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アイヒマン語録とミルグラム実験 

ナチスのホロコーストで重要な役割を担った元SS隊員アドルフ・アイヒマンは、自身は権力者に操られる公務員で、服従の誓いに従って忠実に命令を遂行しただけなので心の底では、自分に責任があるとは感じていなかったといわれています。
アイヒマン型の人間が日本には驚くべき程いることは紛れもない事実です。

アイヒマン語録/アイヒマンは「法律や権威への無反省な服従を礼賛する態度」を裁かれた
http://www.asyura2.com/07/senkyo30/msg/849.html
混乱と無秩序が生じないよう、効率的にユダヤ人らを強制収容所・絶滅収容所へと「輸送」するための計画を立て、指揮すること、それが彼の仕事だった。

■アイヒマン語録(裁判での発言)
▽強制移送の開始を命じる通達(「私は・・・指令を与えようと思う」との記述あり)に署名したことについて:
・「当然のことですが、私が通達に署名したのは、上官が許可したからです。」
・「私は責任があるとみなされることはできません。なぜなら、命令に従って署名したことでなぜ罰せられることになるのか、分からないからです。」
・「(通達にある「私」という言葉は)公式な官僚的隠語です。しかし、それは私、アイヒマンとは何の関係もありません。私は私的な手紙を書いていたのではなかったのですよ・・・。」

▽検事長に、「死の大いなる護送兵であることは、厄介なことではなかったのですか?」と問われ:
・「私はしょっちゅう、上官に会いに行って、他の仕事を任せてくれるように頼みましたが、無駄でした。」

▽判事に、「あなたは、義務と良心のあいだの葛藤、いわゆる良心の葛藤を覚えることが、まるでなかったのですか?」と問われ:
・「私はそれをむしろ、二つに分裂された状態、一種の二重化と呼びたい。一方から他方へと、またその逆にも、区別なく人を移行させるような、自覚的に生きられた二重化です」

▽判事「個人的な意識を放棄しなければならなかったわけですか?」:
・「そういうことです。なぜなら、個人的意識を調節したり、それを自ら組織立てたりできなかったのですから」
・「単純にこう言うことも可能だったでしょう。『規則を守ってプレーするのはもう止めだ』と。でも、その場合、何が起こっていたかわかりません。」

▽判事「もっと市民的な勇気を持っていたら、全ては別様に進行しただろう、とは思いませんか?」:
・「もちろん思いますよ。市民的な勇気が序列的に構造化されていればの話ですが。」

▽判事「とするなら、抗いがたい運命ではなかったわけですね?」:
・「戦争だったのだし、物事は動揺していて、各々がこう考えていた。『抵抗しても無駄だ、大海の一滴のようなものだ。一体、何になろう?意味のないことで、善にも悪にもならない・・・』」

▽判事「当時は、権威への服従を拒否することからくる諸帰結を受け入れるのは、誰にとっても極めて困難なことだった」:
・「あのときは、私たちは国家が犯罪を合法化している時代に生きていたのです。その責任は、命令を与えた者にあったのです。」

★「最後にこう明言しておきたい。私は当時からすでに、個人的に、この暴力的な解決は正当化されるものではない、と思っていた、と。恐るべき行為だと考えていた。しかし、とても悔やまれることに、忠誠の誓いに縛られていたので、私は自分の課で、輸送の組織の問題に携わらなければならなかった。その誓いから解放されていなかったのです・・・。ですから、私は心の底では責任があるとは感じていません。あらゆる責任から免除されていると感じていました。肉体的な抹殺の現実と何の関係もなくて、本当にほっとしていました。私は担当を命じられた仕事で、非常に忙しかった。私は課におけるオフィスワークに合っていたし、命令に従って義務を果たした。そして、義務を果たさなかったと非難されたことは一度もない。今日でもなお、私はそれを言っておかねばなりません。」

(参考文献:『不服従を讃えて~「スペシャリスト」アイヒマンと現代~』2000年、ロニー・ブローマン/エイアル・シヴァン著、高橋哲哉/堀潤之訳)


★アドルフ・アイヒマンの裁判で裁かれていたものとは:
「法律や権威への無反省な服従を礼賛する態度そのもの」
←「もし義務がもっぱら服従の義務を意味するなら、命令を遂行したにすぎないアイヒマンは無罪である。しかし、もし彼が有罪であるならば、われわれは次のように考えるべきなのである。すなわち、人間は、自分の道徳観ないし正義観に反するような行為については、たとえそれが国家によって命令されたものであっても、服従を拒否しそれを遂行しないよう道徳的に義務づけられている時点がある、と考えるべきなのである。これは最もドラスティックな形をとった、市民的抵抗の消極的正当化である」

