HKS魚拓

首席委員会、英米連邦、下院政策委員会

調査書類4:首席委員会、英米連邦、下院政策委員会
http://web.archive.org/web/20061115133212/http://www.idaten.to/meikyu/a065.html(魚拓)
【11】“首席委員会”のイギリスの下男

 1997年1月17日のロンドンの『サンデー・タイムズ』で、ジェームズ・アダムズは、このように述べている。
「第一期目のクリントン政権は、二流の人物を外交官に任命して非難を浴びた。二期目の政権は、同じ過ちを繰り返したくないと思っている。」

 アダムズは、「マデリン・オルブライトが、ウォーレン・クリストファーに代わって、国務長官に就任することは、特に好ましいことだ」と考えている。
「オルブライトは、まもなく新しい人材を高官に任命し始めるだろう。これは、イギリスとヨーロッパにとっては良いニュースである。これは、第一期目とは対照的に、喜ばしいことである。第一期目には、外交と安全保障の関係者が、時々反イギリス的な態度を見せていた。」

 クリントンの二期目の政権では、ほとんど新しいメンバーが閣僚となった。オルブライトだけではなくて、国防長官ウィリアム・コーエン、統合参謀本部議長ヘンリー・ヒュー・シェルトン将軍などである。
 彼らは、大統領の対外政策顧問チームである“首席委員会”の中核を形成した。副大統領アル・ゴアと、ゴアの対外政策顧問レオン・フュアースもそのメンバーとなった。

 これは“将来起こるべき時を待っているクーデター”である。この背景の状況は、以下の通りである。

 副大統領アル・ゴアは、クリントン政権がスタートした最初の年から、「アメリカの対外政策においてかつてなかった役割」と表現するような人もいる役割を演じていた。ゴアはますます頭角を現しつつあった。
 しかし、クリントン大統領が、大統領としての機能を果たすことができ、“最高司令官”としての地位を保っていた間は、ゴアはクリントンの支配下にあった。ところが、1998年1月、大統領への攻撃が激しくエスカレートし始めてからは、大統領はますます攻撃の的となり、悩まされ封じ込められていった。
 このような状況によって、ゴアと首席委員会は、対外政策クーデターを実行することができるようになったのである。

 すでに1994年には、著述家エリザベス・ドルーは、次のように述べている。 「ゴアの国家安全保障顧問レオン・フュアースが、首席委員会の会議に出席していたということは、ゴアが対外政策において“前代未聞の特別な”役割を演じるようになるということの一つの兆候だった。」
 『ワシントン・ポスト』は、1998年3月に次のように書いている。 「ゴアとフュアースは、副大統領のレベルではほとんど見られなかったような対外政策に関する影響力を享受している。」
 『ワシントン・ポスト』は、1998年6月の記事では、次のように書いている。 「フュアースは、ロシアとの関係では、事実上マネージャーの役割を日々果たしており、幅広い国際問題に関する政策を決定する中心にいるにもかかわらず、世に知られていない。」

 国家安全保障会議の構造は、ルーズな“ベビーブーマー”型となっており、これがクーデターの重要な前提条件となっている。
 国家安全保障会議自体は会議を決して行わない。政策の検討は、首席委員会と副首席委員会で行われている。
 国家安全保障会議のメンバーは、法律の上では、大統領、副大統領、国務長官、国防長官、CIA長官、そして統合参謀本部議長が顧問として加わることになっている。クリントン政権がスタートして以来、このメンバーで正式に会議を開いたのは、今までにたったの1回しかない。
 首席委員会とは、要するに国家安全保障会議から大統領を抜いたものである。彼らは、この首席委員会で政策を練り、大統領のところへ行って、このように言う。
「大統領、我々はなすべきことについてコンセンサスに達しました。……」
 そして彼らは、大統領に“既成事実”をプレゼントするのである。

