HKS魚拓

一時メモ

1530年 聖ヨハネ騎士団がマルタ島を領有する(マルタ騎士団)。

1534年 イエズス会創設

1549年 イエズス会のフランシスコ・ザビエルが、現在の鹿児島市祇園之洲町に来着

1566年 法王ピウス5世によって、サンタ・アリアンザが創設

1602年 オランダ東インド会社設立

1609年に薩摩藩が琉球侵攻した後、宣教師の移動のための マニラ→台湾→那覇(琉球)→鹿児島(薩摩)ルートが開発される。

1648年
ヴェストファーレン条約により三十年戦争終結(ヴェストファーレン体制)。 オランダとスイスの独立が承認される。スウェーデン・プロイセン・フランスの領土拡大。
1717年 フリーメイソンが近代化に舵を切る
1727年 300人委員会設立?
・イギリス東インド会社の300人会議に基づいて作られた。
・麻薬貿易によって築いた富を元に、英国貴族が作り上げた。

1769年
ロスチャイルド家を勃興させたのはマイアー・ロートシルト(1744-1812年)は、1760年代からフランクフルトで古銭商を始め、やがてフランクフルト近くのハーナウの宮殿の主であるヘッセン=カッセル方伯家嫡男ヴィルヘルムを顧客に獲得し、1769年にはその宮廷御用商に任じられた。

1773年 イエズス会解散命令
初代ロスチャイルドが12人の実力者を招いて全世界の支配権を得るための秘密会議を開催。

1776年 イルミナティ創設
1832年 スカル・アンド・ボーンズ設立(アメリカ)
・WASPのみで構成された米国版イルミナティ
・アヘン貿易で巨万の富を得た有力商人が中心
・のちにOSS(CIAの前身)を設立

1835年 AFP通信設立(フランス)
1846年 AP通信設立(アメリカ)
1849年: 電話: アントニオ・メウッチ
1851年 ロイター通信設立(イギリス)
・ロイター通信からMI5、MI6ができ、MI6の指導を受けてCIAやモサドができる。

1860年、J・P・モルガン・アンド・カンパニーを設立

1861年 イタリア王国が成立
・イタリア統一によりローマ教皇領がバチカンのみに

1867年 普墺戦争に勝利したプロイセン王国はトゥルン・ウント・タクシス郵便を買収して北ドイツ連邦郵便に組み込んだ。1871年にドイツ帝国が成立すると北ドイツ連邦郵便はドイツ帝国郵便となった。この帝国郵便はプロイセン領邦郵便を発祥とするため神聖ローマ帝国の帝国郵便とは別物であるが、ドイツにおける帝国全域を覆う郵便網を持つという意味では同じである。

1868年 明治維新

1870年 プロシアのフリッシュとヒッツィヒの二人が、生きた動物の脳に初めて(?)電気を流す
スタンダード・オイルが設立される。

1881年 日本で憲兵設置

1891年 円卓会議が結成(イギリス)
・創始者セシル・ローズ(デビアス社)。のちに、アルフレッド・ミルナーが実権を握る。
(のちに円卓会議が発展して、1919年RIIA王立国際問題研究所に)

テスラコイル: ニコラ・テスラ

1892年 英国のランソン(W.B.Ranson)の研究が発表されてから、人間の脳へに対する合意の元での人体実験が本格的に始まる 
モルガンはエジソン・ゼネラル・エレクトリックとトムソン・ヒューストン・エレクトリックを合併、ゼネラル・エレクトリックを誕生させた。こうしてモルガンの自邸は個人の家として初めて電灯が灯った。

1893年 二コラ・テスラが無線トランスミッターを発明する。
同調式無線通信: ニコラ・テスラ (The True Wireless)1895年 
無線電信: グリエルモ・マルコーニ

ローズ奨学金発足(イギリス)
・セシル・ローズの莫大な資産を元にした奨学生制度。
・英国の利益を守る為のスパイ養成機関。
・MI6やモサドは、ここから多数の若者をリクルートしてきた。

