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集スト宗/テク犯宗の二項対立に於ける擬態的罠 その3

・集スト宗/テク犯宗の二項対立に於ける擬態的罠 その3
まず最初に自己忘備として、押さえておかねばならない事がある。

ダブルスタンダード>ダブルバインドとは、要は通底>両建>分断>離間総構造による、マッチポンプ機能の一環だと理解できる。


その構造下では、通底による作為的二律背反・二項対立の捏造が、擬態的且つ両義的に喚起される。

その構図は広くは社会的にメディア情報や教育・制度・機構など、個別には心理的修辞的乃至電子的な認知バイアス操作により、それぞれの意識下に何の疑念もなく刷り込まれる。


その認知下では、極論して一切がその実態を糊塗する、「仮想現実」の蒙昧の中にあるとも云える。

表徴する所与の認識の抜本が、既にバイアスの洗脳下にあるということだ。
概して認識論的極北での意識操作と云える。

(*詰る所、認識世界の実態の一切は設えられたシアター(虚構的演劇)であり、現象する種々の対立項も、加害側のシナリオがあっての擬態的八百長にすぎず、実態としては虚偽的に通底している。倫理的には対立項どころか、所詮「善悪」など恣意的な幻想にすぎない、ということになる。その為には政治・制度・経済・文化・科学技術・軍事等の社会インフラの一切が、その目的に沿って擬態構築されていなければ、到底不可能なことである。あたかも、映画の「トルゥマンショー」「マトリックス」の世界だ。我ながら聊か唖然とする社会認知的結論になるが、寧ろそんな世界こそ、実効支配する側にとっては究極の「理想郷」であることは間違いないだろう。それを単なる「被害妄想」乃至「誇大妄想」と捉えるかは、それぞれの勝手である。但し世人のこの被害に対する認知的不協和も、刷り込み(アンカリング)による認知バイアスの洗脳にすぎない。そこで注目すべきは、スキナーやワトソンらの行動主義心理学が電子的洗脳の基礎原理になっていることだ。彼等は共産主義者で唯物論者である。人間性蔑視の人間機械論の立場にいる。但しそれはつるんで世を実効支配する加害側の論理・倫理(本音)であり、その世界観は総じて病的ニヒリストどもの戯言(シナリオ)だと云える。同時に、それは卑劣狡猾にして諂い人を誑かること(人誑し)のみ長じた、徹底的偽善者(サイコパス)の極致であり、その大規模大掛りな詐欺的策謀(陰謀)にすぎない。その舌で対立項自体操作するのだ。もし「悪魔」が本当に存在するなら、そんな連中である。よしんばそれならそれで、被害者としては、その実態を糺す別の理念があって然るべきだろう。既成の政治・宗教思想は何の役にもたたない。すべて向こう側だ。何よりそんな連中(キチガイ・ゴロツキ)が、この世を実効支配していることこそ、問題なのだ。)

少なくとも認知バイアスの操作による、このダブルスタンダード>ダブルバインドの両義的罠に於いては「真実」さえもダミー化し、結果すべてが虚偽となることは確かだ。


相互通底による隠蔽と誤誘導、論理(正誤)のすり替え逆転、独断的決めつけ(レッテル貼り)、挑発的煽りと事実の相殺等が行われる。心理的には刷り込みと印象操作の手法による。

その文脈には、矛盾的背理的命題の同時定立が密かに仕込まれている。おそらくはカントのアンチノミーがその模倣的類型になっているのだろう。更にはそれはヘーゲル(弁証法)的運動論(逆捩じ・すり替え)に進展するだろう。

矛盾的背理的同時定立故に、彼我にその判断(肯定/否定)はいずれに於いても両義的に作用し、以て被害者は自窮し、加害側は恣意的にその彼岸に超越する。


大概の真正被害者は、この構造的罠を外せず沈黙するしかない。あがけば、余計向こうの罠に嵌る。

加害側(工作員)はそれを計算した上で、ポジショニング(被害/加害)のすり替え逆転や、恣意的なレッテル貼り・印象づけで、一方的且つ独断的にこれを裁断するのである。

そのくせ、それが露見しそうになるや、大わらわで証拠隠滅の為、改竄や削除を繰り返した挙句、汗を拭き拭き事無げに、「考えすぎです」(統失印象)などと、ど厚かましくもすっ呆けたりもする。

