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セシル・ローズとイギリス南アフリカ会社 

大英帝国側の主力は、ガーター騎士団、ロンドンのシティ、キャボット家を主体とする東インド会社、セシル・ローズの南アフリカ会社から生まれた300人員会と円卓会議です。ここから王立国際問題研究所が生まれました。

今回は、セシルローズと南アフリカ会社を取り上げます。

セシル・ローズ Wikipedia

イギリス南アフリカ会社 Wikipedia

『世界の歴史をカネで動かす男たち』の感想と私見
https://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200507280001/

本書でいう国際銀行家とは、英国では「マーチャントバンカー」、フランスでは「プライベートバンカー」、米国では「投資銀行家」と呼ばれるものを指しており、これらは貯蓄銀行や商業銀行などの「普通の銀行」とは異なっていると定義し、その理由を5つ挙げている。

1.彼らは世界主義かつ国際主義の立場をとる。
2.政府と癒着し、政府の負債問題にきわめて関心が高い。
3.彼らの関心の的は債券であり、実際の商品にはあまり関心を示さない。
4.したがって彼らは熱烈なデフレ支持者である。
5.彼らは徹底的に秘密主義を貫き、政界の裏に財政的影響力をもつ。


国際金融家として最大なのはマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの末裔であるとキグリーは書いている(私は違うと考えているが)。その他に具体的に名前の挙がっている銀行一族は、ベアリング、ラザード、アーランガー、ウォーバーグ、シュロダー、シーリングマン、シュパイヤーズ、ミラボー、マレット、フォールド、モルガンである。

キグリーは世界史の中に燦然と輝く出来事として1694年のイングランド銀行の設立を挙げる。それは、紙幣を使うようになったこと(つまり金本位制が本格的に確立したことも含めて言ってるんでしょう)、銀行家が「無」から現金や預金、貸付金を“創造”したことと説明され、そしてイングランド銀行を設立したスコットランド人のウィリアム・パターソンが語った言葉、「銀行は無からつくりだされたあらゆる資金の利息をかせげる」で結んでいる。

近代的中央銀行制度の確立と紙幣発行(金本位制)が本格的に確立されることになるイングランド銀行(発券銀行であり預金業務も行なう商業銀行という顔をあわせもつ民間銀行)の設立とは、歴史的な“大事件”だったのである。設立の中心人物は、ウィリアム・パターソン(創設者であり最初の取締役の1人)ともうひとり、初代大蔵卿チャールズ・モンタギュー(ハリファックス伯爵)であろうと私は思っている。ニュートンを造幣局長官に任命したのはモンタギューである。また、イングランド銀行設立の翌年に設立されたスコットランド銀行にも注目する必要があると考えている(創設者はホランドというスコットランド人)。これら発券銀行の設立がスコットランド人を中心とするものだったことは興味深いことである。

イングランド銀行を“私有”した国際金融家グループが現在の米国にある連邦準備制度を“私有”しているのである。どちらも“公的機関を装った”民間銀行である。

(引用終わり)

『世界の歴史をカネで動かす男たち』の感想と私見の続き (2)
https://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200507280002/

さて、先頭でも書いたが、英国のチャタムハウス(RIIA)と米国の外交問題評議会(CFR)は1902年に死んだセシル・ジョン・ローズ(1853-1902)のDNAをもつ機関である。本書はこれらの設立過程に詳しい。ローズに決定的な影響を与えた人物がジョン・ラスキンと書いてあるので、この人物は重要である。

ジョン・ラスキン(1819-1900)は裕福なワイン商人の息子としてロンドンで生まれその財産を受け継いだ。オックスフォードを卒業したラスキンは美術・文学・建築・数学・ラテン語・ギリシア語を学んだ。プラトンの『国家』を「毎日といっていいほど読みふけった」ラスキンがオックスフォード大学で美術の教授職に就くと、ラスキンの着想は英国貴族社会の後裔である生徒たちに影響を与えることになる。

キグリーの言葉をそのまま引用する。

「ラスキンはオックスフォード在学生に、彼らが特権的支配階級の一員であると語りかけた。彼らは教育、美、法の支配、自由、上品さ、自己規律という気高い伝統を継承しているが、その伝統が英国下層階級や英国人を除いた世界の大衆に広まらない限り、この伝統を維持するのは困難であり、伝統が保存に値しないと語った。もし貴重な伝統がこの2つの大多数に広まらなければ、少数の英国上流階級はこの大多数の前に屈し、伝統は失われる。それを防ぐには、伝統が大衆と帝国に広まらなければならない」

スクーセンの解説に従えば、この「衝撃的」なメッセージのあった就任記念講義をセシル・ローズという在学生が手書きで記録し、ローズは30年間それを手放さなかった。ところで本書から少し離れてしまうが、ローズの名前から頭に浮かぶものといったら「ローズ奨学金制度」が有名である。

