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日和見被害者について

・日和見被害者について
以下述べることは、無耳法師のカテゴライズによる、被害者論乃至工作員論である。類型として、その範疇は自分なりの仮設に基づく。


ところで、日和見被害者というのがいる。偽被害者・工作員そのものとは言えない。
おそらく被害者の一人には違いないと思しきも、かと言って、利益誘導のうそ被害者でもなく、ある意味熱心な紐付被害者とも、言動が微妙に一致しない。

何よりその被害対応が、絶対に真正の被害者の有様ではないのである。その内部工作員臭さが寝返被害者と最も近いが、そのスタンスがやや異なる。

確かに寝返被害者なる者は、極まれにこそ存在する。
その場合、彼女が(或いは彼が)加害サイドに密かに通じる、それなりのスタンスと意思決定過程が本人には確実に存在する。時にそれが傍からも窺えるのである。

日和見被害者には一切それがない。あるのは、その時々の都合だけだ。
彼女が(或いは彼が)が属する、自称被害グループの路線方針や党派性(政治・宗教)、それどころかグループの言外の空気に影響されて、右顧左眄して考えなく唯流されるのである。

そのくせ、己が党派的正義の絶対性を明らさまに振りかざす、紐付被害者の確信犯的腹の座りもない。全く組織依存の主体性の欠如した連中と云える。


そして、そのグループが「偽被害者・工作員」や「紐付被害者」が主催するものだったとすれば・・・・。

日和見たる彼女が(或いは彼が)、例え本当に被害者だったとしても、何の意味もない。寧ろ、いい隠れ蓑として加害側に利用されるだけだろう。偽なら猶更のことだ。


そもそも何も、自ら考えて書いたり行動していないのである。誰かの情報操作と洗脳のままだ。

そのくせ党派的排除の論理により、その所属グループの教唆で、被害者に突然牙を剥くこともある。

その攻撃的言動が、狭い被害者活動界隈で囁かれる、所謂「被害者で加害者」の正体不明で不気味な存在に被るのだ。

蓋し被害者の属性は持つと思しきも、他方加害行為をも行う連中である。
日和見被害者とは、その正体の一つでもある。

防犯ネットの一般加害参加者や、カルト末端の日本人信者と同じだ。要は、謂われるままのロボット・兵隊にすぎない。

狭い被害者活動界隈内での、同じく内部的衆愚加害加担者なのである。確かにその辺りが、寝返被害者に類似する所以だ。

それはあくまでその人のスタンスの問題なので、その人の個別的頭の良し悪しの問題ではない。

かなり自律的思考のできる本来明晰な人でも、スタンスの縛りによってはこの衆愚加害加担者と化する。

(*このコンセプトは前から認識していたのだが、何故かブログで言及しようとすると、その度頭から抜けるのである。電磁波の所為だろうか?同様のコンセプトは「被害改善責任論」のブログ主が、別アングルで確か言及している。日和見被害者という言葉は使ってないが、彼のブログをいろいろ覗いてみるといいだろう。示唆に富む。)


日和見被害者が工作に関わるする所以は、被害者と思しき属性を利用して、ターゲットを中心に常に三枝構造(トリアーデ)を構築する為なのである。
無論、そのターゲットは真正被害者である。

その脇に兵隊の日和見被害者などを配するのである。必ずしも両脇が日和見被害者である必要はないが、但しその要員は最低3人は必要である。
内1人こそ、間違いなく現場レベルで「管理・工作者」(仮)要員である。

但しこの「管理・工作者」(仮)要員の位置は、あくまで所属グループの立場上のそれであり、その正体・実態については後述する。

(*三枝構造(トリアーデ)を奴ら加害グループが好むのは、その大本たるイルミ・フリメの密儀的教義<カバラ>によると思われる。所謂「三位一体」や「弁証法」もその通俗態だが。このことは別項でいつか詳論したい。)


この三枝構造(トリアーデ)の所以は、先ずターゲット(真正被害者)を媒介に各関係線ごとに二項対立を各自演出する為なのである。
その協力・対立した関係線のタガ(枠)に、ターゲット(真正被害者)を閉じ込める訳だ。

その際関係者2人では、構築される関係線が一本のみの為、ターゲットを閉じ込めるタガ(枠)にならないことも解るだろう。単純に抜けられたら仕舞だ。

故に必ず〇に対して、A・B・C3人以上で、抜き差しならない各関係線を仕込むのである。


とりあえずA・B・C3人の場合、以下の3本の各関係線が構築される。〇はターゲットである。

常に各関係線が〇を中心に、三枝構造(トリアーデ)となっていることが解るだろう。またこの3本の各関係線自体の関係が、常に以下の三枝構造(トリアーデ)に置かれる。

A―〇―B

A―〇―C

B―〇―C

以上3通りの関係戦が構築される。やがてAがCを「偽被害者・工作員」、または「寝返被害者」等と〇に吹き込む。〇を絡ます、仮構の二項対立関係の作為だ。
実際、Cは〇に牙を剥いてくるのである。

