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「洗脳戦争」の背後を探る

「洗脳戦争」の背後を探る
http://web.archive.org/web/20051122061026/http://idaten.to/meikyu/a004.html(魚拓)

●暴露された「MKウルトラ」

 1975年、当時のCIA局長ウィリアム・コルビーは、上院・諜報委員会で証言を行った。この注目を集めた証言で、コルビーはCIAの「財源」について暴露した。それによってCIAが何十年に亙って行っていたマインド・コントロール、洗脳、つまり「MKウルトラ」と呼ばれる秘密実験の存在が明らかとなった。

 後に明らかになったところでは、MKウルトラ要員は何百ものLSD-25を全米に流した。そしてこれによって、彼らは1960年代の麻薬・ロック・セックスというカウンターカルチャーの創造に大きな役割を果たしたのである。

 CIAの洗脳計画は、イギリスの心理学者、心理戦争の専門家たちと深いつながりを持っていた。ロンドンのタヴィストック研究所、そして他のイギリス諜報機関がそうした人々を集めていた。

 タヴィストックのスタッフは第二次世界大戦中、イギリス軍に組み込まれ、イギリス軍・心理局を形成した。タヴィストック研究所の前身、タヴィストック医院は1922年、イギリス軍・心理学者によって設立され、彼らはここで帰還イギリス兵の「ショック・トラウマ」を研究したのである。

 第二次世界大戦後、タヴィストック研究所は「心理軍隊」(ジョン・ローリングス・リーズ所長の言葉)を世界中に派遣した。それは社会を一定方向に向け、洗脳し、世界政府を作り上げるためであった。

 CIAのMKウルトラに直接関わっていた人物として、エウィン・カメロン博士、ウィリアム・サーガント博士を挙げることができる。アメリカ人心理学者ルイス・ジョリオン・ウェスト博士も、MKウルトラに加わる前、タヴィストックで訓練を受けていた。

 オルダス・ハックスレー博士は麻薬を心理学に持ち込んだことで有名である。ハックスレーもMKウルトラでしばしばレクチャーを行い、秘密諜報計画に加わっていた。この計画には、心理状態を変化させる薬の使用、そして薬を用いない他の洗脳方法が含まれていた。ハックスレーは1957年初頭、ウェストとの共同研究を開始し、ハンフリー・オズモンド博士への手紙で、若きウェストについて「極めてきれる若者」と評している。ちなみにオズモンドも、MKウルトラで中心的役割を果たした心理学者である。

●心理戦争の民営化、そしてメロン・スカイフェ基金

 CIA局長コルビーは、CIAがアメリカ国内での違法な洗脳実験に関与していたことを公的な場で率直に認めた。この実験は表向き、朝鮮戦争中、共産主義者がアメリカ兵捕虜に行った洗脳実験「満州実験」に対抗するためのものであった。

 とはいえ、アメリカ人を対象にしたCIAによる洗脳実験が暴露されるに及び、全米で怒りが爆発し、この計画を暴露する多くの本・雑誌が書かれた(この時、約7000ページに及ぶCIA報告書が参照された)。

 CIA元局長リチャード・ヘルムズは、MKウルトラを推進した中心人物だったが、彼は洗脳計画に関するCIAファイルをすべて破棄するように命じていた。しかし、CIA財務部は、その命令について自らの部署には関係がないと考え、MKウルトラに関する財務資料を破棄していなかった。そして、財務資料が残り、それによって皮肉ながら、CIAが多くの免税基金やCIA特権を利用していたことが露となったのである。一例を挙げれば、MKウルトラが大学、病院で実験を行ったような場合である。

 ほんの数年前にも、最もスキャンダラスな暴露が明らかになった。それはカナダ人グループがCIAとカナダ政府を訴えたことに端を発している。その訴えは、タヴィストックのエウィン・カメロンがモントリオールのマギル大学、アレン記念医院で行ったCIA絡みの心理実験に関してであった。

 CIA及びアメリカ政府は、洗脳計画はコルビー証言以来実行されていないと主張していた。しかし証拠から、MKウルトラは単に「民営化された」(雇われたのはやはりイギリス要員)にすぎないことが分かったのである。

 イギリス、そしてアメリカ国内のイギリス要員は、依然として違法な諜報活動を繰り返していた。その際、いくつかの基金が利用された。そうした基金はMKウルトラがまだ「民営化」されていなかった頃、CIA・ペンタゴンの資金をロンダリングする目的で設立されていた。

 そうした基金の中でも、最も重要なものとして「アメリカ家族基金」(AFF)を挙げることができる。そして、この基金への最大の資金提供者が、リチャード・メロン・スカイフェであった。

 アメリカ国内のイギリス宣伝団体「フォーラム・ワールド・フィーチャーズ」、「コングレス・オブ・カルチュアル・フリーダム」、1980年代の「プロジェクト・デモクラシー」(ジョージ・ブッシュとオリー・ノースの団体)が民営化した時にも、メロン・スカイフェ系の基金が関わった。これは偶然ではない。