米国では1904年以降、すでに2800名を超えるローズ奨学生が誕生しており、ローズ奨学生で有名なビル・クリントンが大統領になったとき、その政権にはウールジーCIA長官やライシュ労働長官、タルボット国務副長官といったローズ奨学生が多かったため“ローズ奨学生政権”と言われたほどだった。

ローズ奨学金制度のおそろしさは、これを日本に置きかえて考えると想像しやすい。若きクリントンにローズ奨学生として学ぶきっかけを与えたのは、上院で16年間も外交委員長を務めたフルブライト上院議員であり、フルブライト自身もオックスフォードで学んだローズ奨学生だった。このフルブライトがローズ奨学金を真似て設立したのが有名な「フルブライト奨学金制度」である。フルブライトは広島に原爆が投下された2週間後に「フルブライト計画」の法案を米国議会に提出していた。このことからフルブライト奨学金制度も敗戦国に対する植民地政策のようなものであり価値観を植えつける“洗脳教育”であると理解することが重要なのである。ローズ奨学金も旧大英帝国連邦の国がその対象であり米国も植民地だった経験をもつ。「フルブライター」と呼ばれるこの留学制度利用者は日本人だけで約6000人も存在する。


本書に戻ろう。再びキグリーの言葉を引用する。

「セシル・ローズの目的は、英語圏の人々を結集して世界中の全居住地を彼らの支配下に置くという野望に尽きる。このためローズは莫大な私財の一部を寄贈してオックスフォードにローズ奨学金を設立し、ラスキンの望みどおりに、英国支配者階級の伝統を英語圏に広めようとした」

そしてローズのようにラスキンを崇拝するグループができ、そこにはあのアルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)、アーノルド・トインビーなどがいた。同様のグループがケンブリッジにもでき、キグリーの表現に従えば「帝国主義者である英国一過激なジャーナリスト」のウィリアム・ステッドがこのグループをローズに引き合わせたことで、ローズとステッドは、ローズが16年間夢見ていた秘密ネットワークを組織した。これは公式には1891年2月5日とされている。

このネットワークの“創始者グループ”として幹部メンバーになったのは、ステッド・ブレット(イッシャー卿)、アルフレッド・ミルナー、アーサー・バルフォア(卿)、ハリー・ジョンソン(卿)、ロスチャイルド卿、アルバート・グレー(卿)などであり、指揮を執ったのはローズである。支援組織(後にミルナーが組織する円卓会議)として知られる外郭団体もでき、こうして1891年3月までにネットワークの中核ができあがった。

ローズが1902年に死んだ後は、ミルナーがローズ遺産の筆頭管財人に、ジョージ・パーキンがローズ信託財団の理事長に就いた。1905年まで南アフリカ総督兼高等弁務官を務めていたミルナーに仕え、ミルナーの影響下にあった者たちを称して「ミルナーの幼稚園児」と呼ばれたが、彼らは1909年から1913年にかけて英国の主だった属領や米国で「円卓会議グループ」を組織。そしてこのミルナーを中心とするグループが、ローズ支援者のエイブ・ベーリー(1864-1940)やアスター家から資金援助を受け、1919年に設立したのが王立国際問題研究所(チャタムハウス)となるようである。

ローズが死んだ1902年は、連邦準備制度を米国に創設するためにポール・ウォーバーグが米国にやって来た年であった。ミルナーの幼稚園児たちが「円卓会議グループ」を組織し終えた1913年、米国では12月に連邦準備法が通過した。

キグリーによると、「ローズ~ミルナーグループ」の権勢と影響力について、どれだけ大げさに言っても誇張ではないとして、一例としてロンドンタイムズの経営権を握っていたことを挙げている。その後1922年にロンドンタイムズの社主がアスター家となる。ミルナー自身は、1901年にロンドンのモルガン銀行から10万ドルという桁外れの年収を提示され共同経営者に加わってほしいと要請されたがそれを断り、ミッドランド銀行の前身であるロンドン共同出資銀行など多数の官立銀行の総裁におさまったとのこと。ミルナーに断られたモルガン銀行はE・C・グレンフェルにロンドン支社を任せ、それがモルガン・グレンフェル商会となった。

ここで確認しておこう。国際金融家を代表する形でセシル・ローズがつくりあげたネットワークは、少数の「円卓会議グループ」だった。英国の「円卓会議」グループの創始者はアルフレッド・ミルナーである。ここから英国や属領に「円卓会議グループ」が組織され、これらの「円卓会議グループ」の活動拠点として構築されたのが王立国際問題研究所である。したがって王立国際問題研究所の中核は、各地に潜む「円卓会議グループ」となる。

米国の外交問題評議会は王立国際問題研究所のニューヨーク支部としての役割を果たす。つまり外交問題評議会は「米国円卓会議グループ」の拠点であり、外交問題評議会の中核は、少数精鋭の「米国円卓会議グループ」となる。

