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英王室を乗っ取った神聖ローマ帝国

1.神聖ローマ選帝侯ヘッセン家の代理人のネイサンロスチャイルドが、1815年にワーテルローの戦いのさなか独自の諜報網を利用し情報操作し、イギリス国債を独占する。
2.ドイツ帝国のビスマルクが、普墺戦争でハノーファーに勝利しヴェルフ基金(金塊)を入手する。これがドイツ帝国のイギリス乗っ取りの決定打となる。この資金は、フリーメイソンの上に立つ秘密会議の設立資金となる。
3.度重なる政略結婚


【世界史が教えてくれる広島・長崎原爆までのプレリュード】
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-277.html

ロスチャイルド家とイングランド銀行総裁との閨閥
 第一次ボーア戦争時のイングランド銀行総裁ヘンリー・グレンフェル、その妻 アリシア・アディーン。第二次ボーア戦争時のイングランド銀行総裁ヒュー・ス ミス、その妻コンスタンス・アディーン。
 アディーン姉妹の弟ヘンリー・アディーンの妻エリザベス、その兄エリオット・ ヨークはネイサンの孫アニー・ロスチャイルドと結婚。
 ロスチャイルド=ヨーク=アディーン=グレンフィル。

 エドワード・グレンフェル、ヘンリーの息子、アライアンス保険重役、イング ランド銀行理事を兼務、ビーフステーキクラブ会員、モルガン・グレンフェルを 創業。
http://poppo456.music.coocan.jp/in/b_rothschild1.htm
※赤い楯の出版が集英社、神聖ローマ側の金貸しを英国側の会社が書いている。

オラニエ=ナッサウ家 Wikipedia

ザクセン=コーブルク=ゴータ家 Wikipedia

ハノーヴァー朝 Wikipedia
ハノーヴァー朝(ハノーヴァーちょう、英語:Hanoverian Dynasty)は、1714年から1901年まで続いたイギリスの王朝。ステュアート朝の断絶を受けて、ドイツ北部の領邦君主の家系であったハノーヴァー家からジョージ1世を国王に迎え入れて成立した。

ハノーヴァー家(House of Hanover [ˈhænoʊvər, ˈhænəvər]、ドイツ語ではハノーファー家)は、ドイツのヴェルフ家(ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家)の流れを汲む神聖ローマ帝国の諸侯の家系で、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領の分邦の一つカレンベルク侯領(1692年からハノーファー選帝侯領)の君主の家系であった。ステュアート家の血筋を引いていたことからイギリスの王家(上記ハノーヴァー朝)となり、ハノーファー選帝侯領(1814年からハノーファー王国)とイギリスの君主を兼ねる同君連合体制をとった。1837年、女王ヴィクトリアの即位によりサリカ法をとるハノーファー王国との同君連合を解消した。

1901年のヴィクトリアの死後は、夫(王配)であったアルバートの家名を取って、サクス=コバーグ=ゴータ朝と称される。第一次世界大戦中に、敵国ドイツ帝国の領邦の名が冠されている家名を避け、1917年に王宮の所在地ウィンザーにちなみウィンザー家と家名を改称した。

(引用終わり)

ザクセン=コーブルク=ゴータ家 Wikipedia

ウィンザー朝 Wikipedia
ウィンザー朝(ウィンザーちょう)は、1917年に始まる現在のイギリスの王朝。サクス=コバーグ=ゴータ朝の後身。ハノーヴァー朝の後身と見なされることもある。

明治維新以降、日本と関係が深いのは英国ではなく、英王室の中のドイツ系王侯貴族です。英王室と皇室は連携して麻薬を含めたビジネスを行っていました。明治以降の天皇家は、ガーター騎士団です。

大英帝国と神聖ローマが集団ストーカーを行っていると書きましたが、大英帝国の中の英王室のかなりの部分が神聖ローマです。王室(クラウン)に忠誠を誓うMI5,MI6などの諜報機関も英王室やシティの銀行家に従っています。大英帝国と神聖ローマの王侯貴族たちは、生物学的に見れば親戚同士であり、世界規模の金塊を巡る派閥争いに過ぎないとも言えます。

第二次世界大戦も、壮大な親戚同士の金塊争奪戦&利害調整イベントであったともいえます。日本は、両者に利用された形になります。なお、大英帝国=英王室ではないため、ご注意ください。

