HKS魚拓

ロンドン&フランクフルトのコントロールフリークたち  by 気まぐれです。

「気まぐれです。」というサイトの魚拓から転載
(https://web.archive.org/web/20140529183548/http://bilininfojp.blogspot.jp/2014/05/blog-post_1288.html)

原文:ジェフリー・スタインバーグ


http://www.larouchepub.com/other/2000/2718_cybernetics_to_littleton.html






・・・戦後すぐ、心理学などの社会科学をマルクス・フロイト式にねじ曲げて一般社会のコントロールと洗脳のために使おうという、 フランクフルト学派とロンドンのタヴィストック研究所による協力が始められた。米国の知的伝統に対するその攻撃の2本柱は、サイバネティクス、および麻薬のカウンターカルチャーだった。戦時中に実験した大衆心理操作技法を使って米国民を邪道に導きコントロールするというその目標について、当時、幾人もの著名な社会科学者たちがオープンにべらべら喋っていた。力点が置かれたのは、ほとんどの事例において、子供たち、そして家族生活の枠組みを破壊する必要性だった。





フランクフルト学派によるこの大規模な社会工学の取り組みに加わったバートランド・ラッセル卿は、1951年の著書『科学が社会に与える影響』(”The Impact of Science on Society”)の中で「生理学と心理学は、いまだ発展を待ち受ける科学的技法の分野である。それらに基本的矛盾があるという見方を私は受け入れない。それらを基盤としてどのような構造物を建てられるかはまだ見えていない」「最大の政治的な重要性を持つ主題は、大衆心理学だと考える。. . . . 現代のプロパガンダの手法によってその重要性は莫大に増した。そのうち最も強い影響力があるのが、”教育”と呼ばれているものである。宗教にも、減少しつつあるとはいえど一つの役割がある。報道、映画、そしてラジオの役割が増している . . .そのうち、対象者を幼い時に捕まえることができ、国から金と装置の提供があれば、誰でも、誰に対してでも、どんな内容でも説得できるようになることが期待される」と漏らした。



ラッセルは続けた。「その主題に最大の進歩が生まれるのは、科学的独裁制の下で科学者たちによって取り上げられるときだろう. . . . 未来の社会心理学者たちは、たくさんの学級の子供たちを相手に、”雪は黒い”という揺るぎない確信を作り出すための様々な手法を試すだろう。すぐにあらゆる結果が出るだろう」。

「第一に、家庭の影響は妨害的である。第二に、10才以前に教義の植え付けが始まらなければ大したことはできない。第三に、詩を音楽に合わせて何度も詠唱する のはとても効果的である。第四に、雪は白いという意見は奇抜さを好む病的なテイストを示しているとされなければならない。だが私は期待している。こ れらの格言に正確に従い、雪は黒いと子供たちに信じさせるために一人頭どれだけのコストがかかるのか、雪が濃い灰色だと信じさせる場合はどれだけお安くな るのかを突き止めるのは、未来の科学者たちにかかっている」。

ラッセルは警告でしめくくった。「この科学は念入りに研究されるが、厳格に統治階級向けにとどめられるだろう。自分たちの信念がどのように生成されたのかを知ることは、一般大衆には許されないだろう。その技法が完成されれば、一世代の教育を司るすべての政府は、軍や警察を必要とせずに臣民を確実にコント ロールできるようになるだろう」。





ラッセルと「死の部屋」



ラッセルは科学的独裁制の構想に何十年も取り組んでいた。1931年の著書『科学的展望』では、「科学的な社会における教育」に一章を割いている。その中でラッセルは少数寡頭勢力による全体主義のビジョンについて、やはりあけすけに語っている。イエズス会の二層式の教育を引き合いに出してラッセルは主張した。

「同様に、科学的支配者は一般的な男女にはある種の教育を提供し、科学的な権力を持つようになる者たちには別の教育を提供する。一般の男女は、従順、勤勉、 几帳面で、考えず、満足していることが期待されるだろう。これらの品質の中では、満足がおそらく最も重要だと考えられる。それを作り出すために、心理分析、行動主義、生化学すべてのリサーチが実行に移されるだろう」。