王立国際問題研究所と外交問題評議会は、「各地にある円卓会議グループ」の活動拠点であり、前線基地なのである。そして、英国ではミルナー・グループが、英国の支部である外交問題評議会ではモルガン・グループが、それぞれ牛耳っている。したがって前線基地である活動拠点(王立国際問題研究所と外交問題評議会)は「秘密ネットワーク」どころか逆にある程度は開かれた組織なのだろう。

スクーセンによると、外交問題評議会(CFR)本部ビルはロックフェラー家から寄贈された。そしてCFRを公式に創設した功労者はエドワード・マンデル・ハウス大佐であり、そのハウスの補佐役としてウォルター・リップマン、ジョン・フォスター・ダレス、アレン・ダレス、クリスチャン・ハーターが厳選され、これらの補佐役はCFRの中核メンバーであるとするジョセフ・クラフトの弁を紹介している。

CFRを財政的に支えているのは、どうやら、ロックフェラー財団、カーネギー財団、フォード財団などに代表される「非課税財団」のようである。これらの財団資金を通じて大学などの教育に影響力を行使しているようでもある。

(引用終わり)

ロックフェラー家の上に、東インド会社代表のキャボット家がいます。メロン家やロックフェラー家は、日本の株式のかなりの部分を取得しています。

セシル・ローズとミルナー幼稚園人脈は非常に重要なので覚えておいてください。ここから生まれた王立国際問題研究所から派生したタビストック人間関係研究所が、CIAのMKウルトラ計画の背後にいました。


円卓会議とミルナー幼稚園
https://ameblo.jp/syuusuto-memo/entry-12566597863.html

円卓会議や王立国際問題研究所は、世界的な派閥の調整機関です。イギリス南アフリカ会社のセシル・ローズ、サヴォイア側の金貸し代理人ウォーバーグ、ヘッセンの金貸し代理人ロスチャイルドなどがいます。世界中枢は、大英帝国と神聖ローマを両方使い、世界統一政府を目指していますが、セシル・ローズは大英帝国側の代理人です。

円卓会議合衆国代表のモルガンがニコラ・テスラを支援しました。

【宝石のデビアスは保険会社の保険会社=ロイズ】
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-235.html

鉄道会社はすごかった
https://blog.goo.ne.jp/palinokuni/e/3c3e8a05bb8d6744836fe5d022653205

ペンシルベニアはアメリカの州として一番最初に成立したところである。そして何よりクエーカー教の聖地でもある。
ペンシルベニアが出来た理由は英国の宗教政策によるもので、ウイリアム・ペンというクエーカー教徒が国教会側からの新教弾圧を受け、彼の親がチャールズ2世に貸した大金の証書をかたに領地として手に入れ、集団で移民したである。彼らクエーカー教徒は自由・平等・博愛を謳いペンシルベニアを自由発祥の地とした。
クエーカー教徒は異教徒であるため、英国内では政府の要職に就くことはできず、したがっていわゆる中産階級の手工業者や商人が多く、さらに他教徒との婚姻は認められないため一種独特の団結感を有していたようだ。
ペンシルベニアでの産業の発展と、いわゆるE派閥の成立と大きな関連があるので詳しくはまたの機会にするが、園田氏の記事から引用するなら「米国では、クエーカーが切り開いたペンシルべニア州を中心に巨大な鉄道網が登場し、その莫大な投資額ゆえに金融機関と密接に結びつき、金融資本の形成に決定的影響を及ぼした。」(最新日本政財界地図16 鉄道業と欧米日エスタブリッシュメントから)とある。

セシル・ローズ、後にローズ資金として有名になるが、実はボーア戦争という最悪の侵略戦争を仕掛けた貴族がいた。この南アフリカで行われた植民地戦争は英国の威信をかけた戦いとなり、この為にロシアとの戦いに日本を巻き込むことになった。
この戦争に勝利したローズは表向きはロスチャイルド家の融資を受けたように言われるが、そんなレベルの話ではなくRIIAやCFRの設立に至る世界通貨調整カルテルの立役者になったのである。

ローズはペンシルベニアで鉄鋼、鉄道、造船などへ莫大な投資を行い、結果、カーネギー、ロイズ、バークリーなどのクエーカー財閥を生み出した。そしてその後、例のロックフェラーやモルガンが登場し、デュポンなどもこのころかな・・・?これらがEの実態なのである。前に取り上げたボストンのキャボットもEだが、いわゆるアメリカの所有者の一人なのである。

(引用終わり)

太平洋問題調査会(IPR) ロックフェラー、渋沢栄一
blog-entry-321.html

客家やイエズス会、神聖ローマ勢力に利用されていた陸軍閥を潰すために、負け戦に誘導したのが円卓会議と太平洋問題調査会人脈ですね。
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