果ては認知バイアスの差異につけこんで、「証拠を出せ」と開き直ることも常だ。

或いは自らの独断・決めつけだけは棚に上げ、「どれもこれも集ストというな」と宣ったり、「無暗に誰かを工作員扱いするな」など、極めて「常識的」な見識を示す者もいる。誰のことを指すかは知らない。

ただ一般論として、そのこと自体まことに仰る通りだが、その「常識」とやらが、同時に加害側の「嵌め手」の定番であることを知らないのだろうか?
少なくとも、無耳法師は謂われもなく、無暗に誰かを工作員扱いしたことはない。ご閲覧の方々も、その点はどうかご安堵頂きたい。

奴等は被害者の認知バイアスの差異を喚起し、そこにつけ込むが、自らはその差異を必ず全否定する。

第三者的には素朴実在論的反映説(常識)に立ち、認知バイアスそのものの存在を認めないのである。誰もが同じものを視て、そこに同じことを認識していると。なるほど。
もとより、それこそダブルスタンダード>ダブルバインドの作為だ。

バイアスの差異はともかく、時には「仰ってることが解りませんが?」(何言ってんの?アホか。)などと、主張内容ではなく真正被害者の人格そのものを全否定することも。

そういう輩に限って、ギャラリー向けには、如何にも善人めいた綺麗ごとを吹いたりする。これらもダブルスタンダード>ダブルバインドの一連だが。


これらは加害側の逆捩じ(すり替え)の基本マニュアルだが、憎むべきことにそれを自称「被害者」(偽・工作員・紐付・日和見)が平気でやるのである。ただ、これは一つの例えである。深い意味はない。

換言して、基本的に言いたい放題(言ったもん勝ち)であると云える。実際には用心深く、本人のみ解る「ほのめかし」で嘲笑・裁断する場合が多いが。


奴等は真正被害者を挑発的にこの罠に嵌めることで、出来れば「界隈」に混乱と対立を喚起したいのかも知れない。

あわよくば、活動そのものの粉砕だろう。ひょっとして、その責任をも真正被害者に背負わせたいのだろうか?

最低でも真正被害者各位を潰したい所だろう。その場合は、この擬態的二項構造の虚構を維持する為に。

奴等にとってこの二つは矛盾でも何でもない。それはどう転んでも、ダブルスタンダード>ダブルバインドの狭隘を、より萎めて他の被害者を閉じ込めることになるからだ。
「矛盾」と云えば、それは端からの意図的作為なのである。


その罠を破る方法は一つしかない。その虚偽構造そのものを、出来るだけ解析して開示していくことである。個別の論いは、却ってその罠を食い込ませる。

但しその罠に掛っているのは、真正被害者だけではないだろう。おそらく「界隈」のみならず、紐付・日和見を含めた被害者全員がそうだ。更には日本人すべてが。

今、何故か「界隈」は何かの火消しで大わらわのようだ。ただ云えることは、隠蔽の作為が却って自らの正体を曝け出すということだ。日頃擬態対抗(競争関係)なるが故に、裏で隠蔽された通底関係の実態とアンカーの正体も。



以下、前項の続きである。

被害者で、よくローテク(集スト)のみという人がいる。大概は保守系自称被害者である。対してハイテク(テクノロジー)のみは主に左派系自称被害者だ。

以前はそんな人も実際いるだろうとは、漠然と考えていたが、現在は違う。或いは片方に無自覚な人はいるかもしれないが。

その場合も、それこそ当人のみが体感する、やはり認知バイアスを出ないだろう。真実にその被害実態を把握しているかは定かではない。

ただ両者に共通した認知バイアスがある。それは共に「右派>政府>警察/カルト<反日勢力<左派」の二項対立(二律背反)を前提としていることだ。


所謂「テク犯」のみ主張する人(左派系)の多くは、「政権権力」(警察<政府)単独犯行説なのである。

(*中には公安系工作員(主に統一系)で、殊更技術的に未知数なBМI(Brain Machine Interface)を強調する輩もいるが、統失印象誘導の為である。それが可能なのも、結局双方が通底しているからだが。)


結局「政権権力・政府」でなくば、これだけのことはできないというのだ。自衛隊犯行説もこの範疇に入る。既に、言外に民間カルトでは無理という含みがある。

どうして政権をも掌握する統創カルトにその資格がないのか、甚だ訝しい話だが。そこには既に、政権>警察or在日カルトの作為的二項対立での背理的前提(二律背反)がある。