「... ほぼ全員が、ノーマルでハッピーで健康な少年少女になるだろう。食べるものは 両親の気まぐれに任されるのではなく、最高の生化学者たちが推薦するようなものになるだろう。ほとんどの時間を大空の下で過ごし、本からの学習は必要最低限以上には与えられないだろう。そのように作られた気性の上に、下士官の訓練手法、またはボーイスカウトが使う、もう少しソフトな手法によって、従順さが課せられるだろう。すべての男女は”協力的”とよばれるものになるよう幼い頃から学ぶであろう。つまり、皆と全く同じ事をするように。これらの子供たちには、イニシアチブや不従順さを罰によって思いとどまらせる。それらをなくすための科学的な訓練があるだろう」。



科学的な支配層の一員となるように選抜された子供たちには、かなり異なる教育が与えられる。「例外として、世界国家および自身の階級への忠誠という問題から」とラッセルは説明した、「支配階級のメンバーたちには冒険心とイニシアチブに富むことが励まされる。科学的なテクニックを改善し、新種の娯楽の連鎖で労働者を満足させておくのは彼らの仕事であるということが認識されるだろう」



だがラッセルは非常に強い警告を付け加えていた。「しかしごく稀に」と彼は警告した、「通常社会的地位が決定される年代を過ぎた少年や少女が、支配者に匹敵するようなきわめて画期的な能力を示した場合には、 深刻な検討を要する困難な状況が浮上する。もしその若者が過去の人脈を喜んで捨て去り、自らの運命を心から支配者の側に投入するようなら、適切な試験ののちにプロモートされてもよいだろう。しかし、過去の人脈との残念な連帯をいくらかでも見せるようであれば、支配者たちは渋々ながら次のような結論を出すだ ろう。その間違った規律の知性が暴動を広める時間を見つけてしまう前に本人を死の部屋へ送る以外、もう何の手立てもない、と。これは支配者たちにとって痛ましい義務ではあるが、その実行にひるみはしないだろう」。





ハクスリーの「精神の強制収容所」



「科学的独裁制」に関するラッセルのあけすけな描写は、「素晴らしい新世界」の著者オルダス・ハクスリーが1961年に米国国務省の「ボイス・オブ・アメリカ」で行った講演の内容とも一致していた。薬理的に操られながら「精神の強制収容所」の中に暮らす奴隷たちの世界。それはプロパガンダとサイコトロピックな麻薬によって強化されている。「奴隷でいることを愛する」ように学んで、抵抗の意志を完全に手放す。「これこそ」とハクスリーは結論づけた、「最終的な革命です」。




ハクスリーはサンフランシスコのカリフォルニア医学学校での講演で述べた。「次の世代ぐらいには、奴隷でいることを人々に愛させ、いわば涙なしの独裁制を作り出すための、薬理学的な手法ができるでしょう」。社会全体のための痛みを伴わない強制収容所を作る。「人々はみずからの自由が奪われても、むしろそれを楽しむようになる。なぜなら、プロパガンダや、薬理学的手法で強化された洗脳によって、どんな反抗の欲求からも気を逸らされているからです。これが最終的な革命であるように見えます」。






ハクスリーの相棒として1950年代にサイコトロピックドラッグの実験をしたハーバード大学心理学学部のティモシー・リアリー博士も、ラッセル/ハクスリー/フランクフルト学派のやつらの倒錯した頭の中身をチラ見せしている。ハーバード大学のサイケデリックドラッグプロジェクトに関する自伝的著書「フラッシュバック」の中で、リアリーはハクスリーの言葉を引用した。


「これらの脳のドラッグは、研究所で大量生産されて、社会に莫大な変化をもたらすだろう。 キミや僕がいたっていなくたって、これは実現するだろう。僕らに出来ることはクチコミで広げることだけだ。この進化の邪魔になるのはね、ティモちゃん、聖書ですよ」。

リアリーは付け加える。 「我々は一つの神、一つの宗教、一つの現実というユダヤ・キリスト教的なコミットメントに対して反逆していた。ヨーロッパはそれによって何世紀も呪われてきたし、アメリカも建国以来ずっとそうだった。精神を複数の現実に開かせる麻薬は、必然的に多神教的な宇宙観を導いた。知性・良質の多様性・科学的多神教(ペイガニズム)にもとづく新しいヒューマニスト宗教の時代の到来を我々は察知した」。

