HKS魚拓
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闘うべき相手。

・闘うべき相手。
この犯罪(集スト・テク犯)は、相手(犯人)が特定できない犯罪である。縦横全ての社会インフラに及ぶからだ。
カルト(草加・盗逸等)のみならず、警察の公安・生安も、ヤクザ・右翼や過激派・左翼も、防犯ネットの企業・労組や一般人も、役場も病院も狂残党も、みんな「仲良く」加担している。
但し、どこでも現場を仕切っているのは、結局「罪荷血筋」だが。

ともあれ、この犯罪手口をそれぞれが個別に、亦それぞれ違う対象に使っているんなら、それは手口の共通であっても、加担の共通ではない。例え手口が同じでも、それぞれ別個の犯罪である。
要は拳銃一つでも、軍隊もヤクザも同じく所持するが如しだ。それをそれぞれが個別に、亦違う対象に使用するのと同じだ。


ただこの犯罪の場合、個別加担者(組織)とその攻撃対象が違っても、それぞれが個別に完結することはない。それぞれが必ず、何処かでリンクしている。
個別の「とば口」が如何に違っても、つまり全体で一つの犯罪なのである。如何に多様な加害者群がこれに加担しようと。

亦このことは、当然ながら被害者全体にとっても、一つの犯罪であることを意味する。
それだけに、個々の個別的被害でも、所謂「主犯」組織の特定は困難である。様々な勢力が入れ代わり立ち代わり、神出鬼没に動くからだ。

一つには風評工作の故か、被害者が救護を求めて動けば動くほど、寧ろ加害の輪は広がる傾向にある。それも積極的な「加害の輪」だ。


そのすべてが、刑法上での立派な組織的「共犯」関係と云える。その意味では、特定可能な「主犯」なんて、凡そ存在しないのだ。例えその「共犯」関係を主導する組織はあるにしても。

縦横で共犯する組織は皆、同じ共犯でも共謀的な「共同正犯」であり、単に加担助勢する「幇助犯」(従犯)などというレベルではない。
それを民法の文脈で云うならば、すべてが「共同不法行為」(民法719条)の大枠に収まる。

加担者の多くが、例え無辜の第三者を利用した「間接正犯」の範疇にすぎなかったとしても、その利用主体たる正犯者の責任は決して逃れる処ではない。
尚、民法715条「使用者等の責任」を参照願いたい。

(*因みに法律用語・概念で、所謂「主犯」というものは厳密には存在しない。それは通俗用語にすぎない。乗せたにせよ、或いは乗せられたにせよ、一緒に犯罪を起こしたなら、それは共に「正犯」である。故にこれを「共同正犯」と呼ぶ。以下「共犯」の刑法条文を参照されたい。正犯と従犯を合わせて「共犯」と呼ぶ。

→刑法60条 共同正犯
二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

→刑法61条 教唆
人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。
2.教唆者を教唆した者についても、前項と同様とする。

→刑法62条 幇助
正犯を幇助した者は、従犯とする。
2.従犯を教唆した者には、従犯の刑を科する。

→刑法65条 身分犯の共犯
①犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。
 →これに関連して、刑法193条 公務員職権濫用罪以下を参照のこと。

*尚、「間接正犯」の法的概念について一言で云えば、犯罪実行に於て、事情を知らない第三者を、道具として利用する者が「間接正犯」である。当然利用した者のみが正犯とされる。その犯罪行為と責任の同一性を前提とする概念である。それだけに、実行着手の主体が問題となる。知らずして犯罪実行に利用させられた者をも、同じく正犯とはできないからだ。また犯罪要件成立として、実行の着手を利用者側に置くか、或いは被利用者側に置くかで、学説としては利用者基準説と被利用者基準説がある。要は教唆犯と共同正犯の概念的隙間・齟齬を埋めるものである。と云って、知った上での幇助・従犯としての関与は、自ずから別問題であることは謂うまでもない。尚、共同正犯の場合、責任は一部実行全部責任が原則だ。部分関与だけでも、その罪は逃れる処ではない。更には刑法207条で、傷害の非共謀的「同時犯」をも認めている。何度も謂うように、この犯罪は広義の「暴行・脅迫」に中る。亦行政法を含めた民法体系での「両罰規定・使用者責任」も、視野に置くべきだろう。天網恢恢疎にして漏らさずだ。)


確かに被害共通の中核となる組織は幾つかある。謂わばこの共犯関係での、主導的「教唆犯」(正犯)組織に中る。
曰く、カルト(草賊・盗賊系)や、ヤクザを含めた左右の反社会的団体(プロ市民)。
防犯ネットが稼働しているなら、当然ながら警察(公安・生安)だ。
民生委員などの基盤である、地域支配利権層や既成教団(仏・神・基)等もこれに応じて暗躍する。
そのすべてが、加害での縦横の要となる組織である。