(*同時に何故か「被害者で加害者」とは決して吹き込まないのである。行為だけで云えば、それに被るのに。つまり、そこにも底意がある。)

または吹き込みはその事後でもいい。その場合は「紐付被害者」と吹き込むことが多い。
その際、「偽被害者・工作員」と言うと、知ってて何故つるんでいた?ということになるからだ。藪蛇であろう。

(*仮構の二項対立関係作為の為、A―C間で予め茶番の「ケンカ」や「言い争い」を偽装・演出して見せる場合もある。態々、〇の目前でだ。その隠蔽アリバイの構築や正誤認知のミスリードの為、周到な犯行マニュアル・ノウハウがある証拠なのだ。往々そこに気づくのが、〇がA・Cらに一杯食った事後のことでなのある。後の祭りだ。)


そしてC(他称「偽被害者・工作員乃至は寝返被害者」役)の正体が、そのままズバリのこともあるにはある。その場合はAとの関係を留意すればすぐ解る。

但し策謀上、多くは往々にして、先に上げた日和見被害者その人なのである。謂われるままの衆愚的加害役・現場工作加担者だ。

またはそれが正しい行動だと、愚かにも刷り込まれた、半ば確信犯のそれである。スジもんで言えば鉄砲玉だ。

だから、時に「被害者で加害者」の役割もするのである。同時に全ての日和見被害者が、積極的加害に参加するわけではないことも理解できる。

或いは、「〇こそ偽被害者・工作員」であると、Aに吹き込まれての犯行の可能性もある。
当然ながら分断・孤立化とは、寧ろ相克関係に〇とその関係者を相互に置くことだからだ。

それでこそ、分断・孤立化は策としてはじめて貫徹される。それが離間工作というものなのである。


さて、この仮構の二項対立を受けて、各関係線3本は以下に変化する。以下、=は協力関係、~は非協力・対立関係と、Aが称して〇に吹き込む関係線である。
当然ながら、この場合Aこそが当の「管理・工作者」(仮)であるのは言うまでもない。

A=〇=B

A=〇~C

B=〇~C

いよいよそこで、A(管理・工作者)がC(他称「偽被害者・工作員乃至は寝返被害者」役)を逆媒介に、〇にいろいろ策を仕掛けてくるのである。
背理した、作為仮構の二項対立関係を操作・利用しながら。

曰く、情報の搾取に始まり、分断・孤立化(離間工作)、正邪逆様の「工作員」のレッテル貼り、統失認定印象工作など、etc。


要は、A(管理・工作者)とは所謂「黒子」役なのである。
故にA(管理・工作者)が悪辣で狡猾なのは、その役割上、初めは水面下の策謀・根回しと関係線の操作に徹して、決して〇に対する直接攻撃は仕掛けないことだ。

〇に対して直接行うのは、釣りの偽情報のトラップ提供や、表向き情報搾取とミスリードへの暗示・情報操作に限られる。
(*密かに電磁波系の仕込みは行うが。実に危険な「お土産」だ。)

後に逆捩じでのレッテル貼り・印象工作での攻撃を行うに至るが、それも「アンカリング・ほのめかし」での、〇への挑発で始まる。

あくまで〇に口火を切らせるのだ。この辺りは実に巧妙且つ卑劣である。この辺りは後述する。


故に上記の関係項の流れとして、〇がいる会合では、何故かAとCは決して同席しない。4人で集まることは原則ないということだ。

或いは探りの為、始めは顔を出しても、すぐ途中でいなくなったりする。無論、三枝構造(トリアーデ)の作為であり、二項対立関係の仮構的演出の為である。

既にシナリオは練られている。後は打ち合わせ通りに、悠然とB・Cに任せるのである。

それは単にアリバイの為ばかりではなく、一緒だといろいろバレル惧れもあるということだ。
殊に〇―C間の離間の為、顧みて他を謂う背理的風評工作など仕込んでる場合などは。

