ご利用のブラウザではJavaScriptが無効になっています。すべてのコンテンツを閲覧するにはJavaScriptを有効にしてださい。
目次
>
ガスライティング・精神医療
>
封建制度と監視圧力 日本人を見張る誰かの目
Feudalism-and-the-watch-pressure, 2018.12.3, 2018.12.20,
評価
(C)
まず世間体についですが、これは虚栄心や孤立不安などを元にして、見えや体裁を重視する意識や価値観のことです。
心理的には優越感を感じたいとか劣等感を補おうとする意識も元になっています。
優越感という心理的な快感を高めたり、劣等感という不安感やストレスを減らそうという意識が隠されています。
普通の感覚としては、見栄を張りたい・ほめられたい、馬鹿にされたり笑われたりしたくない、仲間はずれにされたくない、格上・カースト上位でありたい、といった気持ちを重視する意識や考え方を世間体といいます。
これらと逆のことを自分以外の誰かにしたいという暗黙の欲求が隠されている部分もあります。
いわゆる「他人の不幸は蜜の味」というものです。
海外の研究で、人の脳は、他人の不幸や失敗を知ることで、快楽を感じる部分が活性化すること、つまり、うれしくなったり、楽しくなったり、気分がよくなったりすることが科学的にも証明されていました。
人間の脳がそういう作りになっていること自体は生まれつきのことなのでどうにもならない部分もあるということです。
だいたい中学生以上の歳になると、自分が格上だと示すためやたらと他人を馬鹿にしたり、悪口を言って喜んでいるような人がけっこう増えてきます。
彼らの小さな社会や目の前の相手よりも自分は上位者なのだと示そうとします。
ささやかな生存競争がそこかしこで行われていると言ってもいいだろうと思います。
あまりいいことではないのですが、これは社会性を持った生き物である人間にとっては自然と生まれてくる感情なのだろうと思います。
ただ、それだけではないだろうと思います。
日本人は世間体を強く気にしながら生きています。
他人からの評判や噂を気にする傾向が強いということです。
これは江戸時代からの村八分などの集団的なイジメの根拠となる監視圧力が背景にあって、その日常的な監視圧力が隣人の目などの世間体として意識されて、結果的に客観的な評価を重視する人生観となっているのだろうと思います。
村八分は明治期に公に違法とされたものの第二次大戦後も続き、Wikipediによる2011年兵庫県加西市教育長による村八分事件も集団絶交を行った村八分事件として扱っています。
田舎のほうではまだ似たようなことをやっているようですが、平成期には堂々と行われることはかなり減ってきているように思います。
村八分裁判では葬式の連絡をしなかったことも被害にあげられているので、似たような無視などのイジメは根強く残っているようです。
これを書いている私も別宅で隣のお婆さんに挨拶したときに無視されたことがありました。
集ストの存在は公には認めら得ていません。
公式の専門家やプロがいない状態ですから、私レベルでも市井の専門家となりつつあります。
そこで、せっかくなので“人の悪い噂を伝えて嫌がらせさせる集団ストーカーという犯罪があること”などをしつこいくらい丁寧に説明してあげました。
誰に無視しろと頼まれたのか聞き出そうともしました。
そうこうしているうちに、お婆さんの孫かひ孫らしき女の子がやってきて、私の説明や質問をお婆さんに伝えてくれました。
ですが、そのお婆さんは最後まで無視を続けていました。
後で近所の人に聞いたら、新参者が挨拶しても無視するくせに、挨拶を欠かすと「あの人は挨拶もしない」と文句を言って、それを周りに広めたりしているということでした。
こんなふうに、日本のお年寄りは村八分を普通にしながら生きてきたようで、今でも普通に知らない人のことを無視しているようでした。
日本には自動集スト人形のような老人がけっこういるのではないかと思います。
人海戦術などの集ストのローテク被害よりも、本場の村八分のほうが面倒くさいかもししれません。
世間体の話に戻りますが、相互監視による見えない監視圧力の他には、世間一般で期待されるようなちゃんとした行動の範囲のことをしないと恥ずかしいといった見栄を張るような意味合いもあります。
これも広く分類すれば漢詩圧力といえなくもありません。
ですが、見えない誰かの目というより、自分の信じる自分の中の基準という意味合いが強いだろうと思うのでここでは扱いません。
江戸期頃まで五人組という約5つの家族を1つのグループにして連帯責任をとらせたり相互観察・相互扶助をさせる制度もあったので、監視圧力というよりもっと拘束力のある集団に人々が組み込まれていた影響だとも考えらます。
どちらが原因というよりも、両方が原因と言えるかもしれません。
五人組は古代律令制の保(五保)という5戸(家に住む仲間集団5つという意味)の相互扶助・治安・徴税などの連帯責任を負わせる制度が元となっていたそうです。
