ctg10 個人監視被害のささやかな改善案と被害記録(編集中の下書き)

旧タイトル:防犯情報詐欺・集団ストーカー対策室

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10.根拠となる理論・分析 いじめから戦争まで


10.150607- 概要

(2015/06/07)

< 用語の説明 >
個人監視
観客的加害者(組織) 2017/10/11

この章では、このささやかな改善案と被害記録の文章のなかで、論拠とするもの、根拠となる理論や分析について言及していきます。より正しく説得力のある根拠を示すことで、個人監視被害問題への理解や著者である私に対する信頼性が高まることを期待しています。

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10.150509 被害者の改善努力責任

(2015/05/09-6/07)

あらゆる被害者は当事者として問題を改善する責任がある

放送大学の紛争予防学という講義で、紛争やテロの解決は当事者である被害者が立ち上がらなければ実現できない、と言っていました。紛争やテロ解決に対して、国連など外国の様々な組織が問題解決に向けて努力し、日本なども多額の資金を投入し支援している訳ですが、最終的には被害者であるその国の人間が立ち上がって解決を目指さなければ実際に解決することは難しいとのことでした。

このことは他の様々な問題や被害を受けている人にも当てはまるのではないかと思います。

どんな問題も被害者以外の人にとっては他人事

小さな問題から大きな問題まで、実際に被害を受けている被害者が黙って我慢してしまうと問題が解決する可能性は非常に低くなると予想されます。

被害者以外の人は問題が解決されなくてもそれほど困らないのです。問題を起こしている側の人間は利益を得ているでしょうからむしろ解決しないことを望むでしょう。

問題への対処は被害者の責任でもある

誰も問題を解決しないとなると問題を解決する人間は被害者しかいません。問題を引き起こしているのが加害者であることは確かですが、それに対して不満の声をあげたり、加害者を非難したりする努力は、被害者が行うしかありません。

小さな問題であれば見逃しても大きな被害はでないでしょう。しかし大きな問題に対して、どう対処していくかは被害者の判断にまかせられています。被害者が個々の責任において判断し対処するしかありません。

問題解決の努力は被害者の責任

被害者には問題に対処する選択肢が与えられています。解決に努力するか、あきらめて被害を受け続けるか、ふたつにひとつです。

日本の法律に申告罪というのがあります。これは被害者が訴えた場合、罪に問われるという種類の犯罪の罪名です。あまり詳しく知りませんが、セクハラや婦女暴行など当事者の心象によって犯罪性の有無が異なってくるような犯罪がこれにあてはまるはずです。

申告罪にあたるため被害者が黙っていることで犯罪が見逃されてしまうのと同じように、様々な問題を引き起こしている犯罪が見逃されている可能性があります。そのような状態になった場合、問題解決への影響力として、最も強い影響力を持つ被害者が問題解決に対して重要な位置を占めることになります。

当事者である被害者の努力は、問題解決を目指す活動の中での必須条件となります。当事者が被害を受けたことを認めなければ問題自体が成立しません。被害者の存在しない問題など、そもそも問題ですらありません。

被害を受けた当事者であるなら問題解決の努力をする責任がある

小さな問題であれば黙って見逃すこともできますが、その場合、加害者に不当な利益を与え続けることになり、問題も解決しません。

自分が被害者であると認識しているのであれば、問題解決に対して責任があります。放置して問題を悪化させるのではなく、ぜひ自らの責任において問題解決の努力をしてほしいと思います。

「つらい、いやだ」の一言から始める問題解決の努力

加害者に対して「つらい、いやだ」などと不満の一言を投げかけるような簡単なことでも問題解決につながる一歩になります。それぞれの被害者がそれぞれの能力や資産・地位・権力などに応じて、できる範囲で、できる努力を続けることで問題解決を目指していきましょう。


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10.150523- 探偵事務所所長の立てこもり事件 警察官へ植木鉢を投げるなど公務執行妨害で逮捕

(2015/02/13-5/23)

監視犯罪者、主に私の私室の監視担当となっている犯罪者にたいして、特に強い印象を与える批判があります。それは探偵批判と自称元警察官という経歴に対する批判です。

暴言ハラスメントが最も悪化していた2014年6月ごろから2015年3月ごろの間だったと思います。そのころは特にひどい直接的な罵詈雑言、威嚇、脅迫、殺人予告などが繰り返されていました。そのなかでも特に強い暴言ハラスメントのきっかけとなったのが、私の行う探偵と自称元警察官への批判でした。

