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明治維新に関する私的メモ その2

明治維新に関する私的メモ の続きの私的メモです。

明治維新という名の秘密結社
https://bluedaisyday.hateblo.jp/entry/2020/01/20/113000

この本は読んではいないのですが、苫米地氏のインタビュー記事は興味深かったです。まぁ、肝心なことを抜かしている感じもしますが…。

明治維新という名の洗脳(苫米地博士インタビュー)
https://www.youtube.com/playlist?list=PLGYzAMarhBXI-Ni_j7_eIvc0018FLWdqS

江戸幕府討幕後、明治政府が行なった
明治の欧州への岩倉使節団が秘密結社
「薩長閥」の創設になった。
https://ameblo.jp/eastbule/entry-12412265436.html

岩倉使節団 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%80%89%E4%BD%BF%E7%AF%80%E5%9B%A3
岩倉使節団(いわくらしせつだん)とは、明治維新期の明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年)9月13日まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に派遣された使節団である。岩倉具視をリーダーとし、政府首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成された。

背景
1870年7月に始まった北ドイツ連邦プロイセン王国と第二帝政フランスの間に普仏戦争(1870年戦争)は、ドイツ側の連合国が1871年1月に統一されドイツ帝国となり、4月にはビスマルク憲法が施行されたうえ、5月には終結していた。

ただ、1870年10月に日本政府が北ドイツ連邦フランクフルトの印刷会社ドンドルフ・アンド・ナウマン社に注文した偽造通貨対策のための紙幣(明治通宝と呼ばれる)は、使節団が出発した1871年11月にはまだ届かなかった。

出発
明治4年(1871年)11月12日(陰暦)に米国太平洋郵船会社(英語版)の蒸気船「アメリカ(英語版)」号で横浜港を出発し、太平洋を一路カリフォルニア州 サンフランシスコに向った。その後アメリカ大陸を横断しワシントンD.C.を訪問したが、アメリカには約8か月もの長期滞在となる。その後大西洋を渡り、ヨーロッパ各国を歴訪した。

使節団はキュナード社の蒸気船オリムパス号に乗船して、1872年8月17日にイギリスのリヴァプールに到着した。ロンドンから始まり、ブライトン、ポーツマス海軍基地、マンチェスターを経てスコットランドへ向かう。スコットランドではグラスゴー、エディンバラ、さらにはハイランド地方にまで足を延ばし、続いてイングランドに戻ってニューカッスル、ボルトン・アビー、ソルテア、ハリファクス、シェフィールド、チャッツワース・ハウス、バーミンガム、ウスター、チェスターなどを訪れて、再びロンドンに戻ってくる。1872年12月5日はウィンザー城ではヴィクトリア女王にも謁見し、世界随一の工業先進国の実状をつぶさに視察した。1873年3月15日にはドイツ宰相ビスマルク主催の官邸晩餐会に参加。

ヨーロッパでの訪問国は、イギリス(4か月)、フランス(2か月)、ベルギー、オランダ、ドイツ(3週間、独語版)、ロシア(2週間)、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア(ウィーン万国博覧会を視察)、スイスの12か国に上る。帰途は、地中海からスエズ運河を通過し、紅海を経てアジア各地にあるヨーロッパ諸国の植民地(セイロン、シンガポール、サイゴン、香港、上海等)への訪問も行われたが、これらの滞在はヨーロッパ各国に比べ短いものとなった。

(略)

派遣使節団

使節46名、随員18名、留学生43名。使節は薩長中心、書記官などは旧幕臣から選ばれた。

(引用終わり)

マセソン5

トーマス・ブレーク・グラバー

ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店として「グラバー商会」を設立。
東インド会社→ジャーディン・マセソン商会→グラバー商会
岩崎との関係も興味深い。

ショッカーの皆様シリーズ再開! HSBCとスコットランドについて
https://golden-tamatama.com/blog-entry-1199.html

日本の伝統といわれている多くが、明治以降作られているのも興味深いです。

山口県の小さな町から、なぜか多くの首相や重要人物が出ている
https://matome.naver.jp/odai/2140936478223317401

イエズス会のフルベッキとフルベッキ写真
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エフライル族大内氏と田布施、イスラエルとの関係
イエズス会、大内―毛利―萩藩
イエズス会とフリーメイソンのトップが同じことを考えると、興味深い。
三条家

