HKS魚拓

IAD、マードック、NAI、CSIS

調査書類2:IAD、マードック、NAI、CSIS
http://web.archive.org/web/20061115133148/http://www.idaten.to/meikyu/a063.html(魚拓)

【4】イギリスの政策に命令を下す、インターアメリカン・ダイアローグ

 今日の西半球の国際関係に、イギリスとウォールストリートの政策を流すための主なルートとなっているのは、インターアメリカン・ダイアローグ(IAD)である。
 IADは、西半球の指導者層のプライベートなクラブとして機能している。
 また、IADはその地域において、思いのままに政策や政治家を承認したり、拒否したりしている。政府の閣僚であろうと、大統領であろうと、政府の構成員は、IADの指名を受けて政府に“出向”するのである(例えば、IAD執行委員会の委員であり、“女王のブラジル大統領”であるフェルナンド・エンリケ・カルドゾはその例である)。
 IADのメンバーは、このように断言している。 「ホワイトハウスを誰が支配していようと関係ない。イベロアメリカに関する限り、アメリカの政策を決定するのはIADである。」

 IADは、1982年の危機的状況のもとで創設された。
 イギリスとウォールストリートは、アメリカ諸国を支配するために、政界と諸機関を通してルートを持っていたが、そのルートは二つのショックのもとに粉砕された。すなわち、イギリス対アルゼンチンのフォークランド紛争と、そのすぐ後に起こった“負債危機”である。
 フォークランド紛争は、NATOが最初に行った“域外”展開配備であった。ウォールストリート陰謀団にとっては、その地域が大変気にかかるものだったのである。

 IADを率いるために割り込んできたのは、セオドア・ルーズベルトの政界の後継者たちだった。
 悪名高きかのマルサス主義者、ロバート・マクナマラは、IADが創設されてから1990年代まで、IADのリーダーを務めていた。最近亡くなったウォールストリート・エスタブリッシュメントの“父”マクジョージ・バンディは、死ぬまでIADの執行委員会の活動を行っていた。
 IADのメンバーには、ソル・リノウィッツ、サイラス・バンス、エリオット・リチャードソン、そしてイギリスとアメリカの銀行の経営陣がいる。カナダ諜報部の重要人物であるアイヴァン・ヘッドは、IADの創設の時から運営を助けている。

 イギリスとスペインで、『イベロアメリカの軍隊と国家を絶滅させる陰謀』という本が出版された。
 その本の中でも述べられていることだが、IADは、イベロアメリカ諸国を超国家的な“半球”の政府システムにすることを望んでいる。これは、高利貸しと自由貿易に基づくもので、それには麻薬の自由貿易も含まれている。
 IADは、その目的を達成するために、過激な麻薬テロリストの政治運動を助け、“民主主義のニューフェイス”として促進している(キューバを本拠地とするサンパウロ・フォーラムの指導者層は、IADのメンバーに引っ張られている)。
 またIADは、“民主主義に対する脅威”であるとレッテルを貼っているにもかかわらず、軍隊の改革運動にも力を貸している。国民国家を粉砕しようとするものは、何でもIADに雇われるのである。
 1990年代半ばに、IADは特別対策チームを編成した。そのチームは、「国家のアイデンティティという概念と、国の文化を根こそぎにするのが目的である」と自ら認めているような分離主義者の民族紛争を助長したりなどしているのである。

【5】ルーパート・マードックの巨大マスメディア組織

 アメリカとイギリスの中で、最も声を張り上げて、英米連邦の戦争政策を支持し、イラク・ロシア・中国を攻撃するニュースを流しているメディアの一つは、ルーパート・マードックのニューズ社である。

 マードックが、政策の宣伝のために主に使っているのは、『タイムズ』、『ニューヨーク・ポスト』、アメリカの新保守主義者のニュース雑誌『ウィークリー・スタンダード』、フォックステレビのネットワークである。
 数年前、マードックは、テレビ伝道師パット・ロバートソンのファミリー・チャンネルTVネットワークの大部分を買い上げ、ロバートソンを救済した。ロバートソンは、マードックのおかげで、700クラブの放送を続けることができるようになったのである。

 マードックがアメリカで影響力を持っている最大の理由は、フォックステレビである。フォックステレビは、ケーブルによる支局を持っている。
 マードックは、恥ずかしげもなく、セックスと暴力の番組を使い、3大ネットワーク(ABC・NBC・CBS)の支配体制を崩壊させた。あるデータによれば、フォックスは現在、視聴率の点ではアメリカでナンバー2のネットワークになっている。

 同様に、マードックは、『ニューヨーク・ポスト』をイギリスのタブロイド新聞のようなものに変えてしまった。『ニューヨーク・ポスト』は、アレクサンダー・ハミルトンが創刊した新聞である。
 マードックは、創刊200年の普通サイズ紙『タイムズ』と、イギリスの有力タブロイド紙『サン』で、ロンドン市場を制覇した。
 合計すると、ニューズ社は、主な国際市場で約80種類の新聞と11種類の雑誌を所有している。その中には、オーストラリアの有力タブロイド紙『オーストラリアン』も含まれている。マードックの出版物を読んでいる人たちは、数千万から数億に上ると思われる。

 マードックは、アメリカの出版社ハーパー&ローを買収し、イギリスの出版社ウィリアム・コリンズと合併させて、ハーパー・コリンズを設立した。その結果、ハーパー・コリンズは、世界最大の出版社として誕生した。