それは実際そうなのか?
因みに創価は大変なハイテク集団である。その証言もあるようだ。但しそれは統一系も亦然りである。無耳法師はその証言を直接聞いた。


ともあれこの立場では、遂には集スト自体も全否定するに至る。脳内の電子的幻影・思考操作による錯誤にすぎないとの説だ。

但しその議論の構えは、結局被害の一切を、電子的外因性による「統失」と結論づけることになる。
テク犯被害を訴求主体に置く某団体が、あらぬことか、その本音を示す所だと謂う。


その団体が左派系・創価の紐付である噂は、無耳法師も伝聞する所である。
もしそうなら、見せる形で隠し、隠す形で見せるダブルバインド<ダブルスタンダードの情報操作の典型的罠であろう。

赤子(真実・正)を盥の水(虚偽・誤)ごと流し捨てさせる作為だ。被害認知の是非が、それ自体巧妙な罠になっている。

(*だから熱狂的な創価信者のブログに、テク犯系のブログがリンクしていたりする。例えば「創価学会で俺は変われた」という創価アクティブのブログに、何故か「テクノロジー犯罪インフォームのブログ」なるテク犯系ブログがリンクされている。おそらくこの団体系だろう。それに創価大法科大学院のホームページも。中々に香ばしいものがある。)


或いは一部「集スト」を現実として認めても、テク犯の補助末葉の手口程度と決めつける立場(左派系の)もある。だが、本当にその程度なのか?

当然、在日カルトのテク犯関与も原則否定する。あっても精々現場幇助にすぎず、しかも集ストはテク犯加担の一環で、その電子機器は政府供与と見做す。

実はその態々の現場幇助や機器供与自体が、在日カルトの特権的な位置を表徴しているはずなのだが。


但し左派系でも「集スト」を認める被害者は、創価をはじめカルトの関与を一応認める人が多い。

その場合でも、概ね「警察<政府主犯論」=「カルト従犯論」であることは前項で記した。あくまで末端での「岡っ引き・下請け」にすぎないという認識なのである。


例え消極的にせよ、創価など在日カルトの関与を認めても、在日カルトは政府の子分・下っ端・下請け。悪いのはあくまで警察<政府だというのだ。

而に、その現政権の構成要素を意図的に無視するのである。(或いは旧民主党政権の構成要素も。)

確かに防犯ネット(集スト)の「岡っ引き」(下請け)として、統創カルトの末端どもは、喜々として活動する。而に生活保護絡み等防犯利権のおこぼれはあるにせよ、多くは例え手弁当でも率先して、警察の命令に従うのは何故?

簡単な話、それは自分達カルト権力の実行使、その執行機関たる警察の補助業務だからだ。
つまり、その上位にある政権そのものの命令以外考えられない。それは現政府や旧民主党政権の構成要素から言って当然だろう。

なるほど、統創カルト末端は、公安(警察)の「岡っ引き・下請け」であることは間違いない。だがその警察機構こそ、当の政権を掌握する統創カルト中枢の「飼い犬」ではないのか。その本末の平仄が合う所以である。

(*反日左翼=売国右翼の両建・相互マッチポンプで煽る、在日勢力(支配マイノリティー)>統創カルトは、実態として左右与野党に通底する実権力である。それは何も現政権だけの話ではない。事実、その加害行為も民主党時代こそ猖獗を極めた。而して警察機構はいずれの政権下に置いても、積極的に加害加担している。寧ろ現場では主導する立場だ。また警察機構はその歴史的成り立ちから言っても、完全に向こう側と云える。それも単に明治期以降の薩摩閥の権益だからではない。敢えてそこにのみ限定したい「陰謀論者」には、明らかに寸止めやミスリードの意図がある。そもそも、その薩摩閥(自称郷士・下級武士層)の実態とは?一言で言えば近代警察機構の実態とは、発足当初から支配マイノリティーが自己勢力保全の為に創った組織なのである。当然ながらその構成員も被る。その背景は学問的には吉田向学辺りを参照のこと。同様の存在理由はヤクザ組織や、論点は変わるが労組・経営者団体等にも当て嵌まる。委細後述。)

