HKS魚拓

ソ連情報機関の歴史

金貸し勢力のスパイの証言(6)~血塗られたソ連情報機関の歴史~
http://www.kanekashi.com/blog/2015/08/4428.html

ロシア帝国ニコライ2世は、1880年に秘密警察アフラナを設けた。目的は共産党の革命計画を取り締まるためだ。ユダヤ系ロシア人革命家レーニンは、アフラナに追われてスイスに亡命している。共産党地方組織の執行委員の大半が隠れアフラナ・メンバーだった。皇帝のスパイ組織アフラナは、革命分子の芽を次々と摘み取って投獄又は殺害した。第一次世界大戦に連合国の一翼を担って戦ったロシアの損害が大きすぎたことが国民の不満を招き、その不満を利用した共産革命勢力がスパイ世界をいっそう成熟させた。

1917年、ドイツ帝国陸軍参謀本部の特別封印列車でロシアに送り込まれたウラジミール・イリイチ・レーニン(1870~1924)は、ロシア革命を成功させ、今度は自身がいわば皇帝のつもりで君臨、ユダヤ系ポーランド人ジェルジンスキーを管理人にして内務人民委員部(NKVD)を設けアフラナ機関同様に活用した。革命政権に楯突く敵をつぶすためには、NKVDは効果的だった。組織をさらに強化して全ロシア非常委員会を1917年に創設、これがソ連崩壊までのKGBの原型でベーチェーカーと呼ばれた情報機関だ。機関員は礼状なしの逮捕、即決裁判、死刑執行の権限を持ち、その特権をいかんなく発揮した。恐怖の赤色テロルとも呼ばれ、市民数十万人が簡単に処刑された。

1921年、ベーチェーカーは国家政治保安部(GPU)と改称、密告者が街に溢れた。1923年、ソ連邦憲法制定を機に周辺共和国をも支配下に置く合同国家政治保安部(OGPU)に改組した。1924年、ユダヤ系グルジア人ヨシフ・スターリン(1878~1953)のもとでさらに拡大を続けた。数年間で数百万人の農民餓死者を出したスターリンの経済音痴ぶりを非難する国民の声を、恐怖の情報機関OGPUが沈黙させた。

国際共産党執行委員会(コミンテルン)もその下部組織も皆、OGPUの元で対外情報活動を続けた。ロシア革命成功の甘い香り(スペイン体制派はこの香りを「毒」と呼んだ)が世界のユダヤ系インテリ層を通して賛美され、その夢に酔った英国名門大学生らのなかの一人には、ユダヤ系英国人キム・フィルビーも混じっていた。ケンブリッジ、オックスフォード両大学に通う上流階級の子息達は、ユダヤ系ドイツ人マルクスとレーニンの思想に魂を奪われた。学術文化を通じた対外情報工作のリクルート活動は成功をおさめる。

1953年にスターリン首相が死去するまでには、国家保安監理本部(UGB)が新規に加わり、ソ連邦の内外情報機関は活発肥大化の道をたどる。

1938年、ユダヤ系のこれまたグルジア人べりアがそれまでの情報機関を分割統合して、国家人民保安部(NKGB)を誕生させた。国内治安、対情報工作、対地下工作、対ゲリラ対策、国境警備と収容所管理などを専業にした。第二次大戦後、それまでのNKGBは国家保安局(MGB)に、そしてNKDVは内務省(MVD)に改称した。スターリンはMGBの対外情報工作部門を、そしてさらに軍部の情報管理本部(GRU)を、それぞれ別扱いにしながら自在に操作した。1954年にラヴレンチー・べりア(1899~1953)が国家保安省(KGB)にそれらを再編統合する。その後、1990年のソ連邦崩壊でKGBは連邦保安官(FSB)に改称、そして現在も世界最大の超情報機関として君臨している。

(引用終わり)

レーニンを送り込んだドイツ帝国の当時の皇帝は、ヴェルヘルム2世です。

私には、ロシア革命は金塊を巡る元は同じ勢力の争いであり、ロシア皇帝一族も本当に処刑されたのか多少の疑問が残ります。ロシア革命には日本も関与していますが、日本側はイエズス会に利用された可能性もあります。

ニコライ2世 Wikipedia
ニコライの母マリアの姉がエドワード7世妃のアレクサンドラ・オブ・デンマークであり、ジョージ5世の母にあたる。そのため、イギリス国王ジョージ5世はニコライの従兄弟となる。

(引用終わり)

ドイツ経由の英王室と血統が同じということです。
タクシスから買い取ったヘッセンのネットワークから派生したMI5,MI6,ウォーバーグやメロンが在籍したかつてのOSS,現在のCIA,ドイツの諜報機関、旧ソ連の諜報機関、最終的には同じ勢力の諜報組織です。
テクノロジー兵器の運用は、各国の軍情報部と諜報機関が行っています。