 マードックは、国際的に多くのテレビ会社を所有している。
 衛星放送のBSkyBは、イギリスとアイルランドで400万人が加入している。同じく衛星放送のスターTVは、香港に本社があり、アジアを中心とする53カ国で2億2000万人に利用されている。また、ドイツ(VOX)、オーストラリア(FOXTEL)、インド、インドネシア、日本、イベロアメリカ、カリブ海でもテレビ会社を所有している。
 マードックは、テレビを通じて、世界の人口の75%近くに影響を与えていると主張する。

 マードックは、オーストラリアで生まれた。マードックの家系は、新聞王の家系である。父親のサー・キース・マードックは、1952年に亡くなるまで、オーストラリアのメディアのオーナーの中で、最も影響力のある人物だった。
 マードックは、イギリスの新聞王、ビーバーブルック卿のもとに見習いに出されていた。彼は、ロンドンの『デイリー・エクスプレス』で働くうちに、ビーバーブルックが“ジャーナリズムの黒魔術”と呼ぶものを習得した。

 マードックは、マーガレット・サッチャーを熱烈に支持していた。しかし、マードックは、トニー・ブレアとも非常に親密である。
 マードックの経済担当コラムニスト、アーウィン・ステルザーは、マードックとブレア、“新労働党”との間で、秘密の仲介人の役目を果たしている。これは、1997年に労働党が選挙で勝利を収める前から続いている。

 マードックはこの他にも、政治に対して様々な干渉を行っている。

・1992年、マードックは、クリントンを当選させないために、あらゆる手を尽くした。例えば、イギリスの新聞にクリントンのスキャンダル記事を掲載し、それがアメリカのマスコミに掲載された。

・このパターンは、ホワイトウォーター、モニカ・ルウィンスキー、中国問題、ビンセント・フォスターなどのスキャンダルを使って踏襲された。

・元下院議長ニュート・ギングリッチが本を出す際に、450万ドルを前払いした。

・評判の落ちたディック・モリスを、『ニューヨーク・ポスト』のコラムニストとして雇った。また、サイバー・ゴシップのマット・ドラッジを、フォックステレビのコメンテーターとして雇った。

・『フォックス・ニュース・サンデー』は、日曜日の朝に放送されるトークショーの中で、メジャーなものの一つとなっている。『ウィークリー・スタンダード』のウィリアム・クリストルは、ABCの『ディスウィーク』という番組で、レギュラーの“円卓”コメンテーターとなっている。

・1997年、マードックは、ユダヤ人アピール連合の“今年の人道主義者”賞を受賞した。この賞を与えたのは、同じく“偉大な人道主義者”ヘンリー・キッシンジャーである。

【6】マギー・サッチャーのNAI(新大西洋構想)

「我々のエネルギーは、NATOの強化に向けられるべきである。NATOは、創設当時の状況におけるのと同じくらい、冷戦後の世界においても重要である。NATOは、その役割を拡大する必要がある。NATOは、多くの脅威が存在する“域外”に出て行く準備をすべきである。……
 NATOは、グローバルなミサイル防衛システムを早急に構築すべきである。NATOは、そのシステムを構築するために、協力し合うことが可能である。」
 ――マーガレット・サッチャー男爵夫人
(1996年5月11日 ニューアトランティック・イニシアチブ プラハ会議)

 マーガレット・サッチャー男爵夫人LG,OM,FRSは、新たなイギリス帝国主義のために、英米連邦のフロント組織を通じて働いている人物の中で、最も影響力があり、かつ邪悪な人物の一人である。

 1996年から、サッチャーは、恐るべき数々の計画を発表してきた。例えば、NATOの“域外”戦争について規定した新戦略概念、イラク戦争、ロシアとの新たな冷戦、中国の分割などである。
 “ニューNATO”を構築する呼びかけは、プラハ会議の中で行われた。プラハ会議は、ニューアトランティック・イニシアチブ(NAI)が行った最初のイベントである。
 会議には、英米連邦のエージェント、子分、カモが集まったが、その人数は、史上最大の人数であった。

 サッチャーがはっきりと述べた目的は、「アメリカとヨーロッパ大陸諸国が、戦略的同盟を結ぶのを阻止する」ということであり、特に、アメリカとドイツの“特別な関係”を阻止するということだった。また、アメリカとロシア・中国との協力関係も阻止するということである。


●マギーはトニーを愛している

 NAIと、“鉄の女”の最近の活動を注意深く観察すると、現在信じられている“神話”を暴くことができる。
 その一つは、「サッチャー派の保守党と、トニー・ブレアの新労働党とは違う」という観念である。しかし実際には、ブレアの“第三の道”は、サッチャー主義の焼き直しであり、クリントン大統領に売りつけるために包装し直したものである。
 クリントン大統領は、保守党の元首相ジョン・メージャーを個人的に嫌っていた。クリントン政権の第一期に、アメリカとイギリスが仲違いしたが、その原因の一つは、クリントン大統領の個人的な嫌悪感であった。
 その後、イギリス首相は、メージャーからブレアに変わった。ブレアは、イギリスとアメリカの“特別な関係”を取り戻し、サッチャーの政策をアメリカに飲ませるために就任したのであった。