1894年~1895年 日清戦争

1897年:
・テオドール・ヘルツルがスイスのバーゼルにて第1回シオニスト会議を開催。「シオニズムはユダヤ民族のためにパレスチナの地に公法で認められた郷土を建設することを目的とする」というバーゼル網領が採択される。
・ロンドンにマルコーニ無線会社が設立

1900年 ジョン・モルガンは、ニコラ・テスラのすすめで、グリエルモ・マルコーニの無線通信実験にウォーデンクリフ・タワーの建設費を含めた15万ドルを融資した。条件は特許利益の半分。実験は大西洋をまたにかけて行われた。マルコーニの無線はやがて世界を席巻する。テスラは契約してすぐに欲を出した。事業を無線送電に拡大したいというのである。しかしモルガンは契約違反と解釈した。融資が途絶えて1906年にタワー廃業となった。

1902年 イギリス学士院設立。
1904年~1905年 日露戦争

1907年 世界金融危機
1909年 MI6(イギリス情報局秘密情報部SIS)設立
ドイツの神経学者コルビニアン・ブロードマン氏が、世界初の脳地図「ブロードマンの脳地図を作製」

1910.年 NYのコールドスプリングハーバーに優生記録局にカーネギー財団が資金援助。その三年後には、ロックフェラー財団が資金援助。「ロックフェラー財団は、ナチスのエルンスト・ルーディン博士によるベルリンのカイザー・ヴィルヘルム脳研究所における優生学研究にも資金供与」。

1911年 日本で特別高警察が設置される

1913年 FRB設立(アメリカ)
ラジオ受信機: アーンスト・アレキサンダーソン、レジナルド・フェッセンデン

1914年~1918年 第一次世界大戦

1916年 NSAはリバーバンク遺伝子研究所遺伝子情報解読部が暗号部として独立、英MI6を手本に当初MI8と呼ばれヒトラー支援及びIGファルべンと共同で生物化学兵器研究しアウシュビッツ使用ガス•チクロンB開発。IGファルベン本社内にNSA欧州本部があった。NSAは元々ナチス一部。
https://twitter.com/takayukiway/status/359701327674220547

サイクス=ピコ条約

1917年 NSAの原型である暗号解読組織「ブラック・ チェンバー」(MI-8)が設立
ソビエト連邦誕生

バルフォア宣言

1918年 第一次世界大戦終結

1919年 ナチスの前身ドイツ労働党が設立
円卓会議グループとローズ奨学金グループとの間で、RIIAとCFRの設立が決まる
王立国際問題研究所(RIIA)設立(イギリス)
・別名チャタムハウス。
・英国王室の外交政策推進を担う。

1919年 コモンウェルス基金とロックフェラー財団からの資金提供を受けたクリフォード・ビヤーズが、「WFMH[世界精神衛生連盟]の前身である、国際精神衛生委 員会(ICMH)を結成。

モスクワでボリシェビキとユダヤの合同会議が開かれ、日支闘争計画案が採択される。

日本:関東軍設立

1920年 国際連盟設立
マグネトロンの原型をゼネラル・エレクトリック社の Albert Hullが発明

KDKA局、世界最初のラジオ放送開始(アメリカ)
※1920年~2020年の100年が重要です。

ジョン・ロウリングス・リーズ准将の指示の下、タヴィストック医学心理学研究所(TIMP)が心理戦の研究を切り拓く。そこでは英軍の心理戦闘局が、紛争と心理的ショックを人間の大集団の操作と管理にどのように利用できるか突き止めるために、英軍兵士に対する重篤なストレスと砲弾ショック(戦争神経症)の影響を研究し、人は「どこまでいったら壊れるか」の限界を調べた。

優生学 運動(人種的純粋性の探求)が西側諸国に広がる。

1921年 外交問題評議会(CFR)設置(アメリカ)
・円卓会議グループの一部門として発展

1925年 日本初のラジオ放送、東京放送局、大阪放送局、名古屋放送局、ラジオ放送開始
太平洋問題調査会(IPR)設立

エルンスト・ルーディン博士が所長を務めるミュンヘンのカイザー・ヴィルヘルム精神医学研究所にロックフェラー財団が資金提供。更にハリマン家、ウォーバーグ家、英王室も資金提供。ロックフェラーは第2次世界大戦中、ずっと同研究所とナチス指導部への資金提供を続けた。 ロックフェラー財団の助成金で国際教育ビューローが誕生

