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「反社会的犯罪組織」と警察  その1

・「反社会的犯罪組織」と警察  その1
「反社会的犯罪組織」。即ち左翼・右翼や暴力団等を語ることは、実は逆説的に警察を語ることでなのである。つまり、相互マッチポンプの双構造についてだ。

そもそも警察という部署は、犯罪を「取り締まる」処ではない。犯罪を「管理する」部署なのである。
警察と「反社会的各犯罪組織」(暴力団・風俗ヤクザ・街宣右翼・狂残党・左翼過激派・市民団体・宗教カルト等)との関係は、謂わば財務省・金融庁と銀行・金融機関との所管関係と同じだと云えば、概ね理解できるだろうか?

或いはその「管理」の中に、時には「捜査・逮捕」なども含まれるのである。あたかも、庭師が不要な枝の剪定をするように。
比喩としても「剪定」とは、木そのもの(犯罪)の育成の為にあることは、無論言うまでもない。

各犯罪組織とは、警察が支配(管理)する、下部の被管轄団体なのである。如何なる権力にとっても、社会基盤を維持・管理する為には、一定の犯罪率が必要だからだ。或いは、適度な不安・緊張状態と言い換えてもいいが。
さもなくば極端な話、誰も政府を頼まず、税金すら払う者がいなくなる。また犯罪が増えすぎても、自己否定の無政府状態(社会基盤崩壊)だ。まさに金融(金)の流れと一緒なのである。

即ち、社会基盤の維持・管理に丁度いい、「塩梅」を仕掛ける(企画・設定する)のである。当の各犯罪組織を駆使して。故に警察と各犯罪組織間の関係は、構造的に相互補完的だ。換言して、相互マッチポンプ構造である。

つまり警察にとって、各犯罪組織の存在は、自らの存在理由の根拠・担保であり、一言で云えば、俗に言う「飯の種」だということだ。
もしなければ各犯罪組織自体を、警察は自ら設立・育成せねばならないのである。

逆に各犯罪組織の社規的役割とは、常に「反社会的要員」を募集してこれを取り込み、育成・管理しては、社会的需要に応じて、その行為と共に適度に放出する所にある。
その際、社会的需要とは、当然警察機構(官僚)がこれを企画・設定するのである。

だからこそ潰されもせずに、各犯罪組織はその存在自体を黙認されているのである。構成要員として、末端が幾ら逮捕されても。
逆に謂えば、一見如何なる「反社会的犯罪組織」も、一定の社会的役割の負荷を以て存在しているのである。例え非公認であっても。

そして当然ながら、一応「刑事警察」が管理するのは、暴力団・風俗ヤクザの「営利団体」であり、「公安警察」のそれは、街宣右翼・狂残党・左翼過激派・市民団体・カルト等の「非営利団体」である。
多寡だかその管轄の差異は、凡そ社会的団体構成形態の違いにすぎない。よしんばその際、「ゲゼルシャフト」か「ゲマインシャフト」かの社会学的差異(学問的差異)に、如何なる意味があろう。

いずれも被管轄団体として、等しく警察の管理・支配下にある。それは警察との確執・闘争の結果というより、その団体の成立当初からと考えていい。端から一定の目的論の下、多くはその団体自体が成立するのである。

例えば「振り込み詐欺」一つでも、末端要員(日本人)やせいぜい中間管理組織が摘発されても、大本の組織本体(罪荷血ヤクザ)にまで踏み込むことは、まず皆無だ。
無論、犯罪製造の本体を維持する為に他ならない。次の利益を生み出す「飯の種」だからだ。

その際、何の為にどの利益主体を残すのか(剪定作業)は、謂わば国家的政策の一環であり、一部警察上層(官僚)のみが、その企画・シナリオ作成に連なるはずだ。

現在それらの企画・シナリオに通底するのが、何故かいずれも「罪荷血ネットワーク」の存在なのである。そのネッワークには、管理側の警察自体も含まれる。更にはその上の現政府(権力)そのものが。