 NAIの理事会には、ブレアと大変仲の良い政治家であるピーター・マンデルソンがいる。マンデルソンは、1998年の終わり頃に、金銭的なスキャンダルで追放されるまで、貿易産業相を務めていた(ちなみに、マンデルソンは、“リオのロード・マンディ”と呼ばれていた。マンデルソンは、公務でリオデジャネイロに行った時、ホモのバーに行ったことがあり、それ以来そう呼ばれるようになった)。
 マンデルソンは、現在でもブレアにとっては重要なアドバイザーであり、イギリスとドイツの関係に責任を持っている。

 マンデルソンは、「イギリスは早く欧州通貨同盟に加入すべきである」と主張していた側の重要人物で、サッチャーはそれに反対する側の重要人物であった。しかし、双方ともNAIの理事会に加わっている。
 この事実によって、次のことが理解できる。イギリスは、いつものようにどちらの側も支配しており、いずれにしろ、イギリスがトップになるようにしているのである。

 ブレアの仲間で、NAIに加わっている他の人物は、アーウィン・ステルザーである。ステルザーは、マスコミ界の大立て者ルーパート・マードックの片腕である。
 ステルザーは、マンデルソンと同じく、NAI理事会のメンバーであり、創設者の一人である。ステルザーは、ブレアとマードックの仲介者として、“10日間おき”くらいにブレアと会っていることを誇りにしている。
 ステルザーは、アメリカン・エンタープライズ研究所の“学者”でもある。ワシントンにある同研究所は、サッチャー派の“砦”となっている。


●サッチャーの“第四帝国”キャンペーン

 今日、“ニューNATO”が叫ばれている状況を理解するためには、1989年11月までさかのぼる必要がある。
 1989年11月、ベルリンの壁が崩壊した。サッチャー、ブッシュ、フランス大統領フランソワ・ミッテラン、ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフは、ベルリンの壁の崩壊は、グローバルな“新ヤルタ協定”を目指す計画にとって、直接的な脅威であると考えた。

 ブッシュとサッチャーは、東ドイツの崩壊を阻止しようとしたが、2人の最大限の努力にもかかわらず、東ドイツは崩壊した。崩壊の後、ドイツのコール首相は、ドイツの再統一のために力を注いだ。

 その当時、英米連邦に反する動きとして、かつてソ連に属していた国々の経済を再組織する計画が立てられていた。その計画には、高速鉄道の敷設と、“ヨーロッパ生産トライアングル”という、エネルギーを迅速に開発する計画の青写真が含まれていた。

 サッチャーとブッシュは、その計画を阻止するために、二つの作戦を開始した。
 一つは、ドイツを非難するキャンペーンである。彼らは、「ドイツが再統一すれば、“第四帝国”が誕生する」と主張した。
 もう一つは、ヨーロッパの中核地域で、残忍な戦争を起こしたことである。イギリスの手先、ユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェビッチは、クロアチアに対して、最初の民族浄化を開始した。

 その後しばらくして、1991年1月、イラクに対する“砂漠の嵐”が開始された。イギリスが主導したこの二つの戦争に対して、何百億、何千億ドルという金が投入された。このような金があったら、東側諸国の経済を再建することもできたはずである。

 サッチャーの“第四帝国”宣伝活動は、2人のドイツの指導者がテロリストに暗殺されたことによって、さらに高揚した。暗殺されたのは、アルフレッド・ヘルハウゼンとデトレーフ・ローウェッダーである。2人は、コール首相が“東のマーシャル・プラン”を推進するように勧めていたのであった。
 テロリストによるこの暗殺と、イギリスがバルカン半島を無秩序状態に追いやった結果として、IMFは、元東ブロック諸国に対して、ショック療法を課すことができるようになった。


●サッチャーは、NAIのルールを制定

 イギリスとオランダの金融少数独裁グループは、1950年代にビルダーバーグ・ソサエティを設立し、1970年代には三極委員会を設立した。どちらも、彼らが政治的課題を推進するための行動委員会として設立された。
 同様に、英米連邦も、1996年にニューアトランティック・イニシアチブを創設した。その目的は、新たな冷戦を推進し、自由貿易によって経済を支配することだった。その計画を成功させるために絶対に必要だったのは、クリントン大統領の弾劾キャンペーンを行うことによって、アメリカを破壊することだった。

 1996年5月、チェコ共和国のプラハにおいて、NAIの最初の会議が開催された。サッチャーは、基調演説の初めの部分で、1815年のウィーン会議について言及した。
 サッチャーは、不吉にも「剣によらない契約は、単なる言葉である」と述べた。これは、ホッブス流の言い方である。サッチャーは、「多角主義者たちは、平和を維持するために、国連をはじめとする“国際機関”に頼っているが、うぶな人たちである」とあざけった。
「イギリスとアメリカが取るべき方法は、冷戦の終結によってもたらされた“政治の筋肉のたるみ”を一新し、強大な国家として振舞うことである。」
 サッチャーは、サッチャーが言う“自由主義”の計画に従うならば、「アメリカは唯一の超大国でいることができる」と言った。

 サッチャーは、「資本主義の危機について主張している欧米の知識人は、“マルキストの偽エコノミスト”である」と言って攻撃した。
 そして、「“社会主義の危機”が唯一存在するだけである」と主張した。そして、「ロシア経済が不調なのは、ロシアが貿易の自由化と民営化を十分に行っていないからである」と述べた。