1926年 八木アンテナ特許取得
社団法人日本放送協会設立。ナショナル放送会社(NBC)設立(アメリカ)

1927年:イギリス放送協会(BBC)設立。コロンビア放送会社(CBS)設立(アメリカ)

1928年 オプス・デイが、スペインで創設

1929年 世界大恐慌
脳波 (EEG): ハンス・ベルガー

1930年 国際決済銀行(BIS)設立(スイス)
国際精神衛生委員会 ICMHの 第一回精神衛生国際会議がワシントンDCで開催され、4000人以上の参加者を集めた。

1931年:東京放送局、ラジオ第2放送開始
(昭和6)9月18日 満州事変

1932年 ロックフェラー財団マックス・メイソン理事長が「社会科学(複数形)は社会のコントロール、人間の行動のコントロールの合理化に関わっていくだろう」と信託者たちに告げた。
カイザー・ヴィルヘルム精神医学研究所のナチ所長エルンスト・ルーディン博士が、世界優生学連盟理事長に任命された。

タキスギー研究
アラバマ州タスキギーで行われたことからタスキギー研究と呼ばれる人体実験は1932年秋から1972年まで行われた。
米公衆衛生局の医師たちは被験者である貧しい黒人小作農夫600人に梅毒を注射した。
医師たちは、399人を「実験」、201人を「コントロール」に分け、「実験」の399人には治療を行わず、梅毒の進行過程を観察した。
タスキギー梅毒人体実験とも呼ばれるこの行為が40年間にわたって行われたのだ。
http://enzai.9-11.jp/?p=6192

(昭和7)年5月15日 五・一五事件(海軍青年将校らによるクーデタ事件)

1933年 ジュリアン・ハクスリーが論文「優生学の致命的な重要性」を発表
(カナダ)ブリティッシュ・コロンビアの性的断種法が成立。1970年代にその法律の無効化を助けた元保健大臣デニス・コックいわく「一つの職業が一人の人間を人間以外の存在と判定できるというのはおぞましいことだと、私と同様、多くの人々が考えた」。

ナチスドイツ
パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領によって「宣伝省設置法」 (de:Reichsgesetzblatt、 I, S. 104) が公布された。

満洲国において新聞聯合社と電通の通信網を統合した国策会社「満洲国通信社」(国通)が創立。同社は新京に本社を置き里見甫を主筆として活動していた。

大日本帝国が国際連盟脱退

1935年、イギリス空軍大臣は無線研究局のロバート・ワトソン=ワットに「死の光線」が可能であるかどうかを尋ねた。彼と同僚のアーノルド・ウィルキンスは速やかに結論を下した。それは実行不可能であったが、なりゆきから航空機の探知のために無線を使うことを提案し、これはイギリスにおけるレーダー開発の始まりとなった。
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%8C%87%E5%90%91%E6%80%A7%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E5%85%B5%E5%99%A8_%E6%AD%B4%E5%8F%B2

マイクロ波レーダー: ロバート・ワトソン=ワット
ドイツ、ベルリンで世界最初のテレビ放送開始。フランス郵政省、テレビ実験放送開始

1936年 フォード財団設立
BBC、テレビ放送開始(イギリス)
226事件(陸軍は秩父宮を担ごうとしたが未然に防がれる)

1937年 ICMHの第2回精神衛生国際会議 開催。

モスクワ放送局、テレビ放送開始(ソ連)

1937年~1945年 日中戦争

1939年 第二次世界大戦勃発
(昭和14)5~9月 ノモンハン事件

1940年 大政翼賛会が結成、日独伊三国同盟結成、731部隊設立

日本で情報局設置
情報局(じょうほうきょく)は、1940年12月6日に発足し、戦争に向けた世論形成、プロパガンダと思想取締の強化を目的に、内閣情報部と外務省情報部、陸軍省情報部、海軍省軍事普及部、内務省警保局検閲課、逓信省電務局電務課、以上の各省・各部課に分属されていた情報事務を統一化することを目指して設置された日本の内閣直属の情報機関である。