さもなくば、逆に統創カルト末端が喜々として勤しむ、「下請け業務」自体の謂れ・理由が見当たらないと云える。

この説明の為に無耳法師が唱えるのが、縦糸・横糸論である。今はその詳論は略す。

(*所謂「公安ゼロ」や「サクラ」と呼ばれる警備公安の裏組織がある。どうもこの組織は民間人をリクルートした、密偵組織のようだ。ブログ「邪馬台国 下関 マスコミ」に詳しい。通称「クロカモ」と呼ばれる正体不明の連中もこの中に含まれるかもしれない。よく遭遇する外国人偽装警官などもその仲間だろうか?これらの存在は一部防犯ネットとも被る面子であり、極めて奥が深そうだ。)

要は自民(統一)と公明(創価)を分断し、前者のみの責任にして置きたいのだ。
だから同じカルトでも、自民<統一の加担は喜々として認めたりもする。敢えて口には出さずとも、創価の方はもともと左派系故に冤罪だという構えだ。


前項でも記したが左派系だって、80年代から創価のみならず大本系<統一系の跋扈の著しいものがある。現在も社民党の一部や旧民主党の中核に居座っている。

それも相当危ないオカルティスト(スピサヨ)どもが多い。ソ連崩壊と連合赤軍のリンチ発覚以降、社民党系や新左翼系(中核・角マル)の多くがエコとスピに走った。今でも「反原発」で出てくる左派系論者の多くは、そういった連中である。

その巣窟としては、生長の家主流派などがそうだ。大本系<統一系の左手の範疇である。無論、創価にも形を変えて入っている。共にそれらの多くは在日系だ。

方や共産党には、隠れ創価<在日が結構いるが、問題はそれだけではない。「9条の会」や「宗平協」がらみで、エコ・スピ勢力<在日とも至って親和的だ。

論点として、テク犯単独論者とそういった連中が被るのである。また「陰謀論」系被害者の中にもこの類(スピ・エコサヨ)が多い。


周知の事として敢えて前項では記述しなかったが、旧民主党系列の濫觴とは平成初めの細川内閣まで遡る。

この政権は小沢一郎と池田大作がつるんで(通底)設えたものだ。この辺りの経緯・事情は政界では常識に属する。(相変わらず知らぬは被害者界隈ばかりなり、か。嗚呼!)

その後公明本体を残置しながら、新進党に創価が合流するなど、左右に篩を掛けるを掛けるがごとく、揺れ戻しの自社政権など合従連衡を繰り返しながら、遂に民主党政権が成立するに至った次第は、流石に周知の如くだ。

その間、数多の政党が乱立し、合従連衡の中に消えていった。その過程で小沢一郎と池田大作は常に隠れたキーマンの位置にいた。

時に自自公政権から自公政権復活をはさんで、いずれの中枢にも公明・創価がいた。或いは背後で左右通底する統一も。

現自民党中核の清話会(統一)はもとより、民主党中核の小沢ばかりか旧自民経世会の流れ(竹下→小渕→橋龍)とも、公明・創価は昔から常に両建で通底している。

殊に自民とは、金丸や小泉との利権的結合が強かった。主な北鮮利権もこれに含まれる。この辺りは「小泉純一郎と日本の病理」(藤原 肇)など参照されたい。

更には創価と、民主の脇役たる社民党など在日左翼系との通底関係は無論のことだ。その上での自民(右)/民主(左)の両建と子供でも解る。或いはネコでもかな。(笑)

こんなことは「陰謀論」でもなんでもなく、如実実際な策謀(陰謀)の一端である。通底>両建の基礎構造は、常に我々の現前で行われてきた、日常陳腐な現実にすぎない。

左翼民主党政権下での在日系の集ストこそ、猖獗を極めた。寧ろこの時代こそ、統一・創価がその反日の素顔のまま、在日シナ人まで多数動員して跋扈したのである。

左翼民主党政権は国際勢力直営の反日政権であり、片や保守自公政権はその子会社・代理店運営での売国政権である。統一・創価は「しいたけ」のように、左右どちらの重箱にも漏れなく跋扈している。