「ここに集っている人は、ロシアが、今もイギリスと自由主義世界の敵であることを認めなければならない。悲しいことに、社会主義に逆戻りしている国も存在する。国民の間には、幻滅が徐々に広がっている。……
 また、社会主義の偽りの安全に対するノスタルジーが育っている。ロシア自体はどうかというと、ロシア政府が、共産主義経済と帝国主義者の外交政策とを合体させる可能性がある。このような逆行の仕方は異常である。」
 そしてサッチャーは、ラドヤード・キプリングを引用しながら、次のように言った。
「ロシアが逆戻りするのは、『犬が自分の吐いたものに戻り、 雌豚がぬかるみに戻る』のと同じくらい確実である。」

 皮肉にも、“ソビエト帝国”へのノスタルジーを感じているのは、英米連邦の方ではないだろうか。彼らは、ロシアと“パワーバランス・ゲーム”をやりたがっている。サッチャーは、このように言った。
「ソ連が崩壊した後の世界は、崩壊する前よりも危険である。第一に、ソ連が存在していた時代には、国際関係には神聖ならざるシンメトリー、恐怖のバランスがあった。抑止、特に核の抑止が、計画された通りに機能していた。ソ連は、彼らのクライアントの諸国家を強力に支配し、安定を保っていた。
 しかし、現在では、それが失われたがために“ならず者国家”が力を持ち始め、自分たちの暴力的な計画を推進し始めている。ソ連が崩壊した後の世界でも、大量破壊兵器は依然として拡散しており、それを使うためのテクノロジーも拡散している。……
 ならず者国家が、化学・生物兵器を作る能力を持っているということは、常に不安材料である。……
 北朝鮮は、希望者には誰でもカタログ販売ができるような射程距離のミサイルを提供している。」

 ならず者国家の脅威は、サッチャーにとっては最も深刻な問題なのである。 「我々は、1986年にリビアに対する制裁措置を取った。しかし、もしカダフィが、我々の都市の心臓部を攻撃できるようなミサイルを持っていたとしたら、我々はそのような対処ができただろうか。」
 サッチャーは、イギリスとアメリカが“砂漠の嵐”でイラクを攻撃したことについても、同様の指摘を行った。

 サッチャーは、「特に中国は、欧米に対する強大な潜在的敵である」と述べた。そして、中国が経済面で欧米から離れて、アジアと環太平洋諸国と協力しようとしていることについて説明した。そこにおいては、保護を外した自由貿易が確実に行われると予想される。
「しかし、中国は問題である。中国は、常に一種の専制政治を敷くという伝統を持っているが、その悪条件にもかかわらず、驚異的な経済発展を遂げている。専制政治ということは、決して好条件ではない。……
 台湾においては、経済における挑戦は安全保障における挑戦に簡単に変わるだろう。」

 サッチャーは、「中国は、大量破壊兵器の技術を、北朝鮮をはじめとするならず者国家に提供している」と言って、中国を非難した。

 サッチャーは、特に防衛と自由貿易の問題について、ヨーロッパ大陸諸国全体に対する軽蔑感を表明した。
「ヨーロッパ全体の安全保障政策には欠陥があり、ユーゴスラビアにおいてその弱さが見られる。それを改善するためには、NATOを拡大することが必要であり、現実に脅威が存在している域外に出て行く必要がある。」

 サッチャーは、経済については、「世界全体を自由貿易にすることが最終目標である」と主張した。
「しかし、ヨーロッパはその障害となっている。欧州連合は、古典的な官僚制の餌食となっている。まるで、毎日新たな命令や指示を受け、疑問を抱いていた『善良な兵士シュヴェイク』のようである。」
 サッチャーは、国民国家が取るべき最後の解決策は“スーパー・マーストリヒト・グローバリズム”であると考えているのである。サッチャーは、それによって、北米自由貿易貿易エリアと欧州共同体を合併させることを望んでいる。これには中央ヨーロッパも含まれており、間に合えば、東ヨーロッパも含めたいと考えている。
 サッチャーは、“北米自由貿易エリア”と“ヨーロッパ自由貿易エリア”との合併を望んでいるのである。

 1997年に、アリゾナ州で行われたNAIの会議において、サッチャーは再び“進軍命令”を出した。この会議は、何と“フェニックス会議”というばかばかしい名前だった。
 サッチャーは、会議において、いっそう磨きがかかったNATOの新戦略概念を披露した。サッチャーは、「欧米諸国はどの国も、防衛問題に関してしり込みしており、危険な自己満足に陥っている」と述べた。サッチャーが主張したのは、以下の通りである。

・NATOを拡大しないことは、道徳的に無礼である。ポーランド、ハンガリー、チェコは、正式な加盟国として認めるべきである。ソ連は、1939年にポーランドを侵略し、1956年にはハンガリー、1968年にはチェコスロバキアを侵略した。欧米諸国は、モスクワとの新たな対決に向けて準備を行うに当たって、このことを忘れてはならない。

・「文明社会の国々は、共通の必要性を有している。それは、海を基盤にした十分な対ミサイル防衛をできるだけ早く配備することである。」
 サッチャーは、弾道弾迎撃ミサイル条約は見直すべきだと主張した。サッチャーは、「その条約はロシアとではなく、ソ連と結んだものなので、すでに無効である」と述べた。

