HKS魚拓

王立国際問題研究所(RIIA)の資料

調査書類1:チャタム・ハウス、国際戦略研究所、ホーリンガー社
http://web.archive.org/web/20061115133136/http://www.idaten.to:80/meikyu/a062.html(魚拓)


【1】チャタム・ハウス――英米連邦ブレーン集団の本拠地

  セント・ジェームズ・スクエア10番地は、チャタム伯爵、大ウィリアム・ピットがロンドンの邸宅として使っていた場所である。そこに、新たな大英帝国のエリートプランナーたちが、王立国際問題研究所(RIIA)の旗のもとに集まっている。
 英紙『タイムズ』は、外務省がまだ知らされていない外交政策について、報道することが多いと言われている。
 また、チャタム・ハウスでは、議会で問題が取り上げられ、議決が行われるずっと前に、“非公式”の帝国の役人たちが集まって、英米連邦陰謀団の方針を決めている。
 RIIAは、第一次世界大戦の後、1919年から20年に設立された。RIIAは、王室が認可し、イギリスの君主の保護の下で活動を行っている私的諜報機関である。
 創設者はライオネル・カーティスで、カーティスは、アルフレッド・ミルナー卿のラウンドテーブルの有力メンバーであった。“ミルナーのキンダーガルテン(幼稚園)”と言われているラウンドテーブルの使命は、“英語圏連邦”という偽装のもとに、新たなイギリスの支配を確立することだった。
 これについては、セシル・ローズが、『遺言(ラスト・ウィル・アンド・テスタメント)』の中で、はっきりと述べている。
 ローズは、アメリカを支配下に置いて、新たな英語圏連邦の中に入れるべきである強調した。アメリカは、第一次世界大戦において、軍事力と産業力を発揮し、その現実は、アメリカを早急に再植民地化しなければならないという必要性を増大させた。しかし、イギリスの資力は大幅に落ちており、再植民地化とはいっても、精神面でのことであり、アメリカを軍事的に占領するという意味ではない。

 RIIAは、創設されてから10年の間に、英語圏のあちこちに戦略研究所を誕生させた。
 アメリカでは、ウォールストリートを本拠地としているイギリスの忠臣集団が、ニューヨークに外交問題評議会(CFR)を設立した。そしてその後、チャタム・ハウスの公式の付属団体である太平洋問題研究所(IPR)が設立された。CFRは、創設されて以来、イギリスの地政学的陰謀をアメリカに伝えるためのルートとなっている。
 今日、RIIAは、主にクラブ・オブ・アイルズ多国籍銀行の正真正銘の名士たちから資金提供を受けている。また、天然資源カルテル、保険会社などもRIIAに資金を提供している。
 RIIAの1997-98年度の年次報告書によれば、“主な法人会員”には、次の諸機関がある。
 バークリーズ銀行、ブリティッシュ・エアロスペース、BAT(元ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)、ブリティッシュ・ペトロリアム、ケーブル・アンド・ワイヤレス、クレディ・スイス=ファースト・ボストン、イギリス国防省、ドイツ銀行、エコノミスト誌、イギリス外務省、HSBC(元香港上海銀行)、ロイズ・オブ・ロンドン、リオ・ティント、N.M.ロスチャイルド・アンド・サンズ、シェル、スタンダード・チャータード銀行、スイス・ユニオン銀行。


●“イギリスと世界”

 1995年、チャタム・ハウスは、“イギリスと世界”というテーマで会議を行った。その会議には、数名の王族が出席していた。
 会議では、「英連邦が21世紀に向けて経済力を高め、世界経済の中心となるためにはどうすればよいか」という戦略についての発表が行われた。
 オーストラリアの学者キャサリン・ウエストは、『討議用文書60――イギリスと英連邦の経済的チャンス』を作成した。彼女は、その文書の中で、「ロンドンのエリートは、英連邦加盟国をもっと活用して、イギリスの経済力と政治力を高め、極東とアジアを囲い込むべきである」と述べている。
 さらに彼女は、「イギリスは、経済力の落ちたヨーロッパ大陸はあまり重視しないで、イギリスと世界各地の英連邦が、相互に利用し合うべきだ」と主張している。そしてそれは、「アジアへの橋頭堡であるオーストラリアから始めるべきである」と言っている。
 さらに、英連邦を“新たな大英帝国”の中心とするためには、「実際の帝国が衰退しても、活力を長期的に維持できるような非公式な経済帝国のパワーと、帝国としての経験が必要である」と述べている。
 さらにウエストは、「“人民の連邦”をもっと開発し、しばしば政府とは違う意向で活動している非政府団体や、その国で力を持っている様々な団体をもっと発展させるべきである」と述べている。