 ゴアをはじめとして、実力を持ったイギリスのエージェントが好き勝手なことをやっているのは、このような体制ができているからである。ゴアとフュアースの他に、英米連邦の利益を代表して、重要な役割を演じているのは以下の人物である。

○マデリン・オルブライト

 諜報関係のある複数の専門家は、オルブライトは完璧にイギリスのスパイだと見なしている。
 オルブライトの父ヨセフ・コルベルは、1938年にミュンヘン協定が締結された後、家族と一緒にチェコスロバキアから逃れて、ロンドンに移住した。ロンドンでは、コルベルはチェコ亡命政府の一員だった。戦争の後、一家はロンドンからチェコスロバキアへ戻ったが、共産主義者が国を乗っ取ったために、再びチェコスロバキアを去る羽目になった。

 オルブライトは、イギリスの地政学を提唱している有力者の一人、ズビグニュー・ブレジンスキーの子分である。ブレジンズキーがコロンビア大学でロシア学を教えている時、オルブライトはその学生だった。
 1977年から1981年には、オルブライトは、ジミー・カーターの国家安全保障会議で、ブレジンスキーの補佐官を務めた。
 現在、ユーゴスラビアで悲惨な事態が展開しているが、クリントン政権内では、誰よりもオルブライトの責任である。オルブライトは、ランブイエでの交渉をぶちこわし、交渉の場でミロシェビッチに爆撃を食らわすという脅しをかけた。
 オルブライトは、軍隊は彼女の外交的兵器庫の道具の一つだと思っている。以前、オルブライトは、ボスニアに軍事介入することを提唱していたが、その時に、元統合参謀本部議長コリン・パウエルにこう要求したことがあった。
「あなたはいつも軍隊の優秀性について話していますが、もしあなたがそれを使えないとしたら、何の意味があるのですか。」

○ウィリアム・コーエン/ヘンリー・ヒュー・シェルトン将軍

 国防長官コーエンと、統合参謀本部議長シェルトンは、イギリス&イスラエル型の“特殊作戦”に関わりながらキャリアを築いてきた。コーエンは上院議員時代に特殊作戦を推進した。
 シェルトンは、ベトナム戦争の時に“グリーンベレー”特殊部隊として陸軍に入隊した。その後シェルトンは昇進を続け、アメリカ特殊作戦司令部(SOCOM)の司令官にまで昇格した。SOCOMは、1980年代半ばに、当時上院議員だったコーエンの擁護を受けつつ、アメリカ軍を再組織した時に創設された。

 1986年、コーエンは、特殊作戦部隊についての演説を上院で行った。コーエンは、演説の中で次のように述べた。
「イスラエルは、特殊作戦において伝説的な成功を収めている。イギリスもこの分野において目覚ましい成功を収めている。イギリスは、マレー半島とオマーンで共産主義者の反乱を鎮圧した。……
 また、イギリスは、フォークランド紛争で特殊部隊の重要性を証明した。」

 コーエンとシェルトンは、“NATO新戦略概念”を推進しているが、これはNATOが世界の警察部隊になることを規定したものである。
 この新しい戦略概念は、特殊部隊に大きな信頼を置いており、それと関連して、空軍の戦力は無敵であるという信念に大きく裏付けられている。

【12】英米連邦の“モグラ”は議会の対外政策を操っている

 1994年11月の中間選挙において、“サッチャー主義”保守革命が勝利を収め、英米連邦は、アメリカ議会に対する支配力をより一層強化した。
 ギングリッチは下院を乗っ取り、モンペルラン協会と、そこから派生したヘリテージ財団などの代表者は、政治的権力を獲得した。共和党が発表した“アメリカとの契約”は、自由貿易を推進し、民営化を進め、福祉国家を終焉させることを目指した処方箋であった。
 英米連邦は、対外政策に関しては、共産主義反対・民主主義賛成、人間行動主義というイデオロギーに頼ってきた。彼らは、このイデオロギーによって、地政学的戦略を補強し、冷戦後の支配を確立しようとしてきたのである。
 そのような英米連邦の作戦にとっては、上院外交問題委員会の委員長ジェシー・ヘルムズ上院議員(共和党、ノースカロライナ州)と、下院国際関係委員会ベンジャミン・ギルマン下院議員(共和党、ニューヨーク州)は、大変重要な人物である。