・サッチャーは、「イラン、イラク、リビア、シリア、北朝鮮の“ならず者国家5ヶ国”は、弾道ミサイルの開発に手を伸ばし、自由を脅かしている」と述べた。そして、「彼らはお互いの軍備を助け合っている」と言った。
 さらに、サッチャーは次のように言った。
「ジョージ・ブッシュは、1990年から91年にかけて、サダム・フセインに対抗する国際的連立を構築したが、もしイラクが弾道ミサイルで攻撃してくるかもしれないという危険を各国が感じていたら、それは絶対に不可能なことだった。」

 この会議には、アリゾナ州の上院議員2人が参加していた。ジョン・マッケイン議員(現在、共和党の大統領候補の指名候補者となっている)と、ジョン・カイル議員(共和党)である。そのために、サッチャーのたわごとは、アメリカ上院内部の活動に侵入することになった。
 また、英米連邦の有力なシンクタンクの代表者の会議に参加していた。アメリカン・エンタープライズ研究所、ヘリテージ財団、アメリカ・イスラエル公事委員会(AIPAC)などである。
 この他にも、アメリカへの反逆罪の中核団体となっているシンクタンクがいくつか参加していた。これらの団体は、すべて大富豪リチャード・メロン・スカイフェの資金提供を受けている。スカイフェは、クリントン弾劾運動の“ウォーバックス父ちゃん”と言われている。

 次の部分では、これらの団体が、アメリカの外交政策を乗っ取るために奮闘していることについて詳しく述べる予定である。
 1999年4月、NATOの50周年サミット会議が行われる予定になっている。彼らは、その会議において、サッチャー男爵夫人の進軍命令を正式に押しつけようという計画を立てている。


●ニューアトランティック・イニシアチブ 1996年~98年年表

・1996年5月

 NAIの最初の会議であるプラハ会議が開催された。英紙『タイムズ』は、「今世紀の残りの期間におけるヨーロッパを形作るイベント」だと報道した。
 英米連邦の主なスパイたちは、NAIの設立に貢献した。
 例えば、カナダ人コンラッド・ブラック、オーストラリア人ルーパート・マードックなどである。カルタゴ財団など、リチャード・メロン・スカイフェの手先を通して、アメリカから資金供給が行われた。
 NAIは、日々、英米連邦の有力なアメリカの手先によって運営されている。アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)と、『ナショナル・レビュー』である。
 NAIは、AEIに本部を置いている。『ナショナル・レビュー』は、ウィリアム・バックリーが出版する親英派の雑誌である。
 『ナショナル・レビュー』には、NAIの創設者であるイギリス人ジョン・オサリバンがいる。NAIの後援者・諮問委員会・役員は、自由貿易と戦争の計画を推進している英米連邦の名士ばかりである。
 NAIのオープニングテーマは、「衝突に向けて準備せよ。冷戦は続いている」であった。
 講演者たちは、特にロシアの“失地回復主義”の危険性について訴えた。また、ならず者国家が、弾道ミサイルでヨーロッパの都市を攻撃するかもしれないということと、北朝鮮の核の脅威について述べた人が多かった。

・1997年5月

 フェニックス会議開催。開催地はアメリカであった。これは、クリントン政権が、サッチャーの計画をほとんど無視したからである。
 参加者には、ジョン・カイル上院議員(共和党、アリゾナ州)、ジョン・マッケイン上院議員(共和党、アリゾナ州)、クリス・コックス(共和党、カリフォルニア州。“赤の恐怖”の反中国キャンペーンを推進している中心人物)がいた。彼らは、会議の終了後、議会にNAIの計画をすべて持ち込んだ。
 シオニスト・ロビイスト闘士の有力者、ポール・ウォルフォウィッツとリチャード・パールも会議に参加していた。現在、パールは、大統領候補ジョージ・W・ブッシュの顧問を務めている。
 また、パールは、イスラエル諜報機関がアメリカで活動させている“X委員会”の有力者と見なされている。このX委員会の活動は、1985年にイスラエルのスパイ、ジョナサン・ポラードが逮捕された時に表面化した。
 外国からの参加者はまばらだった。しかし、歴史的に有名なアヘン貿易会社ジャーディン・マテソン・ホールディング社のサー・チャールズ・パウエルが参加した。

・1997年9月

 NAIは、133名のVIPが署名したNATO拡大決議案を発表した。
 その中には、元アメリカ上院議員7名と、2人の元副大統領、ダン・クエールとウォルター・モンデールが入っていた。これは、クリントン大統領に圧力をかけるためである。

・1998年2月

 ワシントンで、NAIのフォーラム“新たなNATO、新たなチャレンジ”を開催。マデリン・オルブライトが演説を行った。オルブライトは、クリントン政権からの最初の参加者だった。
 NAIは、「NATOは、地域紛争、民族紛争に介入する軍隊となるべきである」と強く勧告した。
 “ボスニア・ロシア・湾岸以降”という討論において、パールは、自らの計画を明かし、「アメリカは、イラクの“コントラ”計画をバックアップして、サダム・フセインを倒すべきである」と述べた。
 オルブライトの発言内容は、いくぶん抑え気味だった。それは、クリントン大統領が深く関わっていたからである。
 当時、国連事務総長コフィ・アナンは、アメリカとイラクの戦争を回避するための努力を行っていた(その後、その月の間に、クリントンはアナンが交渉してきた外交的解決策を受け入れた。イギリスは、両者がそういう行動を取ったことについて非難した)。
 オルブライトは、NATOの拡大案を受け入れた。