このことから探偵ないし自称元警察官の本人、あるいは関係者と監視犯罪者の強い関連性が予測されます。

この二つのうちの探偵、しかも事務所の元代表という、探偵組織の中でも主要な地位を占める、中心人物にあたる人物と探偵そのものに対する批判がこの記事のテーマとなっています。

(注:ここまでが2015年5月23日の追加部分、これ以降が2月13日に記述した内容)

無知で無謀、頭の悪い探偵 2015年2月8日のニュースによると、渋谷区の探偵事務所の元代表が8時間に及ぶ立てこもりの末、公務執行妨害で逮捕されたとのことです。立てこもりの2時間前にナイフを所持しわけのわからないことを言っているところを警察に通報されたそうです。凶器を使って誰に何を主張したのかわかりませんが、ニュースでは「わけのわからないことをいった」という扱いで、主張の内容はまったく無視されていました。

テレビドラマや小説・漫画などにでてくるような探偵は様々な事件を解決したり、時には警察に協力したりするものですが、実際の探偵の中にはずいぶんと悪い人もいるようです。今回の事件を起こした探偵は凶器を使っていることや主張がまったく無視されていること、警察に対してまったく協力的でないことなど、人としての常識やモラル、知性といったものがまったく感じられません。せめて警察官が現地に到着した後にはナイフなど手放し平和的な解決を試みるくらいのことはしてほしいと思います。

探偵は殺人事件の捜査能力がほとんどない

殺人などの刑事事件の捜査は警察が担当します。ドラマや小説などでは探偵をヒーロー扱いする傾向が強いですが、実際の探偵は調査能力や権限がかなり限られています。警察の要請で殺人事件の捜査協力するようなことは通常はありえません。警察の捜査情報は警察という役所が管理している情報で探偵のような無関係な一般市民に情報を公開するようなことはありません。探偵が協力するのであれば、せいぜい一般市民として情報提供する程度が限界です。ただし、警察の捜査が一段落した後、警察の捜査に不満があるような場合、探偵に捜査を依頼することはできます。凶器などの証拠品や現場検証で得られた情報などは警察が管理するため探偵が確認するようなことはできませんので警察よりも優れた捜査ができる可能性は極めて低くなります。万が一、新たな証拠を見つけるなどの成果があったとしても、それを確認するのは警察の仕事になります。探偵が指紋やDNAを確認できるものを手に入れたたとしても関係者のものかどうか判断するときに比較すできるようなデータもなければ、能力もありません。ですから、実際は関係者に話を聞く程度のことしか行いません。関係者がその聞き込みで、警察に隠しているようなことがあれば事件解決の有効な手がかりになるかもしれませんが、探偵を自称する人間を警察より信頼しているような人間が多いとは思えません。警察官と探偵をくらべると、警察官は公務員であり、人に対してはおおむね礼儀正しく親切な態度をとりますが、現実世界の探偵はどうでしょうか。どこまで信用してよいのでしょうか。

警察は事件を選んで公表している

私たちがニュースで目にする事件は、警察がマスコミに公表したものです。何を公表するかは、警察が判断しています。凶悪さや関連する事故・事件の予防効果などを考慮したうえで、より大きな事件を優先的に公表しています。それをさらにマスコミが選別したものが私たちが日々目にしているニュースの内容となります。例えば交通事故で死亡する人や自殺者などはともに年間3~4万人もいますが、すべてニュースで報道されるようなことはありません。

警察も探偵の起こす事件は問題視している

今回のニュースを見てもわかるように、警察側としても探偵を協力者や情報提供者として優遇するということはありせん。むしろ問題を起こしやすい組織として扱っているため今回のような事件が報道されることとなったのです。警察がニュースで扱われるよう公表した事件は、広く国民に注意を呼びかける警告の意味があります。今回のような探偵の不祥事に関するニュースを特に注目しているのはどんな人たちかというと、それは関係者である探偵事務所や興信所の人たちです。つまり、警察は今回の事件報道を通じて探偵や興信所の人たちに特に警告を発したのです。警察は探偵事務所や興信所の罪を見逃すことはないし、罪を犯すような人が集めた情報、またその情報から行った推理などは「わけのわからないこと」としてまったく相手にする気はないのです。