シカゴで400人の囚人をマラリアに感染させて新薬の人体実験。後にニュルンベルグで公判中のナチの医者がホロコースト正当化のため、この人体実験を引き合いに出す。

9月27日 日独伊三国同盟

(昭和15)10月 大政翼賛会発足

1940年代. 「オトマー・フェルシューアーとアシスタントのヨゼフ・メンゲレ博士が特別裁判所向け報告書を共同執筆。それにより、アーリア人と非アーリア人の違法な同居を禁ずるルーディンの人種純粋法が施行された。1940年代初頭、スタンダード・オイル社とIGファルビン社の特許を活用して強制収容所の奴隷労働で石炭からガソリンを作るため、アウシュヴィッツに巨大な工場が建設された。SSはユダヤ人その他の囚人を警護し、奴隷労働に適さない者たちを殺すために選抜した。

1940年代初期、枢軸国の技術者は音波砲を開発した。

1941年
WNBT局、世界最初の商業テレビ放送開始(アメリカ)
12月:日本軍の真珠湾攻撃(太平洋戦争始まる)

アメリカで、「情報調整局OCI」(Office of the Coordinator of Information)設立。


日本発送電、全国九ブロック体制を敷く。

1942年6月に、「情報調整局OCI」が、「戦略事務局OSS」(Office of Strategic Services)と「戦争情報局OWI」(Office of War Information)とに分割した。

9月 :マンハッタン計画が正式発足
11月:ロスアラモス研究所が発足

1943年 英米通信傍受協定(ブルサ協定)が結ばれ、エシュロン・システムの原型が誕生

ニコラ・テスラ死去

ロックフェラー財団がモントリオールのマクギル大学アレン記念研究所に資金提供。カナダ軍やOffice of Strategic Services(OSS。1947年にCIAとなった)で働いていた(イーウェン・)キャメロン博士は、さまざまなマインドコントロールテクニックを極めるため、拷問の人体実験をした。その洗脳手法には、強制的な拷問、精神外科手術、麻薬、催眠術、「短期間におこなう 30ー60回の電気ショック」が含まれていた。同時に不安をコントロールするための強力な精神安定剤も使われた。
キャメロンの言い訳は、彼の患者たちは「共産主義下の囚人と同じように抵抗しがちなので、ブレイクダウンさせなければならなかった」。1989年の本 『狂気への旅路:CIAの秘密マインドコントロールと医学的虐待の真実』Journey Into Madness: The True Story of Secret CIA Mind Control and Medical Abuse を参照。

ヨゼフ・メンゲレがアウシュヴィッツ強制収容所の医学司令官に任命される。
(戦後は英米諜報機関の「ペーパークリップ計画」で西側に移送され、マインドコントロール研究を続けた)

1945年 第二次世界大戦終結
1945年: 核兵器(連鎖反応の理論は1933年に確立していた): マンハッタン計画
広島と長崎に原子爆弾

ペーパークリップ作戦

GHQが(1952年まで)日本に設置される

国際連合設立(→世界銀行、IMF、WTO)

※戦時中の日本は、海軍の第二海軍技術廠島田実験所、陸軍登戸研究所、陸軍中野学校などで電磁波兵器を開発していたが、そのデータは戦後GHQなどにより、米軍に資料が没収される。何人かの優秀な研究者も、戦後米国に渡る。

ソ連情報機関の歴史
blog-entry-322.html

大日本帝国の特務機関 その他 ※メモ
blog-entry-325.html

日本の近代戦争 簡易年表 
blog-entry-316.html

ナチスドイツの原型
blog-entry-285.html

情報機関の一覧 メモ
blog-entry-317.html

英国、米国、フランス、ロシア、日本、ドイツ、イタリア、その他。


日本の軍と情報機関の歴史

戦前:軍の3つの主要な諜報機関は陸軍、海軍、そして外務省によって統轄されていた。国内は、憲兵や特高警察が国民の思想を監視した。大政翼賛会の隣組は、戦後町内会に移行した。
戦後:GHQ、CIA,NSA,公安、自衛隊の情報担当部隊、在日米軍の情報担当部隊が国民の思想を監視。