 どこから見ても、キャサリン・ウエストのこのプランは、チャタム・ハウスのエリート集団が追求しているものと同じである。

 ウエストの発表の後、ジョージ・ジョッフェ博士がRIIAの研究主任として就任した。ジョッフェの専門は、「国境論争を地政学的にどう活用するか」というものである。
 彼は、1983年から86年までは、RIIAの付属団体である『エコノミスト・インテリジェンス・ユニット』の編集長を務め、1986年から90年には、エコノミスト・パブリケーションズ社の編集顧問、1990年から96年には「地政学・国境線調査センター」の副所長を務めた。

 RIIAの所長は、リッチモンドのライト卿 GCMG,FRCMである。
 ライト卿は、外務省の生え抜きの官僚であり、1986年から91年まで、イギリス外交部長を務めていた。また、バークリーズ社、ユニリーバ社、BPの理事会の一員であり、ディッチレー財団の副会長である。ディッチレー財団は、イギリスのシンクタンクで、10ヶ国蔵相・中央銀行総裁会議の政策を作った財団である。
 また彼は、ユナイテッド・ワールド・カレッジ・オブ・ザ・アトランティックの理事である。これは、アーマンド・ハマーが始めたプロジェクトであり、フィリップ殿下とチャールズ皇太子のお気に入りの“慈善事業”である。

 枢密院のメンバーになっている有名な3人の政治家が、RIIAの共同会長になっている。カーディフのキャラハン卿、キャリントン卿、ヒルヘッドのジェンキンズ卿である。

【2】ロンドンの国際戦略研究所は、アメリカの戦略概念を操っている

 ロンドンにある国際戦略研究所(IISS)は、王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)の補助的な団体である。IISSは、イギリス少数独裁集団の利益にとって、必要不可欠と思われる世界の紛争を研究し、その指揮・統制を行っている。
 IISSは、冷戦のまっただ中の1958年に創設された。現在では、NATOの新戦略概念を徐々に広め、“世界の警察”という役割を受け入れるようにアメリカに圧力をかけるという、傑出したシンクタンクとなっている。

 ウォールストリートの投資銀行家であるジョン・トレインは、IISSが前回行った“戦略討議”に招かれた。トレインは、アフガニスタンのムジャヒディーンのパトロンであり、完全に英国びいきの“スパイ”である。  その討議において、トレインは冷戦後の世界に関する見解を発表した。彼は、1983年から86年まで、マスコミ関係者、政府職員、銀行家たちが集まるニューヨークの“サロン”を主宰した。

 IISSは、イギリスが、アメリカの戦略上の軍事概念に影響を与えるための中枢の一つとして見なされているようである。IISSは、そのための手段として、ニューヨークのCFR、そのほか多数の防衛問題シンクタンクと“特別な関係”を保っている。

 IISSは、出版物を通して、幅広い層に対するアプローチを行っている。『ストラテジック・コメンツ』『アデルフィ・ペーパーズ』『サバイバル』、そして年次報告書『ミリタリー・バランス』、年一回発行のレファレンスブック『戦略研究所辞典』である。

 IISSの年次報告書である『戦略概要1997-1998』には、次のように述べられている。
「アメリカは、アメリカに割り当てられた“世界の警察”という役割を受け入れるべきである。アメリカがなすべき唯一の選択は、国連やNATOなどの多国籍機関を通じて一方的に振る舞うか、あるいは、非公式な連立を通じて一方的に振る舞うか、ということである。」

「アメリカは、将来的に、今よりももっと多国家間的な方法で、利害の調整を取らざるを得なくなるだろう。アメリカにとっては、そのようなアプローチよりも、一方的なアプローチの仕方をした方が、同盟国とわざわざ協議する必要もなく、アメリカの好む政策を押し進めることができる。アメリカのリーダーシップの質が今後どうなるかということは、アメリカが危機に対処する際に、以上のような二つの相反する方法のどちらを選ぶかという賢さによって判断されることになるだろう。」

 IISSの上層部のスタッフは、以下の通りである。
 所長:ジョン・チップマン博士/副所長:ゴーダン・アダムズ/運営主任・総務部長:デビッド・キング大佐/研究主任:ジェラルド・シーガル博士