この二項構造作為の裾野は、当然ながら日常一般まで広がっている。それはそのまま集スト構造でもある。

世人の多くが経験的に知っていると以前述べたが、その根底にはこの構造の実態がある。



他方の「集スト」単独論者(保守系)は、概ねカルトしかも創価単独犯行説だ。

「テク犯」は存在しない。それは創価の盗聴・盗撮や人海戦術で原則可能とする。また政府は何も関与していない、と。

警察の集スト加害もカルトに組織侵食された結果、一部の「創価警察」(創価警官)が関与するのみである、と。

防犯ネットの違法・違憲監視も、「創価警察」にその責任を全て押し被せる。その認識の誤謬は前項で述べた。

また例え「テク犯」はあっても、それは創価の絶大な資金力・技術力による。その源泉技術の所以の問題や、機器を有する公安・自衛隊など政府機構も精々、そこに内部浸透した創価がこれを利用・便乗・悪用する程度。

連立する公明(創価)への配慮から、嫌々ながら政府(自民)>警察機構は黙認するしかない云々。
寧ろ、警察・軍・官僚機構に浸透する創価勢力の排除へ話を持ってくる。所謂「総体革命」の脅威論だ。


だから仮に「集スト」にも政府関与があろうと、結局中にいる創価が悪い。故に政権からその影響力を排除せよ。そうすれば、本来の政府に戻るだろう、と安請け合いの空手形を乱発して憚らない。

その際、自民<統一の加担は見ぬふりをする。要は自民・統一と公明・創価の分断は、左派系同様のご都合主義に他ならない。換言して、寧ろ全く規を同じくするものだ。

つまり左派同様に、やはり現政府の構成要素を意図的に無視するのである。或いは旧民主党政権の構成要素でもいいが。

憶測すれば、そこにはハイテクに於ける、同じく統一系>現政権の関与をも隠蔽したいのではないか?文字通り、左派系のそのまま裏返しの主張なのである。

そこには政権と統創カルトを分断した上で、政権そのものを擁護したい腹が見え見えだ。しかも統一と創価をも分断して、自民<統一は掬おうとする。

最後はその統創カルトの通底関係そのものを隠蔽したいのである。自公政権が公然たる事実であるにも関わらず。或いはその公然たる事実なるが故に。


またはこれから派生して、政府政権と官僚機構(警察機構)を分断して、後者の中立性・公平性を高揚する立場(反創価・右派)もある。

故に落し所として、やはり「総体革命」脅威論(悪いのは跋扈する創価だけ!)に立つ。その為に警察(個人)から、集スト被害確認の言質めいたものを採ったりもする。

この立場も、多くが集スト単独論者なのである。

また、テク犯系で政府への請願メールを呼びかけている被害者もいる。その人がテク犯単独被害者かは知らないが、これも政権と統創カルトを半ば分断した立場であることは確かだ。その為か、上の立場と暫しリンクしている。

結局これらの論者も、政府>警察/カルトの背理的二項対立に立つ限り、価値判断は逆ながら、左翼側と認知バイアスを共有すると言わざるを得ない。



ここで「創価警察」について聊か私見を述べておく。まずこの概念が学会員の警察官という限定された意味なら、それは最寄りの交番や警察署内に、ごく当たり前に存在する。

思想・信教は自由だからだ。故に統一系>大本系の警官も結構多い。中には隠れた左翼・新左翼系さえいるのである。

(*左翼警官については、元福岡県警の杉浦 生による「警察署の内幕」に、管轄区域に順法闘争でテント暮らしをする新任警官のことが出てくる。おそらく新左翼系の「加入戦術」による採用だろうが、基本は共産党の細胞組織や創価の「総体革命」と同じである。だがこの手口を最も多用するのが、包括主義的教理の統一本体である。実は自民党内でこの手法を得意としたのが田中角栄である。彼は八分の一理論と呼んでいた。その薫陶を受けたのが小沢一郎である。その後の彼の権謀術数にそれは如実に顕れている。委細後述。)

採用に於いて(殊に警備公安には)、カルトは事前に排除されるという人もいるが、統創系は所謂「カルト」ではないというのが、現在この国でのオフィシャルな認識である。

(*謂わばその目的の為にも、「オウム事件」があったのである。それ以前「カルト」と云えば、間違いなく統創両系を指した。それ以降オウム系に事実上限定されている。統創系は「まともな宗教団体」と、いつの間にかポジションがすり替わっているのである。オウムのオーナーこそが、他ならぬ統創本体であった。則ちこれも集ストの大きなすり替え・印象工作の一環なのだが、委細は後述する。)