1868年 明治維新
明治維新によって江戸幕府が崩壊し、新たに薩長土肥が主導する明治政府が誕生すると、諸藩の兵(藩兵)が治安維持に当たった。しかし、藩兵は純然たる軍隊であり、警察ではなかった。

1871年 東京府に 邏卒(らそつ)3,000人が設置されたことが近代国家警察の始まりとなった。邏卒には薩摩藩、長州藩、会津藩、越前藩、旧幕臣出身の士族が採用された[5]。同年、司法省警保寮が創設されると、警察権は同省に一括され、東京府邏卒も同省へ移管された。

1873年 (明治6年)11月10日:内務省が設置される。

1874年 薩摩藩出身の川路利良は天皇を中心とする中央集権国家にふさわしい警察制度研究のため渡欧し、フランスの警察に倣った制度改革を建議した。司法省警保寮は内務省に移され、1874年に首都警察としての東京警視庁が設立された。 以後の警察は、国家主導体制のもと、管轄する中央省庁の権限委任も多く行われたが、最終的に内務省に警察権が委任され、内務省方の国家警察・国家直属の首都警察としての警視庁と、各道府県知事が直接管理下に置く地方警察の体制に落ち着いた。

1881年 憲兵設置
1933年に大阪市の天六交差点で起きたゴーストップ事件(天六事件)にて、陸軍と警察の大規模な対立が起こり、その後、現役軍人に対する行政措置は警察ではなく憲兵が行うこととされるようになり、軍部が政軍関係を超えて次第に国家の主導権を持つきっかけのひとつとなった。
(明治14年)に陸軍(長州閥)が憲兵制度を創設した目的の一つは、警視庁(薩摩閥)を牽制するためであったといわれる。

1885年(明治18年)12月22日:逓信省(第1次)が設置される。

1894年~1895年 日清戦争
1903年 陸軍の初期の特務機関が設立
1904年~1905年 日露戦争
1911年 特高警察設置
1914年~1918年 第一次世界大戦
1919年 関東軍設立
1931年(昭和6)9月18日 満州事変
1932年(昭和7)年5月15日 五・一五事件(海軍青年将校らによるクーデタ事件)
(昭和7年)8月、陸軍軍医学校防疫部の下に石井四郎ら軍医5人が属する防疫研究室(別名「三研」)が開設された。それと同時に、日本の勢力下にあった満州への研究施設の設置も着手された。そして、出先機関として関東軍防疫班が組織され、翌1933年(昭和8年)秋からハルビン東南70kmの背陰河において研究が開始された。この頃の関東軍防疫班は、石井四郎の変名である「東郷ハジメ」に由来して「東郷部隊」と通称されていた。
1933年 大日本帝国が国際連盟脱退
1936年(昭和11)年2月26日 二・二六事件(陸軍皇道派青年将校によるクーデタ事件)
(昭和11年)4月23日、当時の関東軍参謀長 板垣征四郎によって「在満兵備充実に対する意見」における「第二十三、関東軍防疫部の新設増強」で関東軍防疫部の新設が提案され、同年8月には、軍令陸甲第7号により正式発足した。関東軍防疫部は通称「加茂部隊」とも呼ばれており、これは石井四郎の出身地である千葉県山武郡芝山町加茂部落の出身者が多数いたことに由来する。この際同時に関東軍軍馬防疫廠(後に通称号:満州第100部隊)も編成されている。1936年12月時点での関東軍防疫部の所属人員は、軍人65人(うち将校36人)と軍属105人であった。部隊規模の拡張に応じるため、平房(ハルビン南方24km)に新施設が着工され、1940年に完成した。

