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8月31日のコリジョンキャンペーン・事故誘発 その1

・8月31日のコリジョンキャンペーン・事故誘発 その1
この頃は意識して、地元以外でもセルフドライビングを心掛けている。一頃ほど車両ストーキングも余り気にならない。

必要なら、金沢までも自家用車で行く。その際、ウジ虫どもはガン無視だ。
車両での「つきまとい」や「待ち伏せ」も、それだけなら内の猫でも出来るからだ。
それも猫に失礼か。

と言って、それが「事実として」、凶悪な「暴行・脅迫」(常習的累犯の刑法犯)の手口の一環であることは、被害者なら絶対に否定できない。

それを安易に「事実として」否定するのは、明らかに向こう側の「回し者」(真正工作員)であろう。ましてや、集スト被害を見下し、嘲笑する輩に至っては。
それとも、箸が転んでも「電子的心象操作」(電子的妄想)と唱える、偏執的「テク犯宗徒」か?



ともあれ、奴等加害グループにとって、それが面白くないことは言うまでもない。例えば「引き籠りの統失」(アル中)などという、印象操作の一端が崩れるからだ。亦、今仕込んでいる「冤病シナリオ」(措置入院の策謀)にも関わることだ。
それで、危ないコリジョン(衝突)を仕掛けてきた。

よく先方左手から待機した車両が、こちらが手前に近づくのを見計らっては、接触ギリギリに急発進で出てくることがある。
ご存じ、コリジョンキャンペーンの定石である。車で出かければ、ほぼ120%遭遇する。
意図的ならば、まずはそれ自体が道交法上の「危険運転」だが。

それどころか、運転などの「自由意思」を制圧するに足る、「嫌がらせ・圧力」と「価値」として、こちらが思科すれば(感じれば)、その行為は「威力業務妨害」に中る。
加えて心象としても、「害意の告知」などがあれば、広義の脅迫や暴行に中るだろう。


つまりは法理上の立派な刑法犯なのだ。事件単位での要件の充足や、その個別的立証はともかくとしても。



それもコマメに記録証拠保全に努めれば、例え状況証拠にすぎなくとも、必ず「価値」の有意味性(客観性)を担保するものが幾つかでてくる。
その累積にまずは努めることだ。来たるべき裁判に備えて。

量はある一定の度量を越えれば、質に転ずる。誰が観ても頷けるような客観性を担保するということだ。

何故なら、手口として奴等のやることは、全国一律の加害マニュアルに基づく、文字通りの「ワンパターン」だからだ。
これを俗に「草加の一つ憶え」、亦は「馬鹿の一つ憶え」と謂う。無論、バカでキチガイは草加だけではないが。如何様、盗逸系を忘れて、亦拗ねられても迷惑だ。

いつでも、どこでも。札幌でも鹿児島でも。それは全国レベルでの、一律の組織的犯罪たる所以である。つまり、全部で一つの「犯罪」なのだ。如何に全国の被害者が多数でも。いや、寧ろ多数であるが故に。

だから被害者が協力して証拠の累積に努めれば、ある意味その犯罪類型の担保が比較的容易なのである。

それだけでも、証拠保全に努める、全国被害者の連衡・連帯が不可欠と云える。一定の度量を越えた、質の確保の為に。


(*その本質が「国家テロ犯罪」だからだ。忌憚なく、カルト政権による「国民弾圧」(権力犯罪)と云ってもいい。奴等売国カルト権力(盗草カルト<左右罪荷血支配勢力<英・米・中・露等<国際金融勢力<欧米神聖エスタブリッシュメント)による、一般日本国民を対象としたこの「監視社会の人権侵害」システムこそ、何より「政治問題・社会問題」として糾弾されねばならない。端的に、「日本人奴隷化・完全被支配化」の為の地均し政策だからだ。それは自ずから既成の左右の枠組みを逸脱した、政治スタンスなのである。左右の既成政治・宗教勢力こそ、この犯罪に積極的に加担するばかりか、寧ろ隠蔽するためのダミー・マッチポンプ組織でもあることは、真に被害者なら、切実に実感する所であろう。右も左も、仕切るのは「罪荷血支配勢力」だからだ。それら勢力による活動介入は、努めて排除されねばならない。但しその際「集団ストーカー・テクノロジー犯罪」という、単なる弾圧の「手口」の問題の表徴は、謂わば二次的なことなのである。亦、手口論にのみ拘るから、一般人の共感がえられないのである。この犯罪が社会の水面下で、組織的に画策された「国家テロ犯罪」故に、決して「政治問題・社会問題」として表沙汰にならないように、寧ろこれら社会的に露見しにくい心理的・電子的「手口」を、組織的に展開するのである。ならば奴等の意図を、構造的に世間に晒すことだ。その際「手口論」こそ、その意図実現に不可欠な手段であるが故に、構造として相互補完的に認知されるのである。亦、社会的認知がえられない「組織犯罪」被害とは、個別に孤立化・疎外化された被害ということでもある。その設えられた枠(罠)を破る為にも、この被害の構造的把握・表徴は絶対に必要だ。当然、証拠保全に努める各被害者の連帯が前提となる。)



そう、話を戻そう。危ないコリジョンの件である。8月末、金沢にて作為的な事故誘発を仕掛けられた。
それは単に事故被害のみならず、一歩間違えば、却ってこちらが、事故加害者に仕立てられるような際どい事案だった。