その中でも、殊に警察(公安)とカルトは縦横不離の癒着関係にある、肝心要の中核組織である。カルト権力たる所以であろう。
だが同時に、他組織がこれに積極謀議加担(共同正犯)しなければ、この犯罪はトータルとして機能しない。亦その犯罪目的(動機)を満たさないのである。

(*その犯罪の大目的とは、上位国際勢力による「日本乗っ取り」貫徹だからだ。「日本政府」も所詮その代官にすぎない。その地均しの為の「警察国家=カルト国家」の成就であり、その口実の為の「犯罪社会」の演出・既成事実化と云える。だから「集スト」により、この国が倫理崩壊し、社会的経済的不安環境が拡大することこそ、まず以ての小目的なのである。「泥棒さん」がいなければ、「お巡りさん」は儲からないし、失業する。ならば組織的に、まずは「泥棒さん」を育成する所から始めねばなるまい。お百姓さんが、やがて収穫すべき農地を、今はせっせと耕すように。警察、特に公安の日常業務は、そんなマッチポンプ機能の仕込みで終始している。亦そんな荒廃した世界こそ、実にカルトの稼ぎ処である。現実逃避の麻薬的幻想世界しか、拠り所がなくなるからだ。その両者が二つ看板の実質同一組織であれば、けだし満願成就の大法楽であろう。当然、その経営者は日本人ではない。寧ろ日本人の血肉と死骸を、その餌とする立場だからだ。
*そして次の中目的は、一般日本人の完全なる家畜化・奴隷化である。それは奴等に決して逆らわぬ、そして自ら思考しない被洗脳・ロボット化とも云える。だから「集スト」による、衆愚どもの「取り込み」のみならず、「テク犯」による大衆への電子洗脳システムは、この点でも極めて社会的リアリティがあるのである。而に電子工学の専門家どころか、脳科学者も、社会心理学者も、社会学者も、哲学者も、政治学者も、そして宗教家も一切此処に言及しない。危機意識の欠片もないのである。ごく一部の非アカデミズムの啓発家を除いては。アカデミズムの大方は、加害側の「ひも付き」だからだ。寧ろこの犯罪の総体について、唯一経験的に把握できるのが、他ならぬ被害者自身なのである。故に一般周知活動・啓蒙活動こそ、被害者本人の救済のみならず、被害者の果たすべき社会的責任とも云える。以て被害者各位の奮起を、切に希望する次第である。)


但しその際、個別のある被害者から見て、その加害勢力と思しき組織と一見対立関係とされる組織でも、何故か同じく加害に加担(共犯)するのである。世間で唱える左右などの対立関係を認識軸とするなら、凡そ「主犯特定」なんて端から不可能である。
右かと思えば左から。左かと思えば右から。ヤクザと思えば警察から、・・・etc。
翻って、いずれも加害の立派な「正犯」(共犯)ではないか?

更には、例え時間を経ても、現在居る身内・所属組織からもやられる。身を守る盾となるべき組織的対立関係どころか、味方なんて、いつか何処にもいなくなるのである。
それは世間でいう「対立関係」など、端から欺瞞であり、擬態であることを示している。敵はどこにでも潜在していて、どこにでも隠密裏に工作できる。

当たり前だが、この犯罪は被害者が逃げ込める場所を作ったら失敗なのである。被害者の廻りを完全に悪意と敵意で囲い込まねば、策として成就しないからだ。味方なんか、やがていなくなるのも当然だ。
故に経済的にも政治的にも、或いは制度的にも宗教的にも、上下左右は既に「先回り」で、前もって固められている。
個別の組織間が、如何に表面上相克関係にあったとしても。この事は前記した。
それが全体で一つの犯罪たる所以でもある。


亦被害者の駆け込みを許す組織は、この犯罪を認知する組織でもあるということになる。つまり事が世間に露見する畏れもあるのだ。
その辺りの危険性は、加害側こそ熟知している。その点、「風評工作」にぬかりはないのである。亦、「上下左右」に等しく顔が利く社会層や身分が、主にこれを行うのである。

そもそも、そんな組織はもとより作らせないのが肝心だ。あっても、いずれ「乗っ取り」を計るのである。当然ながら、被害者団体つきものの「工作員問題」も、ここに由来する。

或いは、被害者を他組織に態と駆け込ませて、後から風評でその組織を味方につける場合もある。その場合は、抜き差しならぬ状態になるので、被害者は中で悶え死ぬしかなくなる。狡猾にして陰湿な手口である。

(*現役カルト系被害者で、その所属カルトから加害を受けている人がある。尚且つ当のカルトを辞められないのも、一つにはその為だろう。あくまで好意的に考えればだが。)


故に二律背反関係(二項対立関係)で、この犯罪関係を観ること自体厳禁である。「特定主犯」捜しなど、この二律背反関係による思考の代表である。
一方が成り立てば、他方が成り立たないのが、所謂「二律背反関係」だ。その際、一方がクロなら、他方はシロになってしまう。例えば草加がクロなら、盗逸系はシロだとか。