追記:テレビ局の探偵観

テレビ局はドラマやバラエティ番組などで探偵をヒーロー扱いする傾向が強いためか、探偵をよいものとして扱う傾向があります。最近見たテレビ番組のなかで、タレントが探偵資格をとり、副業として探偵事務所を開いている、というのがありました。その中で探偵が行う尾行の現場をレポートする場面があり、尾行対象人物がカラオケボックスに入った場合は、入店後し部屋を選ぶときに知り合いのふりをして対象人物の近くの部屋を借りるというテクニックを紹介していました。テレビ番組としては単にプロの技術の一部を紹介したかっただけなのでしょうが、これは気になります。対象との人間関係を詐称して自分の利益となる情報を得ているともとれます。

同じテレビ局で放送している他の番組で、人間関係を詐称して情報を盗み出す犯罪者の手口が紹介されていたのを思い出しました。結果的に犯罪を犯さなければ人間関係を偽ってもよいのでしょうか。あるいは探偵が情報を集める場合は嘘をついてもよいのでしょうか。そんなことはありません。もしも探偵が捜査目的であれば嘘をついてもよいのだとしたら、探偵は捜査目的と称して堂々と様々な嘘をつくことでしょう。探偵とかかわるすべての人は探偵の都合で様々な嘘をつかれることになり、だまされ続けることになります。そうなっては探偵を信用することはできません。

人間関係を偽り尾行を行うようなモラルの低い探偵がいることからしても、情報を扱う職業として、探偵ほど信頼できない職業はないのではないでしょうか。

またテレビ局としては、モラルの低い探偵をテレビで放送することで、人間関係の詐称を結果的に容認してしまう立場に立たされるという問題があります。テレビ放送というのは公共放送ですから公序良俗を守る義務と責任があります。少なくとも人間関係の詐称を容認してしまっている件については認識を改めてほしいと思います。そしていつかはこの改善案と被害記録で扱っているような監視被害についても、被害者の代弁者として監視被害の現状や危険性を広く世間に伝えていってほしいものです。


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10.150419- サイコパスは罪名にならない

(2015/04/19)

サイコパスの概念

サイコパスの概念は大まかに言うと、心理学にありがちな成長期の愛情不足が原因と予測される共感能力障害一種で、共感能力が不足しているため悪いことをしても被害を受ける相手の痛みが予測・想像できないような心理傾向を指す概念であったと思う。

広く分類すればまじめさや短気などと同列の心理傾向
心理傾向そのものに罪はない

短気な性格であれば集中力の持続などが苦手であるなどの理由から特定の作業や職種に向いていないなどの評価は可能である。しかしそれ自体は犯罪性がないため罪に問われることはない。同様にサイコパスもそれ自体は罪とはならない。

サイコパスの厳密な判定方法がある場合、そしてその判定方法からサイコパスであると判定された人がいる場合、その人は共感能力が低いという自身の精神的特性を理解し行動を取る際に注意すべきである、と何らかの指導なり警告がなされるはずである。

サイコパスの判定方法

犯罪の予防や解決に重要な役割を果たすのであれば、サイコパスについて厳密な判定方法や市民全員に判定試験を行うなどの措置をとるべきである。

犯罪者のサイコパス率は15%程度

犯罪者であってもサイコパスの人間は15%しかいない。逆に言うと85%はサイコパスとは関係ない。つまり確率的に少数であり犯罪の条件となるようなものではない。

サイコパスであるが犯罪を犯さすに暮らしている人も大勢いる。

人の不幸や人が傷つくことに痛みが感じられない

殺人などを考えただけで犯罪者になるなら小説家などの作家は犯罪者ということになる

個人監視被害問題を改善するためには一般の人々に被害の実情を周知し理解してもらう必要がある。そのためにどうするのが効率がよいかと考えた結果、小説や映画などで扱いある程度商売として成功させるのが有効な手段のひとつであるとの考えにいきついた。

それではどんな内容が適切なのだろうか。いろいろ検討してみたが検討を停止される重大な発生した。

私を監視する監視犯罪者諸君が、私の検討を停止させる猛烈な妨害を始めたのだ。小説か映画のシナリオとなる案には監視技術の悪用による殺人、合法的な殺人をどのように組み込むかなどを検討する必要があるが、単純に殺人という単語に過剰な反応を示してしまったようだ。

サイコパス犯罪者説の間違いは理解されている模様

私が見たテレビ番組では、サイコパスの人を犯罪者か犯罪者予備軍と誤解させるような内容であったが、サイコパスを説明している人はその内容の歪み、誤りには気付いてたようである。