例えるにゲシュタルト的相互入れ子の状態だ。常に一方があるときは片方がない隠蔽構造なのである。その相互入れ子の隠蔽構造は、人間関係も情報も原則同じである。

それは真偽の背理関係の構造的演出と云えよう。この構造は、二項対立関係の作為仮構から、必然的に生起する。

(*而に敢えてAとCが共に同席する場合が、あるにはある。その時は、一気にカタを着けるつもりなのである。その場合でもCとBに加害攻撃をやらせ、Aは傍で黙ってそのやり取りを視ている。黒子の「管理・工作者」(仮)たる所以である。〇への攻撃主体はCであり、その際Bは、何故か消極的で補助的役割を出ない事が多い。ともあれその要点は、加害シナリオとそのマニュアルの存在なのである。その詳細は今は略すが、共通の類型パターンがあるということだ。その基本はボケとツッコミならぬ、「噛みつきとクーラー」の役割分担だ。CとBは噛みつき役であり、Aがクーラー役である。逆捩じで、〇を箍に嵌める落とし所が見えた辺りで、その場乃至は事後、AはそつなくCとBへのなだめ役を演じたりするのだ。つまり傍観者のアリバイスタンスは崩さずに、公平な善意の第3者を装うのである。その時点でC・Bの悪意は相殺され、あたかもなかったことにされるのだ。同様な意味で、逆に〇をフォローし、慰めたりもする。その上でそれとなく、〇を脅してきたりするが。凡そ茶番で偽善の極みだが、教唆・共犯としての証拠を残さぬ為、アリバイ上の必提マニュアルと云える。故に周りにもそつのないことを態という。例えその場はお茶を濁して収めても、〇への風評は既に千里を走っている。仕上げを御覧じろ、と謂うところか。その類型の原型は、スジもんの「掛け合い」(交渉)ノウハウにある。それだけに、自ずと加害グループの正体と背景を浮彫にしている。所詮カルトとヤクザは、左右上下に通底する在日・同和の箱である、と今は述べておく。)


そのくせA―C間には、実はちゃんと連絡はあるのである。表向きAは否定するが、前後が矛盾したり、言端に連絡なくば解らないことを、故意か不用意か、それこそ「ほのめかす」からすぐ解る。

而にC(他称「偽被害者・工作員乃至は寝返被害者」役)こそ、〇に牙を剥く加害の役目上、必ずAと連絡は通じている。

問題なのは、それをも確認する術がない関係に、〇は既に置かれていることだ。その時B・Cとも、〇には事実上連絡不通なのである。

露骨に牙を剥くCはともかく、Bさえも不通か、あってもメールなど限定されていたりする。
その際、十全に通ずるのは何故か原則Aのみだったりするのである。

或いは、A―〇間もメールなどに連絡が限定される場合もあるが。
電話口だと話が何処に流れるか、解らないからだ。思わぬところでボロを出す可能性大である。


それらは前記した、隠蔽的相互入れ子構造にある、真偽の背理関係の構築の為であり、詰る所情報操作の手口の一環にすぎない。
常に二項対立関係仮構の意図的演出が、その必提の前提となる。

要点は、結果すべての情報が、A(管理・工作者)を通した一方的管理統制の下、〇に流され、〇にその確認の隙を与えないことなのである。
当然、それは〇への分断・孤立化(離間工作)の一環でもあるが。


ところで、A・B・C間でも以下の二項関係が表面的には仮構される。

A~C(対立)

B~C(対立)

A=B(協力)

表面上A・B・Cの関係項は、あくまでAによって作為された上での擬態(茶番)である。故に実際の関係項は、以下のようだと一応は言える。

A=C(協力)

B=C(協力)

A~B(対立)

その場合、AにとってBさえも、〇とともに潰さなくてはならない「本当の敵」(隠された真の二項対立?)であり、且つは排除すべき「真正被害者」である可能性もなくはないが。
またAとCが裏で癒着しているなら、Bの立場はそれだけでもかなり微妙である。

だが寧ろBも、一連の工作に加担する日和見被害者である可能性のほうが高い。
尚且つ同時に、Bが単に乗せられ利用された真正被害者かどうか、その真偽はどう贔屓目に観ても大甘50%である。