8月31日の午前11時20分ごろ、金沢駅東口手前にて、追突事故に遭遇した。
当時走行路面は二車線で、無耳法師の車両は左車線にあった。右車線は十数台の縦列状態で、何故か車線を越えてどの車も左に寄って走行してくる。

勢い無耳法師の車は、より左に寄ることになる。
交差点青信号を通過した辺りで、前方数メートル手前、左路肩に停車中の白の軽自動車の運転席ドアが、いきなり眼前に開かれたのである。

当方運転速度は20キロ前後であったが、瞬間的に急ブレーキをかけた。急停車したのが、その車体ドア開閉部1メートルほど手前であった。当然相手車両及び運転者との接触はない。

但し、開かれた相手ドアとこちら車体との並行間隔は、約30㎝ほど。むこうが、車外に身をのりだした場合ば、極めて覚束ない所だった。
その場合こちらが、危うく「事故加害者」に仕立てられるところだったのである。しかも「人身事故」もありえた事になる。

そのとき右車線は上記のような渋滞状況で、当然右に避ける時間的空間的暇はなかった。急ブレーキ以外選択の余地はなかったのである。

ときに相手運転席には、スチールメガネで禿ハゲ(落ち武者ヘアー)の、60代前半と思しき痩せぎすのオヤジが、我関せずと云う顔で、平然として座っていた。
白縞半袖ワイシャツ、ノーネクタイ。集スト被害者ならその姿は、一瞬で草加禿と解る。
しかも後述するように公○だろう。おそらくは。



ところが急停車した次の瞬間、車後部に軽い衝撃を覚えた。後続車に追突されたのである。慌てて左路肩隙間に車を寄せて、注意深くドアを開けて、外にでた。自分が同様な事故を誘発しては、シャレにならないからだ。

愛車の後部を視れば、見事にへこんでいる。相手車両の前バンパーも半壊状態だ。幸いお互い怪我はなかった。
右車線も異様な混み様だったが、無耳法師が走行した左車線だって、やはり似たようなものだったのである。

それに青信号通過直後だったこともあり、走行中、後続車間との間隔も1メートルなかっただろう。もっとも、普通街路で混雑時はそんなものだ。
まして、街中は信号だらけなのである。当然、青でも路上は溜まりっぱなしだ。

故に「安全な車間間隔」なんて、事実上取りようがないのが実情だ。例えパトカーでさえ、その例外ではないことは、誰でも知っている。ぶつけた後続車の方も、もとよりの話だ。
その状況で、誰かが急ブレーキを強制されたらどうなるか?子供でも解ることだろう。



而してその混雑自体が、集ストの場合意図的な結果なのである。被害者の車両は、常に多数の集スト車両に、前後左右を囲まれているのである。
監視の為のGPS情報は、カーナビで彼等は一応に共用している。即ちカルト権力(盗草権力)の奴隷、「防犯ネット」の衆愚どもだ。

その際、唯でさえ雑然とした街路が、輪を掛けたアナーキー状態になる。それは誰も敢て口には出さない、「公然の秘密」だが。

今回の場合、その多くがこの事故誘発に協力していた感がある。だからこそ、右車両が皆車線を割って、押してきたのである。



後続車の運転手は、いきなり謝ってきた。100%自分が悪いというのである。何故なら無耳法師の車は瞬時といえども、「停車中」だったからだ。
なるほど、停まっている車に追突したなら、追突した車に一切の非がある。こちらは一方的にぶつけられたことになるわけだ。

而に却って、こちらは釈然としない。事故の原因は因果関係からいって、非はいきなりドアを開けた例の草加禿にあるからだ。

それに「停車中」ですべてが免責されるなら、為にする「当り屋」だって自在にできる。剣呑の限りではないか。
このこと自体は無耳法師にとって、決して都合がいいことではないが、つまりそんな問題じゃないのだ。
こちらがやむを得ず急ブレーキを掛けざるをえない、その設えられた状況が意図的且つ、犯罪そのものだという点なのだ。



運転手はすぐ自ら警察を呼んだ。感心だが、素直すぎて寧ろ訝しい。寧ろ非は件の車にあることを彼にも言ったのだが。「あなたは悪くない」と。

そしてドアを開けた、件の車の番号を記憶しておくように、彼にも言ったのだが。
確か「72-○○」だったと思う。何故か下2桁がどうしても思い出せない。テクノロジーだろうか?

件の車の禿オヤジは、暫くこちらの遣り取りを窺うや、やがて、何事もない顔をして、悠然と駅前の○ホテル角を左折して去った。

訝しいのは、その運転手が一度も車外に出なかったことだ。停車してドアを開ける以上、普通車外に降りる為ではないのか?そも、ドアを開けたのは何の為?そしてしばし、その結果を傍観(観察)していたのは?
何よりドアの開放自体が、その目的だった証拠なのである。即ち事故誘発の為に。

或いは、事の展開が思いの外だったので、傍観の上バックレた可能性もあるが。ただその場合でも、自分の行為が如何なる事故を誘発したのか、よくよく理解していたことになる。
例え過失(?)であろうと、その行為と結果に、本人の自覚はちゃんとあるのである。






















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プロフィール

無耳法師

Author:無耳法師
 

石川県在住。男性。カルト勢力による、集団ストーカー・電磁波犯罪被害35年。内、防犯ネット悪用での違法監視・不法行為被害7年。彼等犯罪者との徹底抗戦を希求している。伴に闘う被害者同志を求める。

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