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集スト宗/テク犯宗の二項対立に於ける擬態的罠 その2

・集スト宗/テク犯宗の二項対立に於ける擬態的罠 その2
この数年、自分でも後で驚くような誤字脱字、ケアレスミスや錯誤が多い。ブログでもそれは頻出する。気が付つき次第修正するが、単純だけに.、印象としてちょっと痛かったりする。

中には無耳法師の浅学による完全な思い違いもあるが、多くは単なる思い違いとはやや性質が異なる。認知の問題として、解っていながら何故か脳内でそれが正しいと勝手に誤変換されたりもするからだ。

同様な被害者も結構いるだろうと思う。


そういう時は、耳鳴りや一種のデジャブ感があるので、ある程度結果は予想がつく。回避すべく出来る限り下調べや用意はするが、既にそれがバイアス内のことなので、予想外の所で裏をかかれたりする。

それも手口として電子的であろうと、目的として認知バイアスの罠なのである。意識や認識の操作・支配は経験的にも常に体感する所だ。

言い訳はしない。というよりできない。それさえも、風評工作や印象操作のネタにされるからだ。つまりそれもダブルバインドだ。

実際既に幾つか、姑息な工作(ほのめかし等)が他ブログでなされている。

ともあれ、別に自己顕示の為に書いてる訳ではないから、最悪、閲覧する被害者には意図する所を理解してもらえればそれでいいと考えている。


それ以前の事として、この一年挑発的印象・すり替え工作は断続的になされている。

いつもながら、自己ブログでレトリカルに言い訳と挑発を兼ねては、自身のアリバイ工作とターゲットの被害激化や、ギャラリーの不評を喚起する類だ。(フレーミング効果)

二項対立の作為から生起する、擬態によるダミー効果を期した一石二鳥で、それが自らの偽善的「被害アリバイ」ともなるからだ。それは同時にすり替えの技法でもある。

それは呼応するかのように変化する、被害周辺環境からも窺えるとだけ述べておく。以前述べた、本質敵>現象敵というのはそういう意味なのである。

挑発してカルトのみならず、防犯ネットからの攻撃をも激化させる意図が窺える。その為には、自らの正体も半ばほのめかしてきたりする。語るに落ちるとはこのことか。

どうも端から、ある程度のシナリオとマニュアルがあるようだ。これも結局罠として、作為的二項対立による認知バイアスの操作なのだが。


俗にも「頭隠して尻隠さず」と謂う。寸の足りないボロ切れで、ウザイ頭を隠そうとすればする程、醜い尻を却って露呈するのである。

或いは「莫見乎隠 莫顕乎微」(隠れたるより見はるるはなし。微かなるより顕かなるはなし。)とも謂う。中庸章句にある。

概してこの種の連中は、極めて機を観るに敏なので、糊塗する為、常に先手先手と先走る。おそらくパソコン情報の搾取もしているのだろうが、それが却って仇になるのを知らない。


この連中は公安系紐付で、しかも創価末端と思われる。或いは一部大本系<統一系も加担している可能性もある。どちらも末端では公安岡っ引きだからだ。

以前奴等から罠を掛けられ、加害行為を受けたが、それには理由がある。

何故なら無耳法師がブログで唱える所で、奴等が反発する、或いは糊塗したい論点として、警察の加担と事実上の被害不受理のジレンマが、現実問題として浮き上がってくるからだ。

この論点は、「警察/カルト」の作為的二項対立二律背反の問題から、演繹的に導かれる。

「警察/カルト」の二項対立二律背反関係とは、価値として以下の如く要約できるだろう。

警察=法の番人=善=味方/
カルト=反社会組織=悪=敵

(*しかもカルト=創価に限定される。また左右の立場によっては、その善悪価値が逆転するが、今は措く。)

無耳法師はこの関係項の価値を含めた虚偽と誤謬を主張する。あくまで通底>両建による、作為的擬態にすぎないと判断するわけだ。それは経験的(被害体験)にも帰納できることだからだ。

あくまで警察(機構)を信じたい一部被害者にとっては、それは直視したくない論点だ。それがギャラリー不評の原因である。換言して認知的不協和を喚起している。

無耳法師にとって、それは必ずしも不本意とばかりは云えない。論点と真の敵が炙り出されるからだ。


無耳法師は「臭いものに蓋をする」のは嫌いな性分だ。よく他の被害者を委縮させると言われるが、不都合なものから目を背けるのは、正常性バイアスの狭隘にすぎない。寧ろそこが問題なのだ。活動を停滞させる。