それとも真正の「偽被害者・工作員」か。いづれにせよ近づくだけ剣呑な限りと云える。

更には一切がA・B・Cすべてがつるんだ田舎芝居であるであるなら、その二項対立関係自体が笑うべき茶番であり、さらには狡猾な二重の罠の可能性のほうが高い。

例えAの正体に気づいても、安易にBに相談などしないことだ。余計ドツボに嵌るかもしれない。

もっとも、もし日和見被害者であれば、加害工作・離間工作や情報搾取など、用が済めばBもCも早々に〇の前から姿を消すからすぐ解る。


抜本的に、Aが真しあかに〇に語るその二項対立関係が、本人乃至は誰かに委託・作為された仮構(フィックション)にすぎない。

その仮構された関係項で、一緒になって踊らされるのは愚の骨頂であり、状況がより悪化する。

おまけに余計な敵まで作ったりする。何より奴らはその仮構された二項対立関係を、逆捩じで悪用して、却ってこちらを攻めてくるからだ。

何より〇には、自閉的各関係線上の出来事だけに、具体的にはA以外に確認のしようもないのである。それ自体が情報操作による、分断・孤立化(離間工作)に他ならない。


と言って、その真偽を事情を知らぬ関係線外の他被害者に相談したところで、その真偽については、いづれにせよ批評的蓋然性をでない。寧ろ相談自体、極めて危険な事だろう。

何故ならAもCも、外部には得てして所謂「いい顔」している場合が多いからだ。
却って〇こそ「工作員」と、外部に疑われる可能性の方が高いのである。
如何せん、唯でさえ狭い被害者活動界隈である。唇寒い次第だ。

その「いい顔」が、真善か偽善かはさて措き、凡そ用意周到に計算づくで、周りは予め固められているのである。まさに集ストの風評工作そのものだ。
まさにそこにこそ、策謀する輩の正体を、計らずも覗かせているとも云える。

抜き差しならない背理関係の罠に、既に落ちているということだ。正邪すり替えの離間工作だ。だからこそ、それは同時に分断・孤立化なのである。


Aは〇が工作の疑念を言いだすのを、実は虎視眈々と手ぐすねを引いて待っている。
だから当のCこそが「偽被害者・工作員乃至は寝返被害者」の存在を、先ずは〇に態々「ほのめかし」てきたりもする。

〇がその場にいないAにその旨を後で語ると、Aはさもあらんとしたり顔で頷いたりする。しかしその時点で、既にAの術中に嵌っているのである。

もし本当にCが「偽被害者・工作員乃至は寝返被害者」だったとしたら、ガラが割れてる以上、〇の前からはそこで降板だ。例え軽い「ほのめかし」程度だったとしても。

寧ろそれで良しとできるのは、それなりのシナリオや、そう言わしめる教唆者・ディレクター(管理・工作者)がいる証拠なのだ。
当然ながら、A以外にその役割を担う者はいないはずなのだが。

Aの管理・工作シナリオに於ける、背理的印象・暗示の仕込みが、翻ってAのアリバイともなり、正邪逆転のすり替えや離間工作の基礎ともなる。

こういったからくりは、常に誰かの指示の下、グループ全体で仕込まねば到底無理なのである。


その上で、Aはこの偽装シナリオ自体の存在を、Cの攻撃に呼応して、意図的に〇にいろいろ「ほのめかし」てくるのである。

〇にだけ解る仕方でシナリオを露呈し、本人にその疑念を自覚言及させる為に。時には挑発的アンカリングの連打までして、「まだ解らんの?おまえアホか?」と云わんばかりに。

そして〇がそれに反応して言及した途端、待ってましたとばかり、例のガスライティングの定石である、正邪逆転すり替えが待っているのは言うまでもない。


もし最後まで〇に粘着して、絡んでくる者があるものがいるとすれば、それはAのみである。その場合寧ろ挑発の上、是が非でも〇を使て、この工作に言及させたいのである。

(*さもなくば、一速く〇の前から事実上遁走するか、意図的に音信不通の状態に仕込む。そのくせ、それとなくネット上で粘着して探りを入れて来たりする。またその痕跡を態と残したりする。住居侵入のアンカリングと同様だ。結果、やはりこの工作に言及するよう誘導する。)


よしんばそこに〇が言及すれば、心外だと口を尖がらせて惚けるのも、またガスライティングの定石通りである。最悪、Cのみに罪を背負わせるという保険付きで。

寧ろ言外に、〇こそ「工作員」だと、外部に向けては逆捩じの印象工作を刷り込むのである。絶対に足の着かない巧妙なレトリックで。その手際は思わず唸るくらいだ。

よく言う言い訳として、「私が本当の被害者だから」というのがある。
ならば、〇こそ「偽被害者・工作員」だというの?随分、〇には失礼な言い回しだな。(笑)

その失礼を次々と〇に、厚かましく畳みかけてくるのが、逆捩じの印象工作である。確かにその文脈内に、Aの虚偽の直接的証拠は見つからない。狡猾にも決して尻尾は出さない。
それだけにAのシニカルな心象は、十分すぎる程自ら露呈している。

Aの正体と策謀を逆説的に露呈しているということだ。その危険な工作能力さえも。
寧ろ〇には解るその露呈の仕方こそが挑発の一環であり、意図的であるのは言うまでもない。これも定石通り(アンカリング)である。

