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モルガン家と二コラ・テスラ

ジョン・モルガン Wikipedia
ジョン・ピアポント・モルガン(John Pierpont Morgan、1837年4月17日 - 1913年3月31日)は、アメリカの5大財閥の1つであるモルガン財閥の創始者である。

モルガンは次節の鉄鋼トラストを形成してから、1907年恐慌の処理に主導的役割を演じた。。1910年11月、モルガンが所有するジキル島クラブ(英語版)で連邦準備制度の設立に向けた秘密会議を主催した。そこにはジョン・ロックフェラー、ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト、そしてバンカーズ・トラスト(現ドイツ銀行)のベンジャミン・ストロングなどが出席した。

電気・無線への投資

1878年12月31日、ドレクセル・アンド・カンパニーはトーマス・エジソンと契約した。モルガン肝いりのエジスト・ファブリと企業弁護士のグローヴナー・ラウリーも同日に受託者として署名した。契約によりドレクセル・アンド・カンパニーは5年間エジソンの特許を保護することになり、見返りに特許権のあらゆる処分を受託者へ指示できることになった。この期間内であった1882年7月、Campagnie continentale Edison, Société électrique Edison, Société industrielle et commerciale Edison フランスのエジソン系列3社から、ほどなくAEGを設立するラーテナウがエジソンの特許を買った。

一方、ドレクセル・アンド・カンパニーはエジソンの電気照明会社EEIC へ巨額を投じた。EEIC は1882年当初電気料金を徴収せず、翌年の四半期2回続けて12000ドル以上の損失を出して、通年でも赤字を計上した。EEIC は資金難に直面、発行株式が投資家に敬遠されたのを受けて、保証シンジケート団をつくった。そして引受参加者にEEIC 株式の相当割合を無償で発行することにした。ドレクセル・アンド・カンパニーはシ団の中心となったのである。

1892年、モルガンはエジソン・ゼネラル・エレクトリックとトムソン・ヒューストン・エレクトリックを合併、ゼネラル・エレクトリックを誕生させた。こうしてモルガンの自邸は個人の家として初めて電灯が灯った。

1900年ニコラ・テスラのすすめで、グリエルモ・マルコーニの無線通信実験にウォーデンクリフ・タワーの建設費を含めた15万ドルを融資した。条件は特許利益の半分。実験は大西洋をまたにかけて行われた。マルコーニの無線はやがて世界を席巻する。テスラは契約してすぐに欲を出した。事業を無線送電に拡大したいというのである。しかしモルガンは契約違反と解釈した。融資が途絶えて1906年にタワー廃業となった。また、この頃にモルガンはAT&T と人的・資本的関係を深めた。

(引用終わり)

英国から米国に来た銀行家で歴史が古い。
北軍に銃を売っており重工業や鉄道とも関係が深いからも、マヨさんのいうE派閥に入るのだろうか。調べたところ、やはり、ABCDE全てがテクノロジー兵器の技術を所有している。当たり前といえば、当たり前だけど。


J. P. Morgan Jr. Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/J._P._Morgan_Jr.
※ジョン・モルガンの息子。モーガンは、父親であるJPモルガンSrと同様に、ジョージア州ジキル島のジキルアイランドクラブ (ミリオネアクラブ)のメンバーでした。

ジューニアス・モルガン Wikipedia
ジューニアス・スペンサー・モルガン(英: Junius Spencer Morgan、1813年4月14日 - 1890年4月8日)は、アメリカ合衆国の銀行家、財政家。ウェストスプリングフィールド(現在のマサチューセッツ州ホールヨーク)生まれ。主としてロンドンで事業を展開した。

モルガン家のルーツはイギリスのウェールズである。モルガン家がアメリカに移民したのは1626年で、現在のマサチューセッツ州スプリングフィールドに入植した。農業は成功し、地主として徐々に資産を蓄えていった。

1817年には子孫の一人、ジョセフ・モルガンが代々相続してきた土地を売却してコネチカット州ハートフォードに転居した。数々の事業を興し、ハートフォード・アンド・ニューヘイブン鉄道(のちのニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道)設立時にはそこに出資した。その息子が、ジューニアスである。ジョセフは1847年に死去した際の遺産は100万ドルを超えた。

(引用終わり)

Junius Spencer Morgan Wikipedia
ジュニウススペンサーモーガン1世 (1813年4月14日〜1890年4月8日)は、アメリカの銀行家であり金融家であり、 ジョンピアポント「JP」モーガンの父親でもありました。 彼はジョージピーボディと共にJS Morgan&Co .を設立しました。