サイコパスの概念は心理学寄りの概念であるから、心理学者が説明すべきであるが、脳科学者が説明していたのである。新進気鋭の心理学者があからさまに間違いであると分かっている説明をテレビで行うのは問題があったため、類似分野である脳科学者に説明させることで心理学者の名誉を守ったのではないかと予想される。

テレビ番組側の都合は分からないが、恐らく断ることのできないような相手からサイコパスが犯罪者の証拠であるかのような放送内容にするように指示があったのではなかろうか。そのため専門家である学者陣は間違いを理解しつつも、学者側が受ける社会的な信頼低下を最低限にとどめるような方法で説明したのではないかと予想される。

サイコパスが罪名になる場合

サイコパスが殺人や窃盗などの犯罪と同列に扱われるような犯罪であった場合、サイコパスであるということのみで罪に問えることとなる。

しかしサイコパスは共感障害による心理的な傾向であるから、殺人などを犯してもある種の精神障害と同様に犯した行為に対する罪に問われない可能性がある。

簡単に言うと、サイコパスである罪の罰として精神病院に入院して保護観察下に置かれることにはなるが、殺人の原因はサイコパスであり個人の責任ではないという判断がなされる可能性がある。その場合、そのサイコパスである殺人者の罪はサイコパスでる点だけで、殺人に関しては偶然の事故のようなもので罪に問うことができなくなる可能性がある。

被害者はもちろんのこと警察も裁判所もそのような事態は望まないのであろう。それらの意思が反映されているのがサイコパスが罪名にならない現行の法制度であろう。

結論:サイコパスは適切な相手に適切な範囲で使用すべき概念

サイコパスは罪でもなければ犯罪者だけがもつ特徴でもなく単なる心理的傾向の一種である。適切な相手に適切な範囲で使用すべき概念である。たとえばサイコパスであることが明らかになっている未逮捕の犯罪者がいるような場合に行動予測などに利用するといったように使用すべきである。


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10.150616- お金のかわりに夢を食べて生きている人たち 仕事・職業がもつ夢やロマン

(2015/06/16)

夢を食べ過ぎたせいで太ってダイエットをはじめる、そのような人はいませんし、そもそも夢やロマンが物理的に存在する訳ではありません。しかし、人の心のには夢やロマンが確実に存在します。

この夢やロマンがある種の職業に就いて働く人たちにとってお金のような報酬となることがあります。美学や善悪などの価値観はお金にかえることのできない夢やロマンとなることがあります。

低収入であるにもかかわらず、夢やロマンを持ち続け、貧しいながらも楽しい人生を送っている人も少なからず存在することでしょう。芸能や音楽などの道を志す若者や芸術やサブカルチャーなどの分野で日々努力を続けている人などがそれにあたります。

探偵は自分が探偵であることを否定しないはず

探偵などという社会的地位の低い職業、さらに収入もあまり期待できないであろう仕事を続けているような人もいるだろうと思います。そのような探偵を続けているような人であれば、自分の仕事に夢やロマンとはいかないまでも、それなりに誇りをもっているであろうことが予想されます。

心理的にみて、足りない収入や低い地位を、何らかの誇りや希望、夢やロマンで補っていることが予想されます。

そして、そのような探偵であることに誇りを持っているような人は、自分が探偵であることを否定するようなことはしないはずです。探偵本人は自分がヤクザな仕事をしているなどと、口では言うかもしれませんが、人からヤクザ呼ばわりされるようなことを、簡単に許して受け入れるとは思えません。

待遇の良いとはいえない職業である探偵の心を支えているのは、精神的な誇りなどであろうと思います。

探偵ではないというのだから探偵以外の職業であろう 探偵であることを否定するのであれば、その人は探偵ではない可能性が高い

探偵が自分が探偵であることを否定しないであろうという予測から、自分が探偵であることを否定してしまう人に対して、探偵ではないであろうという予測が成り立ちます。

私が監視犯罪者を探偵と表現するとき、それを否定する監視員が、実際に探偵ではないという可能性は、ある程度高いものであろうと推測されます。

私が監視犯罪者からの探偵否定発言を確認して以来、 私の「探偵」という表現を真っ向から否定する監視員が探偵ではないという疑いが高まってきています。

探偵ではない監視員の予想

私を監視する者が探偵ではない場合、いったい誰が監視していると考えるべきなのでしょうか。おおむね以下のような予想をしてます。

15.150616 2015年6月16日現在 犯罪者予測

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