そんな同調圧力で、どれだけ言葉を飲み込んできたことか。政治的・宗派的バイアス(紐付)に支配された、所謂「界隈」での付き合いは一切断ったので、もはや無耳法師の知る所ではない。

闘う気のある被害者だけに、まずは論ずべきことを述べていくだけだ。但し雑音は聞きたくない。無耳法師たる所以である。

その言葉を肯定するも否定するも、それぞれの勝手である。今、二三のブログが反応(反発)してきている。結構なことだと思う。
陰湿な策謀・工作で邪魔者を蔭で始末するよりは、至って真面(まとも)なことである。



公安系紐付連中が、一部被害者(主に保守系)を誘導したい2つの同時命題がある。

命題1「警察を頼るしかありません。」
命題2「警察は決して助けてくれません。」

この2つの命題が被害者に同時に強制される。まさにダブルバインドだ。この矛盾した同時定立の隘路に被害者一般を誘導して嵌めるのが、この連中の目的だからだ。

それ故にこそ、メンバーには敢えて「反警察」(反公安)の口吻をも漏らすバランサー(マッチポンプ要員)もいる。その存在も二律背反の作為から言って、凡そ構造的なのである。

「警察/カルト」の二項対立二律背反の作為から、両項は外部にあって、寧ろ互いに罪を擦り付け合うのがスタンダードである。相互マッチポンプ機能であり、互いが「偽旗」になる旨味がある。相互ダミー効果だ。

それを同一紐付グループ内部でも、意図的に二項対立二律背反を喚起するのだ。バランサーの役割がそれだ。つまりダブルスタンダード>ダブルバインドの為である。その隘路では「嘘」も「真実」も、所詮虚偽となる。

例え公安サイド・警察擁護の立場(反カルト・非カルト=加害者不特定)でも、時に防犯ネットの問題を論じる(警察部分否定)のも、実は同様な意図がある。

ダブルスタンダード>ダブルバインド故に、この立ち位置では必ず齟齬矛盾を内部に生起させる。但しその生起は半ば意図的であり、紐が付かない(日和見・紐付を拒否する)真正被害者を排除する力学として作用する。曰く、分断>離間構造だ。

(*その為にあざとい擬態対抗シアターまで、グループで演じて見せたりもする。まるで「火曜サスペンスドラマ」だ。次はどんな擬態を演出するのか、甚だ興味深いものがある。あらぬことか、時に「冤病」ならぬ「演病」まで演じて見せる事もあるかもしれない。更にはそれも、ターゲットへの罠(すり替え技法)の仕込みの一環だったりする。)

このことは却って、紐付グループのみならず、上記の二項対立二律背反関係そのもの(「警察/カルト」)の虚構性を、逆説的に証明する縁(よすが)になる。換言して通底>両建構造の実態をだ。


亦この2つの命題は、そのままでは余りにも露骨に齟齬矛盾を外部的にも喚起する。そこで逃げ道として用意されているのが、「創価警察」の跋扈非難(部分否定)と「ストーカー規制法」改正論(論点すり替え)である。

そのどちらにも無耳法師はバイアスとして、抜本的前提と見解を異にするとのみ今は述べておく。

(*確かに「創価警察」については実在するし、無耳法師も体験的に熟知している。但しその役割と立ち位置への認識が、公安系紐付連中とは異なるということだ。)

因みに命題1・2に於いて、警察の代わりにカルト<反日勢力を当て嵌めても事は同じである。こちらの二律背反の罠に嵌るのは、主に左派系被害者である。


この問題については、法律論としていずれ纏めて別項で後述する。その前に集スト/テク犯の二項対立を論じて置きたい。寧ろこの問題の要となる所なのである。


(*中にはアホみたいな、露骨な印象工作もある。故意に訳の分からぬ寝言を連ねたブログが、勝手に当方をリンクしていたりする。(笑)印象として却って逆効果だと思うが。(大笑))


それに、某〇〇事業体との法的問題は、一応「示談」(?)で既に解決した。この案件は無耳法師のパソコンを含めた通信インフラに関わる。故にこそ露骨な集ストの一環である。