 シーガルは、「欧米は中国に対して攻撃的な政策を取り、中国を包囲して、中国がお互いに争う小国家の集まりになるように仕向けるべきである」と主張して、名を上げた人物である。

【3】プロパガンダ帝国――ホーリンガー社

 某カナダ人が、メディア帝国を使って、イギリスからアメリカ大統領への攻撃を加えている。それは、ビル・クリントンが大統領に宣誓就任した日から続いている。
 そのカナダ人は、イギリス・カナダ・アメリカが、大西洋を越えた“北米自由貿易協定(NAFTA)”を結ぶという偽装のもとに、ウインストン・チャーチルの第二次世界大戦の“同盟”を復活させようとしている。
 彼は、そのためのキャンペーンを一般に向けて行っている。これは矛盾するように見え、信憑性もないように見える。しかしそう見えようとも、これは真実である。以下の事実を考えてみてほしい。

 コンラッド・ブラックは、ホーリンガー社メディア・カルテル(企業連合)の会長兼CEOである。
 ホーリンガー社は、イギリスのテレグラフ社、『エルサレム・ポスト』『シカゴ・サン・タイムズ』のオーナーである。また、アメリカ全土で数百種類の日刊新聞、週刊新聞等を発刊している。カナダでも、全国版の日刊新聞を創刊したばかりである。

 1998年7月6日、ブラックは、ロンドンの政策研究センターの年次総会で演説を行った。同研究所は、自由市場を掲げる急進的なモンペルラン協会の最も優れたシンクタンクである。
 ブラックは、「イギリスの最後の選択――ヨーロッパかアメリカか?」というテーマで演説を行い、欧州連合を攻撃した。ブラックは、次のように述べている。 「EUは、集産主義と非自由主義を推進し、我々国民の生活を過剰統制する最大の原動力である。イギリスは、欧州通貨同盟に加入する予定を中止し、大西洋を越えて拡張した“スーパーNAFTA”の一員となるように方針を変えるべきである。」
 また、ブラックは“北米自由貿易協定”の名称を“北大西洋自由貿易協定”と改める提案を行った。
 ブラックは、「イギリス以外のヨーロッパ諸国は、アメリカとカナダに対して特別な親近感を持っていない」と演説した。しかし、これは嘘である。
「イギリスは近代の歴史において、北米と劇的な親密さを持っている。しかし、他のヨーロッパ諸国は、わずかでもそれに匹敵するような親密さは持っていない。……NAFTAをこのように拡大すれば、貿易の分野において、どの点から見てもEUより優れている。これは、税金と社会支出を比較的抑えた、イギリスとアメリカの自由市場モデルに基づいている。アメリカは、主権に関して特に譲歩する必要はないし、他の国も同様である。」

 その2年前、元イギリス首相マーガレット・サッチャーは、“ニューアトランティック・イニシアチブ(新太平洋構想)”の先駆けとなる“プラハ会議”について強調し、スーパーNAFTAの形成を呼びかけた。
 サッチャーは、ホーリンガー社の国際顧問役員会の会長を務めており、ブラックは、ニューアトランティック・イニシアチブの創始者である。

 ブラックは、政策研究センターでの演説以来、スーパーNAFTAを実現させるために、宣伝活動を続けてきた。
 ブラックは、『デイリー・テレグラフ』のページを割いて、ブラック自身とサッチャー政権時代に国防大臣を務めたマイケル・ヘゼルタインとの討論を掲載した。ヘゼルタインは、イギリスは欧州通貨同盟に加入すべきであるという意見を述べていた。
 この“ディベート”のテーマは、新しい単一通貨ユーロの将来と、イギリスとユーロの関係が今後どうなっていくかについてであった。

 さらにブラックは、アメリカの政治ジャーナル『ナショナル・インタレスト』の1999年春の号に、『イギリスの大西洋の選択肢――そして、アメリカの賭け』というタイトルの記事を書いた。これは、彼が呼びかけている“現代の同盟”についての、さらに念入りな作品である。


