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淡路島5人殺傷事件 その1

・淡路島5人殺傷事件 その1
この頃、集ストに関わる事件が多い。先月、千葉県警本部に車が突っ込んでいる。「正体不明の集団」に追い込まれているが、警察が取り合わない。事の緊迫を伝える為に、車で突っ込んで強訴したとのこと。
その「正体不明の集団」による「追い込み」(暴行・脅迫)のことを、我々被害者は普通「集団ストーカー」と呼んでいる。明らかな刑法上の「犯罪」であるのに、何故か警察が取り合わない、国家非公認の「犯罪」のことを謂う。

こんなこともあった。マンション上階から5年間も「騒音」に悩まされた挙句、遂に思い余って、その玄関先で、灯油を撒いて火を付けたとという事件だ。5年間継続の「騒音」なんて普通ない。あれば意図的「嫌がらせ」以外ない。何故かマスゴミはそれには触れないのである。その種の「嫌がらせ」を、ガスライティング用語で、「ノイズキャンペーン」と呼ぶ。集スト被害者なら誰でもすぐ気づくのである。
3月21日(土)にも東京の調布で、40代の「引きこもり」の男が、60代の女性教師(日狂組?)を刺した。テレビでは、男は「意味不明」のことをしゃべっていると伝えるに留まる。そも「意味不明」とは、なんだ?いつでもその詳細を、マスゴミは決して示そうとはしないのである。もしその内容が動機に属することであれば、極めて報道の公正を損なうものと云わざるをえない。
この種の「犯罪」は、年に何度も各地で起こっている。集スト被害者なら、その原因も彼我の立場を変えた、ガスライティングでの「嫌がらせ」によることもすぐ解る。マスゴミは決して、この犯罪(集スト・テク犯)を認めない。切羽詰まった「嫌がらせ」への反撃(自力救済)も、「狂気の凶行」で一言の下に片付けられ、以て事の順逆・被害加害の「すり替え」が行われるのである。ともあれ、テレビで「意味不明」がでたら、集スト被害者の「逆ギレ」と考えていい。

何よりこの種の「犯罪」で、最近最も耳目を集めたのが、3月9日の淡路島5人殺傷事件であろう。この「事件」につき、思科する所を若干コメントしておく。この事件が、例の「秋葉原連続殺傷事件」同様の事案であることは、我々「集スト・テク犯被害者」なら瞭然の事と思う。真の「被害者」が、いったいどちらなのかも。しかも、そのことを訴えることが却って誤解を呼ぶ困難さも。
当然、「刺した」のはH氏の方だ、という意見もあろう。それはその通りだ。但しリラックスさんじゃないが、浅野内匠頭が吉良を「刺した」のは何の為だ?そう云えば日本人なら、ピンとくるはずだ。人は決して切羽詰まった理由もなしに、徒に人を「刺し」たりはしないものなのである。それこそ「狂人」でもないかぎり。故に無理にでも、彼を「狂人」に仕立てたいのだろうが。

而してその「狂人」の仕立て方は、以下の通りだ。一人を大勢で365日24時間、徹底的に「嫌がらせ」で愚弄・翻弄し、ターゲットを使て遂に堪忍袋を切らせる。ターゲットが思わず拳を振り上げれば、その局面だけを都合よく「絵面」として切り取って、「危険人物・狂人・犯罪者」に仕立てるのである。奴らにとって都合の悪い因果関係の前後を、切り捨てて隠蔽しては、突然「無辜の善良なる隣人」(善人)に故なく暴行に及ぶ、極悪非道の「犯罪者」として、ターゲットの印象・情報操作(マインドコントロール)を仕掛けるわけだ。而に「無辜の善良なる隣人」(善人)が,人に恨まれる謂れなどあるはずもない。即ち拳を挙げた方は、動機なきが故に、生来の「犯罪者」にして「異常者」ということになる。要は「狂人」だ。そんな危険な獣は、檻(病院)に一生入れておけ。外に出すな、と。なんとも、なかなか出来た「シナリオ」なのである。
或いは気が弱い集ストターゲットなら、それ以前に「自殺」するだろう。それも被害妄想に苛まれた上、勝手に自滅した「プチ狂人」、というシナリオもちゃんと用意してある。嗚呼、気の毒な、と。
それこそ、こんな「シナリオ」を平気で描ける輩こそ、「生来の偽善者」ではないのか?本来の事の白黒を「すり替え」、本当の被害者(集スト被害)を「加害者」に無理やりでも仕立て挙げた挙句、本来の加害者がいつの間にか殊勝な顔を設えては、「無辜の善良なる隣人」として被害者ぶるのである。