而に「双方建て」(両肯定)が成り立つのは、寧ろ隠蔽された共通項(共犯関係)がある所以なのである。

だからその共犯関係組織が、世間的には一見矛盾・背理関係にあることこそ、寧ろ最も重要な点と云える。生安とヤクザ、公安と左右過激派等。或いは痔民党と狂残党、左翼と右翼。そして草加と盗逸など。

当然その加担組織のそれぞれが、一見表面的な対立を超えて、実は全体で一つの大組織(ネットワーク)の各部署なのである。
手足や脳、心臓等に中る、それぞれの組織的差異はあるにせよ。
肝心なのは、例え右手で尻を掻いたとしても、右手と尻が「敵対関係」(対立関係)にあるわけではないことだ。その際、如何に尻が痛痒を覚え、右手が糞臭くなったとしても。(笑)


そしてこれら一見相克する関係の結合(共犯関係)から、自ずから浮かび上がって観えてくる存在がある。矛盾なくその中を通底して横断できるのが、所謂「罪荷血ネットワーク」なのである。
因みに奴等は、下層のみならず、この国の上層部縦横をも既に抑えている。つまり「上下左右」だ。背景にある国際勢力の擁護の下に。故にこれらを「支配マイノリティ」と呼ぶ。

更には所謂「世間的常識」(二律背反関係・二項対立関係)の類こそ、他ならぬ奴等「罪荷血ネットワーク」(支配マイノリティ)らによる「仕込み」(洗脳工作)の一環であることも、切実な被害者には自ずから解ってくるのである。
その作為的二律背反による情報的効果は、凡そ日本人分断と相互マッチポンプ機能の為にある。

今更「集スト・テク犯」被害者で、マスゴミのもっともらしい「御託」(情報)などそのまま信じる者はいないとは思うが。欺瞞に満ちた「世間的常識」の源泉だ。
「景色のいい能書き」(表面ヅラの嘘っぱち)は、サラ金のCMだけで結構である。もとよりサラ金も「罪荷血ネットワーク」所産だが。(笑)

この「罪荷血ネットワーク」こそが、この犯罪主導(正犯)の潜在的中心層である。それは寄生的に諸組織を横断浸透しては、犯罪教唆を実行する連中と云える。即ち縦割りに、「主犯」組織と割り切れる相手ではないのだ。
ならばまずは、目に見えて割り切れる連中を標的とすべきだ。


それは実行部隊の組織的中核である、警察とカルトであろう。これらを突くことで潜在する主導層を炙り出すしかない。それには法的アプローチが最善と信じる。
この問題に関しては、被害者同志でも見解の相違がある。殊に警察と事を構えることに対して、認知的不協和により感情的反発さえ生起する人が多い。

けだし警察(国家権力)を敵に回すことへの、原初的畏怖感を覚えるのだろう。但しそんな被害者でもカルトへの糾弾は、結構先鋭的だ。
実はカルトこそ、「日本政府」より上位の組織(カルト権力)なのである。警察をも自在に恣意的に、且つ組織的に動かせうる存在だ。
故に現在実質上、警察とカルトは縦横一心同体の関係にある。

その恐るべきカルトを既に「敵対関係」に置いて、何を今更の感がある。両者は既に共同正犯である。更に上位の国際勢力の庇護・指示(教唆)の下で。
何より、警察かカルトかの「二律背反的思考」こそ、敵の罠に嵌まる「躓きの石」なのである。


現在国内の公的機関や民間組織のほとんどは、既に奴等の掌中にあると考えられる。警察どころの騒ぎではない。敵と目せば、組織としては、みんな「敵」だ。
但し個人レベルでは、嫌々ながら加担させられている人がほとんどであろう。或いは、それが「正義」だと「洗脳」されている人達である。それこそ「間接正犯」の範疇論だ。
その人達に、進んで自ら声を挙げさせることである。またはその蒙を開き、真実に目覚めさせることであろう。

その秘訣は、相手組織自体を「敵対関係」(二律背反)で観ないことである。事を追及しても、人を糾弾しないことだ。寧ろ警察組織の健全化を論点とすることなのである。
内部でも、本心はそう思っている警察官がほとんどのはずだからだ。それが国を守ることでもあるからだ。

殊に権力と対峙するときは、堂々として懸らねばならない。「道理」(正論)を以て是非を堂々示すことである。この犯罪の構造的仕組み(事)を糾弾しながら。

その「道理」の根拠となるのが倫理と法律である。彼等にとって、最も痛いことである。その「痛いこと」(不法行為)を強いている存在を、内部から浮き上がらせて、排除させる方向に導くことである。
即ち、罪荷血・カルトを叩き出させることである。この国そのものの健全化の為にも。
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プロフィール

無耳法師

Author:無耳法師
 

石川県在住。男性。カルト勢力による、集団ストーカー・電磁波犯罪被害35年。内、防犯ネット悪用での違法監視・不法行為被害7年。彼等犯罪者との徹底抗戦を希求している。伴に闘う被害者同志を求める。

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