HKS魚拓

王立協会とイギリス学士院に関する私的メモ

テクノロジー犯罪を調査すると、最上層部の黒幕としてブルーブラッド貴族と黒い貴族の連合体が現れます。次に、円卓会議人脈など彼らの代理人ネットワークや、3大騎士団人脈が現れます。その次にシンクタンクが現れ、そのシンクタンクの計画に沿い、各国の諜報機関が動いている印象を受けました。

テクノロジー犯罪に直接、間接的に関わる研究をしている研究者を見ると、爵位を持っていたり、様々な勲章をもらっていたり、ある種の共通点と人脈があることに気付きました。

歴史をさかのぼると、王立協会やイギリス学士院のフェロー人脈とも関係しているグループがあると気付きました。まだ、調査中ですが、今回はそこら辺をメモします。

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Category:王立協会フェロー

優生学、原子力、電磁波に関わる著名な学者が軒並みフェロー会員です。英国に限らず、各国の高度な科学は、王侯貴族や財閥がスポンサーとなり行っているのです。


イギリス学士院 Wikipedia

イギリス学士院フェローの一覧(英語版) Wikipedia

※王立協会と、イギリス学士院、ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツは別組織です。

ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツ Wikipedia

List of fellows of the Royal Society of Arts

(memo)
王立研究所 Wikipedia

英国学士院から王立国際問題研究所へ

英王立国際問題研究所(チャタムハウス) (1)
https://plaza.rakuten.co.jp/heat666/diary/200409250000/
【1】チャタム・ハウス――英米連邦ブレーン集団の本拠地

 セント・ジェームズ・スクエア10番地は、チャタム伯爵、大ウィリアム・ピットがロンドンの邸宅として使っていた場所である。そこに、新たな大英帝国のエリートプランナーたちが、王立国際問題研究所(RIIA)の旗のもとに集まっている。
 英紙『タイムズ』は、外務省がまだ知らされていない外交政策について、報道することが多いと言われている。
 また、チャタム・ハウスでは、議会で問題が取り上げられ、議決が行われるずっと前に、“非公式”の帝国の役人たちが集まって、英米連邦陰謀団の方針を決めている。

 RIIAは、第一次世界大戦の後、1919年から20年に設立された。RIIAは、王室が認可し、イギリスの君主の保護の下で活動を行っている私的諜報機関である。
 創設者はライオネル・カーティスで、カーティスは、アルフレッド・ミルナー卿のラウンドテーブルの有力メンバーであった。“ミルナーのキンダーガルテン(幼稚園)”と言われているラウンドテーブルの使命は、“英語圏連邦”という偽装のもとに、新たなイギリスの支配を確立することだった。
 これについては、セシル・ローズが、『遺言(ラスト・ウィル・アンド・テスタメント)』の中で、はっきりと述べている。
 ローズは、アメリカを支配下に置いて、新たな英語圏連邦の中に入れるべきである強調した。アメリカは、第一次世界大戦において、軍事力と産業力を発揮し、その現実は、アメリカを早急に再植民地化しなければならないという必要性を増大させた。しかし、イギリスの資力は大幅に落ちており、再植民地化とはいっても、精神面でのことであり、アメリカを軍事的に占領するという意味ではない。

 RIIAは、創設されてから10年の間に、英語圏のあちこちに戦略研究所を誕生させた。
 アメリカでは、ウォールストリートを本拠地としているイギリスの忠臣集団が、ニューヨークに外交問題評議会(CFR)を設立した。そしてその後、チャタム・ハウスの公式の付属団体である太平洋問題研究所(IPR)が設立された。CFRは、創設されて以来、イギリスの地政学的陰謀をアメリカに伝えるためのルートとなっている。

 今日、RIIAは、主にクラブ・オブ・アイルズ多国籍銀行の正真正銘の名士たちから資金提供を受けている。また、天然資源カルテル、保険会社などもRIIAに資金を提供している。
 RIIAの1997-98年度の年次報告書によれば、“主な法人会員”には、次の諸機関がある。

 バークリーズ銀行、ブリティッシュ・エアロスペース、BAT(元ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)、ブリティッシュ・ペトロリアム、ケーブル・アンド・ワイヤレス、クレディ・スイス=ファースト・ボストン、イギリス国防省、ドイツ銀行、エコノミスト誌、イギリス外務省、HSBC(元香港上海銀行)、ロイズ・オブ・ロンドン、リオ・ティント、N.M.ロスチャイルド・アンド・サンズ、シェル、スタンダード・チャータード銀行、スイス・ユニオン銀行。


●“イギリスと世界”

 1995年、チャタム・ハウスは、“イギリスと世界”というテーマで会議を行った。その会議には、数名の王族が出席していた。
 会議では、「英連邦が21世紀に向けて経済力を高め、世界経済の中心となるためにはどうすればよいか」という戦略についての発表が行われた。