 英米連邦は、議員に影響を与える際には、シンクタンクと、委員会のメンバーになっている“常任官僚”専門家集団を使っている。シンクタンクは、あらゆる問題に関して政策文書を発行し、多くの人に広めている(事前にその問題の定義づけをしていることも多い)。
 多くの議員は、自分の支持者、マスコミと世論調査、自分に貢献してくれる人たち、選挙区の有力団体、党の上層部(これが最も重要)などの見解の間で調整を取る。ある特定の問題に対して、議員がどういう対応を取るかということは、誰の圧力が最も強いかということにかかっている。
 しかし、ヘルムズとギルマンは驚くほど一貫して、英米連邦の地政学的利益を代表している。2人は、この点において“議会における外国の利益のエージェント”と言うことができる。


●ジェシー・ヘルムズ

 ヘルムズは、1972年にノースカロライナ州で上院議員に選出された。1986年には、78歳のヘルムズは、上院外交問題委員会の少数党主任委員となった。そして、1994年には委員長となり、現在に至っている。
 ヘルムズは、共産主義者と、英米連邦が定義した“ならず者国家”に対しては、厳しい警察官である。しかし、共和党の自由主義的国際主義者に対しては、優しい警察官であり、他の国々を甘い言葉で釣って乗せようとしている。
 英米連邦は、経済分野の難問について対外政策を操作しているが、ヘルムズはそのような難問に焦点を当てている。例えば、ヘルムズは、発展途上国にとっては生命線である技術移転には反対の立場を取っている。特に、ドイツとロシアから、中東とアジアに技術を移転することに反対している。
 また、ヘルムズは、輸出管理法を修正するために力を尽くしている。その目的は、ドイツがイラク・イラン・シリアを援助するのを防ぐためである。ヘルムズが使っている口実は、「技術移転によって、それらの国が、化学・生物兵器、核兵器、弾道ミサイルを開発するかもしれない」というものである。
 また、ヘルムズは、ロシアがイランに発電所を売ったという理由で、アメリカからロシアへの援助を打ち切らせようとしている。

 ヘルムズが特にターゲットにしているのは、クリントン大統領、ドイツ、ロシア、中国である。
 ヘルムズと元上院議員ローチ・フェアクロースは、裁判官リチャード・センテレと昼食を共にした。そのすぐ後に、センテレの部下の裁判官3名が、党派的偏向の強いケネス・スターを、クリントン大統領の調査のための特別検察官に任命した。スターを任命させた張本人は、ヘルムズとフェアクロースだと一般に信じられている。
 ヘルムズは、クリントンを激しく嫌っているが、イギリスびいきのオルブライト国務長官には協力的である。ヘルムズは、オルブラトが国務長官に任命される際に、自分の委員会を通じて、オルブライトが指名されるように計らっている。

 ヘルムズは、ノースカロライナ州では、市民の権利には不熱心で、その上“(粗末な設備で法外な家賃を取る)悪徳家主”として知られている。しかし、例えば中国など、英米連邦の敵の問題になると、人権活動家のふりをする。
 ヘルムズは、チベット人の権利が守られているかどうか監督する特使を任命すべきだと要求した。また、香港の民主主義活動家マーティン・リーの機嫌を取り、「香港が抱えている問題は、イギリスのせいであるという主張はばかげている」と言って非難した。
 また、ヘルムズは、クリントン大統領に対して、台湾総統李登輝にアメリカ訪問の許可を与えるように要求している。これは中国に対する挑発である。
 ヘルムズは、中国を挑発する多数の法案を起草している。例えば、中国に対して“民主主義”を要求する法案や、「中国の輸出品は、奴隷を使って作られたのではないことを証明する必要がある」と要求する法案などである(この“民主主義”というのは、“金融市場と貿易の自由化”と結びついた英米連邦式の民主主義である)。