防犯ネット(集スト)に於いても、統創カルト末端は一般加害者を引きずり、且つ兵隊として囲い込む牽引車の役割をしている。その意味では間違いなく組織的中核だ。

同様な立ち位置を警察機構内部で云えば、当然ながらカルト警察(創価生安・統一公安等)がこれに中る。それが所謂「創価警察」なるものの実態だ。

当然ながらその構成員は創価ばかりではない。但しそれらカルト警察の共通項は、ほぼ在日や在日系同和及び、一般人でもその影響下にある者ばかりなのである。それ故に内部的擬態対抗(競争関係)も必ず生起する。

だから統一>大本系・日蓮系の日本会議・新宗連の面々など、その意味でご常連だ。中には摂理のような統一>韓系キリスト教信者もいる。共に自民・旧民主の牙城だからだ。

(*「摂理」警官については、日刊ややカルト新聞主宰の藤倉 善郎「「カルト宗教」を取材したらこうだった」に出てくる。無論、帰化したにせよ在日警官である。日本会議の概略について、青木 理「日本会議の正体」は左翼的バイアスが強く、そのままでは読めない。創価や新宗連はどうしたとか、いいたくなる。但し何事も蛇の道は蛇である。)

この両者(防犯カルトとカルト警察)が、警察内外で縦横に呼応・連帯、乃至は主客に支配・指導する立場にあることは明白だ。

尚、カルト警察は警察内部で、一般警官を囲い込む牽引車の役割を為すことは言うまでもない。同様のことは、近所の郵便局や市役所、中央霞が関に於いても行われている。
同時に、末端での統創両カルト間の擬態対抗(競争関係)も働いているだろう。

奴等は既に生安や警備公安ばかりか、刑事・交通・警務・監察その他警察機構すべての要所、更には上部の警察官僚の多方を陰に陽に抑えている。当然、利権がらみの抱き込みもある。また統創両カルト間の擬態対抗(競争関係)故の軋轢・反発も。

但しその「跋扈」が可能なのも、総じて政権<統創カルト実権力の通底した後押しがなくば到底無理だ。つまり親方「日の丸」(政府政権)公認なればこそだ。もとより、多寡だか消極的黙認のレベルではない。

それはこの国の支配マイノリティーの組織的意図が、警察機構の末端人事・組織編制まで及んでいることを示している。

故にこそその不法行為は、浅薄にも機構潜入した統創カルト末端の単なる恣意的跋扈などでは決してない。明白な国家意思(政策)の発露である。

而してその国家意思の主体とは?謂わずと知れた、左右通底統創カルト実権力に他ならない。奴等のやることは、組織論として循環というより、常に首尾一貫しているのである。


対してそれをも、「総体革命」の脅威論にすり替える向きも有るかも知れない。だが「総体革命」は最早脅威論ではない。何故ならかなり以前に、既に「総体革命」は完成しているからだ。

その委細については長くなるので、今は略す。ただその大枠は統一との談合によるとだけ述べておく。つまり創価のみ視てもあまり意味はないのである。

或いは認知バイアスとして、そこは視たくない人のご意見もあるかもしれない。


創価警察単独跋扈論の前提には、先ずは政府・政権と警察を含めた官僚(公務員)機構との恣意的分断論(二項対立作為)がある。二次的には警察機構と創価警察の二項分断である。その際、「政権>警察/カルト(但し創価限定)」の二項対立が大前提であることは言うまでもない。

例え政権自体がカルト影響下にあっても、前記の如く決して警察機構は組織ぐるみでの加担はしていないというのである。あくまで一部創価警察が、恣意的に加担するのみだと。(その場合でも、警備公安の主勢力である統一公安については、常に閑却される。)


もしそれが正しければ、中央政府(現政権)と各自治体も、法制の建前上「分断」(別組織)なのである。(地方自治法1条の2第2項)

而にこの被害が全国一律なのはなぜ?結構、野党治下の地方自治体も多いのに。警視庁はやや別格ながら、各地方の警察本部は都道府県公安委員会管理下の自治体警察なのである。(警察法38条)

それは創価が全国組織で、創価警察がどこの地方警察でも跋扈するからか?ならば、各自治体官僚(地方公務員)機構としての警察組織が、個別にそれを制御できないのは何故?