直接には、金と労力を浪費させたいとの魂胆だろうが、今は詳論できない。委細後述とさせて頂く。



さて、前項の続きである。

通底>両建の基礎構造上、奴等は作為された二項対立による二律背反関係そのものを仮構し、且つ操作・誘導する。例えば前記の「警察/カルト」の二項対立などがそうだ。

しかも二律背反故に、一方が正なら片方は必ず誤となる背理関係として作為される。確かに論理関係として、それは正しい。

但しそれは、二項が本当に二律背反関係であることを前提にしている。その前提は確かなのか?詭弁的疑似論理の作為的一端が、そこにある。
当然ながら、二項が通底した上の擬態ならば、その関係項自体が虚偽である。


その前提として、二項は二択の二律背反関係として認知されるが故に、例えば一方の政権>警察への加害認定は、同時に他方の在日カルト(支配マイノリティー)の免責として表徴される。

その逆に在日カルトへの加害認定は、この論脈に於いては警察の免責たる表徴であることは言うまでもない。

その論脈自体が既に通底>両建の隠蔽と、分断>離間(二律背反)の誘導であることを知らない。認知バイアスの作為刷り込み(アンカリング効果)なのである。

その擬態された二律背反的二項関係が、作為された認知バイアスとして、日本人全体を分断>離間し、同時に真の敵を隠蔽するために作用している。

真の敵はそれぞれ目前のバイアスで限定された警察や、或いはカルト末端信者なのではない。寧ろ双方はつるんだ上(通底)で、両建の疑似抗争(擬態)や「偽旗」(ダミー)を演じてみたりする。

こうも言える。本当に怖いのは、目前にいる明らさまな敵(ダミー・偽旗)ではなく、後ろにいる偽の友(工作員)なのである。更にはそれさえダミーなのだが。



そうした論点の認知的ズレは、徒に問題解決を迂遠な方向に誤誘導するばかりか、新たな罠として被害者を絡め捕ろうとするだろう。抜き差しならないダブルバインド状況に嵌めながら。

この擬態的二項関係の罠は、所謂「集スト/テク犯」の対立項としても顕著だ。だが、集スト/テク犯という擬態対抗的二項コンセプトやカテゴリー自体に、そもそも問題があると言わざるを得ない。

その二項は決して二律背反した背理関係でもなく、正誤問題として、一項のみに収斂されるような安易なものではない。寧ろ社会構造的に不離の関係にある。

則ちその擬態対抗の二項コンセプト自体が、被害者を嵌める認知バイアス(正常性・確証)の罠の一環なのである。認知する論点が既に歪んだバイアスで仮構・作為されている。

結果、集ストが単なるstalkingに矮小・曲解されるのと同様に、テク犯は壮大なSF(ホラ話)と化している。



その仮構作為されたバイアスで、二項関係の背反・背理的擬態に乗る限り、必ずダブルスタンダード>ダブルバインドの隘路に嵌るだろう。
どう転んでも矛盾・撞着した、身を窮する罠に嵌る。同時に真の争点が隠された形で。

ダブルスタンダード>ダブルバインドの矛盾撞着とは、寧ろ対抗する二項を一つの作為的バイアス(偏向)での擬態隠蔽と認めれば、すんなり解ける場合が多い。(脱洗脳・解呪縛)
つまりそれが隠された通底>両建構造なるものの真実・実態だからだ。


この構造では正(真実)も誤(嘘)も、共に隠す形で顕し、顕す形で隠す。或いは一方が視えるとき、片方は視えない。

しかもその正誤二項がバイアスを代え同時に現存する。謂わばゲシュタルト的形態だが、それが両建による作為的認知バイアスが、隠蔽・誤誘導に作用する基本である。

共にその二項が選択肢単体としてダミー(罠)となっている。選択する側にとっては、それこそがダブルスタンダード>ダブルバインドの罠に他ならない。

故にその罠は常に両義的に作用する。そこでは命題判断に於ける、否定と肯定が同時に所与されるのが常だ。

仕掛ける側にとって、ダブルスタンダード>ダブルバインドとは、実は論理的な矛盾律・排中律が最初から「控除された世界」(出来レース)なのである。そこに嵌るのは寧ろ被害者側でなければならない。

それには同時に、二項をバイアスとして二律背反・矛盾的に認知操作すればいい。
曰く、二項相互での錯誤・混乱の喚起と相互マッチポンプ機能である。その枠内では、どう転んでも相手をタガに嵌られる。