 アジアへのヘルムズのアプローチの仕方は、英米連邦の地政学的処方箋に従っている。それは、中国を破壊するとまではいかないにしても、封じ込めるというものである。
 1996年3月26日、ヘリテージ財団で行われた演説において、ヘルムズは“アメリカがアジア政策において取るべき5ヶ条のプログラム”について説明した。その中には、中国・日本・韓国・東南アジアの間で、戦略的なバランスを取るべきだという項目が含まれていた。
 ヘルムズは、今まで北朝鮮と平和的な関係を保とうとするクリントン大統領の政策を妨害してきた。ヘルムズは、クリントンが交渉した核の合意を破壊しようとしてきたのである。
 1991年12月3日、かつて共産主義だった国家が自由を享受している時に、ヘルムズは、上院の公聴会において、「ヨーロッパでは、ナショナリズムが成長し、爆発的な影響を与えている」と警告を発した。
「アメリカは、欧州復興開発銀行などの機関を援助し続けることはできない。これらの機関は“コントロール不能”になる可能性があるからである。」
(要するに、これらの機関が、東ヨーロッパとロシアの経済を発展させるために使われるかもしれない、という意味である。)

 ヘルムズの仲間は、麻薬の取り引きを行っているコントラと、アメリカとのつながりを持たせる手伝いをした。
 ヘルムズのスタッフ・アシスタント、デボラ・デモスは、最初からコントラの指導者たちとの連絡役を務めていた。彼は、パナマ防衛軍マヌエル・ノリエガ将軍を異常なほど攻撃した。ノリエガは、ブッシュのコントラ政策の敵だったからである。
 しかしその一方で、ヘルムズとギルマンは、闘牛場の牛のように、イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフを弁護している。ネタニヤフは、英米連邦が中東で行っている地政学的陰謀になくてはならない人物だからである。
 1996年、ヘルムズとギルマンは、ネタニヤフに手紙を送った。それは、ネタニヤフが攻撃的にユダヤ人の入植地を拡大し、それによって和平プロセスを破壊していることを称賛している内容であった。

 ジェリー・ファルウェルとパット・ロバートソンが行っている福音伝導運動は、イギリスと結びついたものだが、ヘルムズはこの運動と強いつながりを持っている。また、ヘルムズは議会で最大のマネー・マシーンを有しており、資金集めを行っている。
 この二つの事実は、ヘルムズと英米連邦の結びつきを一層強めている。
 また、レイノルズ・タバコとBATは、ヘルムズに気前よく資金援助を行っているという話である(BAT:元ブリティッシュ・アメリカン・タバコ。BATは、ロンドンの傑出したシンクタンク、王立国際問題研究所の“主な法人スポンサー”として名簿に記載されている)。

 1984年、ヘルムズは、ノースカロライナ州の人気知事ジム・ハントを相手に、苦しい選挙戦を行った。ヘルムズは再選をかけていたが、その選挙戦は、彼が経験した中で最も苦しい選挙戦だった。
 ヘルムズは、その時にイギリス・イスラエルのある組織に助けられたようで、それを示す証拠がいくつかある。
 ヘルムズは、「当選したら、議会でイスラエルのリクードを擁護する」という条件で、右翼のシオニスト団体から多額の選挙資金を提供された。そのすぐ後に、ヘルムズは上院の部屋で、イスラエルの“ニュー・ライト”のクネセト議員、デビッド・クレイナーの接待を行った。そして数年後には、ヘルムズは自分の上院のスタッフを一気に追放した。
 この動きは、ヘルムズが、フリーメーソンリーの南部管区(本部:サウスカロライナ州チャールストン)の比較的上の方の階級に任命されたのとほぼ同時である。