・1998年5月

 イスタンブール会議開催。イギリスから大量の参加者が出席した。しかし、もっと重要なことは、イスラム世界の参加者がいたことである。
 NAIは、NATOの域外計画を強調し、中でも、カスピ海周辺に出ていくことについて強調した。このことは、アメリカと中国が積極的な関係を築いていることに対し、英米連邦が不安を感じていることを示していた。英米連邦は、カスピ海周辺のパイプラインを手中に収めようと血眼になっており、石油、天然ガス、鉱物などの豊富な天然資源の採掘権を得ようとして必死になっている。
 NAIの優先事項である他の域外計画は、バルカン半島とイラクである(会議の中で、コソボの指導者ブジャール・ブコシがパネル・プレゼンテーションを行った。また、イギリスとイスラエルに支配されている、反体制派のアフメド・チャラビが演説をした)。

・1998年9月

 イスラエルのテルアビブと、ヨルダンのアンマンにおいて、NAIの会議が開催された。
 ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエルの安全保障上の必要性についてと、「NATOは、エルサレムをイスラエルの首都としてどのように認めるべきか」について演説した。

 イラク国民議会の指導者であるチャラビは、NAIのイベントの出席するのは、今回が3度目であった。チャラビは、サダム・フセインを倒すという、パールとウォルフォウィッツの計画に対して、強い支持を表明した。

・1998年秋~現在

 AEIとNAIのメンバーは、全エネルギーをアメリカ議会に集中し、ホワイトハウスに英米連邦の計画を採択させるための“最初の法律”を制定しようとした。この運動は、クリントン大統領の弾劾攻撃が行われていた6ヶ月の間に、特に激しく行われた。
 英米連邦は、次の点において成功を収めた。第一は、人権侵害とスパイ活動を理由に、反中国プロパガンダを開始したことである。第二に、イラク戦争については、イラク解放条例を議会で通過させた。第三に、中国とロシアを反アメリカにさせるために、ミサイル防衛を利用したことである。


●有力メンバーリスト

○コンラッド・ブラック
 ホーリンガー社社長、NAIの公式の名簿には記載されていないがNAIの創設者

○マーガレット・サッチャー男爵夫人
 NAIの後援者、元イギリス首相

○サー・ヘンリー・キッシンジャー
 NAI会長・IAB(国際諮問委員会)会長

○レイン・カークランド
 NAI副会長・IAB副会長、AFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産別会議)元議長、三極委員会創設会員

○ジョージ・シュルツ
 NAIの後援者、ブッシュ政権国務長官、現在2000年の大統領選挙候補者ジョージ・W・ブッシュの顧問

○ヘルムート・シュミット
 NAIの後援者、元ドイツ連邦共和国(西ドイツ)首相

○エドワード・ストリーター
 NAI執行委員会委員長

○クリストファー・デムス
 NAI執行委員会副委員長、アメリカン・エンタープライズ研究所所長

○ジョン・オサリバン
 NAIの創設者、NAI理事会副会長、『ナショナル・レビュー』無任所主筆

○オットー・グラフ・フォン・ランブスドルフ
 NAI執行委員会、三極委員会ヨーロッパ議長

○ピーター・マンデルソン
 NAI執行委員会、元イギリス貿易産業大臣、イギリス労働党幹部

○ジェフリー・ゲドミン
 NAI、AEI理事

○ジェラルド・フロスト
 NAI(イギリス)国際諮問委員会研究主任

○ズビグニュー・ブレジンスキー
 NAI、IAB(CSIS項のプロフィール参照)

○チョールフォント卿(グワイン・ジョーンズ、一代男爵 1964)
 NAI、IAB、大英帝国四等勲士、MC、枢密院、1940年から1961年まで軍にいた後『タイムズ』の防衛・軍事問題通信記者、元外務大臣、元西欧同盟常任代表兼枢密院の一員、1970年代の終わり頃イスラエルの“テロ対策テロ”計画に参加

○エドウィン・J・フェルナー
 NAIメンバー、IAB委員、ヘリテージ財団会長、モンペルラン協会会長、(アメリカ)議会政策諮問委員会委員、安全保障政策センター諮問委員会委員

○ニュート・ギングリッチ
 元アメリカ下院議長

○サミュエル・P・ハンチントン
 NAI、IAB、三極委員会、『民主主義の危機』『文明の衝突』の著者、国家民主主義基金(NED)民主主義“専門家”

○マックス・カンペルマン
 NAI、IAB

○ジーン・カークパトリック
 NAI、IAB、元アメリカ国連大使、AEI上級特別研究員、安全保障政策センター諮問委員会

○ウィリアム・クリストル
 NAI、IAB、マードックの『ウィークリー・スタンダード』の主筆、シオニスト新保守主義者でAEIの特別研究員アーヴィング・クリストルの息子

○マイケル・レディーン
 NAI、IAB、国家安全保障問題ユダヤ研究所(JINSA)、AEI調査特別研究員、エルサレムに本部がある高等戦略政治研究所(IASPS)調査研究、イスラエル諜報機関の第一級のスパイ