各国の諜報機関は、その国のオーナーである王侯貴族と財閥の私兵

国のオーナーが同族であれば、私兵である諜報機関や軍情報部も協力し合うのです。それが大きなスパイ協定ネットワークになっています。

MI6からCIAにどう繋がるか?
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=290789
CIAは米国を代表する諜報機関だが、創設されたのは第二次大戦中(前身のOSSとして)であり、第二次大戦時の英国から米国への覇権の移転にともなって、MI6のコピー機関を米国に作ったのが始まりだ。
CIAは大統領のみにつながっており、大統領さえたらしこめば、米政府の他の機関に妨害されず勝手にやれる。 CIAは、米国が英国好みの世界戦略を採らざるを得ない冷戦構造の永続化を模索した。
=============================================================
■大英帝国が誇る諜報機関、それがSISである。

 SISには、大きく分けて二つの部署がある。MI5とMI6で、その前身は軍事情報部の第五課と第六課であり、名称の由来MI(ミリタリー・インテリジェンス)はここからきている。さらにこの二つの部署からいくつかの組織と部署が枝別れしている。
 
 MI5は英国国内で行動する外国のスパイ(冷戦時は主として共産陣営)の摘発や、国家機密の漏洩阻止などの防諜活動を主任務とし、国内で活動するIRAやアラブ系テロ組織の情報収集や取り締まりも行っている。日本でいうところの警察庁公安部や公安調査庁にあたる組織である。

 MI5は建前上、逮捕権限が与えられておらず、スパイやテロリストの摘発・逮捕の際にはロンドン警視庁保安部に依頼し、ロンドン警視庁の刑事たちが逮捕を行う。そのためか、MI5には多くの警察官が出向している。
また、事務を取扱う職員に女性職員が多いのもMI5の特徴でもある。
(中略)
MI6は、MI5とは対照的で海外での情報収集と諜報活動を担当する。映画007のジェイムズ・ボンド海軍中佐もMI6に所属している。

★第二次大戦中は、ナチス・ドイツへの諜報活動を行い、ドイツ国防軍情報部アプヴェールやナチス親衛隊保安部、ゲシュタポと渡り合った。
★米OSS(後のCIAの前身)やSOE(英国の特殊作戦を執行するための部署)とも連携して、ヨーロッパ大陸のナチス占領地区における連合国側情報網の成立にあたった。
MI6最大のライバルはソ連KGBで、冷戦時には米CIAや西側諸国の情報部と連携し、敵対する東側の情報部と諜報合戦を繰り広げた。
★特にCIAとの繋がりは深く、両機関の間で情報交換が頻繁に行われた。

しかし、1962年には情報部員であったキム・フィルビーがソ連のスパイであったことが発覚し、大きなスキャンダルを巻き起こしたことがあった。彼は第二次大戦中から英国の機密情報をソ連側に流し続けていた。

 フィルビーは英国情報組織の上層部に位置し、ソ連側に浸透したMI6のスパイの名前を知る立場にあったのと同時に、英国側に浸透しているソ連側スパイを保護できる立場にもあった。ソ連にとってこれほど都合のいいスパイはいなかっただろう。
 また、フィルビーはワシントンの英国大使館に勤めていたこともあり、アメリカの国家機密でさえもソ連側に流していた。

★フィルビー事件は【CIAとFBIが警告を発し】、【MI5が調査】に乗り出したことで発覚し、身の危険を感じたフィルビーはソ連に亡命。この事件によってSISは大きな打撃を受け、ソ連に浸透したスパイ網はほぼ壊滅したと言われている。


=============================================================
ウィキペディアリンク より以下引用。

『CIAの祖』『OSSの創設者』であるドノバンは、大統領フランクリン・ルーズベルトの支持の基、中央集中的な諜報システムの基礎を徐々に築いてゆく。

1941年10月には英国軍情報部第6課(MI6)の支局からロックフェラー・センター3603号室を引き継ぎ、情報調整局ニューヨーク本部を設置。本部長はアレン・ダレスに依頼した。

1942年、COIは戦略諜報局(Office of Strategic Services, OSS)に改組され、ドノバンは大佐として現役復帰を果たす。ドノバンの指揮下でOSSは世界各地に展開し、ヨーロッパやアジアでは数々のスパイ活動やサボタージュ任務を成功させた。
(中略)
英国からはナイトの称号も与えられている。
===========================引用終了=============================

第二次世界対戦を基に、英国は米国に覇権を譲渡した。
MI6がCIAにノウハウ提供の名目で入り込み、覇権運営の裏方である米国の諜報部門をスパイの常道手段をフル活用して英国が乗っ取った。
OSSは、冷戦開始と同時期の1947年にCIAに改組された。

CIAは、米国が英国好みの世界戦略を採らざるを得ない冷戦構造の永続化を模索した。だが米国には、英国好みの覇権構造を好まない、戦争屋のロックフェラーなどもいて一筋縄ではいかない。
彼らは、CIAに楯突かず、むしろ『協力する方向で、やりすぎによって戦略を破綻させる策』をとった。
 