(*上記のことは現政権(痔孔)のような、個人の自由を抑圧する「社会主義政権」(全体主義)であれば、当然のことである。社会主義国では、すべて官僚機構が設計・管理するからだ。当然「犯罪」さえも。而して国際勢力直営の前「眠朱」政権など、論外の超国家的「極左政権」にすぎない。)


二次的には、官僚機構としての警察組織自体の利権・権益が、この構造上、必然的に生起する。犯罪の社会的作為・設計管理により、その利権の拡大再生産が常に計られる。
曰く、予算・人員・法律・権限・装備・設備、そして各種の関係利権団体と天下り先。
何より、印象操作で誘導した、世論の裏付けによる「大義名分」が。あくまで、世間を欺き通せればの話だが。

そして各種の「反社会的犯罪組織」を母体として、左右の「プロ市民」が形成される。それらは皆、権力筋と恒常的な協力関係(経糸/横糸)にある。
その関係に於いて、常に犯罪とその効果の「貸借・決済」が行われるのだ。所謂「お目こぼし」や一部末端構成員の「剪定」(捜査・逮捕)も、あくまでそのバランスシート(勘定科目)での経理上の振替(複式簿記)にすぎない。

最も顕著なのは、拳銃押収や覚醒剤摘発等での、予め設えられた「員数合わせ」だが、その氷山の一角として、不用意に露見したのが、例の「稲葉事件」(北○道警)の類である。

(*「稲葉事件」については、曽我部司「北海道警察の冷たい夏」がある。この著作を紹介・評論した集スト被害者ブログでは、「組織的なストーカーの首謀者公安警察を告発する!」がある。尚、仙波・飛松・原田・黒田・有澤氏らの著作は、この方面では必提であろう。歴然として「向こう側」なのは、大谷氏の著作である。要注意だ。わざとフルネームでの紹介は避けた。意とする所は解るだろう。)


集スト加担もその「貸借・決済」の一環だが、加担する「反社会的犯罪組織」自身も、また自己の思惑や計算の下、寧ろ主体的積極的にこれに参加している。無論その最たるものは宗教カルトだが。

警察(権力)を経糸として、これら「反社会的犯罪組織」が横糸としてクロスする所以は、
寧ろ積極的な自己勢力の維持と、その権益の拡張の為でもある。
一方、縦糸の警察側も、この要求に応じざるを得ない立場にある。謂わば、相互に「弱みを握り」合う仲だからだ。

それどころか、警察自身の利権拡張の為にも、その対応には寧ろ積極的だ。「貸借」の複式簿記に於いて、貸し(債権)が多ければ多いほど、利益枠とバランスシートそのものが拡大するからだ。

一言で云えば、「朱に交われば赤くなる」のである。その共同不法行為の作為に於いて、凡そ互いに、躊躇も逡巡も許されない。イケイケで行く処まで行くしかない。エンドレスに足抜け出来ない、一蓮托生の地獄雨である。
但しその相互利権の拡大再生産には、極めて好循環(悪循環?)の環境システムではある。

このことはあくまで一般論だが、草加の「総体革命」(官僚機構乗っ取り)の欲望も、やはり基本構造はここに置いている。

本居宣長が、好んで狂人の真似をする者は、やはり狂人だと謂ったが、けだし至言である。
好んでヤクザとつるむ者は、やはりヤクザになるだろう。草加とつるめば、それは草加になるのだ。無論、それに終わるものではない。寧ろもっと事は悪質至極だが。









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プロフィール

無耳法師

Author:無耳法師
 

石川県在住。男性。カルト勢力による、集団ストーカー・電磁波犯罪被害35年。内、防犯ネット悪用での違法監視・不法行為被害7年。彼等犯罪者との徹底抗戦を希求している。伴に闘う被害者同志を求める。

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