○リチャード・パール
 NAI、IAB、コンラッド・ブラックのホーリンガー社の重役、元アメリカ国防次官補(次官補時代に、パールは自分が共産主義者であることを公言していたので“闇の王子”と呼ばれていた。彼はそのあだ名が気に入っていた)、イスラエルの高等戦略研究所の一流のアカデミスト、安全保障政策センター諮問委員会、AEI特別研究生、イスラエル政策アメリカ行動評議会

○ダニエル・パイプス
 NAI、IAB、『ミドルイースト・クォータリー』の編集者、アリエル・シャロンなどイスラエルの右派を熱心に支持している、AEIのアメリカ人ソ連学者リチャード・パイプスの息子

○ノーマン・ポドレッツ
 NAI、IAB、『コメンタリー』誌の編集者兼発行人、新保守主義を先導、マードックの『ニューヨーク・ポスト』の論説欄の主幹、ジョン・ポドレッツの父

○サー・チャールズ・パウエル
 NAI執行委員会・IAB、ジャーディン・マテソン・トレーディング社重役会、ブレアの主席補佐官、“砂漠の嵐”作戦の司令官

○コリン・パウエル将軍
 NAI、IAB、元アメリカ統合参謀本部議長、“砂漠の嵐”作戦の司令官

○ドナルド・ラムズフェルド
 NAI、IAB、元アメリカ国防長官

○アーウィン・ステルザー
 NAI、IAB、ルーパート・マードックのために新保守主義スパイグループを率いている、トニー・ブレアの非公式顧問、マードックの『サンデー・タイムズ』『ニューヨーク・ポスト』、過激な反クリントンの『ウィークリー・スタンダード』のコラムニスト、AEI特別研究員

○ウェイデンフェルド卿
 NAI、IAB

○ポール・ウォルフォウィッツ
 NAIフェニックス会議のセミナーリーダー、高等国際研究ポール・ニッツ・スクール学部長、元アメリカ国防次官、三極委員会25周年イベントのまとめ役、サダム・フセイン追放計画の立案者、議会政策諮問委員会委員

【7】CSIS――英米連邦のために“ポリシー・インパクト”を作る

 1999年2月、イギリス外務省は、枢密院顧問官の外務大臣デレク・ファチェットをワシントンに送った。その目的は、サダム・フセインとの戦いをエスカレートさせるために、力を結集させることだった。
 ファチェットは、ジョージタウンの国際戦略研究センター(CSIS)で、ワシントンの政策関係者100名に向かって、状況説明を行った。これは非公開の秘密会議だった。
 CSISは、「当研究所の使命は“ポリシー・インパクト”である」と宣伝している団体である。

 CSISは、1962年にデビッド・アブシャーによって設立された(アブシャーは、1998年まで所長兼CEO、現在は理事会の副会長である)。CSISは、チャタム・ハウスとIISSの計画をワシントンに流すための最も重要な機関となっている。
 ロンドンのシティとウォールストリートの主な金融機関は、年間平均1700ドルを税金免除の基金に注いでいる。その基金は、約700から800の会議、セミナー、非公開の状況説明を開催するのに使われる。これらは、CSISの1800KストリートNWの本部と、ハワイのホノルルにあるパシフィック・フォーラムCSIS(リーダーは、サー・ブレント・スコウクロフト)において開催される。

 CSISは、ワシントンのシンク・タンクの中でも、特に英米連邦の手先が集まる中心の場所となっている。
 ここには、アメリカの外交政策と国家の安全保障政策を崩壊させるために、重要な役割を果たしている人たちが集まっている。これは30年間に渡って続いている。そのメンバーは、以下の通りである。

○アン・アームストロング
 セント・ジェームズ宮殿アメリカ大使(1976-77)、大統領付き対外情報諮問委員会委員長(1981-90)、CSIS理事会、CSIS国際評議委員

○デビッド・M・アブシャー
 国務次官補(議会問題担当)(1970-73)、大統領付き対外情報諮問委員会委員(1981-83)、NATOアメリカ大使(1983-87)、大統領特別顧問(1987)、CSIS所長(1982-83;1996-98)、CSISのCEO(1962-70;1996-98)、CSIS理事会会長(1973-82)、CSIS理事会副会長(1988-)

○アルノー・ド・ボルシュグラヴ
 第二次世界大戦時イギリス海軍、UPIブリュッセル局長(1948-50)、『ニューズウィーク』外国担当エディター、後に『ワシントン・タイムズ』チーフ・エディター兼移動編集記者、CSISグローバル・オーガナイズド・クライム・プロジェクト

○ウィリアム・A・シュライヤー
 メリル・リンチ社名誉会長、CSIS執行委員会・理事会、国際評議員

○ロバート・B・ゼーリック
 大統領選でジョージ・ブッシュの選挙運動の重要人物(1988)、国務省経済担当次官・顧問(1989-92)、ホワイトハウス大統領副補佐官長(1992-93)、デコレーテッド・ナイト・コマンダーズ・クロス、CSIS所長・CEO・理事会理事(1998-)、三極委員会1999年年次総会アメリカ報告担当者

○ドウェイン・O・アンドレアス
 アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド社会長兼CEO、CSIS理事会理事、ホーリンガー・インターナショナル社国際諮問委員会

○ハロルド・ブラウン
 国防長官(1977-81)、ウォーバーグ・ピンカス社共同経営者(1990-)、CBS・IBM・フィリップモリス社重役会、エバーグリーン・ホールディングズ社、三極委員会執行委員会委員(1973-76)理事(1992-)、CSIS顧問(1992-)、CSIS理事会理事