 60年代のベトナム戦争を失敗させての米中関係の回復、80年代にアフガニスタンを占領したソ連軍の苦戦、ソ連の崩壊、03年のイラク侵攻などもその一要因なのかもしれない。

更には、毛沢東の革命は、米国のOSS(CIAの前身)が行ったことが最近公文書が機密解除になって明らかになったという。

(引用終わり)

金貸し勢力のスパイの証言(7)~秘密のベールに包まれている英国のスパイ機関~
http://www.kanekashi.com/blog/2015/08/4442.html

1890年、ヴィクトリア王朝の陸軍省が対帝国ロシア、対アイルランド独立運動から秘密情報活動を始めて大英帝国の情報機関が創設され、それらの経験がロンドン警視庁公安部の基礎にもなった。英国秘密情報部SISの軍事情報部(ミリタリー・インテリジェンス)第5課(エム・アイ・ファイブ=MI5)が1905年に創設されて国内の防諜を担当、その4年後に対外情報活動担当の第6課(MI6)が創設された。

第二次大戦時に英国情報界と政界を支えたのがオックスフォード、ケンブリッジの両名門大学学生たちだった。その中から優等生を育て、国家社会の中枢に送りこんだ著名な人物がいる。

アルフレッド・ミルナー卿だ。ミルナー卿は、1890年から二年間エジプト駐在財務官を勤めるなど、政府の対外活動分野で要職を歴任した。1892年から97年まで英国政府内国歳入局長を務め、アフリカのボーア戦争(1899~1902)終結前まで南アフリカの高等弁務官を務めた。大英帝国が植民地支配を遂行するために最も重要だとしてミルナー卿が、守ったものはアフリカ算出のダイヤモンドであり、金だった。地下資源の権益死守は大英帝国の植民地経済体制の維持には不可欠。将来にわたってこの権益を守るためにも有望な若手秘密情報員を育てあげる意義があったのだ。

ミルナー卿の意思を忠実に汲んだ青年たちは後に著名な作家としても育ち、バッキンガム宮殿にフリーパスで出入する情報局長官などの政府高官や、英国議会から機密資料をその職権で堂々と持ち出せる国会議員としても育った。

(引用終わり)

ここでも、円卓会議人脈が出てきます。

セシル・ローズとロスチャイルド設立の円卓会議の目的は国つぶし by ジョン・コールマン
https://satehate.exblog.jp/11525438/

●アシュケナジー系ユダヤ人アブラハム・ベン・エレザル、またの名をヘンリー・キッシンジャーと称する男は、日本の中堅やベテラン官僚や学者、ジャーナリストを自家薬籠中のものにして、有能な対日宣伝要員を日本の権力機構の中に確保した。キッシンジャー・スクールの生徒だったと自慢する学者や日本政府の役人とは、別名売国奴の予備軍と呼ばれている。
http://www.kanekashi.com/blog/2015/07/4369.html

集団ストーカーシステムの目的も、最終的には国潰しです。大英帝国とローマ帝国の両建てで、日本を破壊しているのです。明治維新から、あるいはそれ以前からこの勢力と取引をしつつ、私腹を肥やしてる連中がおり、一部は侵略勢力と同族化しています。日本はスパイ天国といわれていますが、スパイを放置する限り国潰し作業は止まりません。スパイを防止する処置をとるべきです。

最も、日本は国家の中枢がすでにスパイに乗っ取られています。これをどうにかしなくてはなりません。広島も知事から職員まで、すでに入り込まれています。広島や山口には、イエズス会の巣もあります。

イエズス会聖ヨハネ修道院 Wikipedia
昭和時代におけるイエズス会日本人会員の初期養成はほぼすべてここで行なわれていた。

警視庁も内閣情報調査室もCIA
blog-entry-239.html

集団ストーカーシステムの所有者は各国のオーナー連中です。それぞれの傭兵である諜報機関や軍を利用して共同で運営しています。各国の諜報機関が同じ勢力の所有物と分かると、この犯罪の本質が見えてきます。イエズス会と繋がる旧華族とのトラブルで、被害が始まった人が複数いることもヒントになりました。

1.ドイツ秘密諜報機関、そこから派生した旧ソ連諜報機関、バチカン秘密諜報機関、イエズス会、マルタ騎士団、ドイツ騎士団のローマ側、
2.ガーター騎士団、東インド会社、300人委員会、円卓会議、王立国際問題研究所、CFR、CSIS,日米欧三極委員会の大英帝国側、
この2系統が利用されているように思います。両勢力のトップは血縁で結ばれており、最終的には同じです。


冷戦もやらせだったのです。
ソ連の電磁波技術は、ソ連崩壊後各地に散らばり再び世界中枢に集約されました。

旧ソ連のウッドペッカー信号 ※私的メモ
blog-entry-92.html
inserted by FC2 system