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法的闘争のスタンスとその交渉相手② 「出来レース」と「ヤメ検・ヤメ判」弁護士

・法的闘争のスタンスとその交渉相手② 「出来レース」と「ヤメ検・ヤメ判」弁護士
そもそも刑事裁判被告人が、しばしば「ヤメ検・ヤメ判」に刑事弁護を頼むのは、その出身故の「コネ」や「人脈」を頼ってのことなのである。

実は刑事訴訟も民事訴訟同様、裏では「示談」の掛け合いの世界だからだ。彼等「ヤメ検・ヤメ判」をして、知古である判事・検事との、要件・量刑等での「差し替え・値切り交渉」を請け負ってもらうのである。所謂「落とし所」も自ずとある。
公判とは、多くはその掛け合いの「腹芸」で、互いに渉る場にすぎない。「交渉」たる所以である。

それがまた、刑事で起訴案件の99%が有罪になる、一つの背景である。端から結審シナリオはできているのだ。凡そ「出来レース」でないものは、世の中に存在しない。
形を変えて、その「出来レース」の総体みたいなものに、我々集スト被害者は苦しめられているのである。


「ヤメ検・ヤメ判」はその出身故に、向こう側(官賊)に即「筒抜け」の虞もある。
弁護士法での守秘義務違反だって、バレなければそれまでだ。何よりこちらには、その立証手段がないのである。

まして官賊のみならず、お得意さんたる「プロ犯罪者」(ヤクザ=罪荷血)の手前もあることだ。
曰く、暴力団(罪荷血右翼)・風俗・パチンコ・覚醒剤常習者・不法入国者等。これらはカルトの暴力装置であると同時に、官賊(警○)の被管轄・下部組織(犯罪機構)でもある。また罪荷血が主体故に、左翼・過激派とも繋がっている。
以上は皆、「集スト」加害人脈のご常連だ。


ならば、最も危うい相手ではないか、と思われるだろう?必ずしもそうではない。即ち、奴等の人脈や手の内を、最も熟知する位置にいることも確かだからだ。
それ故に味方にできれば、これほど心強い者もいないのである。奴等にとって、脅しや風評工作が一番やりにくい立場でもある。ある意味、これも程度の問題(相対評価)だが。
無論、端からズブズブの向こう側も多いことも、既に記した。


そもそも裁判とは、互い(原告/被告)のシナリオを争う場所なのである。問われるのはそのシナリオの整合性であって、必ずしも事の是非ではない。
民事こそその傾向が顕著だが、刑事だって事の本質は変わらないのである。

それ故に、「冤罪」の作為は凡そ構造的であることが解る。刑事訴訟で、公訴権を独占する検察側(警察を含めた)のシナリオが、圧倒的に優位だからだ。
逆に言えば、例え実際無罪(冤罪)でも、堕ちるときは堕ちるのである。「出来レース」たる所以である。

実は「ヤメ検・ヤメ判」が得手とするのが、そのシナリオの構成上や手続上の瑕疵を見つける事なのである。必ずしも、「冤罪」か否かではない。
その上での「値切り交渉」乃至は「取引」ということになる。謂わば、瑕疵による「シナリオ修正」を求めるわけだ。
その瑕疵の大きさによっては、当然不起訴(シナリオ廃棄)もありえる。

無論ガチの裁判も多々ある。名利商売の弁護士にとって、大向こうを唸らす「勝訴」なら、美味しい仕事に違いはない。
逆に云えば、所謂「勝てる裁判」なら、「ヤメ検・ヤメ判」に限らず、どの弁護士にとっても自ずから話は別だということだ。それは刑事のみならず、民事・行政その他でも同様だ。立場はともかく、少なくともその限定(枠内)に於ては。


そんなこと、当たり前だと思うだろう?話はそう白黒に単純なことではない。あくまでそれも、「出来レース」の枠の内(許容範囲内)だということだ。而して我々の相手は、当のカルト権力そのものなのである。
謂わば、敵の手の内を熟知する「ヤメ検・ヤメ判」が、その枠内ではモア・ベターである所以も理解できるであろう?相手が「受任」してくれればだが。

元来、官賊(検察)と弁護士とは、お互い仮に「競争関係」であっても、決して「敵対関係」ではないからだ。
そもそも「競争」(ライバル関係)が成り立つのは、法曹という「同じ会社」(司法官僚機構)に属するが故だ。すべては、その「枠内」のことなのである。
それは官賊(警○)と民間犯罪組織(罪荷血ヤクザなど)の関係と同じだ。「同じ一つの犯罪機構」に属する、仮の「競争関係」として。(*実態は、支配・被支配関係だが。)

この「出来レース」の所以は、裁判のみならず、日本の社会制度・政治機構の全てに及ぶ。それが結局「相互マッチポンプ」システムであることは、言うまでもない。
その大本は、「戦後体制」(反日左右支配)の大枠そのものなのである。
而して我々集スト被害者は、その危険な枠内を上手に遊泳しなければ、浮かぶ瀬がないのだ。それには、明確な闘争スタンスが必要だ。


どうせ敵と云えば、端からみんな敵なのである。そんな事は今更の話だ。
まず問題は、「勝てる準備」を整えることである。誰に依存しても、助けてくれる人・機関なぞ存在しない。
もし、カルト権力相手に民事・行政訴訟などを仕掛けるなら、自らがその「勝てる準備」を整えることである。他はない。

「勝てる準備」がある程度整うのに従って、弁護士を含めた、加勢する勢力も自ずと現れるのである。話は逆なのだ。残念ながら、その辺りが転倒している被害者が多い。
但し、「勝てる準備」は単独では不可能だ。為に共に闘う同志が必要なのだ。

その際、裁判の勝敗そのものは、実はそれほど重要ではないのだ。何も「勝敗は刻の運」などと宣うつもりもない。
次の問題は、それを一つの「政治活動」(集スト被害者解放)の契機として、旋回運動をしていくことなのだ。当然、街宣・告知もそれに伴う。
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プロフィール

無耳法師

Author:無耳法師
 

石川県在住。男性。カルト勢力による、集団ストーカー・電磁波犯罪被害35年。内、防犯ネット悪用での違法監視・不法行為被害7年。彼等犯罪者との徹底抗戦を希求している。伴に闘う被害者同志を求める。

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