(*例えば、A乃至Cは映像・音声・公的訴訟書類など、明らかに作文ではない被害証拠の提示を求めても意図的にこれを無視する。その有無による真偽の是非以前に、そこには必ず軽侮と憫笑綯交ぜの露呈がある。総じて加害側の人を食った厚かましさとは、露骨な侮りの表徴である。「何?なんか文句あるの?」と、舐めた態度を無言で示してくるのだ。つまり、それも挑発的アンカリングだということだ。それこそ「本当の被害者」なら、常にその用意があるはず。何故なら、自らのアイデンティティを証明する必要に、常に差し迫れるからだ。それでも、既に固められた周りが信じてくれないのである。ならば「本当の被害者」たるA乃至Cが出さない、乃至は出せない理由は?)

だが注意深く観察すれば、Aのその言動は各関係項に於いて、必ず微妙に矛盾を露呈する。

時にしびれを切らすのか、〇が言及する前に、Aの方から先制で仕掛けてくることもある。
俗喩にも「雉も鳴かずば撃たれまい」と云う。先出しの牽制球だろうが、笑止であろう。何、それさえも計算づくの挑発的アンカリングなのだが。


惚けた顔をしながら、役割としてAこそプロの工作者(仮)である。皆かなりの切れ者だ。

その多くは、執拗なまで人を陥れる奸智と実行力に長け、あざとい印象操作や暗示刷込みの手際、策謀グループの掌握と管理能力からも、相当なコミュニケーション能力も持っている。

またその目的の為、厚かましく人のプライヴァシー領域まで土足で蹂躙して憚らない。総じて人を舐めているのである。

第一、したたかであざといまでに駆け引き上手だ。彼我の認知的差異のバイアスにつけこんで誘導し、巧みにこれを利用する。弱みをそれとなく突いてきたりするのだ。

そして、その差異のバイアスを作為するために、予め二項対立の背理的罠を構築するのだ。
その全てがミスリードの仕込みなのである。

だからこそ、その実態や能力を韜晦・隠蔽するため、自らに対する態とネガティブな印象工作さえ、予め仕掛けている。
その際、精神障害や電磁波がらみのアリバイ手口や逆印象工作をとることも多いようだ。

時に堂々ボケを演じてみたり、人を食ったかなりの名優も存在する。感心する次第だ。
それはいざと言う時の免責の用意でもある。そのご念のいった用意周到さは、まるで忍者のようだ。(だって、プロなんだもん!)


目の前にいる、明らさまな敵(例えばCの如き)しか認識できない、人のいいウブな真正被害者など、奴らにとって、まるで赤子の手を捻るようなものだ。いいように翻弄される。

但し奴らとて人間なので、言端に、つい本音を漏らすことがある。

聞きもしないのに己の党派性や錯誤した方針、帰属グループ等を、誇示的に「ほのめかす」のだ。実は、それも逆捩じの印象工作の一環だが。

仮構の二項対立・二律背反関係の作為により、その帰属グループの正当化は、逆説的に対立する〇の錯誤を表徴し、遂には虚偽の「偽被害者・工作員」ということにされるわけだ。

それも、本当の工作者の策謀により。まさに、逆捩じの印象工作たる所以である。
それともお得意の「精神疾患」に仕立てるか?大笑いである。


ともあれ、往々にそれは〇とは意見・方向が背理する集団である。それこそが〇を潰したい所以であり、また策謀の震源地を示している。

曰く。紐付きか、全くの偽グループ・偽団体だ。相互マッチポンプ機能を、現場で操る連中である。

但しそれらは、上位加害サイドのフロント・末端グループにすぎない。一番の問題は、背後でそのグループを操るのは、何処かということだ。

統創各カルト系・左右各政治団体系・公安生安系・南北各在日系・左右各同和系・東西各ヤクザ系など、上位加害サイドと思しき所は、それぞれいろいろあるだろう。

やがてその正体も、Aは自ら「ほのめかし」てくるが。但しそれらは皆、結局その更に上位で通底している。つまり、どう転んでも加害側の一員なのである。


結論。A・B・Cは皆、本当に被害者であるか否かに関わらず、その加害末端グループの構成員・乃至は関係協力者である。まさに日和見被害者こそ、その典型と云えよう。

殊にAについては、そのプロの仕事ぶりからいって、最善でも洗脳漬けの紐付被害者か、最悪やはり完全な偽被害者・工作員であろう。

それは「被害者で加害者」の一人なのかもしれない。但し役割として、裏でその教唆段取りを組む立場だ。

その実態を全て隠蔽・偽装の上での「被害者」。つまり多くは偽被害者・工作員とみるのが概ね順当だからだ。

よしんば日和見被害者だったとしても、既にその欺瞞的上位加害サイドに、謂われるままかなり強依存していることは確かだ。だとすれば、もはや衆愚というより憑依状態に近い。