 オーストラリアの学者キャサリン・ウエストは、『討議用文書60――イギリスと英連邦の経済的チャンス』を作成した。彼女は、その文書の中で、「ロンドンのエリートは、英連邦加盟国をもっと活用して、イギリスの経済力と政治力を高め、極東とアジアを囲い込むべきである」と述べている。
 さらに彼女は、「イギリスは、経済力の落ちたヨーロッパ大陸はあまり重視しないで、イギリスと世界各地の英連邦が、相互に利用し合うべきだ」と主張している。そしてそれは、「アジアへの橋頭堡であるオーストラリアから始めるべきである」と言っている。
 さらに、英連邦を“新たな大英帝国”の中心とするためには、「実際の帝国が衰退しても、活力を長期的に維持できるような非公式な経済帝国のパワーと、帝国としての経験が必要である」と述べている。
 さらにウエストは、「“人民の連邦”をもっと開発し、しばしば政府とは違う意向で活動している非政府団体や、その国で力を持っている様々な団体をもっと発展させるべきである」と述べている。

 どこから見ても、キャサリン・ウエストのこのプランは、チャタム・ハウスのエリート集団が追求しているものと同じである。

 ウエストの発表の後、ジョージ・ジョッフェ博士がRIIAの研究主任として就任した。ジョッフェの専門は、「国境論争を地政学的にどう活用するか」というものである。
 彼は、1983年から86年までは、RIIAの付属団体である『エコノミスト・インテリジェンス・ユニット』の編集長を務め、1986年から90年には、エコノミスト・パブリケーションズ社の編集顧問、1990年から96年には「地政学・国境線調査センター」の副所長を務めた。

 RIIAの所長は、リッチモンドのライト卿 GCMG,FRCMである。
 ライト卿は、外務省の生え抜きの官僚であり、1986年から91年まで、イギリス外交部長を務めていた。また、バークリーズ社、ユニリーバ社、BPの理事会の一員であり、ディッチレー財団の副会長である。ディッチレー財団は、イギリスのシンクタンクで、10ヶ国蔵相・中央銀行総裁会議の政策を作った財団である。
 また彼は、ユナイテッド・ワールド・カレッジ・オブ・ザ・アトランティックの理事である。これは、アーマンド・ハマーが始めたプロジェクトであり、フィリップ殿下とチャールズ皇太子のお気に入りの“慈善事業”である。


 枢密院のメンバーになっている有名な3人の政治家が、RIIAの共同会長になっている。カーディフのキャラハン卿、キャリントン卿、ヒルヘッドのジェンキンズ卿である。

【2】ロンドンの国際戦略研究所は、アメリカの戦略概念を操っている

 ロンドンにある国際戦略研究所(IISS)は、王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)の補助的な団体である。IISSは、イギリス少数独裁集団の利益にとって、必要不可欠と思われる世界の紛争を研究し、その指揮・統制を行っている。
 IISSは、冷戦のまっただ中の1958年に創設された。現在では、NATOの新戦略概念を徐々に広め、“世界の警察”という役割を受け入れるようにアメリカに圧力をかけるという、傑出したシンクタンクとなっている。

 ウォールストリートの投資銀行家であるジョン・トレインは、IISSが前回行った“戦略討議”に招かれた。トレインは、アフガニスタンのムジャヒディーンのパトロンであり、完全に英国びいきの“スパイ”である。 その討議において、トレインは冷戦後の世界に関する見解を発表した。彼は、1983年から86年まで、マスコミ関係者、政府職員、銀行家たちが集まるニューヨークの“サロン”を主宰した。

 IISSは、イギリスが、アメリカの戦略上の軍事概念に影響を与えるための中枢の一つとして見なされているようである。IISSは、そのための手段として、ニューヨークのCFR、そのほか多数の防衛問題シンクタンクと“特別な関係”を保っている。

 IISSは、出版物を通して、幅広い層に対するアプローチを行っている。『ストラテジック・コメンツ』『アデルフィ・ペーパーズ』『サバイバル』、そして年次報告書『ミリタリー・バランス』、年一回発行のレファレンスブック『戦略研究所辞典』である。

 IISSの年次報告書である『戦略概要1997-1998』には、次のように述べられている。
「アメリカは、アメリカに割り当てられた“世界の警察”という役割を受け入れるべきである。アメリカがなすべき唯一の選択は、国連やNATOなどの多国籍機関を通じて一方的に振る舞うか、あるいは、非公式な連立を通じて一方的に振る舞うか、ということである。」

「アメリカは、将来的に、今よりももっと多国家間的な方法で、利害の調整を取らざるを得なくなるだろう。アメリカにとっては、そのようなアプローチよりも、一方的なアプローチの仕方をした方が、同盟国とわざわざ協議する必要もなく、アメリカの好む政策を押し進めることができる。アメリカのリーダーシップの質が今後どうなるかということは、アメリカが危機に対処する際に、以上のような二つの相反する方法のどちらを選ぶかという賢さによって判断されることになるだろう。」