●我々はイギリス生まれの大統領の誕生を見ることになるかもしれない

 ブラックの自家製歴史家の一人であるポール・ジョンソンは、ホーリンガー社の『スペクテーター』誌の編集長で、『アメリカン・スペクテーター』のレギュラー寄稿者である。『アメリカン・スペクテーター』は、イギリスが主導して、“ゲット・クリントン”勢力のリーク情報を主に掲載している雑誌である。
 ジョンソンは、アメリカ・イギリス、そしてカナダをはじめとする英連邦と同盟を作ることを呼びかけた。このばかばかしい宣伝記事は、『フォーブス』誌1999年4月5日号に掲載された。
 『フォーブス』の発行者マルコム・フォーブス2世は、共和党の大統領推薦候補に立候補している人物である。そして、『フォーブス』の編集主幹は、レーガン政権時代の国防長官であったサー・キャスパー・ワインバーガーである。
 ワインバーガーは、レーガン大統領に忠実に仕えながら、多くの問題に対処した。彼は、イギリスの二心・欺瞞性については全然理解していなかった。ワインバーガーは、政府の公職を退いた後に、ロンドンの“新たな冷戦”の有力な支持者として登場したのである。

 ジョンソンは、『イギリスはなぜアメリカと手を結ばなければならないのか』という記事の中で、次のように書いている。
「手遅れになる前に、我々は、欧州連合の単一通貨に対して、まったく別の、革命的なシナリオを作ることを考えなければならない。イギリスに加えて、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドをはじめとする英語圏諸国は、アメリカと手を結ぶべきである。そうすることによって、その他の国も、ヨーロッパの沈滞した状況や、うっとうしい国家統制主義を離れて、ダイナミックなアメリカ経済に参加するようになるだろう。」

「このようなことが実現するなどとは、とても考えられないとお思いだろうか。そんなことはない。20年前には、ドイツの再統合はないと思われていたし、ソ連が崩壊するとは誰も思っていなかった。世界はめまぐるしく変化しているのである。」

「イギリスとアメリカが連合を組むことになれば、史上最大の合併・吸収の取引となるだろう。どういう条件にすれば、その連合が成立するのだろうか。」

「イギリスが、51番目の州になりつつあるのは間違いないことを認識することから始めよう。5900万人の人口と、それに対応する富と資源を有しているイギリスは、少なくとも10州に相当する待遇を得るだろう。そして、こうなることが予想される。  ロンドン周辺諸州、サウスイースト、ウェセックス、東アングリア、ミッドランズ(イングランド中部諸州)、ランカシャー、ヨークシャー、スコットランド、ウェールズ、アルスターは、それぞれ2人の議員を上院に送る。彼らは上院で、最も同質で最大の議員連合を作る。イギリスの人口からすれば、イギリスは、カリフォルニア州とニューヨーク州を合わせたよりも、多くの議員を下院に送ることが可能となる。
 アメリカの大統領選挙では、カリフォルニアとニューヨークで多数の支持を得られなかったら、当選することは不可能である。同じように、イギリスの各州が協力し合えば、誰が大統領になるかについて、確実に予測できる。我々は将来、イギリス生まれの政治家が大統領になるのを見ることになるかもしれないのである。」

 ジョンソンは、カナダを新しい連合に加えることを提案している。カナダの各州から2人の議員をアメリカ上院に送り、下院の議席については、カリフォルニアと同じだけの数をカナダに与える。
 ジョンソンは、オーストラリアとニュージーランドも将来的に加えるのではないかと思われる。

 ブラックとジョンソンが遠回しに“合併”と呼んでいるものは、近代史における最大の、敵国による乗っ取りと何ら変わらないのである!


●英米連邦の情報戦争のABC

 ホーリンガー社の今日の状況はどうだろうか。
 ホーリンガー社は、第二次世界大戦中に、イギリス戦争マシーンのフロント会社として創設された。
 1940年、エドワード・プランケット・テイラーは、軍需供給相クラレンス・ディケーター・ハウによって、イギリス諜報機関にスカウトされた。テイラー一家は、アメリカの禁酒法時代(1920-33)に密輸業を営んでいた。ハウは、E・P・テイラーの密輸業者としての経験を買って、アメリカのドルをイギリスに流れ込むようにさせるという仕事に就かせた。
 当時のテイラーの仲間には、コンラッド・ブラックの父、ジョージ・モンタギュー・ブラックがいる。テイラーとその仲間は、イギリス政府のフロント会社‘戦時物資供給社’を作り、その会社を通して利益を上げていた。当時の『ニューヨーク・タイムズ』は、これについて、「アメリカ経済とカナダ経済の事実上の合併である」と述べている。
 戦争が終わる頃、テイラーと共同経営者たちは、13億ドルを使って、アルグス社を設立した。その金は、彼らがイギリス政府に武器を調達することによって蓄えたものだった。