彼等は自ら固めた虚偽と陰湿な策謀で、他人の人生を弄び、陥れ、そしてそのことに何らの忸怩たる内省の欠片もない。凡そ恥というものを知らない輩。寧ろそれが正しいことだと己惚れている。それどころか、薄汚い己の狡知にさえ誇り顔だ。「生来の偽善者」とは、実は「生来の悪魔」の別称に他ならない。そのことさえ、凡そ無自覚なのかもしれないが。

所で、所謂「逆ギレ」(犯罪者)にまで「追い込む」のが、「コインテルプロ」(集団ストーカー)に於ける手口の定石である。さもなくば、「強制入院」か「自殺」しか、その選択の自由を我々に与えない。或は無理筋掛けた、全くの「冤罪」もあるが。
その点今回の事件が、凡そ「定石・教科書」通りの嵌め方であることが解る。まず「強制入院」に嵌めた上で、「狂人」(統合失調症)の「レッテル」を貼る。退院後はそれを口実に、いつ暴れるか解らぬ「危険人物」と、風評で箍を絞るのである。因って「衆人環視」の対象として、「防犯ネット」による、違憲・違法な共同不法行為(組織的不法行為・集団ストーカー)を堂々敢行するのである。すべてのプロセスは、その違法な「追い込み」の正当化の為にある。
そこで今度のような「事件」が起これば、事の是非・順逆をすり替えて、ターゲットを一方的な「犯罪者・凶悪犯」に仕立て上げる。それが新たな利権と飯の種となるわけだ。

「逆ギレ」誘発により、「防犯カメラ」や「防犯活動」の強化を謳い、以て防犯予算の増額など利権の種にするのである。ついでに関連業界に、新たな「天下り先」も確保して。何より今回、田舎じゃ滅多にない「殺人事件」まで、労せず濡れ手に粟と落手できたのである。何せ手数もいらず、「犯人」も既に用意済みなのだから。実際これも、集団ストーカー(防犯ネット)の大きな「ご利益」(利権)の一つなのである。

或いは「自殺」や「強制入院」でも、厚生・福祉・保険・医療・薬剤等の公的利権が、また新たに発生・強化される。
亦それらの利権に絡むのが、官公署ばかりか、カルト宗教や左右の政治団体・市民団体・福祉団体・病院、及び企業・ヤクザ等の面々だ。
必ずそれらの中核にいるのが、罪荷血・童話の支配マイノリティーである。

ともあれ、何事も「仕事」とは仕掛けて、「作る」ものなのである。どんな業種・分野でも、徒に切株を百年守って、何で兎を得られようか?どうして官公署だけ、その例外たりえよう。「隣の芝生」というも、凡そナイーブすぎる話と謂える。
まして役人とは、立場上常に無謬(絶対善)たるべき存在と、愚かにも自認他証するものなのだ。而して、人とは必ず過つものなのである。ならばその無謬性を如何に担保するか、云わずと知れた話であろう。全ての欺瞞の種は、そこにある。具体的には、誰かを生贄にするしかない。曰く、兎は切株にて待つものにあらず。必ず罠を使てこれを捕えんものなり、と。

換言して、「生贄の原理」で現在の日本は回っているのである。実は官公署こそ、「無謬の権力」(絶対善の行使)を表向き希求するが故に、最も生贄を欲望する所と云える。当然その供給が間に合わなければ、仕掛けても設えるだろう。だから冤罪に泣く人が、浜の真砂よりも世に多いのである。
だからといって、決してそのことを肯定はできないが。寧ろそれが頷けない人こそ、得てして「集スト・テク犯」のターゲットになるのである。