このような大規模な社会工学の恐ろしい考え方が、原水爆の時代に、世界戦争に対する「ヒューマニスティックな」代替として提示された。そして、中心的な2つのプロジェクトが立ち上げられた。







権威主義的な人格



その2つのうち最初のプロジェクトは、1943年1月にカリフォルニア大学バークレー校の3人の社会心理学者によって立ち上げられた。エルス・フエンケル=ブランズウィック(俗称「フランクフルト学派」フランクフルト社会リサーチ研究所の創設メンバー)、ダニエル・J・レヴィンソン、R・ネヴィット・サンフォードである。

それは反ユダヤ主義の根について調査するための、ささやかな500ドルの研究助成金として始まったのだが、間もなくキノコ雲のようにデカくなり、それまでの米国史上最大の社会プロファイリングプロジェクトになった。



1944年5月に米国ユダヤ委員会が「科学リサーチ部門」を設立した。率いたのはフランクフルト学派の所長マックス・ホークハイマーだった。ホークハイマーはAJCやロックフェラー財団などからの潤沢な資金で「偏見に関する研究」というプロジェクトを作った。

「偏見に関する研究」は、数多くのフランクフルト学派メンバーに雇用を提供した。かれらは様々な理由から、戦争への直接的協力はしていなかった(たとえば ヘルベルト・マルキューゼとフランツ・ノイマンは、こんにちのCIAの前身であるOSSの研究分析部門に招かれていた)。

ヘッダ・マッシング、マリー・ヤホダ、モリス・ヤノヴィッツ、テオドール・W・アドルノは全員その研究に取りかかった。そしてホークハイマーの指示の下で「国際社会リサーチ研究所」を公式に再構成し、ドイツウァイマール共和国にあったもともとのフランクフルト学派を移植転生させた。



1944年から1950年までの間に米国ユダヤ人委員会のために5つの「偏見に関する研究」が実施された。その中でも一番重要だったのが「権威主義的な人格」(NY、ハーパー、1950年)だった。

その著者、アドルノ、フレンケル=ブランズウィク、レヴィンソン、サンフォードは、バークレー世論研究所と国際社会リサーチ研究所のメンバーで構成された大研究班を作り、何千人ものアメリカ人にインタビューを実施した。目的は権威主義、偏見、反ユダヤ主義に深く根付いた傾向とされるものの輪郭を描くことだった。プロジェクトの研究班長を務めたのはカート・レヴィン博士の愛弟子で、フランクフルト学派とタヴィストック研究所をつなぐ重要な橋渡し役をしていたウィリアム・マロウ博士だった。

その研究は、自己達成型予言とマルクス/フロイド式自己幻滅のエクササイズだった。ホークハイマーとアドルノは、最初のアンケートの草稿が作られるはるか前から、とっくにどっさり書いていたのである。アメリカの核家族の性質は「権威主義的」であり、アメ リカ人がもっている超越的で一神教的な神への信仰は「問題」であり、アメリカの愛国主義の底部に全体主義的な性質がある、と。
アンケートの回答データは事前に「調理」されていた。アメリカ人の反ユダヤ主義、自民族中心主義、反民主主義的教義、そして究極的にファシズムに傾きがちな傾向を測るためのいろいろな尺度が(前もって)作ってあったのである。研究班がアメリカの大衆のことを「嫌疑どおり有罪」と認定したのは驚きではない。調査班は「アメリカ人の教義と大衆文化が劇的に転覆されない限り、アメリカはまもなく第4帝国となって、より大規模にヒットラーの恐怖を繰り返すだろう」という重い警告を発した。

「権威主義的な人格」の最終章には、研究結果の概要と、社会変革のレシピが書かれていた。「心理的手段だけでは全体主義的な構造となりうるものの改変が達成できないことは明白であるようにに見受けられる。そのタスクは、世界から神経症や犯罪やナショナリズムを根絶することに匹敵する。これらは社会の全体的な構成が生み出したものであり、社会が変わらない限り変わらない。そのような変化をどうしたら実現できるかについて語るのは心理学者の仕事ではない。その問題は全ての社会科学者の努力を要請するものである。(中略)