加害マニュアルさえ、しっかりレクチャーされて実行している。その実態に関わらず、既に事実上プロの工作員そのものと何ら差異はないのである。その役割も現場主任級だ。

もはや、真偽不明というより真偽不問の工作者達(仮)なのである。

或いはその実態の多くは、上位加害サイド出向の中堅選手(職業的真正工作員・プロ市民)とも思われる。

その正体の如何によっては、その所属グループや背景団体・集団の実態も、自ずから露呈することになるだろう。


そこで最も重要なのは、真正の「偽被害者・工作員」(加害サイド構成員・スパイ)ばかりでなく、場合によっては例え被害者でも、当然のように加害行為を仕掛けてくるということだ。

被害現場でよく耳にする、所謂「被害者で加害者」の存在がそれを裏付けている。その正体は大マカ先の通りだ。


敵は目前のみとは限らない。策謀は常に一人ではなく、チームで遂行されるからだ。
そして単純な敵味方(二項対立)で割り切れるものでもない。被害の真偽ではなく、その工作者(仮)の所属スタンス(党派性)によるのだ。

平坦な二項対立による「工作員問題」など、無意味どころか、却ってミスリードの懼れ大であることが解る。

殊に紐つきの連中なぞ、意図的にこの加害行為とミスリードを仕掛けてくる。自分達以外を、虚偽の「偽被害者・工作員」に仕立てて排除する為だ。

更にタチが悪いのは、一方の紐付きを指摘・糾弾する者が、対抗する他方の紐付きだったりすることだ。目糞鼻糞、どこまで行っても作為の党派性を出ない。


彼我の関係項を目前の敵味方でのみ分別する、所謂「工作員問題」が常に陥る盲点である。寧ろその「敵味方」の二項対立自体が、凡そ党派性等による作為的仕込みをでない。
或いは、それに振り回された自己都合の狭隘さだけである。

党派性とは政治的宗教的に、相互相克関係にある被害者が存在するということだ。またはその縛りや、各対抗集団の管理下にある被害者がいるということでもある。

例えば反日左翼(在日左翼)にやられている保守系被害者と、売国右翼(朝鮮右翼)にやられている左派系被害者、等。
仮に両者を二項対立として観る限り、凡そ共闘など端からできるはずがない。

反日左翼=売国右翼<支配マイノリティーという、両建て構造と分断支配による、相互マッチポンプの実態と本質が観えていないのである。
或いは、意図的に隠蔽・目隠しされている。

その対抗関係の実態は闘争どころか、擬態的競争関係に過ぎない。馴れ合いのプロレス興行と原則同じなのである。その擬態演出と裏での癒着は、各カルト間も同様だ。
例え末端の対抗意識が本気でも。

寧ろ末端では、ガチンコで叩き合ってくれた方が、相互で火を煽りまた消火して、自ずからマッチポンプを機能してくれる。

煽って嵌める落とし所は予め計測され、且つは都合の悪いことは相殺してくれるからだ。その成果のみ通底する最上位が攫っていく。

結局、双方つるんで上での仕込みである。競争の上つるむのは、各対抗集団が、所詮作為された「戦後体制」(戦後レジーム)を翼賛する諸団体だからだ。

因みに各対抗集団を牛耳るのは、所謂「日本人」ではない。少なくとも、我々同様の一般日本人ではない。


だから、多くの各「被害者団体・被害グループ」を運営するのは、やはり真正の「偽被害者・工作員」がほとんどである。
上位加害サイドからのプロの出向者達だ。それには「日本人」でない者も含まれる。

それら各「被害者団体・被害グループ」は、被害者囲い込み・飼い殺しと洗脳・ミスリードの為に存在する。先の上位加害各対抗集団の下部組織だからだ。
つまり、組織としては全く偽だ。

何より問題なのは、被害者が奴等に絡めとられ、都合のいい「兵隊」として使い捨てられることだ。その使い捨て業務は、相互マッチポンプ機能の末端委託アルバイトである。

「被害者で加害者」の豹変、「紐付被害者」の狂信、「日和見被害者」の姑息はその顕著な表徴である。

奴等にとって使い易い、いい手駒であろう。その狡猾な両義性もマッチポンプの一端だからだ。

だからそれらはそのスタンスで役割を分担し、且つ重複する。例え本当の被害者でも、そのスタンス次第で工作者(仮)として、策謀を実行するわけだ。

奴等にとって、都合のいい「兵隊」とならない邪魔な被害者は、其処では汚い策謀の上、排除される。それは必ずしも、単に本当の被害者故とは限らない。
例え本当の被害者でも、操れる都合のいい「兵隊」要員は寧ろ厚遇される。上記の如くだ。