 アルグス社は、重要な原材料を扱っている会社を買収し続けた。カナダで最大の農業用機材製造会社マッシー・ファーガソン社も買収した。
 コンラッド・ブラックの父親とテイラーは、コンラッド・ブラックにアルグス社を継がせるために、彼を仕込んだ。
 コンラッド・ブラックは、1970年代に会社を継ぎ、会社の名前をホーリンガー社と改めた。そして、原材料と製造関係の子会社は売却した。その時から、ブラックは世界中のメディアを手中に収め始めたのである。
 その努力によって、ホーリンガー社は、今日英語圏で最大の出版メディアカルテルを形成しているのである。

 アルグス社の資産を売却して得た資金を使って、ブラックは、『デイリー・テレグラフ』の発行元であるテレグラフ社を買い取り、テレグラフ社を100%掌握した。この時の買収に使った資金は、アルグス社の資産だけではなく、リー・カイシンからの寄付も含まれている。
 彼の家族は、代々香港上海銀行の取締役会のメンバーとなっている。この香港上海銀行は、東アジア市場のヘロイン銀行である。
 『デイリー・テレグラフ』は、ロンドンで最大の新聞であり、イギリス王家のお気に入りである。ブラックがテレグラフ社を買収してから、『デイリー・テレグラフ』は、直ちにマーガレット・サッチャー首相の代弁紙となった。
 ブラックは、イスラエルの一流の英字日刊新聞である『エルサレム・ポスト』を買収し、100%支配下に置いた。そして、『エルサレム・ポスト』の方針を変更し、大イスラエルを掲げるリクードの狂人たちを支持し始めたのである。例えば、“レバノンの虐殺者”外相アリエル・シャロン将軍などである。
 また、ホーリンガー・カナディアン・パブリッシング・ホールディングズ社は、カナダ中の日刊・週刊新聞の買収をし始めた。同社は、ホールディングズ社が全面的に所有しているスターリング・ニューズペーパー社とサウサム・グループを通じて買収を進めた。
 アメリカでは、シカゴグループを通じて、240種類の日刊・週刊新聞を買収した。『シカゴ・サン・タイムズ』『ゲーリー』、インディアナ州の『ポスト・トリビューン』などである。また、コミュニティ・ニュースペーパー・グループも買収した。

 さらにホーリンガー社は、1828年から続いているイギリス支配者層の雑誌『スペクテーター』の買収も行った。これは、ホーリンガー社がテレグラフ・グループ社を買収した少し後のことである。
 1990年7月9日、『スペクテーター』は、扇動的な反ドイツの記事を掲載した。その記事を書いたのは、サッチャーの貿易産業相ニコラス・リドリーであった。
 リドリーは、ヘルムート・コール首相が、ドイツの再統一に向けたバックアップを行っていることについて、激しく非難していた。リドリーは、コールはアドルフ・ヒトラーと同じだと主張し、再統一したドイツを“第四帝国”と呼んでいた。その記事は論争を巻き起こし、リドリーはまもなく辞職に追い込まれた。
 サッチャーは、『回顧録――ダウニング街の日々』の中で、「ドイツの再統一を妨害するためには何でもやるというのが、大英帝国の方針である」と認めている。リドリーは、単に、サッチャー、ブラック、英米連邦の指令を受けていたにすぎないのである。


●実力者グループ

 ホーリンガーとその子会社の取締役会、顧問委員会には、英米連邦実力者グループの正真正銘の名士たちが名を連ねている。ブラックのように、政策の形成に携わっているような人物から、アングロ・イスラエルのスパイ、リチャード・パールのような“農業労働者”まで様々である。以下のリストは、その中の一部である。

○コンラッド・M・ブラック
 カナダ枢密院、クイーンズ・カウンセル、ホーリンガー社/ホーリンガー・インターナショナル社/ホーリンガー・カナディアン・パブリッシング・ホールディングズ社/テレグラフ・グループ社/サウサム社 以上の会社の取締役会長兼CEO、1001ネーチャー・トラスト、ニューアトランティック・イニシアチブ