「感情のアピールはファシズムを望む者たちのもので、民主的なプロパガンダは理性と抑制にのみ限定されるべきと仮定する必要はない。恐怖と破壊がファシズムの主要な感情的ソースなのであれば、エロスは主に民主主義に属するものだ」



エロスはまさにフランクフルト学派とその仲間たちが次の50年間にわたって採用した兵器だった。・・・彼らはエロティックで正道を踏み外したマトリックスへとアメリカ文化を転換させた。それは、非人間的な麻薬乱用、性的な倒錯、暴力の賛美に対する「政治的に正しい」寛容さの専制ともつながっていた。フランクフルト学派のマルクス/フロイト式革命家たちにとって、大嫌いなユダヤキリスト教文明の究極的な矯正手段とは、何世代もの屍姦嗜好者を作って文明を中から破壊することだった。




いまの文章が強烈すぎるようであれば、次のことがらを考慮してみてほしい。1948年、フランクフルト学派のリーダー、テオドール・アドルノは「現代音楽の哲学」の中で、現代音楽の目的は聞き手を文字通り狂気に駆り立てることと述べた。現代社会は悪と権威主義と全体主義の温床なのだから、まずはあらゆる形の文化的な悲観主義と変態性を広めることによって文明を破壊することでしか解放は実現しえないと主張し、アドルノはこれを正当化した。
(気まぐれです:フリーメイソンが好きな”Order out of chaos”破壊から生まれる秩序・・・)。
現代音楽の役割について彼はこう書いた。「精神分裂病はダイレクトには表現されない。しかし音楽じたいに、精神を病んだ人々の態度と同様のものが刻まれる。個人は自身の分裂を実現する。彼は魔術によるその約束の成就を想像する。しかしながらそれは直近の現実領域の中である. . . . 現代音楽は、精神分裂病の特徴を美学的意識をつうじて支配する。それにより、狂気を真の健康として立証することを願うのだ」。
屍姦はこの病んだ社会における「真の健康」の究極的な表現である、とアドルノは付け加えた。






フランクフルト学派のもう一人の重要人物エーリッヒ・フロムは、1930年代の昔から「権威主義的な人格」の研究の中で用いられた尺度の考案に中心的にとりくんでいた。彼は強い影響を与えた1972年の著書「人間の破壊性の解剖」の多くの部分を屍姦の分析に割いていた。フロムは、現代社会の支配的な傾向は屍姦であると述べ、その定義を、死と破壊へのあらゆる形の執着、とくに強い性的な含蓄のあるものとした。

皮肉なことに、この大規模な社会的倒錯に対する彼の「治療法」とは1960年代後半の麻薬・ロック・セックスのカウンターカルチャーだった。

「悪の攻撃、屍姦」という章の中でフロムは書いた。「屍姦が発達すると同時に、生を愛するという逆の傾向も発達している。それは数多くの形態で表れている。命が殺されることへの抵抗、それはすべての社会的階層と年齢層の人々による抗議だが、特に若者たちによるものだ。公害と戦争に対する抗議が沸き起こることには希望がある。この抗議は、若者が麻薬に惹きつけられている点からも理解されるべきである」




麻薬乱用を通じた解放



「権威主義的人格」プロジェクトの4人のディレクターの1人、R・ネヴィット・サンフォードが、1950年代と1960年代のサイケデリックドラッグの実験と、それらの最終的な大量使用に関して中心的な役割を果たしたことは記しておく価値がある。

サンフォードは1965年、英国の卓越した心理戦闘部門であるタヴィストック研究所の出版部門から出版された「ユートピアーテ:LSD25の使用とそのユーザー」の前書きを書いた。

タヴィストック研究所は 第2次大戦中に英国軍の精神医学部門を指揮した。そして戦後すぐ、一流の洗脳専門家たちをアメリカに派遣して、CIAと国防総省によるMKウルトラプロジェクトなど秘密のマインドコントロールプロジェクトに取り組ませた。それらのプロジェクトでは、LSDなどのサイケデリックスの研究がおこなわれた。サンフォードは、MKウルトラの極秘LSD実験の主要な前哨地だったスタンフォード大学の「人間問題研究研究所」を率いていた。