The Tredegar Morgans 1402–1951 Wikipedia

Jekyll Island Club Wikipedia
ジキルアイランドクラブは、 ジョージア州の大西洋岸にあるジキル島のプライベートクラブでした。 1886年に設立されたハンティングアンドレクリエーションクラブのメンバーが島をジョンユージーンドゥビグノンから125,000ドル(2017年には約310万ドル)で購入しました。 シグネチャータレットを備えたジキルアイランドクラブハウスのオリジナルのデザインは、1888年1月に完成しました。クラブは20世紀初頭まで繁栄しました。 そのメンバーは、世界で最も裕福な多くの家族、とりわけモーガンズ 、 ロックフェラー 、 ヴァンダービルトから来ました。 クラブは、 第二次世界大戦の合併症のため、1942年シーズンの終わりに閉鎖されました。 1947年、芝生とコテージを維持するためにスタッフに5年間資金を提供した後、ジョージア州による非難手続き中に、島はクラブの残りのメンバーから675,000ドル(2017年には約740万ドル)で購入されました。

州はクラブをリゾートとして運営しようとしましたが、これは経済的に成功しなかったため、複合体全体が1971年に閉鎖されました。複合体は1978年に歴史的建造物に指定されました。

1985年に復元され、高級リゾートホテルとして再オープンしました。現在、ジキルアイランドクラブホテルは、 ナショナルトラストフォーヒストリックプリザベーションの公式プログラムであるヒストリックホテルズオブアメリカのメンバーです。

(引用終わり)

メンバーを見ると、ロックフェラー家やヴァンダービルト家をはじめ興味深い。

グルーのいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、グルー本人はモルガン人脈の中核グループにいたと言えるだろう。
また、グルーの妻であるアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代には日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そのときに親しくなった友人のひとりが九条節子、後の貞明皇后(大正天皇の妻)だという。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201711080000/

モルガン家
https://plaza.rakuten.co.jp/heat666/diary/200408080000/


CFR Wikipedia
イギリスの王立国際問題研究所はイギリスの勢力圏内に秘密結社として多数の円卓会議を結成して謀略活動に当たらせた。欧米各地の円卓会議のネットワークは、ロックフェラー、ロスチャイルド、モルガン商会、カーネギーなど当時の財閥を結びつける役割も果たした。

ニューヨークの外交問題評議会本部ビルはロックフェラー財閥関係者から寄付された。

(引用終わり)

大体わかってきた。王族会議は、異なる派閥の王族たちを含めた会議であり、時に協力し時に反抗し合う。王立国際問題研究所も同じく、複数の派閥の合同組織であり、そこにはロックフェラー、ロスチャイルドなどの代理人が深く関与。

だが、元は同じであり所詮派閥争いと協調にすぎない。高度電子工学と電磁波、人工知能を使い市民をコントロールし、人口を調整するという部分では派閥を越えて合意されている可能性があると私は予測する。いずれかの派閥が反対しているのであれば、ここまで順調にことは進まないはずだ。

ネット上では、それぞれの派閥の人間が、自分たちが所属する派閥を持ち上げ、相手の派閥を貶めているが私から見れば、多少の差はあれ度同じ穴の狢に見えます。

FRB設立とモルガン家の関係

1913年 アメリカで連邦準備制度(FRB)が設立される。
https://sites.google.com/site/uranenpyou/home/frb
FRBは、1907年の金融危機を教訓として誕生した。危機の再発を防ぐため、ポール・ウォーバーグが銀行改革の必要性について、連日のようにマスコミを通じて主張した。

米国の中央銀行である連邦準備制度の設立に関する経緯を説明すると、まず1910年にJ・P・モルガンが所有するジョージア州のジキル島で全国通貨委員会の会員による秘密会議が開かれた。この密室会議の出席者は、次のようなメンバーであった。

【FRB設立のための秘密会議のメンバー】

ネルソン・オルドリッチ・・・共和党上院議員で院内幹事。全国通貨委員会委員長。J・P・モルガンの投資パートナー。ジョン・D・ロックフェラー・Jr.の義父。
エイブラハム・アンドリュー・・・連邦財務次官。通貨委員会特別補佐官。
フランク・ヴァンダーリップ・・・ナショナル・シティー・バンク・オブ・ニューヨーク頭取。ロックフェラーとクーン・ローブ商会を代表。
ヘンリー・デイヴィソン・・・J・P・モルガン商会の共同経営者。
チャールズ・ノートン・・・J・P・モルガンのファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨークの頭取。
ベンジャミン・ストロング・・・J・P・モルガンのバンカーズ・トラスト・カンパニー社長。のちにニューヨーク連邦宇準備銀行の初代総裁。
ポール・ウォーバーグ・・・ロスチャイルド代理人。クーンローブ商会の共同経営者。