パージ対象は大人しく洗脳・ミスリードに乗らない、自分で考えて行動する自立した本当の被害者(真正被害者)である。紐に絡め捕られずに、虚偽・欺瞞を喝破できる人だ。
それは自称「本当の被害者」をいうのではない。


無論、本当の被害者でも単に範疇違いは、やがて追い出されるだろう。例えば、左派系紐付団体での保守系被害者。またはその逆など。そもそも、端からお呼びでないのである。

だが同様に、紐の先にある上位加害集団と「対抗する立場」(擬態的競争関係)なら、やはり加害下位の「偽被害者・工作員」でも、その「偽団体・偽グループ」からは足蹴に排除される。
それも、範疇間違い(対抗「偽団体・偽グループ」)の要員だからだ。

故に「偽被害者狩り」に熱心だからと言って、本当の「被害者団体・被害グループ」とは限らない。寧ろその逆の場合が多いだろう。その所以の一端は先の如しだ。

ましてその二項対立が作為的擬態・茶番であれば、もとより話の他である。
第一、その「偽被害者狩り」自体が加害側の手口とメンタリティーに他ならない。則ち「集スト」そのものだ。


因みに上位カルト紐付運営の各偽団体では、当の運営カルトの悪口雑言(ヘイト)を、工作員の指導の下、本当の被害者にも態とがならせているそうだ。

被害者の信用と言及内容を貶めるための、自作自演の単純マッチポンプだが。その場合は範疇間違いも、その人の真偽を問わず、ある意味都合よく利用されることがある。
つまり、それも洗脳・ミスリードなのである。

却って当の極悪カルトを、「真善の美団体」と世間に逆印象させる行為だからだ。これも原理として、逆捩じの印象工作の一環と云える。

何重にも罠は仕込まれている。単純な「真偽の二項対立」なぞ、故に無意味である。


無耳法師が紐に煩わせない、自立した真正被害者との連帯を求めるのは、だから切実な意味があるのである。桑原桑原。

自立した真正被害者とは、まずは既成の政治宗教のバイアスに、依存的に絡め捕られない人である。そして、そのスタンスに立てる人である。

而して既成の政治宗教のバイアスに嵌らない、それから超越したニュートラルで公平な構造的スタンスが必要だ。
組織論として、現状では党派性のバイアスによるイジメと内ゲバしか生まれない。

それは法的対処を中核手段とした、それ以外ないと考える。訴訟用意のない者は自ずから排除される。偽被害者にその用意はない。

要は構造的に、工作員の付け入る隙を与えないことだ。またカルト内被害者さえ、その証拠・証言とともに受け入れることも可能だ。

このことは別項で詳論したい。

(*世間の向こう側の二項対立関係など、全部つるんだ上での大嘘である。加害側が為にする罠なのだ。このことはこのブログで何度も言及した。唯一本当に実在する二項対立は、真正被害者と加害サイドの本体だ。それ以外は全て擬態・欺瞞である。営利事業としてこの被害を利用する「うそ被害者」や、全く加害側の偽装である「偽被害者・工作員」は端から論外だ。言葉もない。而に仮構の二項対立で洗脳された党派性や宣教目的、仲間内の利害関係・利益相反のみで動く「紐付被害者」にも、この事実は決して耳順しない。寧ろ被害現場でその仮構対立・作為に奔走するのである。当の加害者・工作員の手口そのままに、真正被害者を二項対立的に加害・排除して。このことは、如何なる「大義名分」や姑息な「言い訳」があろうと、決して是認されるべきものではない。完全な利敵行為だからだ。それがどれだけ、真正の被害者間の連帯を阻害・破壊しているか、解らぬわけでもないだろう。いったい何年、「被害者」やってるのか?とどやしつけたくなる。また、何の為に?このことも別項で詳論したい。唯一つ今言えるのは、その「大義名分」や「言い訳」こそが問題と云える。仮構の二項対立作為そのものだからだ。何より彼等自身が、その作為的二項対立に洗脳操作されている事に、ナイーブに余りにも無自覚だ。自らの首を絞める相互マッチポンプ機能を、愚かにも手弁当でやらされているのに。故にこそ、奴らの情報操作に騙されぬ、抜本的で正確な被害認識と、解決目的のスタンスこそがまず問題である。臭いものに蓋では駄目だということだ。戦略論・戦術論・戦闘ツールはそれに次ぐ。それ抜きに目の前の被害対処を論うのは無意味どころか、却って巧妙なミスリードにすぎない。結局その紐を付けたのが、他ならぬ通底する加害側だからだ。その紐を外すには、先ずは集ストが犯罪だと、法的にしっかり論証し周知することである。加害側が最も嫌がる論点である。当然ながら周知チラシ等も、その内容に即したものでなければ意味がない。また、それだけでも意味がない。)