サンフォードによる麻薬合法化の主張は、こんにちに至るまで麻薬肯定運動のプロパガンダの中核である。「4万人ていどの麻薬中毒者に、国じゅうが右往左往している。その人たちは、どんなコストがかかろうとも警察力で押さえつけておかなければならない変人だと思われている。(500万人のアル中ではなく)麻薬中毒者に焦点を当てて、それを医学的問題でなく警察の問題としてとらえるなんてことを支援するのは、ガチガチな清教徒主義だけだろう。一方、危険な麻薬と一緒に大麻とペヨーテのような無害な麻薬まで禁止しているではないか」。

ジョージ・ソロスやイーサン・ネイデルマンなど、今日の麻薬肯定派の主要プロパガンディストたちは、36年前にサンフォード博士が書いた科学的イカサマをそっくりコピペして麻薬合法化の議論をぶちまけている。





サイバネティクス・グループ



フロムの本の中で何度も繰り返された「大ぼら」の一つが、「エロチックな麻薬・ロック・セックスのカウンターカルチャーは、サイバネティックでテクネトロニックで”屍姦的”な社会に対する矯正手段になるだろう」だった。

しかし実はフランクフルト学派と、その同盟相手だったラッセル/ウェルズ/ハクスリーら、英国の少数寡頭勢力は、サイバネティクスプロジェクトと1960年代のカウンターカルチャープロジェクトの両方を設計した。

事実、CIAと英国の諜報機関が、LSD-25などのサイケデリックドラッグの大量実験を実施したのは、ジョサイア・メイシー財団が後援した「ザ・サイバーネティクス・グループ」の傘の下でだった。LSDは最終的にサンフランシスコやニューヨークの街中、米国全土の大学の敷地に流れていき、1966-72年のカウンターカルチャー「パラダイム・シフト」を生んだ。






「ザ・サイバネティクスグループ」は、NYで1942年5月に開かれた会議「大脳抑制ミーティング」で非公式に立ち上げられたもので、内輪では『ヒューマンマシンプロジェクト』と呼ばれている。スポンサーはジョサイア・メイシー財団の医学ディレクター、フランク・フレモント=スミスだった。参加者には、ウォレン・マカロッチ、アルトゥーロ・ローゼンブルース、グレゴリー・ベイツソン、マーガレット・ミード、ローレンス・K・フランクらがいた。


ノーベルト・ヴィーナーの愛弟子だったローゼンブルースは、エンジニア、生物学者、脳神経学者、人類学者、心理学者からなる集団を作って、社会操作実験を考案することを提案した。それは「人間の脳なんて、複雑なインプット/アウトプットマシン以上の何物でもないのだから、人間の行動をプログラムすることは、個人的な規模でも社会的な規模でも可能である」という主張に基づいていた。



第二次世界大戦で、プロジェクトの出発は4年間遅れた。しかし日本が降伏してまもなく、マカロッチはメイシー財団の公式な後援の元での2度目の集会開催をフレモント=スミスに依頼した。1946年3月に
"The Feedback Mechanisms and Circular Causal Systems in Biology and the Social Sciences Meeting."というタイトルで開催されたその会議は、1946年から1953年にかけて10回開かれた会議と1年がかりの研究の発端となった。初回の会議から生まれたのは、人間とマシンの融合にもとづいて究極的にエンジニアされた社会を作るという極悪な運動だった。

20人ほどからなるコアグループがこのミッション実行のためのタスクフォースを形成し、現在でも仕事を続けている恒久的な機関がたくさん作られた。ヴィーナーは、メイシープロジェクト設立セッションの一年後、その努力をあらわすために「サイバネティクス」という言葉を発明した。

第一回メイシー会議に集まった「ジキル博士」たちは誰だったのか?

