた臆病者たちの心をようやく落ち着けるだろう。世界の居住可能な場所は不都合に混み合っているが、そのような手段により、何百万人もの人類が満腹になるまで食べられるようになるだろう。

食料生産の第2の革命は、農業の衰退を完成させるだろう。農業は金持ちの趣味としてのみ生き残りうるだろう。

しかしおそらく、次の世紀の合成食品は、現在のそれの同等品に比べ、はるかに消化しやすく食欲をそそるものとなっているだろう。だから農業は歴史的ロマンスの中にしか生き残らないだろう。 


歴史の初めから、都市は郊外に寄生してきた。

まさに彼じゃないか。




2029年には、科学が都市を自活型ユニットにするだろう。英国には、何トンもの食料を輸入せずとも何百万人を食べさせる力のある研究所がいっぱいになるだろう。

多くの人がそのような展望を嘆き悲しむだろう。華々しい農民だけが政治生活のまともな基盤なのだからと主張するのだ。農業が取り返しのつかない衰退に入った時に安定した産業社会の進化を計画する必要がある。

そのような取り組みは人智を越えているはずもない。何世紀も存在してきた社会の農業基盤はそれじたい、遊牧民や野蛮人から進化したものだ。そんな人々を平和で安定した農場経営者の生活に従わせたときは、世界に現存する農業主義者の子孫を都市化させるよりもはるかに暴力的な調整が必要だっただろう。

2029年までにこれら全ての変化が起きないことも考えられる。科学的進歩は一進一退であり、見極めのつく定期性や時期は何もない。応用科学は、数年間の暴力的進歩のあと停滞したり、一番良くても小さな仕上げや単純化によって前に進めれる事例が多い。
(中略)





科学は新しいものではない。私たちが聞かされているのはすべて旧式だ。私たちが使っているのはすべて旧式だ。事実、こちらがどれを手に入れる前にも、それを大衆に与えるか否かについて、非常に上のレベルで巨大な議論がおこなわれる。そして与える場合には必ず秘めた目的がある。私たちはすべてのグッズを見て手を叩いて喜ぶ。「わあおもしろい。なんて楽しいんだろう。もっと長く遊べる」。ところが実際は、私たち自身で思考できなくなるような状態に連れていかれている。全部私たちのためにやってあるからだ。今日の世界においては、多くの人はそういうアレンジでもかなり幸せだ。そのことについてあまり意識的に考えてみない。アイデアが売り込まれ、ダウンロードされる。 コンピュータにプログラムがダウンロードされるのと同じく効率的になっている。なぜなら我々はある意味「歩くコンピュータ」なのだから。


アラン・ワット
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