IISSの上層部のスタッフは、以下の通りである。

所長:ジョン・チップマン博士/副所長:ゴーダン・アダムズ/運営主任・総務部長:デビッド・キング大佐/研究主任:ジェラルド・シーガル博士

(引用終わり)

シェルバーンの敷地に、セシルローズと円卓会議人脈が関与して設立。ここから、悪名高いタビストック人間関係研究所なども派生していく。王立国際問題研究所は、特定の勢力の私物ではなく、異なる派閥の調整機関だそうだ。

チャタム・ハウスの起源は、第一次世界大戦後のパリ講和会議(1919年)まで遡ります。講和会議のイギリス代表団とアメリカ代表団から、将来の戦争回避のために国際問題を研究する英米国際問題研究所の構想が生まれました。英米両国が研究所を設立するという構想がそのまま具体化することはありませんでしたが、翌1920年にイギリス国際問題研究所がロンドンに創設され、1926年に勅許状を授与され、現在の名称、王立国際問題研究所になります(アメリカ代表団の方は、姉妹機関としてニューヨークに外交問題評議会(Council on Foreign Relations)を設立します)。チャタム・ハウスは、①国際問題の分析、②国際問題に関する書籍、報告書、白書の刊行、③“International Affairs”, ”The World Today”等の定期刊行物の刊行、④世界の政治家や識者を招聘して開催される会議の主催や世界各国での会議の運営と参加、⑤マスメディア向けの時事問題の解説や議会の委員会での証言、⑥世界各国の政府高官や議員を対象にして行われる将来の政策立案に向けた指針の提示、⑦学者、経営者、外交官、マスコミ関係者、NGO、政治家、官僚が公開の場で意見交換を行なうフォーラムの主催など、非常に幅広い活動を行なっています。また、チャタム・ハウスは、「会議の出席者は会議で得た情報を自由に使用することができるが、会議での発言者とその所属機関を含む情報の出所を明らかにしてはならない」とのルールが発祥した機関としても知られています。チャタム・ハウス・ルールと呼ばれるこのルールは、現在では国際会議で広く採用されています。創立以来90年以上に亘り、国際問題の分析で世界をリードしてきたチャタム・ハウスは、2011年に公表されたシンクタンクのランキングでは、アメリカのブルッキングス研究所に次ぐ世界第2位に位置づけられています。まさに世界トップクラスのシンクタンクです。
http://gdc.cengage.jp/gdcdb/chatham-house/

ブルッキングス研究所は、東インド会社のドンキャボット家のシンクタンクであり、日本にも大きな影響を与えている。

Electronic Journal 米国の政治制度とRIIAとCFR(EJ第1130号)CFRの驚くべき人材パワー
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=210408

警察の国際組織であり、国際的な犯罪を摘発する、国際刑事警察機構=インターポールICPOは、元々、ナチス・ドイツの国際スパイ組織を原型とし、それがロックフェラーの資金によって、第二次世界大戦後、インターポールに改造された。

インターポールの創立時、資金提供者ロックフェラーに現場を任せず、自から陣頭指揮を取ったサー・ウィリアム・ペティは、スイスの金融業界を支配するシェルバーン伯爵一族の人間であり、世界中の富豪が資産を預けるスイスの金融界の、中核の1つである、スイスユニオン銀行の経営一族でもある。


(略)

さらに、同盟の父ウィリアム・ぺティ伯爵が創設したロンドンの英国学士院が前身となって、王立国際問題研究所(RIIA)が生まれた。ニューヨークにあってアメリカの外交問題を操る外交問題評議会(CFR)もここから生まれた。

(引用終わり)

スコティッシュ・ライトのフリーメーソンリーの設立は、サー・ウィリアム・ペティの指揮のもとで行われた。このペティの孫こそが悪名高きシェルバーン伯爵、すなわち、スイス寡頭支配者層によって引き起こされた叛乱=フランス革命を陰から操った人物である。イエズス会は、ロバート・ブルースをスコットランド王位に就け、スコティッシュ・ライトの長とした。その陰謀の中心となったのがセシル一族で、彼らは、エリザベス1世の時代からイギリスの支配者を動かしていた。セシル一族は、ベネチアの黒い貴族であるゲルフ家と直接の縁続きである。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-17.html

シェルバーン卿は英国諜報部の長であり、その立場から、ロンドンに居ながらにして、フランス革命を誘導した。
英国諜報機関のジュネーヴ本部はマレット・プレボー家によって運営されたが、その子孫にCIAのアレン・ダレスがいる。

大英帝国の頭脳 王立国際問題研究所(RIIA)とは? ※チャタムハウス(Chatam Hous)
https://archive.vn/X99gE
※魚拓

コメント:王立協会とイギリス学士院を調べていたら、イギリス学士院とそこから派生した王立国際問題研究所、その姉妹機関CFR、シェルバーン、セシルローズ及び円卓会議人脈が気になってきました。CIAのMKウルトラ計画は、王立国際問題研究所から派生した、ダビストックが核となった実験プログラムです。ここら辺の人脈が非常に怪しいですね。

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