○バーバラ・アミール・ブラック
 コンラッド・ブラックの妻、ロンドン・エディトリアル副会長、ホーリンガー社取締役、ホーリンガー・インターナショナル社取締役

○R・ドナルド・フュラートン
 カナダ帝国商業銀行経営委員会会長、ホーリンガー社取締役

○マーガレット・サッチャー男爵夫人 LG,OM
 グレートブリテン&北アイルランド首相(1979-90)、ホーリンガー・インターナショナル社上級国際顧問

○ヴァレリー・ジスカール・デスタン 元フランス大統領(1974-81)、ホーリンガー・インターナショナル社顧問

○ピーター・ルーパート・キャリントン卿 KG,GCMG
 ホーリンガー・インターナショナル社上級国際顧問、テレグラフ・グループ社取締役

○ヘンリー・A・キッシンジャー KCMG
 元アメリカ国務長官、元大統領外国情報諮問委員会委員、ホーリンガー・インターナショナル社上級国際顧問兼取締役

○ジョバンニ・アニェリ博士
 フィアット社名誉会長、ホーリンガー・インターナショナル社国際諮問委員会

○ドゥエイン・O・アンドレアス
 アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド社会長、ホーリンガー・インターナショナル社国際諮問委員会

○デビッド・ブリンクリー
 ABCニュース上級特派員(1981-97)、ホーリンガー・インターナショナル社国際諮問委員会

○ウィリアム・F・バックリー
 『ナショナル・レビュー』無任所編集主幹、ホーリンガー・インターナショナル社国際諮問委員会

○ニュート・ギングリッチ
 元アメリカ下院議長(1995-98)、ホーリンガー・インターナショナル社国際諮問委員会

○ハンソン卿
 ハンソン社(ロンドン)会長、ホーリンガー・インターナショナル社国際諮問委員会

○リチャード・パール
 アメリカ国防相次官補(国際安全保障政策担当)1981-87、アメリカン・エンタープライズ研究所上級特別研究員、ホーリンガー・インターナショナル社国際諮問委員会兼取締役、エルサレムポスト・パグリケーションズ社取締役、ホリンガー・ディジタル社会長

○ジェイコブ・ロスチャイルド卿
 ジェイコブ・ロスチャイルド・ホールディングズ社会長、ホーリンガー・インターナショナル社国際諮問委員会

○ポール・A・ボルカー
 ジェームズ・D・ウォルフェンソン社会長(1988-96)、アメリカ連邦準備制度議長(1979-87)、三極委員会北アメリカ議長

○リチャード・バート
 インターナショナル・エクイティ・パートナーズ会長、ソ連との戦略兵器削減交渉における主任交渉官、ホーリンガー・インターナショナル社取締役

○A・アルフレッド・トーブマン
 トーブマン社会長、サザビーズ・ホールディングズ社会長、ホーリンガー・インターナショナル社取締役

○チェルシーのウェイデンフェルド卿
 ウェイデンフェルド&ニコルソン社(ロンドン)会長、ホーリンガー・インターナショナル社取締役、エルサレムポスト・パブリケーションズ社取締役

○クランボーン子爵
 元イギリス上院院内総務、テレグラフ・グループ社取締役

○ルーパート・N・ハンブロ
 JOハンブロ社会長、元イギリス特別作戦執行部役員、テレグラフ・グループ社取締役

○ヘンリー・N・L・ケスウィック
 マテソン社会長、ジャーディン・マテソン・ホールディングズ社(ロンドン)会長、テレグラフ・グループ社取締役

○ワートナビー卿
 英国航空社長、バブコック・インターナショナル・グループ社(ロンドン)社長、テレグラフ・グループ社取締役

○ユーエルのローリンソン卿
 枢密院、クイーンズ・カウンセル、イギリス法務次長(1962-64)法務総裁(1970-74)

○サー・イーヴリン・ロスチャイルド
 N・M・ロスチャイルド・アンド・サンズ社(ロンドン)、テレグラフ・グループ社取締役

○レイモンド・G・H・セイツ
 リーマンブラザーズ社上級専務理事、元駐イギリス・アメリカ大使、テレグラフ・グループ社取締役

○シュロモ・ガジット少将
 テルアビブ大学ジャッフェ戦略研究センター上級研究員、イスラエル軍事情報機関長、エルサレムポスト・パブリケーションズ社取締役


調査書類2:IAD、マードック、NAI、CSIS
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調査書類3:X委員会、ヘリテージ財団、ゴア株式会社
blog-entry-302.html

調査書類4:首席委員会、英米連邦、下院政策委員会
blog-entry-303.html

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大英帝国の頭脳 王立国際問題研究所(RIIA)とは? ※チャタムハウス(Chatam Hous)
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