そもそも政権と、中央官僚機構としての国家公安委員会>警察庁が分断なら、何故国レベルで制御しないの?上意下達の疑似軍隊的組織・機構でありながら。

況や、例え創価警察ならずとも、統制上その恣意的職権乱用を何故放置するの?それこそ、警察法2条2項・警職法1条2項に違反するではないか?(総じて公平性・中立性・職権乱用の禁止)

その跋扈自体、政教分離を唄う憲20条1項後段>宗教法人法86条違反じゃないの?公務員の憲99条での憲法順守義務はどうしたの?国家公務員法96条1項以下102条まで>地方公務員法30条以下35条までの職務専念義務は?

結局、分断論とは離間論である。それは誤誘導・隠蔽のバイアスであり、カルトと警察は対立項どころか、実態として通底>両建ということでもある。つまり擬態対抗にすぎない。


警察/カルト(創価)の背理的二項対立の作為は、相互マッチポンプで、カルトは警察の所為にし、警察はカルトの所為にしたりする。情報操作と認知バイアスを悪用して。

そして互いに責任を擦り付け合い、結果相殺を企てるのである。隠蔽・誤誘導の脈絡だ。遂にはダブルスタンダード>ダブルバインドの隘路に、被害者を嵌める為に他ならない。

(*もっとも、責任転嫁の矛先は別にもあるが。それは他ならぬ被害者各位を冤罪・冤病に落とすことだ。更にはその擬態もある。)

それも予めお互いが談合の上での茶番であることだ。互いに「偽旗」なのである。この文脈に即する限り、双方が集ストの存在そのものは認めることがある。

その際、あくまで犯人は我々じゃないというのである。或いは主犯は曖昧に暈す。

ある時創価が「集ストは我々じゃない」と、態々ご丁寧にも某被害者に告げに来たそうだ。同様なことは警察もいうだろう。或いは左翼筋だって。


以前、警察(公安)のコインテルブロ(集スト)に遭っているという、自称元犯罪者が接近してきたことがある。

本人は事の発端となった冤罪被害を主張していたが。そのこと自体はおそらく本当のようだ。提示された証拠書類も信用できる。

但し殊集ストに関する限り、論点はそこにはない。彼は徹頭徹尾カルト、特に創価の関与を全否定するのである。

カルト警察(創価警察)の存在どころか、防犯ネットに於けるカルト構成員の存在さえも頑なに否定した。やっているのは、あくまで警察(公安)とその関係者のみだと強弁するのである。

どうもこの人は創価系工作員のようだ。警察単体と徒に事を構えた場合、間に入って助けてくれるのは統創カルトしかいないからだ。

目的は通底>両建の背理的二項対立作為に沿ったシナリオの敷衍による、両者の分断と被害者間の離間なのである。


当然ながら、統一系>大本系もやることは一緒だ。殊に統一公安の紐付連中は陰湿且つ狡猾で、芸が細かい。創価以上に、ほのめかしやすり替えのレトリックに極めて長じている。猿真似アンカリングも。根底に呪術的発想があるからだろう。



「集スト/テク犯」二項対立に於ける両者の認知には、統創両カルトのゲシュタルト的バイアスの差異があり、相互隠蔽の力学が作用することだ。

作為的二項対立の前提故に、一方が見えるバイアスでは、他方が隠され、結局その犯罪主体の所在は、曖昧に相互糊塗されるのである。認知バイアス(正常性・確証)の作為的罠だ。

総じてそれがダブルスタンダード>ダブルバインドの奸計であることは、前項でも述べた。


そこには、片や右派系<統一、一方の左派系<創価という各紐と、相互に背反する二項対立の作為の意図がうかがえる。

その上で、各被害者に情報操作と認知バイアス下での正誤判断二択を迫るわけだ。それは自ずから、所与の政治的宗派的帰趨の決断として迫ってくる。


「警察/カルト」の二項対立の作為もそこから派生する。寧ろ「集スト/テク犯」二項対立の根底には、技術論にすり替えた形での、この二項対立項がゲシュタルト的に見え隠れする。

それは実態として統一系>保守系か、或いは創価>左派系かの二者択一の強制なのである。この二者択一は、統一/創価レベルでの分断による擬態対抗(競争関係)に、各被害者を吸収しようとするだろう。

その上位は通底>両建故に、結果集ストシステムに取り込まれ、磨り潰されるはめになる。

それは俗にいう、「カレー味のウンコ」or「ウンコ味のカレー」の類の、逃げ場のない無理やりなダブルバインド選択支の同時強制に、事実上効果として似ている。

それはどう転んでもジレンマの隘路に落とされる、ダブルバインドの罠の仕込みに他ならない。無耳法師なら、どっちも御免だが。

少なくとも、ローandハイ双方の被害者なら立つ瀬がないばかりか、付随したその恣意的な党派性の認知バイアスで、所謂「偽被害者」のレッテル貼りをされる事になる。場合によっては、「統失」認定も可能だ。