 これらの民営化作業は、CIA局長アレン・デュレスが1953年、公的な場で認めたように「心理戦争」の一環だった。1973年には、あらゆる「心理戦争計画」の民営化を提唱する研究グループの議長に、ニコラス・カッツェンバックが選ばれた。メロン・スカイフェもこれに加わり、秘密諜報活動をバックアップした。

●アメリカ家族基金(AFF)

 記録によれば、AFFは1979年12月に設立された。1980~88年、スカイフェ系の基金がAFFに25万ドル以上の資金を提供した。

 AFFは表面上は公共利益団体で、「危険カルト」のアメリカ社会への浸透を予防することを標榜していた。ところが実際には、AFFはMKウルトラの心理学者たちの活動を援助していたのである。MKウルトラの活動には、議会や他の機関の調査も入らず、「民間部門」で行われたのである。

 例えばウェストの場合を考えてみよう。AFFは1991年、「ニュー・フェデラリスト」紙に特別記事を載せた。それにはこう書かれている。 「30年以上もの間、ウェスト博士は、退役軍人・囚人・アルコール中毒者・麻薬中毒者の心理に関して実験を繰り返してきた。それは、麻薬・電気ショック・独房・行動コントロール技術を使っての実験である。1977年、ウェスト博士はMKウルトラ計画の一員として、LSDを使用して心理を破壊するというCIAの実験に参加していたと、『ニューヨーク・タイムズ』紙上で報じられた。彼はイギリスのタヴィストック研究所で集団行動の知識を受け、1960年代初頭には、サンフランシスコのハイト・アシュベリーで若者への麻薬の影響を研究した。」

 このハイト・アシュベリーでウェストと共にいたヒッピーの中に、チャールズ・マンソンがいた。マンソンは現在、悪魔的・殺人カルトの指導者である。彼は当時の医学雑誌に次のような結論を掲載している。 「何百万人もの失業者がいる現在、多くの麻薬常習者、特に強い麻薬常習者については、隔離して労働市場から締め出すことが簡便で、経済的ですらある。社会にとっては、彼らが隔離された場所で麻薬による幻覚でも見ている方が、より無害でコストもかからない。彼らが疎外された状況を別な手段で訴えたりすれば、例えば組織的な政治行動・反対行動を積極的に行ったりすれば、遥かに面倒である。」

 1973年、ウェストは「暴力減少研究センター」をロサンゼルスのサンタ・モニカに設立することを提唱した。彼は次のように述べた。 「この場所はアクセスしやすいが、人里離れている。ここはきちんと塀で囲まれており、比較研究を行うことができる。隔離されているが、好ましくない行動に関して実験・研究を行うには便利な場所である。」

 AFFでメロン・スカイフェ基金を受けた人物としては、マーガレット・シンガー博士がいる。彼女もMKウルトラの初期の頃からのメンバーで、彼女は朝鮮戦争時、アメリカ兵捕虜の研究を行い、後にハイト・アシュベリーでウェストの実験に加わった。彼女の研究は「人間生態研究協会」から出版された。この協会はCIA直轄の団体で、MKウルトラが「民営化」される前の秘密団体であった。

●カルト監視ネットワーク(CAN)

 ウェストは1990年、「人間心理への攻撃に対し、極めて勇気ある戦いを粘り強く忍耐を持って行った」として、レオ・J・リアン賞を受賞した。

 ウェストにこの賞を授けたのは、「カルト監視ネットワーク」(CAN)である。

 CAN要員はその後、誘拐で告発され、刑を宣告された。CAN要員は、民間軍事団体「ヘルズ・エンジェルズ」の暴走族、「ユダヤ防衛同盟」のテロリスト、ベトナム戦争崩れ、そしてごろつきで構成されていた。

 CANは数年前に破産している。しかし、CANは破産前、誘拐に失敗し、数百万ドルの判決を受けていた。この誘拐時も、CANはカルトの犠牲者を「再教育」するという目的でAFFと密接に協力していた。

 「再教育」という言葉は、タヴィストック研究所、その要員がMKウルトラのテストを「実地」で行っていた間、洗脳を行う際に用いた婉曲的呼び名である(そうした洗脳は明らかな拷問の場合もあった)。

●ボドマン基金

 ロンドンのタヴィストック研究所の世界ネットワークは、メロン・スカイフェ基金を受けたAFFとCANを動かしていたのである。

 他に資金援助を行った団体として、「ボドマン基金」が挙げられる。

 ボドマン基金は、AFF設立以来、最も多額の資金援助を行った基金である(ちなみにサラ・スカイフェ基金は二番目である)。

 ジョゼフ・パトリック・カーリーは、ジョージ・ブッシュの任命によりフランス大使になり、「ボドマン基金」の会長も兼任していた。また、カーリーは、パリにあるアメリカン・ホスピタルの名誉院長を務めたこともある。

 カーリーはピッツバーク出身で、メロン・スカイフェとは親しい仲である。実際、1961年から1975年の間、カーリーはJ・H・ホイットニー社と取引を行っていた。そして、同社はメロン・スカイフェ系の「フォーラム・ワールド・フィーチャーズ」を運営していたのである。
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