大化の改新かその後あたりの時期に始まったと考えられています。
そうなると、日本人の奴隷根性の根本はこのあたりにあると考えていいかもしれません。
日本人のルールをよく守り、上位者にはなかなか逆らわない姿は農耕民族の特徴のように言われることがあります。
ですが、農耕は世界的に行われてきたことですから、農耕生活が奴隷根性の原因だったら、世界的に奴隷根性を持つ民族がたくさんいることになってしまいます。
よく調べたら本当にそうなっているのかもしれませんが、日本人の五人組や村八分のような一般人まで小集団に組織化して支配し制裁を加える封建制度の影響のほうが強いように思えます。
日本人は小集団のメンバーであるという、みえない柵に囲われて生きてきたのだろうと思います。
そういう生活環境が、他人からみた自分と、自分の考える自分という、間接的に意識される自分と直接的に意識される自分のイメージの両方を重視する精神的態度を育てていったのではないかと思います。
今の日本人は村八分も五人組も実害はほとんどなくなったにも関わらず、いまだに監視圧力や世間体を気にしすぎている状態にあるようです。
集団ストーカーはむしろ監視圧力や風評工作、見えないテク犯などを被害者に強く意識させることで言行をコントロールしようという犯罪ですから、封建的な支配方法の延長上にあるだろうと思います。
それではこのまま集ストを基礎とした封建社会が完成してしまうのかというと、そんなことはないと思います。
支配層はそもそも人をだます詐欺師の集まりで内部の団結力が弱い流動的なものですし、強い実力を持つ国や軍隊があっても、その内部には派閥に分かれた争っていたりするものだからです。
人々や社会、国家の支配方法というのは昔から同じです。
初めに国を興すときは軍事力が物をいいます。
ですが長期的な統治となると、思想や宗教などによる大衆洗脳的な方法でないとうまくいきません。
人々の心に支配を受け入れさせないことには、国や集団を支配することはできないからです。
集スト・テク犯でも肝心な人の心は支配できていませんので、集ストで誰かを排除することはできても、多くの人々の心を支配することはできません。
あまり希望の見えない生活を送っている集スト被害者の方もいるかとは思いますが、人の心を完全に支配する究極の洗脳方法でも開発されない限りは、理不尽な被害にいつまでも苦しめられるということはないはずです。
人をだますには限界があるので、集スト犯罪もいつかは破綻するはずです。
それを少しでも早めるのが反集スト活動ということになります。
日本の世間体を気にする文化を恥の文化などといいますが、海外ではもっと自分を優先する考え方をするそうです。
日本で海外というのはだいたい欧米のことですから、欧米人はそもそも他人の目などはあまり気にせずに暮らしいているということだろうと思います。
となりの韓国では嘘がバレると自殺してしまうような人が、有名人の中にすらけっこういますので、世間体を気にする恥の文化圏に入るだろうと思います。
日本人の嘘つきは、嘘がバレてもだいたい白を切り続けるので、安倍晋三のように平然としていたりするのが違うところです。
白を切り続ける人は、日本にもいますが、文化的には中国人によくあるイメージがあります。
中国人は証拠が出て認めざるをえなくなるまで、自分の罪を認めようとはしません。
状況証拠しかないなら、ずっと否定し続けるようなイメージです。
日本の支配層は地理的に中国系が多いでしょうから、中国系の支配層が、日本人に奴隷思想を植え付けて、うまく支配してきたといったあたりが、現在までの日本の精神史といったところなのではないかと思います。
欧米系の外国人は素朴な一人称的な世界感の中を生きていて、日本人は一人称的な私的な自分と、自分を客観化した三人称的な彼・彼女的な自分が同時に存在する世界感の中を生きてる、と言ってもいいかもしれません。
ちなみに、感性的な人たちは自分の内部の基準を感覚的にとらえていて、理性的な人たちは感覚ではなく何かのルールや理論を自分の内部で客観化して基準としているのだろうと思います。
理性的な人のほうがいくつかあるルール同士の間でよりよいルールを探したり、矛盾しないように考えるので、結果的によりよい判断をしやすくなります。
実際には、ものによっては感覚的に判断したほうが正しい結果になりやすくもなるので、どちらがいいかは一概には言えません。
それでも平均をとれば理性的な人たちのほうが有利なはずだとは思います。 2018.12.3, 2018.12.20
< 参考 >
村八分
2018.12.21
五人組 (日本史)
2018.12.21
古代律令制における「保」
2018.12.21
世間体の意味は?世間体を気にする人の特徴と気にしない方法 2018/6/7
過度な世間体重視を警告 多少の大衆分断傾向も 2018.12.21
世間体(セケンテイ)とは - コトバンク
「世間に対する体裁や見え」(引用) 2018.12.21