●ベンジャミン・ギルマン

 ギルマンとヘルムズのキャリアと政策は、平行して展開されている。ギルマンは、1972年にニューヨーク州で議員として選出され、1974年に共和党が多数を勝ち取った時に、下院国際関係委員会の委員長となった。
 ギルマンは、中国が大国にのし上がることの恐怖を吹聴しており、ヘルムズのように、共和党の“国際主義者”に対しては厳しい警察官の役割を演じている。ギルマンは、過激な反共産主義者を装っているが、これは彼がロシアと中国を攻撃するための隠れ蓑である。
 また、ギルマンは、チベットを中国の支配から解放することを目指す“100人委員会”の委員であり、下院共和党政策委員会が作ったいくつかの反中国法案を援助している(この下院共和党政策委員会は、共和党議員グループ内部の英米連邦政策部門となっている)。

 共和党の上層部は、大統領の弾劾攻撃が失敗した直後、中国に対する猛攻撃を新たに開始した。そして、英米連邦のために冷戦を助長し、戦争を推進し始めた。
 ギルマンは、このような状況下で、イラクと北朝鮮の問題について、緊張を一層高めることに貢献した。ギルマンは、イラク解放法をバックアップしたが、この法律は、サダム・フセインを倒すためにイラクの“コントラ”運動に資金援助をするという、危険で意味のない政策を政府に取らせるというものだった。
 北朝鮮の問題については、ギルマンとスタッフは、国際関係委員会に出所の怪しい情報を流し込んだ。これは、クリントンが北朝鮮と交渉した合意を破壊し、北朝鮮との対立を煽ろうとするためだった。
 ギルマンのスタッフは、「国際関係委員会は、北朝鮮の核疑惑施設に、挑発的な査察を行うことを目指している」と、マスコミ関係者に語っていた。その一方では、ギルマンは、「北朝鮮は、アメリカの西海岸を狙えるミサイルを準備している」と言って、北朝鮮に対する非難を行った。

 1996年、ギルマンは公聴会を開き、ボスニアに対する非難を行った。 「ボスニアの指導者層は、多民族国家のボスニアを守ろうとして戦っているが、彼らはイランの手先である。」
 ギルマンのこの宣伝活動は、下院共和党政策委員会が計画したものだった。ギルマンの宣伝活動は、ボスニアの民族分割を強行し、争いを一層激化させるのに貢献した。

 ギルマンは、中東和平プロセスには反対している。
 1996年5月、セントラルパークで集会が行われた際に、ギルマンは、イスラエルの右翼イツハク・ギンズバーグと一緒に参加した。ギンズバーグは、そのわずか6ヶ月前に、ラビンに対する暴力行為を扇動したという理由で、イスラエル当局に逮捕された人物である。

 ギルマンは、一貫してロシアを制裁の対象と見なしている。ギルマンは、「ロシアは、核弾道ミサイルの技術をイランに売り、兵器と技術を中国に提供した」という理由で、ロシアを非難している。
 また、ギルマンは、“イラン・ミサイル拡散制裁法”を起草した。この法律は、イランに技術援助を行ったという理由で、ロシアに対して制裁処置を取るというものである。

 英米連邦は、ギルマンをコントロールするのに、ギルマンの金に対する欲求を満足させてやるという方法を使っている。実際、ギルマンの政策というものは、最も高い値段をつけた人に売るという類のものだと言われている。
 ギルマンは、ロシアとイスラエルの“ギャング”、シャブタイ・カルマノウィッチと関係があると言われているが、それも納得がいくというものである(カルマノウィッチは、1980年代に、KGBのスパイとしてイスラエルで投獄されていた。現在では、モスクワとテルアビブの間を“ビジネスマン”として通勤している)。