(再掲)狂躁亭短信・ 黒砂糖に滅ぼされた江戸幕府 1808281330
https://ameblo.jp/karajanopoulos1908/entry-12400959924.html

長州五傑(井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉、伊藤博文)の英国留学は、このウィリアム・ケスウィックが支援した。
http://utg.sblo.jp/article/181092510.html

>欧州の情勢の結果で、オラニエ公=オランダ=プロテスタント同盟側=メーソン=東インド会社側が後ろに付いた南朝側が官軍になったのです。オラニエ公側がイギリス乗っ取りを同時にほぼ完了してますから、英国仕切りで明治維新は行われました。

【イエズス会からフリーメイソンへバトンタッチ 北朝から南朝時代に】
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-279.html

南朝 新政府 英国VS北朝 幕府 フランス 
背後にコミニュスト勢力(同じ勢力)
藤原弐家(南朝) ウィンザー同盟

>松平姓を持った外様大名「前田、伊達、島津、毛利、黒田、浅野、鍋島、池田、蜂須賀、山内」は、江戸期より前から、イエズス会の日本代理店です。

イエズス会と関係を持っていた勢力が、明治維新でもかなり利用されている様に見える。

ウィンザー藤原(弐家)連合の明治維新は、南朝革命であると同時に自称イスラエル12氏族(主にユダ、エフライム、ダン+レビ)たちによるキユダヤ・キリスト教革命でもあった。特に薩長の大内ー毛利の流れと、島津が利用されている。どちらもイエズス会との関係が非常に深い。私から見ると、南朝、北朝を超えた国境を越えたグループに見える。

明治維新のグループは、関ヶ原で徳川に敗北したグループでもある。
その因縁をイエズス会やフリーメイソン、その背後の勢力に利用されたのだろう。

※徳川も明治維新を上手く使い、維新後は裏支配に徹していまだ健在です。

華族ゆかりの人物・団体

祖先が島津家とトラブルを起こし、被害を受けている人たちもいる。どうも、集団ストーカーというのは、フリーメイソン、イエズス会の背後にいると特定血統と、明治維新以降、そして大戦後そこと深く関わる血統、その連合グループの利権を守り、拡大し、植民地支配を広げ、人間狩りをするシステムだと分かった。軍と警察が利用されているが、彼らはそれぞれの国体の傭兵だ。

明治維新と、戦中、戦後、現代の日本の支配構造と支配階級が分かると、集団ストーカーの本質が分かります。まずは、明治維新の勢力を知ってください。次は、戦時中と戦後、現代への流れです。

戦後の米国を通し行われた植民地政策も重要です。これがわかり、日米欧の支配構造がわかると、自然と集団ストーカーシステムの黒幕が分かります。

※私は歴史が苦手なので、本記事では集団ストーカー解明に必要なポイントだけ抑えて淡々と書きます。

… … …

徳川幕藩体制崩壊から明治新政府による中央集権的統一国家成立と資本主義化の出発点となった一連の政治的・社会的変革。始期・終期には諸説あるが、ペリー来航による開国から大政奉還・王政復古の大号令、戊辰(ぼしん)戦争、廃藩置県などを経て西南戦争までをいうことが多い。
出典 小学館

薩長土肥 Wikipedia
明治維新以降の軍と警察は当然ながら、薩長土肥の人脈で占められている。特に警察は薩摩閥の影響が大きい。特高を管理する内務省も薩長土肥の人脈で占められており、彼らのとその背後の銀行家、裏権力の利益を守る傭兵として機能した。

戦後日本の警察は、GHQとCIAに利用され、日本管理に使われる。

>戦前の北海道庁・樺太庁・警視庁、各都道府県の特別高等警察(特高警察)は内務省の下部組織であった。
そして、薩長人脈を主体とした特高人脈が戦後GHQ、CIAと関係。
>森田実氏「戦後GHQは内務省を潰し、外務省を潰し、財務省だけ残した。米国は財務省をコントロールすることで、日本を支配した」

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