話を戻す。三枝構造のその後の推移・展開についてだ。

そこでA2・B2・C2で構成される、上位第2グループに連結して、策謀レベルを上げていくことがある。何せ、相手はプロとその集団なのだ。

その為にもA・B・C間で、二項対立の抜き差しならない背理的アポイアに、まず〇を嵌めていくのである。唯一の避難口として、〇を上位レベルに誤誘導するためだ。

Aはこの上位グループへの誤誘導(ミスリード)の為に、〇に暗示や偽情報の刷り込み等いろいろで、予め執拗な印象工作を仕掛けてくる。

その際、Aは常に上位A2の指示で作為する。またA2は〇に対しても、原則Aを通じて対応しようとする。
先に上げた真偽の背理関係構築の為であり、情報の一方的一元管理の必要からだ。

B・Cの役割についても、B2・C2はレベルに呼応した上位の同役割を演じる。

レベルが上がっても、〇を中心に常に三枝構造(トリアーデ)を構成する所が、要点だ。
尚、レベルが上がるほど、その策謀の毒も強くなる。
また3人とも真正の「偽被害者・工作員」である可能性が極めて高くなる。

この続きは別項で述べたい。


以上はあくまで一般論であり、特定の自称被害者・グループを直接指すものではない。
但し被害者と自認するなら各自、いろいろ思い当たることがあるはずだ。策謀にはマニュアルがある為、一定のパターン(類型)があるからだ。

則ち類型仮説による推論とその一般化である。但し経験による裏付け(実証)があることだ。決して「疑心暗鬼」による「被害妄想」ではない。
対する逆捩じの印象工作は、既に想定の範囲内である。

あとは解る人には解ると謂わんばかりだ。

(*因みに、〇は上記のシナリオ誘導の為、予め電子的にある程度操作されていることが多い。刷り込みの人工夢その他で。その場合、要所でデジャヴ感に似たものがあるから、本人にはその場で大概解る。逆に言えば、それを感じれば罠である可能性大である。シナリオの大筋も凡そ見当がつく。実際、回避できるかはともかくとしても。だが同時に、それが「被害妄想」ではない、自己の内心でのまず以ての証なのだ。無耳法師も然りだ。それ自体、何も他人に理解を強いる事ではない。そうではなく、他人には被害文脈を出来る限り、客観的に明確に論証するのみだ。電磁波系の被害を具体的被害文脈抜きで、それのみ論うのは現状に於いてかなり問題であり、且つ甚だ危険だ。常に弁えた分別が必要である。故に無耳法師も今は注釈の形でしか言及しない。但し工作員が外部に印象操作として、逆捩じで利用するのが「電磁波」なら、統失工作の為内部で暗躍する工作員が躓くのも、やはり同じく「電磁波」なのである。この問題を持ち出すと、かなりうろたえることでも解る。作為して嵌める、落とし所を塞がれるからだ。また被害者界隈を偽装潜航する必要上、これを立場的に全否定もできないのである。まるでブーメランだ。(笑)と言って、実際こちらも電磁波被害はあるので致し方ない。実はこの文を推敲しながら、既に疑似デジャブ感がある。加害側の反応が楽しみである。)


尚、現在一切コメントは受け付けておりません。これを破る者は悪質なら業務妨害で通報します。

加害者及び偽被害者・工作員、被害者で加害者、紐付被害者、うそ被害者、寝返被害者、日和見被害者、一切お断わりです。探りの為、閲覧しに来ないで下さい!

尚、明記なく且つ無断で無耳法師の文章・文節を引用することを禁じます。勝手に著作権・知的財産権を侵犯しないで下さい!あしからず。

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プロフィール

無耳法師

Author:無耳法師
 

石川県在住。男性。カルト勢力による、集団ストーカー・電磁波犯罪被害35年。内、防犯ネット悪用での違法監視・不法行為被害7年。彼等犯罪者との徹底抗戦を希求している。伴に闘う被害者同志を求める。

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