果たして加害者どもは、どんな料簡でこの不法行為・犯罪に加担しているのだろうか?無論「無謬の権力」(絶対善の行使)に自己同一することで、先ずは身の純善とやらを担保したいのだろう。暗愚にも、「虎の威を借る」の喩通りだ。
而に人の最も度し難きは、人の素朴な「善人根性」(偽善性)ではないか?表面に偽善・虚偽を設えるが故に、裏で生贄の原理が生起するのである。両者は構造的に一体だ。自らが「絶対善」たらんが為に、どこかで「絶対悪」たる生贄を要とするのである。後者は前者に於ける、負の心理的投影にして自己疎外の表徴にすぎない。謂わば我々被害者は厄払いの「人型」だが、同時に生身の人間であることを、彼等は決して理解していない。
それだけに生贄の希求は、欲望として薄汚いエゴの極地なのである。それが奴ら「善人」(偽善者)の正体だ。即ちご立派な「集スト・テク犯」加害者の面々のことを謂う。

換言して、世評の「善人」(偽善者)たるべきなら、陰で如何なる不法・犯罪も許されるというのか?凡そ矛盾・撞着の極みだな。それとも既に一蓮托生の身を託つか。確かにこの場合、「足抜け」とは本人自身が生贄になることを意味するからだ。毒を喰らわば何とやら。もはや詮無き話である。故に寄って集って、自分以外の誰かを生贄(兎)に仕立てるべく、薄汚くも無理筋たてては、今日も様々罠を仕掛けるのである。「防犯ネット」とは、そんな生贄の再生産システムである。

その卸元は、人の人生を奪っては飯の種にする専門家。汚らわしい官賊どもだ。故にこの総体自体が、巧妙な国民の相互管理・監視・抑圧システムであることは、今更謂うまでもない。端からこのシステムのポイントは、我々「兎」(被害者)にはないからだ。寧ろ「捕手」として不特定多数を「取り込み・囲い組む」ことにこそ、その主目的があるわけだ。それは権力にとっても、亦カルトにとっても。一端この「犯罪」(防犯ネットの不法行為)に手を染めたが最後、その行為が違法な「自殺強要・冤病冤罪工作」であるが故に、加担者は一生「カルト・権力」の従順な「奴隷」たる身を強いられる。慄然たる事の「真実」を口にするどころか、決して逆らわぬ機械的ロボットとして。
無論、逆らえば今度は自分が「生贄」になる。或いはこのシステムに於ける、管理者サイドの諸都合に因っては。だからこそ何を措いても、この不法行為に加担者どもは狂奔するのである。微々たる利権の「お零れ・お駄賃」(小銭)と引き換えに。まさに生贄の再生産システムたる所以である。

要は使い捨ての道具だ。だから「追い込む者」(捕手)こそ、実は「追い込まれる者」(兎)に他ならない。兎を得れば、須らく走狗は煮られるものだ。それも詮無き「お約束」というものではないか。自分だけは例外だと思うのも、これ亦ナイーブすぎる話であろう。為に今回の「事件」がある。猪(死屍)喰った報いとは、実に斯くの如きを謂うや。

事件直後、眼鏡の「軽トラジジイ」がインタビューを受けていた。一見しただけで、「集スト加害者」と直感できる。しきりに指2本で、「顎摩り」アンカリングしながら答えていたからだ。そのくせ、後ろめたいのか、終始目が泳いでいた。「習い性となる」とはこのことか。或いは我々被害者一般への、メディアでの「ほのめかし」を兼ねたものなのかもしれない。
何より、その言いぐさの白々しいこと。何が「この十何年、(H氏を)一度も見た事がない」だ。既にして、語るに落ちているのである。聞かれてもいないのに、自ら「集スト加害」(つきまとい・車両ストーキング)の加担を否定して見せたわけだ。けだし、「防犯ネット」所属の「官賊」であろう。
お決まりの「声を震わせながら」のインタビュー。実は何に怯えていたのやら。時にジジイの脳裏に去来したのは、明日は我が身の「末路」だったかもしれないが。事実前述の如く、これに加担する加害者こそ、往々都合次第で奴らに「始末」されるからだ。
それもいいんじゃない?何せ「無辜の善良なる隣人」なんだから。それはそれで、都合にいい「シナリオ」はちゃんと用意されているのである。
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プロフィール

無耳法師

Author:無耳法師
 

石川県在住。男性。カルト勢力による、集団ストーカー・電磁波犯罪被害35年。内、防犯ネット悪用での違法監視・不法行為被害7年。彼等犯罪者との徹底抗戦を希求している。伴に闘う被害者同志を求める。

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