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所謂「左翼」なる者についての人類学的宗教学的考察その2

・所謂「左翼」なる者についての人類学的宗教学的考察その2
その思想は却って、現実(肉)から抽象・乖離すればするほど、高貴・高尚たる身分(霊的存在)を示す、象徴的言辞なのである。それが左翼・弁証法の本音(本質)だ。
奴等は自己の特権的聖性昇華を欲望する、特定の密儀宗教の司祭だからだ。

或いはこれを「前衛理論」とも謂う。これと全く同じ論理構造が、ユダヤ・キリスト教の「聖絶思想」だとだけ、今はとりあえず謂っておく。

その論脈では、「霊/肉」=「聖/賤」の二項関係の操作に於て、必ず身の上昇・聖別を図る。その基本が人類学的供犠論・密儀論だからだ。
この操作は、元来魔術的(呪術的)であり、構造的に必ず外部に生贄を要とする。
そのネタ元の濫觴は、ご存じ「カバラ」である。

その際、必ず「霊/肉」=「聖/賤」の二項対立(二律背反)関係そのものを、相互マッチポンプとして意図的に仕込む。
つまり「左/右」は常に、構造上ワンセットなのである。狂残党と公安の「競争関係」なぞ、その陳腐な類型にすぎない。
その顕著な類型的論脈が、所謂「弁証法」である。

何よりその構造に、彼等の利己的なアイデンティティー(同一性)を担保する根拠がある。欲望(エゴ)としての「聖性」を、その身に成就を謀るのである。
常に自己証明(アイデンティティー)とは、自己成就である所以だ。欲望(エゴ)そのものの、身の同一性の為に。

結論として謂えば、実は左翼思想こそ徹頭徹尾、一部エリート(前衛)の為の「差別思想」「支配・抑圧思想」なのである。無論、一般日本人を搾取・抑圧する為の。
集ストこそ、その如実な仕込みである。

またその一部エリートとは、既に上昇・聖別された特権的支配層故に、当然最上層は「日本人」ではない。その多くが所謂半島人の血脈(罪荷血)なのは、言うまでもない。


一方の「マッチポンプ」の相手役の朝○右翼筋が、同じ罪荷血でも主に下層出身なのと、一見対照的だ。それは意図的にそう仕込まれているのである。
寧ろ「賤」であるが故に、必ず「聖」を欲望する。そのルサンチマン感情(怨恨)に火を点けて。

その際、前記の「霊/肉」=「聖/賤」の二項対立・昇華に於て、一般日本人を「生贄」として咬ますためだ。
また本当の敵が、他ならぬ罪荷血上層とその背後勢力であることを、隠蔽するためだ。
この作為的二項関係操作は、「ヘイト法案」、「人権擁護法案」の形で今も現在進行中である。

故に「左翼/右翼」の二項対立(二律背反)関係の如きは、所詮この論脈では、欲望される聖性での、使用後・使用前の形態的差異にすぎない。


端的に謂って、左翼・共産主義とは、万民を遍く、平等に奴隷化というより、無自覚なもの言わぬ家畜化する思想である。当然、末は皆等しく奴等の「食物」にもなる。
それは人間の「自由」というより、人間の「尊厳」の一切を等しく価値として否定する、確信犯の悪魔的原理なのである。何せ、その原理は元来「魔術(呪術)」なのだから。

またそれは国際金融筋の「理想政体」でもあることは、前記した。自分達支配層以外は、皆一様に家畜なのだ。
故に計画的に飼育設定できるのが、せいぜい5億人(人口削減)というのも頷ける。左翼的エコロジーなどは、その為の理論的根拠である。

端から、誰かが合理的に管理調整可能な、全一的予定調和の世界・宇宙(生態系)の如きを、恣意的に設定可能だと想うこと自体、まさに異常な「自我」(エゴ)の病的な妄想肥大なのである。その発想自体が、それこそ蒙昧で「魔術」(呪術的)的だ。