(参考:G・ウッドコック『市民的抵抗』山崎時彦訳、お茶の水書房)

アイヒマン語録 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%B3#%E8%AA%9E%E9%8C%B2

アイヒマン本人の発言

戦前戦中の発言[編集]
「先ごろ一連の地域で行われたユダヤ人の東方移住は、ドイツ本国、オストマルク(オーストリア)、及びベーメン・メーレン保護領におけるユダヤ人問題の、その最終的解決の幕開けである。」(1942年1月31日、アイヒマンがドイツの占領地の全ゲシュタポ局に宛てた文書)

「百人の死は天災だが、一万人の死は統計にすぎない。」

「金貨など不要なのだ。金貨なら自分でも持っている。ほしいのは命令だ。これからどう進展するのか知りたいのに。」(敗戦直前エルンスト・カルテンブルンナーに面会を拒否され、その副官から金貨を渡された際に語った言葉)

逮捕後

「あの当時は『お前の父親は裏切り者だ』と言われれば、実の父親であっても殺したでしょう。私は当時、命令に忠実に従い、それを忠実に実行することに、何というべきか、精神的な満足感を見出していたのです。命令された内容はなんであれ、です。」(イスラエル警察の尋問で)
「連合軍がドイツの都市を空爆して女子供や老人を虐殺したのと同じです。部下は(一般市民虐殺の命令でも)命令を実行します。もちろん、それを拒んで自殺する自由はありますが。」(一般市民を虐殺する命令に疑問を感じないか、というイスラエル警察の尋問に)
「戦争中には、たった1つしか責任は問われません。命令に従う責任ということです。もし命令に背けば軍法会議にかけられます。そういう中で命令に従う以外には何もできなかったし、自らの誓いによっても縛られていたのです。」(イスラエル警察の尋問で)
「私の罪は従順だったことだ。」

人物評

「決定的だったのは彼のコンプレックスだった。SDでは責任あるポストは大学卒業者で占められていたが、彼にはどの学校の卒業資格もなかったので、そのことが大変なショックだった。それに追い打ちをかけたのが、彼が『ユダヤ人風の容貌』をしているという同志たちの意地の悪い言葉だった。同志からジギ・アイヒマンと呼ばれ、そのことでもひどく傷ついていた。」(親衛隊少佐ヴィルヘルム・ヘットル(Wilhelm Höttl))

「私は彼が比較的単純な男だとわかった。知性に関していえば興味を引くところはなく、著しい天才なわけではない。ぶっきらぼうな親衛隊員だった。」(親衛隊少将フランツ・ジックス)
「赤毛の人間を全部殺せとか、名前がKで始まる人間を全部殺せと命令されても、奴ならばその通りに実行するだろう。」(ナチハンターサイモン・ヴィーゼンタール)

「あそこまで魂を売り渡した心理状態の男を私はこれまで見たことがない。我々は知的水準の極めて高い男と対峙していると感じていた。だがその一方で、我々の目の前にいるのは無に等しい男であり、一から十まで協力的で一度たりとも面倒をかけず、時には自分から協力を申し出る腑抜けだった。」(イスラエル諜報特務庁長官イサル・ハルエル)

「もしも彼がより人間的だったなら、彼の人間性が悪の機構に加わることを許さなかっただろう。彼がより非人間的だったなら、仕事の有能さに欠けていたことだろう。ところが彼はその中間であり、ボタンを押せと命じられればボタンを押し、そのボタンを正確に押すことだけに腐心してしまい、ボタンを押せば誰がどこで生命を失うかといったことは考えもしないという、まさしく陳腐な人間を体現していたのだ。」(心理学者ブルーノ・ベッテルハイム)

「アイヒマン問題は過去の問題ではない。我々は誰でも等しくアイヒマンの後裔、少なくともアイヒマン的世界の後裔である。我々は機構の中で無抵抗かつ無責任に歯車のように機能してしまい、道徳的な力がその機構に対抗できず、誰もがアイヒマンになりえる可能性があるのだ。」(哲学者ギュンター・アンデルス(Günther Anders))

「アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ。われわれの法律制度とわれわれの道徳的判断基準から見れば、この正常性はすべての残虐行為を一緒にしたよりもわれわれをはるかに慄然とさせる」