※今回重要な点は、日本に大きな影響力を持ってきたのがドイツ系の英王室であった事です。

モルガン、ロスチャの直接的なデータ不検索、モルガングレンフェル手掛り
https://blog.goo.ne.jp/thinklive/e/3461a37d3c0a0c89ba3e37c721bf8d9f

*敵味方に分かれる味方同士と言う発想、第二次世界大戦も英仏戦争の発展形態、ナチスはロスチャイルド、ロックフェラー、モルガン、独鉄鋼財閥など支配的財閥の共同PJ、
 では、なぜ、犬猿の仲であるはずの両家が、パートナーとなったのか??
 「ロスチャイルド家は、重要な19世紀にアメリカへの投資に意欲的でなかった。そのため、ロックフェラーとモルガンに出し抜かれた」-このような俗説が氾濫しているが、それは、家計図を調べたことのない、投資エキスパートが陥り易い結論である。
 1837年、金融王ネイサンがこの世を去った翌年、ロスチャイルド家は、アメリカにエージェントを送り込んだ。誰あろう伝説の富豪;オーガスト・ベルモントであった。
 彼は、新天地アメリカに着くと、ロスチャイルド家の代理人を名乗りながら、そちこちで、女を物色し始めた。こうして、探し当てたのが、キャロライン・ペリーだった。このキャロラインこそ、浦賀までやって来たペリー提督の娘であった。
 ペリー一族も、ベルモントの「寝台戦法」を学んだ。かくして、ペリー提督の兄の曾孫;アリスが、ジョゼフ・グリューと結ばれた。グリューは、ボストンの上流社会に属する人物だ。

 オーガスト・ベルモント(-)キャロライン・ペリー ⇒ アリス・ペリー(-)ジョゼフ・グリュー…

 …このような関係となり、グリューは、ベルモント一族となった。
 その後、ジョゼフ・グリューは、太平洋戦争前に、アメリカ日本大使として、三井・三菱財閥を渡り歩き、軍人と交流を深めていった。その狙いが、中国大陸での石油利権であった。
 そして、このグリュー一家のジェーン・グリューが、当時全米一の富豪J・P・モルガンJrの妻となっていたのである。
 したがって、今日、アメリカの巨大財閥モルガン家は、消滅したという話が定説になっているが、しかし、彼らは、姿を変えて生きている。
 まぎれもなく、ロスチャイルド家の代理人オーガスト・ベルモントと閨閥をつくり、「モルガン・グレンフェル」のなかに融合している。 モルガン家は統一ドイツの象徴「ドイツ銀行」に入り込んでいる。
 第二次世界大戦中に、ロスチャイルドとモルガンの仲は、ファシズムの台頭によって引き裂かれたが、それも一瞬の出来事であった。現在でも、モルガン財閥のペン・セントラル鉄道の大株主は、ロスチャイルド財閥の「リオ・チント・ジンク社」である。
 フランス・モルガン商会の社長メイニアルの弟は、ロスチャイルド財閥の大手金属会社「ペナロヤ」の重役。ロスチャイルド家の大物J・ゴールドスミスが買収した、大手スーパーマーケットに投資しているのは、ほかならぬモルガン・スタンレーである。

*モルガン.スタンレーが三菱UFJの子会社となったことは、三菱がロスチャイルドグループの一員であることを告げる、

1989年、「ドイチェ・アセット・マネジメント・グループ」の前身となる「モルガン グレンフェル」は、1世紀を超える長い歴史と伝統を誇る「ドイツ銀行」と統合。人と技術の融合により、グローバルな資産運用グループとしての地位を確立しました。そして、さらに「バンカース・トラスト」、「チューリッヒ・スカダー」と統合することによって、その事業基盤を不動のものとしてきました。
 沿革:グローバル
1838年 ビーボディ リグス アンド カンパニー(マーチャントバンク)設立
1864年 J.S.モルガンが参画、J.S.モルガン アンド カンパニーとなる
1870年 ドイツ銀行設立
1910年 J.S.モルガン アンド カンパニーにエドワード・グレンフェルが参画、モルガン グレンフェル アンド カンパニーとなる
1989年 ドイツ銀行がモルガン グレンフェルを買収、同行の資産運用部門となる
2002年 ドイツ銀行がチューリッヒ・スカダー・インベストメンツを買収
http://www.damj.co.jp/JA/showpage.aspx?pageid=27

(引用終わり)
ドイツ銀行、モルガン、ロスチャイルド、ウォーバーグ、三菱…。色々見えてきました。
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