ウォレン・マカロッチ 10回の会議すべての名目だけの会長。第一回会議開催当時はイリノイ大学の精神医学と生理学の教授だったが、まもなくMITのエレクトロニクスリサーチ研究所に移った。
ウォルター・ピッツ 最初はイリノイで、のちにMITで、マカロッチの愛弟子だった。
グレゴリー・ベイトソン  文化人類学者で、マーガレット・ミードの当時の配偶者。まもなくカリフォルニア州パロ・アルトの帰還兵病院のリサーチディレクターに就任して、MKウルトラその他、精神改変麻薬を用いた政府による極秘実験の中心人物になった。
マーガレット・ミード 当時はNYの米国自然史博物館のアシスタント・キュレーター。サイバネティクスグループの「地球の女神」として活動するようになった。またカート・レヴィンの学生愛弟子であるベティー・フリードマンの後援の下で現代フェミニスト運動の立ち上げを手伝った。
カート・レヴィン MITのグループダイナミクス研究センターの設立者で、フランクフルト学派の主要なfellow-traveller。彼がフランクフルト学派設立者のカール・コルシュと行った言語学の共同研究は、人工知能(AI)分野の基礎を築いた。 レヴィンの全米訓練研究所はのちに全米教育協会の一部となった。そして米国の公教育を、子供に「雪は黒い」と教え込むバートランド・ラッセルの悪夢の企てのようなものへ転換させることに助力した。
ポール・ラザーフェルド コロンビア大学応用社会研究局局長、戦時中はプリンストン大学ラジオリサーチ研究室の室長だった。そこではフランクフルト学派のテオドール・アドルノのパトロンだった。
ジョン・フォン・ノイマン
ノーバート・ヴィーナー

サイバネティクスグループが存在していた7年間のあいだ、驚異的な面々がゲスト参加した。そのひとりがフランクフルト学派のトップ、マックス・ホークハイマーだった。ホークハイマーは「偏見に関する研究」を率いていたあいだ、サイバネティクスグループと協力した。
ハロルド・エイブラムソン  秘密のLSD実験に関わったCIAのトップ科学者の一人。第6回サイバネティクス会議に出席した。さらにスピンオフされた一連の会議では、メイシー財団のリサーチディレクターフランク・フレモント=スミス博士と協力。それらの会議では、メイシー財団の覆いと資金の下で、MKウルトラのトップ全員が集まることができ、アメリカ大衆を麻薬漬けにすることを企てた。その見返りにエイブラムソンはフレモント=スミス個人に対してLSD-25をふんだんに与えた。

メイシー財団は英国の社会工作者ウィリアム・サージャント博士に対する資金とパブリシティも与えた。サージャント博士の1957年の著書「精神のための闘い」は大衆洗脳のハウツーマニュアルだった。サージャントは米国で20年の歳月を費やして、MKウルトラ等、英米政府による秘密のマインドコントロールプロジェクトに取り組んだ。

サイバネティクスグループによって立ち上げられた最悪なプロジェクトのうちのひとつが、世界精神保健連盟(WFMH)だった。その初代会長、ジョン・ローリングス・リース大将は、英国屈指の心理戦闘センターであるタヴィストック研究所の所長だった。

1948年夏、リース、ミード、ローレンス・K・フランク、フレモント=スミス、ホークハイマーは、WFMH立ち上げのために、全員パリに集まっていた。その前年に亡くなっていたカート・レヴィンも準備に携わっていた。そして「精神衛生全国委員会」と、ロンドン拠点の「国際精神衛生委員会」、およびサイバネティクスグループの1/2ダースほどのメンバーが(WFMHの)理事に就任した。

リースの言葉を借りればどちらの機関も4000人以上の「精神医学ショック部隊」のネットワークを従えていた。その人々が世界規模の社会エンジニアリング組織の核をなして、すべてのコミュニティに浸透していった。サイバネティクスグループの2本柱だったマーガレット・ミードとローレンス・K・フランクは、リースの世界精神保健連盟の設立声明「第一回インターナショナルマニフェスト」を執筆した(のちにミードとフランクは2人共、会長としてリースの後を継いだ)。