まして赤の他人の命を恣意的に計画調整できると、いとも安易に思科すること自体が。
そこには、超越的な自己聖性化の欲望のみが、無自覚で盲目的に露呈している。
世界支配層とは、正味「アホ」で「キチガイ」なのだ。おそらくは、「宇宙一」の。
だから、易々と集ストなどというキチガイ沙汰を、当たり前のように企画・運営できるのだ。

無論、国際金融筋で尽きる問題でもないが。欧米の神聖貴族や新旧キリスト教団などが、経糸としてこれに絡むからだ。

(*ハイエクやポパー、或いはオーウェルなどが、この左翼思想(全体主義)の構造的瑕疵の一端に触れたが、肝心の国際金融筋への構造的切り込みがない。奴等が設えた既成の枠内の知見に留まり、所詮「向こう側」の論客なのである。だから「自由主義」の再構成に拘ってばかりいる。取り扱いにはニュートラルな注意が必要だと思う。彼等に拠る「保守系被害者」もいるので、一言付言しておく。中にはアーサーケストラー(スターリン批判の「真昼の暗黒」・ユダヤ陰謀論の「失われた13部族」)のような、確信犯のミスリード工作員・二重スパイもいる。彼は「食わせ者」のトロツキストで、所謂「陰謀論」の仕込みの先駆けだ。リ○ャードや副○、苫○地その他の。)


事実、70年代珍左翼の一人として、実際に縛に着いた連中がいないのは何故?
それどころか、40年代狂残党がやったとされる「三○事件」をはじめ、諸々の内乱事件モドキで、狂残党員は悉く不起訴になり、代わりに罪もない一般労働者(日本人)だけが、冤罪(生贄)に問われたのは何故?

狂残党など、それこそ何十年も公安の「視察対象」のはずなのに、未だ「任意捜査」(刑事案件)にさえ移行せず、ましてガサひとつ入らない訳は?警察も都合の悪いときだけ、「推定無罪の原則」適用か?

もうそこで答は出ているのである。まして「下賤」の警察如きが、どうして雲上の支配層を逮捕できる?結局みんな、上昇・聖別された「尊き」朝○人(疑似ユダヤ)なのだから。
それを「反体制」呼ばわりとは、例えデキレースにせよ冗談も過ぎるというものだ。まして「暴力革命」云々など、茶番もいいところだ。


一方の左翼側も、自らを如何にもな「正義」の立場に置くべく、周到に立場を計っている。曰く、「弱者、被差別、被虐、被抑圧、マイノリティー」等。
果ては捏造の「強制連行」「慰安婦」、或いは「南京大虐殺」に至るまで。要は自らを価値として、まずはネガティブな「被害者」の立場に擬態する。
つまり、供犠論的には「肉」(賤)のポジションだ。それがまた、設えられた「制度的反体制」(真体制)たる所以だが。

故に、要求・リベンジ(復讐)の権利(根拠)がある云々。「拉致」さえもその一環だと。そこが自己正当化と聖別への反転ポイントになる。
無論原理的には、前記の二項対立関係の聖性昇華に於て、まず「肉」(賤)こそ、「霊」(聖)の前提(絶対条件)だからだ。「霊/肉」(聖/賤)二項対立関係に於ける、操作の基本である。

(*その論脈が前記した「弁証法」である。哲学史上、マルクスの「疎外論」や「物象化論」などは、当然この論脈に拠る。但しその論脈は、宗教学・人類学的には、生贄の呪術的密儀による供犠宗教にすぎない。つまり原理の本質として、「ブードゥ教」(原始・未開宗教)と差異はない。その論脈(ブードゥ教)は、所謂「マルクス主義」に終わらない。遂には「賤民=選民」の「聖絶思想」(超越的聖別)に至る、「ユダヤ・キリスト教」の原理的瑕疵にまで及ぶ。「異教徒聖絶」(皆殺し)の排他的独善的ドグマだ。つまり「マルクス主義」も、所詮「ユダヤ・キリスト教」の範疇内、バリエーションだということだ。またやはり国際勢力が捏造作為した、盗・草カルトなどの諸教義も。この「異教徒聖絶」(皆殺し)の具体的戦術の一環が、「集スト」に他ならない。ルサンチマン(怨恨)の聖別化を根拠として。何より重要なのは、この論脈では加害をすればするほど、「善行」としての身の「聖性」を保証することだ。つまり「功徳」だ。或いは「革命・階級闘争」の成就であってもいいが。いずれにせよ、「人食い人種」特有の、実に蒙昧で糞のような屁理屈だ。原理として突くべきは、その構造的欺瞞性なのである。曰く、生贄の血肉に渇する野蛮な「ブードゥ教」如きに、断じてこの日本を明け渡してはならない。凡そ、人としての尊厳を賭けて。)