(引用終わり)

サヴォイの金貸しがデル・バンコ=ウォーバーグ。ヘッセンの金貸しがロスチャイルド。モルガンは、英国シティから米国に来て、ボストン閥と深く関係している。円卓会議メンバーのアメリカ代表がモルガン。デル・バンコ指示のもとモルガンが主体となり設立か。ロックフェラー、クーンローブも関与。

秘密結社「円卓会議」の合衆国代表モルガン・グループ by ユースタス・マリンズ
https://satehate.exblog.jp/8451611/
※代理人の金貸しロスチャイルドにも、様々な派閥があり、派閥ごとにご主人の派閥も異なるので単純化にはご注意ください。

テクノロジー犯罪の使用についても、上位貴族の秘密会議で使用条件が決められている可能性があるのではないか。そうしなければ、お互いに破滅した挙句、双方の情報が第三者に流出する可能性もある。だが、開発から半世紀が過ぎ、それらの約束を破るものも現れているのではないだろうか。

諜報機関というのは、本来各国政府を所有する王侯貴族、財閥のために働いている側面がある。だからこそ、上記勢力の代理人や子孫も多く所属している。そして、テクノロジー犯罪は基本、諜報機関が管理している。また、被害者の多くが抵所得層であり、富裕層の被害者の多くが、何かしらのトラブルから被害が始まったことを考えると、やはり支配者側の人間はこれまで被害にあいにくかったのでしょう。ですが、ここにきて静かなる大戦がはじまり、上位の人間も被害にあい始めたために、情報が表に出始めたのではないでしょうかね。ただ、これは私の個人的な仮説なのでご注意ください。


モルガンとニコラ・テスラの関係

ワーデンクリフタワー

1901年、J・P・モルガンの援助により、ロングアイランドのショアハムに高さ57メートルの無線送信塔「ウォーデンクリフ・タワー」を建設開始し、1905年に完成するもモルガンとの関係悪化により資金繰りが悪化し研究を中断する。アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦すると、タワーは新しいオーナーと鉄鋼会社の契約に基づいて1917年に撤去された。

※テスラ技術は、円卓会議メンバーやジキル島メンバーを通して、世界中枢に流れたと私は予測しています。

私はテクノロジー犯罪ネットワークの原型は、ニコラ・テスラの世界システム構想にあると思います。その構想を、彼を支援したモルガンを始めとする財閥や権力者が悪用し、軍や諜報機関の技術と結びつけたのが始まりでしょう。

ニコラ・テスラの「世界システム」はよみがえるか
https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0911/29/news002.html
実はすでに完成され、作動中だと私は思います。

ニコラ・テスラに支援したモルガン財閥。

ニコラ・テスラ
•長身で美男であることからモルガンの令嬢などと恋愛したが、本人の性格などに起因して成就せず生涯を独身で過ごした。モルガンの資金援助打ち切りは娘との関係があると言われる。

ニコラ・テスラは殺人光線「デス・レイ」を本当に発明していた!! 米機密文書公開でトランプとの意外なつながりも判明!
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201610_post_11148/

米国でのテクノロジー犯罪の黒幕を調べると、円卓会議グループ、MJ12を核としたディープステートの軍と諜報機関の中の特定のグループ、そこと繋がる軍需企業、財閥のメンバーが浮かび上がって来ます。つまり、日本は米国の植民地ですが、米国もまた一部のグループに両建てで植民地にされていたというオチですね。

旧日本軍も、第一次大戦中から電磁波兵器を開発しており、第二次大戦中には殺人光線を開発していました。その資料は、戦後アメリカに渡りました。実は、HARRPの技術にも日本の技術は使用されています。この様にして、世界中の電磁波兵器技術が戦争と諜報戦を通して集約され、現在の形に至るのです。


(memo)

「モルガン商会」は1892年にエジソンを篭絡し「GE」を設立し電気事業に乗り出し、1901年に鉄鋼王カーネギーを買収して「USスチール」を設立、1907年には全米の電話事業を独占する「ATT」の買収を完了、1920年には死の商人「デュポン」と組んで、「GM」を支配しました。
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/163.html

CFR
http://aikokutaro.blog.fc2.com/blog-entry-93.html?sp
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