逆にどちらか一方では、こちらも全くの偽装擬態(偽被害者)と疑いたくなるのだが。どうとでも「言い訳」可能だからだ。


つまりはその二項選択肢の設定自体が、作為的で詭弁的な罠(落とし穴)なのである。換言してすり替えと印象操作の一環だ。

何より重要なのは、左右対立抱き合わせの印象として、当のローテクとハイテクの双方が、相互相殺的に否定されることだ。相互二項背反するかの如き印象操作故に。

更にはいずれも、世間的にはいかがわしい虚言に見えるように、相互操作されるのである。

だが、総じてダブルバインドの罠とはそうしたものだ。そして何度も言うが、その罠が左右通底の相互マッチポンプ機能で仕込まれることだ。
すべては、結局双方つるんだ上での茶番(擬態対抗)なのである。


主にその罠に落とされるのは、何にせよ被害だけはあると口を尖らす、自称「本当の被害者」(その多くは偽被害者に飼われた紐付・日和見)ではなく、寧ろ党派性・宗派性の紐に繋がらない、周囲悉皆加害者の「真正被害者」だけなのである。

単に「被害」の有無だけなら、それは多寡だか偽被害者と紐付・日和見を分かつ差異でしかない。必ずしも、加害側と真正被害者を峻別する指標とは限らない。

そんなもの、あくまで加害側内部の分断>離間による、手口としての集スト、テク犯を使った、擬態対抗(競争関係)でしかないということだ。よしんば自称「本当の被害者」であったとしても。


所謂自称「本当の被害者」の実態とは、要は相互党派性・宗派性でのプロレス興行(末端擬態対抗)出演者にすぎない。

場外乱闘用パイプ椅子の代わりに、ガスライティング技法を使うだけだ。なるほど、確かにその被害は、現象的には所謂「集スト被害」(或いはテク犯被害)だが。

顕正会にやられている創価、創価にやられている正宗の類が、被害者面して「界隈」をど厚かましく徘徊すること自体、真正被害者を馬鹿にした話なのである。

本来ならその「正義」の源泉である、所属団体に救ってもらえば済むことではないか?少なくとも他被害者に何故セールスを強要するのか?而も自己をも救えぬ「主義主張」(教義)の販売で。

そして何故か彼等の多くが、いずれかの自称単独被害者なのである。

ともあれ、殴り合いの茶番なら、当人達だけでやっとくれ。他人(真正被害者)を巻き込まんで欲しい所だ。


末端擬態対抗とは両建の上部通底関係を前提にする。但しその茶番は、現政権をも牛耳る、上下左右に通底した統創カルトの裏権力というより、「実権力」の実態を無視、乃至隠蔽することに他ならない。

更にはその主体である、支配マイノリティーの存在をも。

例え本人たちはそれに無自覚でも、左右両派や宗派間対抗の自称被害者こそは、この目的の為、まさに相互共闘・協力関係にあると言わざるを得ない。

両建による通底故に、分断として擬態対抗(競争関係)を演出するのである。その分断の目的は、被害者間の離間工作にあるのは云わでもがのことであろう。その際、単独被害論はその都合のいい媒介となる。

重ねて言うが、それは例え各末端対向者は本気であったとしてもだ。寧ろ本気であるが故に始末が悪いのである。二項関係の背理的罠(ダブルバインド)に、完全に埋没している連中だからだ。


逆に云えば、「真正被害者」とは常にどこの党派的・宗派的擁護も受けられない、真実孤立疎外化した立場なのである。だから「真正」とは決してイデア的抽象論ではない。事実の問題として、構造的に徹底した組織的離間の実態的対象者だ。


「集スト/テク犯」の二項対立は、ダブルバインドとして背景にそれだけの罠を隠している。



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プロフィール

無耳法師

Author:無耳法師
 

石川県在住。男性。カルト勢力による、集団ストーカー・電磁波犯罪被害35年。内、防犯ネット悪用での違法監視・不法行為被害7年。彼等犯罪者との徹底抗戦を希求している。伴に闘う被害者同志を求める。

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