【13】下院政策委員会――ここもまた英米連邦の“モグラ”の集まり

 イギリスがアメリカ議会を支配する際に、その中枢の一つとなってるのは、下院政策委員会(HPC)である。同委員会は、共和党下院議員の政策立案部門の役割を果たしている。
 下院政策委員会のウェブサイトでは、「HPCは、レーガンとサッチャーの時代を取り戻すことを目指している」と述べられている。
 HPCの構成員は、下院議長と、委員会のリーダーのポストにある共和党議員である。また、HPCを支配している派閥の中心人物は、ヘンリー・ハイド(イリノイ州)、ベンジャミン・ギルマン(ニューヨーク州)、クリス・コックス(カリフォルニア州)である。
 1999年3月、コックスは議会政策諮問委員会を立ち上げた。これはHPCに付属する私的機関だが、この委員会の目的は、英米連邦のシンクタンク機関を内部に設置して、新たな冷戦を推進するために、顧問と“専門家の証人”を常時集めておこうというものである。


●サッチャーの寵臣

 コックスとギルマンの補佐官とのインタビューによれば、この委員会は、マーガレット・サッチャーと、チョールフォント卿、そのほか多くのイギリス上院議員のアドバイスを受けている。
 彼らは、アメリカとロシア・中国との間に“新たな冷戦”を作り出すことを目指している。冷戦が始まれば、クリントン大統領が描いているような、ユーラシア陸橋プロジェクトは不可能となる。パシフィック・パワーとしてのアメリカが、そのようなプロジェクトにおいて、中国と協力するということは不可能となるのである。

 1999年2月18日、下院政策委員会委員長のコックス下院議員は、ロンドンのヨーロピアン・アトランティック・グループ(EAG)本部で演説を行った。この団体は、チョールフォント卿とサッチャーが運営する“米・英議会シンクタンク”である。
 コックスは、「アメリカにとっては、核の脅威はイラクと北朝鮮だけではない。ロシアと中国も同様である」と断言し、冷戦の再開を呼びかけた。 「ロシアと中国が弾道ミサイルを保有しているために、我々は依然として相当な脅威にさらされ続けている。元ソ連が独断的なミサイル発射を行うか、あるいはアクシデントによってミサイルが発射される危険性は、冷戦の最中よりもずっと大きい。これは議論の余地がない事実である。
 中国人民解放軍副総参謀長熊光楷中将は、『アメリカが台湾を攻撃から守るために介入を行えば、中華人民共和国はロサンゼルスを破壊する』とほのめかす発言をした。また、ここ数週間、台湾の対岸において、中国のミサイル部隊が大幅に増強されていることが報道されている。」

 さらにコックスは、「北朝鮮とイラクは、大量破壊兵器を保有しており、NATO加盟国にとっては、差し迫った脅威となっている」と述べた。演説の最後には、コックスは次のように述べた。
「イギリスとアメリカが団結する必要があるということは、歴史上最大の事実である。マーガレット・サッチャー首相も、これらの国の脅威に立ち向かうために、ロナルド・レーガン大統領と手を組んだ。」

 1996年、サッチャーは、ミズーリ州フルトンにおいて演説を行った。コックスのある補佐官が2月23日に語ったところによれば、コックスは、サッチャーの演説の“前提の通り”に実行しているという話である。サッチャーはその演説の中で、このように述べた。 「NATOは、イラク・イラン・北朝鮮などの“ならず者国家”に包囲されている。これらの国は、中国とロシアの援助を受けて、完璧に軍備を整えている。」

 コックスの補佐官が語った内容は、以下の通りである。
「“ならず者国家”の定義は、サッチャーがその演説で行った定義をベースにしている。また、サッチャーのその演説は、1989年にベルリンの壁が崩壊して以来、新たな軍拡競争と冷戦を呼びかけたものとしては、最初の演説だった。」
「コックスは、多くの人たちの援助を受けている。イギリス上院・下院議員、イギリスの安全保障問題アナリスト、元政府高官、防衛関係の契約企業などである。」
 チョールフォント卿、ダーレンドルフ卿、サッチャー政権の政府高官だったサー・チャールズ・パウエルもその中に含まれている。