1937年~1945年 日中戦争
1938年 (昭和13年)3月に「防諜研究所」を設立。同年7月より特種勤務要員(第一期学生19名)の教育を開始した。1939年(昭和14年)5月に同研究所は「後方勤務要員養成所」に改編、7月には第一期学生の卒業を迎える。1940年(昭和15年)には「陸軍中野学校」と改名し、1941年(昭和16年)には参謀本部直轄の軍学校へ転身する。その存在は陸軍内でも極秘とされていた。
1939年(昭和14)5~9月 ノモンハン事件
1940年9月27日 日独伊三国同盟
(昭和15)10月 大政翼賛会発足
(昭和15年)4月の関東軍情報部創設にともないハルピン特務機関が「情報本部」となり、その他の各地特務機関は情報支部となる。
(昭和15年)7月、軍令陸甲第14号により、関東軍防疫部は「関東軍防疫給水部(通称号:満州第659部隊)」に改編された。そのうちの本部が「関東軍防疫給水部本部(通称号:満州第731部隊)」である。

12月、第2次近衛内閣は、総力戦態勢を整備するため「挙国的世論の形成」を図る目的で情報局を成立させた。当初は内閣情報部に、外務省・内務省・逓信省・陸軍省・海軍省の情報・報道関係部門を統合させ情報収集・統制・発信の一元化をめざしたが、陸軍と海軍は、大本営陸軍部・海軍部に報道部を設置したほか、陸軍省には報道部、海軍省には軍事普及部を設置するなど、情報局への協力姿勢や権限移譲の意志がまるで無く、その結果、情報局は内務省警保局検閲課(旧図書課)の職員が大半を占めて、検閲の実務を遂行していた。局舎は当初、接収した帝国劇場が充てられたが、1942年2月には三宅坂の参謀本部庁舎に移転しており、間もなく、霞が関の内務省庁舎5階(警保局のある階)に再移転している。

1941年~1945 太平洋戦争(第二次世界大戦)
1943年(昭和18年)11月1日:逓信省(第1次)と鉄道省が廃止されて、運輸通信省が設置される。
1945年(昭和20年)5月19日:運輸通信省が廃止されて、運輸省と逓信院が設置される(逓信院は内閣に設置)。
1945年 敗戦
第二次世界大戦後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により、それまでの中央集権的な警察組織が廃止され、1948年に旧警察法が定められる。旧法では、地方分権色の強い国家地方警察と自治体警察の二本立ての運営で行われるが、1954年には現・警察法に改正され、国家行政組織の警察庁と地方組織の警視庁・道府県警察に統一されて今日に至っている。

なお、この間、1938年、厚生省が内務省から分立し、衛生業務は保健所に移管された。消防業務に関しては、1948年、国家行政組織として消防庁が設置され、消防は警察から独立し、自治体消防制度が発足した。宮内省皇宮警察部は禁衛府皇宮警察部、警視庁皇宮警察部、国家地方警察本部、皇宮警察府と変遷して警察庁の附属機関の皇宮警察本部に落ち着いた。



1950年 (昭和25年)8月10日にGHQのポツダム政令の一つである「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)により設置され警察予備隊が発足。1952年(昭和27年)10月15日に保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組されて発展的解消をした。
(昭和25年)6月1日:電気通信省から電波と放送の監督行政が、総理府の外局として新設された電波監理委員会に移管置される。1954年 日米相互防衛援助協定が締結、自衛隊法成立

7月1日、航空自衛隊が発足する。初年度の保有機はT-34練習機56機、T-6練習機63機、T-33Aジェット練習機、C-46輸送機16機、KAL-2連絡機1機の陣容でどれもアメリカ空軍の供与機であった。

1952年(昭和27年)8月1日:地方自治庁が廃止されて、自治庁が設置される。電気通信省が廃止され現業業務は日本電子電話公社となる。電波監理委員会が廃止され、電気通信省の監督業務とともに郵政省に統合される。国家消防庁を改組して、国家公安委員会に国家消防本部が設置される。

1957年(昭和32年)
8月1日には内閣法(法律)の一部改正、内閣官房組織令(政令)の施行及び総理府本府組織令(政令)の一部改正により、内閣総理大臣官房調査室が廃されるとともに、内閣官房の組織として内閣調査室が設置された。