その言草が完全なスジモンのアヤ掛けであり、論脈の基本は幼稚な「開き直り」を出ない。
なるほど罪荷血ヤクザなどは、その「出身」をもシノギの種にしている。所謂「エセ同和」関連利権だ。ならば、暴力団の犯罪・暴力も肯定されるのか?
また逆に翻って、被虐・被差別の集スト被害者の「人権」は?要は我々は「人間」ではないのか?

北鮮の「核ミサイル」、韓国の「竹島」もその論脈は同一である。(*因みにこの論脈は、奴等が日頃のお題目とする、「絶対平和主義」と矛盾・撞着するのだが。)
ともあれ重要なのは、特定ルサンチマン(怨恨)の「聖別化」(特権化・利権化)だという点だ。上記の「霊/肉」(聖/賤)二項対立関係に於て。この関係項は、極めて恣意的作為的である。
だからこそ奴等は、この作為的二項対立関係自体を、予め左右の「相互マッチポンプ」で仕込むのである。

真実は奴等こそ、聖別された「抑圧的植民地支配者」(支配マイノリティー)にして、日本侵略の「加害者」そのものだが。但しこの詭弁は、その実態の隠蔽ばかりにはない。
寧ろ「善・悪」の「すり替え変換」を謀るということなのである。「聖・賤」(霊・肉)の作為的論脈で、「善・悪」そのものの価値さえも。
この構造では価値とは、常に聖性の呪術的交換・変換にしかないからだ。

単に自己正当化を計るばかりではない。この構造に於ては、必然的に外部に悪(肉)としての生贄を作為する。当然一般日本人こそ、その対象(ターゲット)だ。殲滅(聖絶)されてしかるべき「悪そのもの」として。
そしてすべての価値を奪われ、奴等の「厄災・罪」をみな押し付けられるのである。

集ストこそ、その血祭の前夜祭であることを、愚かにも当の一般日本人こそが、全く無自覚なのである。それどころか、踊らされて、安易に加害に加担している始末だ。

その際、どちらが本当に「正しい」(善・正義)かという問題ではない。この構造では、すでに善悪の沙汰は、「役割」として一方的に定められているということなのだ。
そこでは正当な要求のスジも、「悪」として裁断され、挙句は隠蔽されてしまう。つまり、集スト被害者の要求が。

よって我々集スト被害者は、法的「被害者」であることさえ、奴等に先取り(先回り)されて奪われ、却って「精神異常者」に故なく堕されたりするのである。奴等こそ、「キチガイ」そのものなのに。この価値の転倒は、凡そ構造的だ。


この論脈は人類学宗教学的に謂って、呪術的魔術的論脈(類感・融即など)による供犠・密儀であり、その論脈を奉ずる一つの「宗教」の存在を間違いなく示唆している。
その「宗教」は古代オリエントの密儀宗教(ヘルメス思想・グノーシス主義など)はもとより、キリストの「燔祭」にまで連続する。少なくとも類型論(パターン)としては。

それらを総合(止揚)したのが、所謂「フリメ・イルミ」(カバラ)だとだけ、今は述べておく。左翼思想もエコもフェミもオカルトも金融資本主義も、一切はその分枝にすぎない。
但し特定の世界支配層により、恣意的作為的に造作された「宗教体系」であろう。一種の隠蔽的ダミー(煙幕)として。


