HKS魚拓

騙しの構造について

「騙しの構造」より 印象に残った部分を引用
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/728.html

騙される方法は二つある。一つは嘘を信じることで,二つ目は真実そのものを拒絶することである<セーレン・キエルケゴール>

だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(せいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

集団となって「悪さをする」のは、何も野次馬や暴徒化した群衆だけではない。会社でも国家でも、ある一定以上の規模になった組織は、容易に「悪」の巣喰う場所となる。

それはなぜか。それは人間が集団の中に、自分の醜い「悪」の顔を隠すことができるからである。「悪の顔」を隠すことができれば、われわれはもっと容易に悪を成すことができる。おそらくは、悪であると自覚せずに、その悪を成すことさえ可能である。人間の大部分は弱い。そして弱さの集合的発現こそが、将来われわれが代価を払うことになる(であろう)大規模の「悪の発露」たる戦争である。集団の陰に隠れて行われる、各人の「卑怯の合算」である戦争なのである。それによって生じるあらゆる破壊や殺戮は、それに関わるひとすべての共犯であるために、おそらくいかなる戦争も、その責任をきちんと追及することは不可能である。ましてや共犯関係にある者同士が互いを追及することなどあるはずがない。

ひとりひとりは、いかにも良心のありそうな人間であったとしても、悪いのは自分だけではないと信じる無責任、利益を自分に向けて抜け目なく最大限引き出そうとする利己主義、人の背中に隠れて小さな悪への誘惑に負ける意志薄弱という側面は、実は各自に潜む。ひとりひとりは一見「善良」ではあり得ても、集団というものは、こうした人間の最低の部分が、最大に「活かされる」場所なのだ。そして、人間の最低の部分の集合的な発現は、法的に違反しているものである必要はない。それら「悪」のほとんどは「合法的に」なされるのである。いかなる法も所詮人間が作りだした、われわれにとっての便宜のひとつのありかたにすぎないからである。

人間のこの狡賢さは、自分が被害者にならない限りにおいて、その帰属する集団を、暴力、嘘、盗み、といったあらゆる悪の行為に駆り立てる。いや、「駆り立てる」という言い方はひょっとすると正しくない。そういう行為を「許し」、密かに「見逃し」、悪の成就を、無言で「支持する」のだ。そしてあらゆる悪への牽制メカニズムの網の目をかいくぐって、最終的に悪はどこかで成就する。国家とは、そうした悪だけが表に発露される最低最悪の場のことである。われわれ小市民は、自分の利益のためにとても人を殺せないが、「国家」という乗り物を使ってなら、より大規模にそれを成し遂げることができる。より無自覚に。

嘘を付いて過去の悪行を認めない国家。
嘘を付いて他国から経済援助を引き出す国家。
嘘と知りながら大国の巨悪に「大義」を見出す小国。
嘘と知りながら国をまとめるだけのイデオロギーを以て、小国を支配するための大義とする大国。

あらゆる嘘や暴力が、歴史上あらゆる国家という国家によって堂々と実現されてきた。

支配されるわれわれの間では
人を殺せばそこには殺人の罪が生じる。
嘘を付いて他人の援助を受ければ、そこには詐欺の罪が生じる。

しかしいかなる隠れた狡猾も、明らかな罪科も、国家という巨大集団によって、より大規模に成されるや、それは「われわれの責任ではない」ということになる。実に、巨大な群衆としての「国家」とは、われわれ小市民にとって、便利な隠れ家である。日常の中に滑り込んでくる個人による殺人を、残虐であるとか非人間的な悪逆であると評し赦さない一方、われわれは、集団による組織的な殺人を「政策である」と呼ぶことができ、過去のそうした組織的かつ大量な殺人を「他に選択の余地がなかったこと」として情状酌量し、容易に忘却する。

(引用終わり)


集団ストーカー犯罪周知の障害は、騙される人たち

集団ストーカーという犯罪の認知が広がらない理由は、世間の人たちが騙されているからです。また、被害者側に、騙された人々に真実を伝える努力が足りないからです。

例えば、「集団ストーカー被害者は統合失調症」であるという嘘があります。情報工作員がそれを広め、考える能力がない人々がそれを信じてしまいます。そして、集団ストーカー被害者は統合失調症と騙された人々が、悪意なくその情報を拡散しています。

この騙された人たちによる情報拡散の連鎖の波が、正しい真実を伝える被害者の声を打ち消しています。逆に考えれば、周知の波を打ち消している障害物さえどければ、この犯罪の周知は飛躍的に広がります。

そのためには、騙されている人たちに、正しい知識を伝え、本人にこの問題を自立思考してもらったうえで、その考えを広げてもらうことが重要です。そのためには、まず被害者である私たちが正しい思考を保つ必要があります。

集団ストーカーの被害者である私たちが、騙され、人々に間違った知識を伝え、それを広げていては、永遠にこの問題は解決しません。

まずは、私たち自身が、考える力を取り戻していきましょう。そして、誰かの仮説や考えを鵜呑みにせずに、自分の頭でこの犯罪を分析し、自分の言葉でこの犯罪の本質を誠意をもって丁寧に伝えて下さい。そうすれば、必ず周知は広がります。

悲しい現実は、被害者の多くが洗脳されすでに騙されているのです。
柔軟な思考を持ち、様々な角度の情報収集や雑談を重ね、
多くの人の意見を聞き、自らの頭で考える必要があります。

被害者が騙されない技術を身に付けることが、まず第一です。
そのためにも、嘘を見抜き、真実であればどんなものであれ受け入れる
器の大きさを持つ必要があります。


まとめ

・私たち自身が騙されていないか、あるいは無意識に間違った情報を発信していないか常に気を付ける。また、間違った情報に気付いた場合は、何よりも真実を優先し、直ちに修正を加える。

・加害工作員も、また騙されて利用している人間に過ぎない。そのことに気付かせて、人として自らの脳で考え、自らの意志で生きることをすすめる。

・情報工作により洗脳されている人たちに、正しい知識を伝える。この作業を丁寧にやることで、周知活動は加速する。

・何より、被害者全体が自らの頭で考え、他者の仮説を鵜呑みにせずに、自分の言葉で情報を発信する。

・問題解決の障害になっているのが、騙されている人々です。騙されている人々に正確な知識を伝えることで、問題解決は一気に近づきます。

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