1997年(平成9年)1月20日 アメリカ国防情報局(DIA)を参考に防衛省情報本部が設置

2001年(平成13年)の中央省庁再編により、自治省、郵政省、総務庁を統合して総務省が設置された。総務省という名称は戦後、GHQによって解体、廃止の危機に瀕した内務省が、名称変更で済ませるために考案した、新名称案の一つである。

※集団ストーカーシステム解明に、重要な要素だけ取り上げています。

47年 9月 米中央情報局(CIA)発足
 50年 8月 警察予備隊発足
 52年 4月 内閣官房調査室(内調)発足 (第3次吉田内閣)
  同年10月 米国家安全保障局(NSA)発足
 54年 7月 防衛庁・自衛隊発足
 57年 8月 内閣官房調査室が内閣調査室に (第1次岸内閣)
 58年 4月 陸幕二部別室(二別)発足
 78年 1月 二別が調査部別室(調別)に
 83年 9月 大韓航空機撃墜事件で電波傍受記録公表
 86年 7月 内閣調査室が内閣情報調査室に (第2次中曽根内閣)
   同    合同情報会議発足
 97年 1月 防衛庁情報本部発足(調別を吸収)
 98年10月 内閣情報会議発足
 01年 1月 内閣情報官新設
 01年 4月 内閣衛星情報センター発足
 08年 4月 カウンターインテリジェンス・ センターを設置

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%AE%E7%9B%B8%E4%BA%92%E5%8D%94%E5%8A%9B%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E6%9D%A1%E7%B4%84

日本国内のテクノロジー犯罪は1960年代からであり、自衛隊も関与している。米軍に組み込まれた自衛隊が、在日米軍監視のもと、下請け組織も利用し日米合同で始めたのではないのか。

ソ連諜報機関の歴史

1880年 ロシア帝国ニコライ2世は、秘密警察アフラナを設けた。
1917年、ドイツ帝国陸軍参謀本部の特別封印列車でロシアに送り込まれたウラジミール・イリイチ・レーニン(1870~1924)は、ロシア革命を成功させ、内務人民委員部(NKVD)を設けアフラナ機関同様に活用した。

1917年 組織をさらに強化して全ロシア非常委員会を1917年に創設、これがソ連崩壊までのKGBの原型でベーチェーカーと呼ばれた。

1921年、ベーチェーカーは国家政治保安部(GPU)と改称。

1923年 ソ連邦憲法制定を機に周辺共和国をも支配下に置く合同国家政治保安部(OGPU)に改組した。
1924年 ヨシフ・スターリン(1878~1953)のもとでさらに拡大を続けた。1953年にスターリン首相が死去するまでには、国家保安監理本部(UGB)が新規に加わり、ソ連邦の内外情報機関は活発肥大化の道をたどる。

1938年、 情報機関を分割統合して、国家人民保安部(NKGB)を誕生させた。第二次大戦後、それまでのNKGBは国家保安局(MGB)に、そしてNKDVは内務省(MVD)に改称した。スターリンはMGBの対外情報工作部門を、そしてさらに軍部の情報管理本部(GRU)を、それぞれ別扱いにしながら自在に操作した。1954年にラヴレンチー・べりア(1899~1953)が国家保安省(KGB)にそれらを再編統合する。

1990年のソ連邦崩壊でKGBは連邦保安官(FSB)に改称、そして現在も世界最大の超情報機関として君臨している。

※レーニンを送り込んだドイツ帝国の当時の皇帝は、ヴェルヘルム2世です。

MI6,CIA,KGB、モサドが裏で繋がっていると分かると、世界的な集団ストーカーネットワークが見えてきます。やはり、英国とドイツに行き当たります。

◆元ナチス党員が作った諜報機関 『BND(ドイツ連邦情報局』
https://blog.goo.ne.jp/siroi_1956/e/9dbd766dadd61ea357ca0d19b7ea2ff9
※現在のドイツではBNDがテクノロジー犯罪に関与しています。

もう1つ大切なのが、騎士団と円卓会議人脈です。
英国とドイツを繋いでいるのがここです。厳密には、王族の血統で結ばれているのです。そして、日本の皇室もこの王族ネットワークに組み込まれています。

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