ある意味極めて高度な心理的錯覚錯誤誘導と、抽象度の高い修辞的詭弁の駆使とも評し得る。

だが同時に、卑近にもヤクザが仕込む「美人局」の類と所詮原理は同じなのである。誘い込んで、身動きできないタガに嵌める演技・トラップだからだ。

それは被害者側の倫理規範(善悪=正誤背理関係=矛盾律・排中律)につけこむ形で機能する。しかも悪そのもののヤクザに、その善悪を裁断される形で。

その疑似命題での正/誤=善/悪(肯定/否定)の二項背理関係性そのものが、自己撞着矛盾した、被害者の身を窮するダブルバインドなのだ。その前提の疑似命題そのものが、心理的・修辞的に作為捏造されたものだからだ。


それは正誤二律背反の作為擬態による、要は論理のすり替えに他ならない。そして擬態的作為故に、仕掛け側(加害側)こそ実態としてその規範の外に自己超越する。

あらゆるダブルスタンダードは、そこに根拠を置く。そこでは裁断(判断)する側とされる側は、制度的に峻別されるということだ。

そこでは同一地平(レベル)での公平基準、換言して矛盾律・排中律(論理関係)が「控除された世界」(出来レース)なのはそのためだ。


地域加害権力者の自分は別という超越的高飛車、法を守るべき警察の違法行為、被抑圧者面した在日左翼の自己正当化の言説、人命を尊ぶべき宗教団体の組織的殺人行為、集スト周知活動界隈での偽被害者の偽旗活動やハニトラ等も、基本的に同じ原理に立っている。

その両義的策謀の双構造を見極めない限り、ダブルスタンダード>ダブルバインドの罠に落ちるということだ。



例えば左派系の「監視社会を拒否する会」などはNシステムや街頭の監視カメラなど、システムのハード面・インフラ整備は一応熱心に言及する。擬態対抗としての政権>警察批判の一環として。

而に集ストの社会的インフラ・ソフトである、防犯ネットの違法活動には一切口を閉ざしたままだ。集ストの存在さえ決して認めない。所謂「寸止め」だ。(同時にその技術的延長にある、高度な電子攻撃も認めないが。)

社会システムの機能論の問題として、ハードがあれば、そのソフトがあるのは狸の当然であろう。さもなくばシステムとして機能しないはずなのだが。

在日左翼にとって、それは極めて不都合な事実・実態と云える。まさに集スト加担の「人権侵害」の現実がそれだ。

寧ろその隠蔽・誤誘導の為のバイアスとしての問題限定(寸止め)であり、それ自体が分断>離間の文脈に即していると言えよう。

在日左翼による政権>警察批判も、カウンター的マッチポンプ機能にすぎない。寧ろその双方の両建<通底関係こそ浮き上がってくる。機能として、相互にバランサー(マッチポンプ要員)となっている。つまりこれも「偽旗」だ。

そこには、ダブルスタンダード>ダブルバインドの意図が明白に存在する。


(*奴等の本音として、日本人は所謂「人間」ではないからだ。疑似ユダヤ(アシュケ)である半島人だけが人間であり、「人権」を有する。故に「人権」という概念(認知バイアス)が、ダブルスタンダード>ダブルバインドの両義的罠の契機となっている。「警察」という機構への先入観・認知バイアスも亦然りだ。それは奴等反日左翼(在日左翼)<「疑似左翼」=売国右翼(朝鮮右翼)<「疑似保守」こそ、通底>両建で日本人を抑圧支配する、この国の実態的支配層だからだ。奴等の箱である、創価=統一の実権力もその文脈で観なければ、その実態は理解できない。共に通底した権力基盤であり、単なる宗教カルト団体ではない。確実に政権>政府機構の更に上位に位置する。警察を含めて、現在あらゆる制度・機構は既に奴等が主導権を握っている。)



尚、現在一切コメントは受け付けておりません。これを破る者は悪質なら業務妨害で通報します。

一切とは、文字通り肯定・否定・その他の一切です。そこに恣意的選択は全く余地としてありません。
現在禁止を破ってコメントを入れた方は、敢えて破りの「見本」として晒しておきます。

但し今後、一切のコメント禁破りは、事の是非に関わらず即削除の上、通報します。


加害者及び偽被害者・工作員、被害者で加害者、紐付被害者、うそ被害者、寝返被害者、日和見被害者、一切お断わりです。探りの為、閲覧しに来ないで下さい!

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プロフィール

無耳法師

Author:無耳法師
 

石川県在住。男性。カルト勢力による、集団ストーカー・電磁波犯罪被害35年。内、防犯ネット悪用での違法監視・不法行為被害7年。彼等犯罪者との徹底抗戦を希求している。伴に闘う被害者同志を求める。

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