「アイヒマンはイヤゴーでもマクベスでもなかった。しかも〈悪人になって見せよう〉というリチャード三世の決心ほど彼に無縁なものはなかったろう。自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかったのだ。そうしてこの熱心さはそれ自体としては決して犯罪的なものではなかった。勿論彼は自分がその後釜になるために上役を暗殺することなどは決してなかったろう。俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。まさにこの想像力の欠如のために、彼は数ヶ月にわたって警察で訊問に当るドイツ系ユダヤ人と向き合って坐り、自分の心の丈を打ちあけ、自分がSS中佐の階級までしか昇進しなかった理由や出世しなかったのは自分のせいではないということをくりかえしくりかえし説明することができたのである」

「終戦時にふさわしい『私は笑って墓穴に飛び込むであろう』という言葉と、『世界中の反ユダヤ人主義への見せしめとして私は喜んで衆人の前で首を縊ろう』という言葉とは彼の頭の中では矛盾していなかった。事態がまるっきり変わってしまった今、この『世界中の反ユダヤ人主義云々』という言葉は前者とまったく同じく彼の心を昂揚させる機能を持っていたのである」

「アイヒマン自身にしてみれば、これは気分の変化というだけのことであった。そして、その時々の気分にふさわしい悲壮な極り文句をあるいは自分の記憶のなかで、あるいはそのときの心のはずみで見つけることができるかぎりは、彼は至極満足で、〈前後矛盾〉などといったようなことには一向に気付かなかった。後に見るように、紋切り型の文句で自慰をするというこの恐ろしい長所は、死の寸前にあっても彼から去らなかったのである」(哲学者ハンナ・アーレント)


ミルグラム(アイヒマン)実験 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93

アイヒマン実験に学ぶ服従の心理
https://www.earthship-c.com/liberal-arts/eichmann-experiment/

 権威システムに参加する人物は、もはや自分が独自の目的に従って行動しているとは考えず、他人の願望を実行するエージェント(代理人)として考えるようになるということだ。

ある個人がひとたび自分の行動をこうした形で理解するようになると、その行動と内的機能には深刻な変化が生じる。それはあまりに顕著なので、こうした変化後の態度はその個人がヒエラルキーに統合される前とは別の状態に入るとすら言える。

これを「エージェント状態」と呼ぼう。これは、ある個人が他人の願望を実行しているものとして自分を理解したときの状態を指す。この反対が自律状態となるーつまり、その人が自分独自で動いているときの状態だ。

『服従の心理』 (スタンレー・ミルグラム 著 河出書房新社)p180

エージェント状態 3つの特徴

1チューニング(チャンネル合わせ)
 「権威」の言葉に常に意識があっている状態
2場面の意味の再定義
 特定の状況(場面)では「悪」が「善」に再定義される
3責任の喪失
 「権威」の命令を実行しているだけであり、その責任は「権威」にあり自分にはない

(引用終わり)


テクノロジー犯罪は人工知能も多用されていますが、未だ人間オペレータもついていると考えられます。遠隔ドローンのオペレータと同じく距離が遠く離れ、ゲーム感覚になっているのかもしれません。また、アイヒマン型のエージェント意識に洗脳されており、罪悪感を正常に感じられない状態にされている可能性が高いです。これは訓練の結果ではなく、人間性の破壊です。

正常な感情の襞が、習慣的な犯罪行為により完全にマヒしているのだと感じられます。ですが、アイヒマンと同じく、その先には確かに苦しんでいる市民や病気や殺されている人たち、その家族がいます。この罪は、消えることはありません。目を覚ましてください。本当に守るべきものは何か、それを忘れてはいけません。テクノロジー犯罪の本当の目的は、各国市民の脳を最終的に人工知能に繋げロボット化する計画です。国民をロボットにしてまで、一体何を守るつもりなのか私にはわかりません。

私がテクノロジー犯罪に関与している犯罪者たちにいえることは、そこから離れ正気に戻ってくださいということだけです。

アイヒマン型人間は、見方によってはゾンビ型サラリーマンに過ぎないとも見えます。アイヒマンに命令を下していた人間、さらにその黒幕がどのような人間だったか個人的には気になります。

集団ストーカーに関わる工作員に、非常にアイヒマン型人間が多いです。ゾンビ型人間は、実は薬物や電磁波で大量生産できます。今後は、さらにアイヒマン型人間が大量生産されるでしょう。

>・「あのときは、私たちは国家が犯罪を合法化している時代に生きていたのです。その責任は、命令を与えた者にあったのです。」

今も同じ考えで、国家犯罪に関与している世界中のアイヒマン型人間は、いつか裁かれる日が来るのでしょうか。そして、何よりアイヒマン型人間を大量に生み出し、彼らに命令を出している人間、その背後にいる黒幕が裁かれる日は来るのでしょうか。
私は、その日が来るのは奴隷ではない意志ある人間が、どれだけ残っており行動できるかにかかっていると思います。

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