○ズビグニュー・ブレジンスキー
 三極委員会重役、安全保障問題大統領補佐官(1977-81)、大統領対外情報諮問委員会委員(1987-91)、CSIS顧問(1981-)、CSIS理事会理事、CSIS諮問委員会副委員長

○サー・ヘンリー・キッシンジャー KCMG
 国家安全保障問題大統領補佐官(1969-75)、国務長官(1973-77)、中央アメリカに関する両党委員会委員長(1983-84)、国家安全保障委員会顧問(1961-62)、大統領対外情報諮問委員会委員(1984-89)、CSIS顧問・理事会理事、CSIS国際評議会議長

○ジェームズ・R・シュレジンジャー
 CIA長官(1973 2-7月)、国防長官(1973-75)、エネルギー長官(1977-79)、リーマン・ブラザーズ上級顧問(1979-)、CSIS顧問(1979-)、CSIS理事会理事

○サー・ブレント・スコウクロフト将軍
 KBE(大英勲章受勲者)、大統領軍事顧問(1970-71)、国家安全保障問題大統領副補佐官(1975-77)、国家安全保障会議大統領補佐官(1989-93)、戦略軍に関する大統領付き委員会委員長、イラン・コントラ事件再検討大統領付き特別委員会委員、国際政策フォーラム会長、CSIS理事会理事、キッシンジャー・アソシエーツ

○ロバート・S・ストラウス
 駐ロシア・アメリカ大使(1989-93)、CSIS理事会理事

○R・ジェームズ・ウルジー
 CIA長官(1993-95)、シア&ガードナー共同経営者、CSIS理事会理事

○カルロ・デ・ベネデッティ
 オリベッティ社会長兼CEO、CSIS国際評議員

○エドモンド・ロスチャイルド
 バンク・プリヴェ会長、CSIS国際評議会評議員

○モーリス・R・“ハンク”グリーンバーグ
 アメリカン・インターナショナル・グループ会長、元CSIS理事会副会長、CSIS国際評議会評議員

○アーネスト・I・ジャフェト
 元ルーミ銀行会長、CSIS国際評議会評議員

○ウィントロップ・H・スミス
 メリルリンチ・インターナショナル会長、CSIS国際評議会評議員

○ピーター・ワレンバーグ
 スカンディナヴィスカ・エンスキルダ・バルケン取締役会第一副会長、CSIS国際評議員

○フレデリック・B・ホィットモア
 モルガン・スタンレー社主任顧問、CSIS国際評議員

○チャールズ・H・バウマン
 BPアメリカ社会長兼CEO、CSIS諮問委員会委員

○エティエンヌ・ダビニョン子爵
 ソシエテ・ジェネラール・ド・ヘルジーク社会長、CSIS諮問委員会

○ポール・デスマレーズ2世
 パワー・フィナンシャル社会長、CSIS諮問委員会委員

○サー・ピーター・エメリー
 イギリス下院議員

○マルコム・S・フォーブス2世
 フォーブス社社長兼CEO、共和党大統領候補の指名候補者(1996,2000)、CSIS諮問委員会委員

○ニュート・ギングリッチ
 下院議長(共和党、ジョージア州 1995-98)、ホーリンガー・インターナショナル社国際諮問委員会委員、CSIS諮問委員会委員

○マックス・M・カンペルマン
 フリード・フランク・ハリス・シュライバー・ヤコブソン社共同経営者(1989-91)相談役(1991-)、軍備管理を行う役目の様々な大使職、ブナイブリスのユダヤ名誉毀損防止連盟(ADL)名誉副会長(1981)副会長(1977-81)、フリーダムハウス(ニューヨーク市)会長(1983-85,1989-)、国家安全保障問題ユダヤ研究所(JINSA)諮問委員会委員長、エルサレム財団副会長、現在の危険に関する執行委員会・委員会委員(1976-85)、民主党の多数を目指す連立副議長(1977-85)、CSIS諮問委員会委員

○ブライアン・マルルーニ
 カナダ元首相、バリック・ゴールド取締役、CSIS諮問委員会委員

○ジョン・D・ロックフェラー4世
 アメリカ上院議員(民主党、ウエストヴァージニア州)、CSIS諮問委員会委員

○ウィリアム・D・ロジャーズ
 アーノルド・ポーター共同経営者(1953-)、国務次官補(アメリカ間問題担当 1974-76)、国務次官(経済問題担当 1976-77)、ケンブリッジ大学法学部(1982-83)、中央アメリカに関する両党委員会上級顧問(1983-84)、キッシンジャー・アソシエーツ副会長(1989-)、CSIS諮問委員会

○アーサー・ロス
 1950年代と60年代にイギリスのMI6ニューヨーク支局長だったということが家族により確認されている、イギリス領事を通じてビーバーブルック卿から定期的に公式発表を受け取っていた、セントラル・ナショナル・ゴッテスマン社副会長、CSIS諮問委員会

○リチャード・メロン・スカイフェ
 クリントン大統領に対する“冷たい”クーデターの“ダディ・ウォーバックス”、サラ・スカイフェ財団会長、CSIS諮問委員会

○ジェイコブ・ワレンバーグ
 エンスキルダ執行副社長、CSIS諮問委員会

○バーナード・ルイス
 中東に関するイギリス人地政学者、プリンストン大学教授、CSIS特別上級学者
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