「脅威となっているのは、比較的小さい“ならず者国家”だけではない。大国の中国も明らかに脅威となっている。サッチャーを信奉しているこのグループは、アメリカの軍事技術が中国に不法に移転されたことについて、いまだに機密指定になっている報告書を最近作成し、コックスの“軍事技術と中国に関する特別委員会”を援助した。」

 また、補佐官は、「コックスとギルマンのグループは、アメリカとイギリスが推進してきた戦域ミサイル防衛(TMD)が、台湾の“核の傘”となるように力を入れている」と語った。この提案を最初に行ったのは、サッチャーと、ロンドンの国際戦略研究所のジェラルド・シーガルである。
 中国は「台湾と関連したそのようなTMDは、戦争を引き起こす」と述べている。


●議会政策諮問委員会

 1998年5月、コックスは、大規模な私的機関である議会政策諮問委員会(CPAB)を設立した。この委員会は、議会の委員会に所属している共和党議員に助言を行うもので、その委員のほとんどは、レーガンとブッシュ政権時代にサッチャーの支持者だった者である。
 CPABの綱領には、主なものが二つある。その一つは、サッチャーとレーガンの“魔術的経済学”であり、もう一つは、弾道弾迎撃ミサイル条約(ABM条約)を反古にし、サッチャーが新たに推進しているBMD・TMD軍拡競争を強化することである。

 CPABの委員には、次のような人たちが含まれている。
 ミルトン・フリードマン、アーサー・ラッファー(悪名高いラッファー曲線の提唱者)、エドウィン・ミーゼ、ローレンス・リンゼー(FRB)、ブッシュ政権で経済諮問委員会の委員長を務めたマイケル・ボスキンズ、フォード政権の財務長官ウィリアム・サイモンなどである。

 CPABの“防衛外交政策専門家”のリストには、軍事問題についてサッチャーと共謀しているアメリカのトップが多数含まれている。

○キャスパー・ワインバーガー
 ワインバーガーは、サッチャーがミズーリ州で“サッチャー・ドクトリン”とワインバーガーが呼んでいる演説を行った直後、一冊の本を書いた。“サッチャー・ドクトリン”とは、“ならず者国家”と対決するために、ABM条約を破棄する必要があるというものである。

○ドナルド・ラムズフェルド
 フォード政権国防長官。1997年秋の国家防衛委任法のもとで作られた、“1998年ラムズフェルド委員会”の委員長を務めた。この法律を起草したのは、コックスとその仲間である。その目的は、「アメリカに対する弾道ミサイルの脅威を、現在存在するものと、今後生じてくるものを含めて査定する」というものである。
 ラムズフェルド委員会は、1998年7月に報告書を提出し、結論を発表した。 「アメリカと同盟国に対する弾道ミサイルの脅威は、情報機関の今までの報告よりも幅広く十分に計画されたものであり、また一層早いスピードで進展しつつある。」

○ポール・ウィルフォウィッツ
 ブッシュ政権で、国防副長官とラムズフェルド委員会委員を務めた。ウィルフォウィッツは、3月24日に行われた下院国際関係委員会で、「北朝鮮のアメリカに対する脅威は、切迫している」と述べた。

○エドウィン・フェルナー
 ヘリテージ財団会長。モンペルラン協会アメリカ代表の中心人物。

 この他にも、レーガン・ブッシュ時代の冷戦の戦士には、フレッド・アイクレ、ジーン・カークパトリック、ジョージ・シュルツらがいる。

 1998年3月にCPABが創設された時、フーバー研究所のコラムニスト、アーノルド・ベイヒマンが『ワシントン・タイムズ』で書いている記事によれば、CPABは“2000年共和党大会綱領”を起草する予定になっている。
 ウォルフォウィッツをはじめとするCPABのある委員グループは、テキサス州知事ジョージ・W・ブッシュの2000年大統領選挙の“対外政策顧問”として任命されている。
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