当然この左翼の構造は、反社会的「ヤクザ」(罪荷血)に連続する朝○右翼筋が、常に警察(公安)の下部組織である疑問と、表裏一対のことである。即ち、相互マッチポンプ構造の所以として。
まともに考えれば、まず以て捕まえる側(官)と捕まる側(賊)が、上下につるんでいることなどは、本来あるべからざる異常事態のはずだ。

有態に謂えば、共にこれまた「ご同輩」なのである。
それは「国策」として今の警察が、完全に「国営ヤクザ」に成り下がっているからだ。更には国レベルで、罪荷血カルトが事実上これを、横糸で牛耳ることと相互補完的だ。
それ以外の結論は、幾ら「まともに考えても」、すべて不合理であろう。
その状況報告は、レックスさんのブログが最も詳しい。

それ故にこそ、共に聖性の昇華を欲望するのである。「聖/賤」(霊/肉)の二項対立・昇華の供犠により、日本人の誰かを生贄に介しながら。
また歴史的社会的に、「下賤」視されてきた由来がある警察が、これに主導的につるむのは、社会構造として当然なのである。罪荷血カルトの巣なのも、結句そのためだ。
そして現在の警察組織上層の多くは、おそらく「日本人」ではない。同じく聖別された「尊き」朝○人(疑似ユダヤ)が主であろう。

謂わば「味噌と糞」は、右手(右翼)に関しただけでも公然と連続しているのだ。いわんや、左翼と警察の癒着の如きは、ごく当たり前の日常風景には違いない。
まして左翼筋は、警察より上位の支配層(真体制)に属するのだから。

因みに狂残党も自前の暴力装置を持った、立派な「暴力団」には違いない。つまり左右にどう転んでも、お互いお仲がよろしいのも、これまた自明のことなのである。
また同じく「貧窮ビジネス」を、マーケット的に分け合う草加とは、「競争関係」(ライバル)として、古くからお仲間(同業者)だ。つるんで集ストやるくらい。


(*カルトの上層が悉く朝○人なのも、結局同様の理由に拠るのである。就いてはパーリア宗教(賤民宗教=朝○カルト)は、パーリア故に供犠論的にやはり上昇・聖別化されるのであると、今は謂うの留める。当然、我々生贄(集スト被害者)を媒介に。
*因みにこの方面の古典である、M・ウェーバーの古代ユダヤ教論<パーリア宗教論>には、屈折したプロテスタント的バイアスの偏向がある。「賤民=選民」としてのユダヤコンプレックスが。ユダヤをパーリアと一見難じながら、実は奴等が仕掛けた、「聖/賤」の二項関係の罠に丸ごと落ちているのだ。またパーリア資本主義を論ずるなら、国際金融の深底をも浚わねばならないはずだが。必ずしもそうでもない所、つまり彼も「向こう側」の人間だということだ。それもマルクスやフロイトと並ぶ、かなりのキーマンとして。彼にしても、社会学系では一応「非左翼」の古典とされる。但し篤信のプロテスタント故に、また問題なのである。総じて彼のユダヤ観には、アンヴィヴァレンスな所がある。篤信家の彼が、ある意味唯一神教の「理想型」と仰ぐ、当の古代ユダヤの密儀的側面(カバラの源流)に狼狽えるところなど、そのアンヴィヴァレンスな偏向の顕著な所だ。確かに彼の「脱呪術化」の論点には汲むべき所が大きいにしろ、やはり一言付言しておく。その錯綜は彼の「プロ倫」での業績の、まさに裏面にある。それはウェーバーがというより、キリスト教自身が内在する問題だ。その答はおそらくキリスト教こそ、生贄の血に渇する「ブードゥ教」の最たるものだからだ。)

























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無耳法師

Author:無耳法師
 

石川県在住。男性。カルト勢力による、集団ストーカー・電磁波犯罪被害35年。内、防犯ネット悪用での違法監視・不法行為被害7年。彼等犯罪者との徹底抗戦を希求している。伴に闘う被害者同志を求める。

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