2人はあからさまに書いた。「メンタルヘルスの目標は健康な人物の育成についての懸念を越え、健康な社会を作るというより大きなタスクになった. . . . メンタルヘルスの構想は世界秩序および世界共同体と同一の広がりを持っている」。フランクはメンタルヘルスの新宗教を作ることすら提案した。


コンピュータと人工知能

ジョン・フォン・ノイマンとノーバート・ヴィーナーにとって、サイバネティクスグループプロジェクトの核はコンピュータの開発、そして高速コンピュータをいわゆる人工知能と組み合わせるという展望だった。人類を文字通り「プログラム」するためにである。これらすべての努力の下に横たわっていたのは、「人間の精神は神聖でもなんでもない。人間の脳はマシンなんだから、その機能はコンピュータで複製できるし最終的には越えることができるだろう」という、途方もないが揺るぎない確信だった。フォン・ノイマンがその確信を最も熱烈に示した。

サイバネティクスグループの巣となったMITの学長ジェローム・ヴィースナー博士は、メイシー財団のセッションのいくつかに参加した。カウンターカルチャーのプロパガンダ屋スチュワート・ブランドによるインタビューで、博士はルシファー主義の人間観を明白に述べている。そのインタビューはブランドの1987年の著書「メディアラボ:MITにおける未来の発明」に載った。

「我々が短期間で本物の思考マシンを開発できるだろうと考えるほど私は傲慢ではありません。しかし神経信号は一秒間に300メートル移動します。電気信号は・・・一秒間に3億メートル移動します。それに、私たちが作る部品はニューロンよりも信頼性があります. . . . 部品の信頼性を高め、刺激速度も相当に高まれば、脳よりはるかに良質なマシンを作れるということになります、やり方さえわかればね」。

ブランドがヴィースナーに尋ねる。「実現すると思いますか?」 ヴィースナー「ええ、私の生きている間とは限りませんが。それが無理であるという理由はどこにもありません。”コンピュータには魂はない”だとか、ありとあらゆるクレージーな議論はありますよ。コンピュータには我々と同じ魂を持つことができないだなんて、どうしてわかりますか?とどのつまり人間がプログラムするんですよ。アイデンティティについての疑問がそれほど興味深いものとは思いませんね」

ヴィースナーはメイシー財団のサイバネティクスグループの取り組みに参加しただけではなかった。1952年、彼はMITのエレクトロニクスリサーチ研究室(RLE)の室長に就任した。ヴィーナー、マカロッチ、ピッツは全員そこに在籍していた。まもなくRLEから「人工知能ラボ」が生まれ、シーモア・ペイパート博士とマーヴィン・ミンスキーが人間の行動と相互反応をプログラミングするタスクにとりかかった。



1980年代までにはMITにメディアラボができた。やはり1940年代と1950年代のサイバネティクスグループの直系の副産物だった。ここでは、高速コンピュータ、コンピュータグラフィクス、ホログラフィクス、コンピュータシミュレータの第一世代の開発をしていたエンジニアやマシン設計者たちと社会工学の専門家たちが手に手をとって仕事をした。MITや、カリフォルニア州パロ・アルトのスタンフォード大学人工知能研究の仕事の大半には、国防総省の国防上級リサーチプロジェクト局(DARPA)が資金提供していた。
メイシー財団のサイバネティクス会議に関するセミオフィシャルな歴史書『ザ・サイバネティクス・グループ』の著者スティーブ・ジョシュア・ハイムスによれば、1980年代までにサイバネティクス界隈の人々は自分たちの宗教まで作っていた。それはおおっぴらにペイガンな信仰システムで、ティモシー・リアリーの「科学的ペイガニズム」の呼びかけにどうしようもなく合致していた。

「ジェームズ・ラブロックとリン・マーガリスは」とハイムズは書いた、「植物、動物、微生物などの生命がいかに大気の化学と気候に影響を与えたか、そして生命と気候がいかに一緒に進化したかについて調べた。詳細なサイバネティクな分析に依拠していたラブロックのガイア理論では、地球を居住可能な空間として維持しておく自己規制型のシステムを作るために、地球上のすべての生き物は大気と協調して行動しているとされる」。「ガイア理論の信憑性は、現在、科学的論争の渦中にある」とハイムズは実際認めた。
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